4年住んだマンションから引っ越した。
強制退去みたいなもんだったとはいえ、
住み慣れた家を離れるのは抵抗があったし、
新しい環境に移ることにも面倒臭さを感じた。
こういう気持ちになる事自体、僕も老けたなと思う。
引越しに伴いいろいろ環境変化はあるけど、
とにかく隣人が物音を立てない人かどうか、
成否はそこに懸かっている。
横浜駅SF
小説のコミケライズだそう。漫画自体の出来はいま一つだが、
原作の設定がよく練られているため、十分楽しめる。
百万畳ラビリンスのようなワクワク感があり、展開が気になる。
失礼ながら、甲府がめっちゃ大都市になってて笑った。
なんで甲府やねん。
なるあすく著。
読書中毒の女の子が
いろいろなシチュエーションで本を読み、
あれこれ考えるという単純な話。
設定がシンプルな分、四コマ漫画には向いていると言える。
中高生を意識してか、全編通じてとても易しい展開を見せるが
話の骨組みはしっかりしている。
登場人物は皆、変人である事に気後れする事無く、胸を張っている。
社会に出れば、多くの者が何かしら拘りや他人と違った所を持っており、
そこに正解はない。各々が何を為すかだけである。
小さな自信を手に入れた「好き子」さんが
少し成長する物語、と捉えれば王道的作品だ。
ただ、1ページに四コマ1本だけというのは
どう考えても手抜き。ページ数が同じならば
単純に漫画の量は半分ということになる。
それなのに値段が据え置きなのは、単純にボッタクリ。
作者はまだ駆け出しながら、良いものを持っていