重役に案件の説明をする機会があった。
会議後に部長が、僕が要領よく説明できなかった事を咎めて
「お前には後日、部内の教育プログラムを受けてもらう」と。
それに時間を割かれたら、仕事が進まなくなる。
落ち度もなくペナルティを与えようっていうんやから、これは実質
いじめなのでは。
だとすると、僕の答えは「教育プログラムで時間を割かれる分だけ
既存の仕事の質を下げる」だ。
質を下げた分だけ、チェック役の課長の負担が増え、或いはやや質が
落ちた資料が出回ることで、部の仕事に対する評判が若干落ちる。
そうやって管理職にしわ寄せが行く仕組み。
人は痛みを伴わないと自らの言動を反省しないものだ。
偉い人は尚更そう。
強引なオチもあったし、
年齢を考えると無理があると
思われる展開もあったけど、
概ねよく出来ていると思う。
しばしば、作中で描かれているセリフや仕草は
建前で本音が別のところにあったり、或いは
本音と建前が入り混じった心理になっていると
思われるシーンが見られた。作者は、そういう人間の
一筋縄ではない複雑な感情を描くのが上手い。
それにしても登場人物は皆、
ことごとく不幸な人ばっかりで、
作者氏は本作にそういう呪いでもかけてんのかと思った。
老若男女が目を見開いて、生きることに懸命になっていた
時代の事が偲ばれた。
筆者の作品の中では頭一つ抜きん出ていると思う。
虫の飼育をするOLの話。
絵柄はちょっと つばな に似ている。
やろうとしている事自体は面白い。
突き詰めていけば、生きるとは何かというような
壮大で哲学的な問いになってしまうテーマであり、
それに明確な答えを示せるほどの力量を
作者が持っているとは思えない。
総合的な筆力はまずまずだと思うが、傑作になるためには
あと一歩足りないような気もする。
失意のうちに打ち切りとなってしまった
ようだが、まあ大多数にウケる内容とも
思わないし、それは仕方ない。
殻を破り、一皮剥けることがもし出来るならば
人気作家も夢ではないと思う。
昔から雑談が苦手。
人間一般に対して関心が薄いからだが、むしろ
標準的な日本人は用も無いのに喋りすぎだと思っている。
延々と漫才みたいに矢継ぎ早なやりとりをする必要はなく、
ボチボチ返信するチャットやLINEみたいな頻度で良い。
多くとも、5分に一度言葉を交わすくらいがベスト。
昭和の中頃までは、万事がセルフサービスで回っていたから
生活を営むために相互の助けが不可欠だった。だから
連携して物事を進めるために雑談をしてコミュニケーションを
とる必然性があった。
しかし現代は違う。特に都市部であれば、高度に発達したインフラを
利用すれば、人脈ネットワークが無くても問題は生じない。
もはや雑談は必須ではない時代だ。好きな者同士が娯楽の一つとして
楽しめばよいだけ。情報の海におぼれるような時代なのに、黙る社会
システムになってきているのは不思議な事だ。
滝沢カレンみたいな人格が生みだされる背景には
何があるんやろう。今日、後輩氏を見ていて思った。
度を越して、そそっかしいとか説明が下手とか
もはや精神面の発育不全すらも疑う必要がある。
それを、部下の教育が悪いとか言って安易に
僕を非難してくる上司は浅はかだ。言っても無駄な
人間には、他人がどうしてやることもできないからだ。
人間のことは概ね嫌いだが、人間の作ったものは好き。
人格には期待していないが、その能力には一目置いている。
人間関係など瑣末な事柄にはできるだけ執心せずに、
ジャンルを問わず一流の作品を愛でるような人生にしたい。
京都の不動産業者エリッツは、ほぼヤクザやな。
隣家の音がうるさいと直接注意したら、
「管理会社を通さず直接言うな。直接言うのは迷惑行為になり、
許すことはできないから即刻退去しろ。応答しなければ無理やり
マスターキーで鍵開けて部屋に入るぞ」
だと。これ、脅迫罪にならんかな。
ちょうど更新のタイミングやったから、もうなんでもええわって
気分やけど、二度とエリッツ管理物件には住みたくない。
隣家の人間も相当イカれた神経してる。
自分がうるさいのを棚にあげて、クレームを言ってきた人間を
抗議するって、それを世間では逆ギレって言うねんぞ。
世の中言うたもん勝ちやから困る。
P.S.
先日、10秒おきに電話かけてきたの、
どうやらマンションの大家っぽい。
手動で10秒おきに何十回も電話してきたんか。
不動産会社も大概やけど、こいつもほとんどキチガイやん。
超改造!!病的ビフォーアフター(同人誌)
正直、グッバイキッソシリーズの方が好き。
やはり僕は、どうも東方漫画には感情移入できない。
今回主役はどうやら にとりのようで、
ドヤ顔のコマは可愛かった。
表紙はグッドデザイン賞。
暁星記
風の谷のナウシカと似た展開。
世界設定はよく練られているが、ストーリーは
若干薄味。風呂敷をただ広げるだけじゃなくて
一つ一つのエピソードをもっと掘り下げたら
良かったんじゃないかと感じた。
カメレオンのようにジッとしてたら土日が終わってしまった。
最近毎週こんな調子だ。
さきほど迷惑電話がかかってきて、無視してたら、最終的に10秒おきに
かかってくるようになった。拒否設定するために携帯いじったら、一画面進む
ごとに着信する頻度。狂気を感じた。
三島芳治、単行本出してたんや。
てっきりコミティアでしか発表しない人かと思ってた。
心地よい読後感。静かで豊かな余韻を楽しんでる。
本作を明確に言葉で説明するのは難しい。一見すると
思春期の少年少女の自意識を描いただけの群像劇に
見えるが、人間の内なる精神世界の果てしなさ、宇宙のような
茫洋さを捉えた傑作だと思う。まだ精神が凝り固まっていない
少年時代だからこそ触れられる領域。
今年読んだ中では、屈指の良さ。
ところで、本作が連載していたアオハルという雑誌、
かなり冒険的だったのだと思う。ほとんど同人誌っぽい。
事実上廃刊してしまったようだが、近頃の何でもござれの漫画界ならば
ひょっとすると受け入れられるのでは。世に出るのが早過ぎた感。
こういう雑誌こそ漫画図書館とかで読みたいなあ。
葛飾北斎とその娘の話。
Production I.G作品なので
文句なしに美麗な絵だが、画風と話が
全くかみ合ってない。明るく抜けきった色調の絵
からは表情を何も感じ取ることができず、表面的だった。
これといったストーリーもなく、断片的なシーンを
ただ並べていっただけという印象。
おそらく、江戸っ子的なこざっぱりした気性の若い女が
天性の鋭い感覚をもって、市井の侘しさなどの中に様々な美を見出す
という筋書きだと思うが、もうちょっと何とかならなかったのかなと思う。
あまりに淡々とし過ぎていた。もっと良く作ることもできたはず。
惜しい気がした。
学生時代の友人で、とにかく絶えず何かを企画してる人がいた。
なるべく多くの人の関心を引くために、考え付く限りの思わせぶりな
仕草を繰り返す人で、そのくせ結局、彼自身にブレない主張はなく
訪れた人が得るものもないという大変迷惑な人だった。
近頃はどうしてるのかと思って、twitterを覗いてみると
好奇心旺盛な所は変わっていないが、何か牙を抜かれた獣みたいに
大人しくなってしまっていて、それはそれで物足りなさを感じた。
主義主張がコロコロ変わって一貫性がなく、何がしたいのか分からない
暴走特急みたいな所が彼らしかったから、年相応のモットモな意見を
言うような人になってしまった事に、一抹の寂しさを覚えている。
海外のWEBサイト、基本的に動作確認っていう概念がないから、
超つまんない所で進めなくなって買えないってことよくある。
外国人はどうしてそれを許せるんやろう。
例えば小売店がオープンして商品も陳列されてるのに、
「レジが壊れてるから商品売れない。帰ってくれ」て言われたら、
確実にケンカになるやろ。それと全く同じやぞ。
問題にならない方がおかしい。
職場に同じ苗字の人が居るので、
社外の人からよく間違われて不便。
考えてみれば、名前なんてただの記号だし
必要に応じて柔軟に変更してもよい。
例えば明日から職場では「田所さん」と
呼んでもらうことにしても何の支障もない。
名前に特に愛着はないし、そもそも
仕事以外で名を呼ばれることもゼロに等しいから
私にとっては氏名は、仕事の道具とほぼイコールだ。
実際刑務所なんかでは、番号で始終呼ばれるらしいし、
それで別段不都合も生じてないわけだから、
氏名にこだわりを持つことは集団幻想で、
人間を番号のみで識別する社会も有りなのかもしれない。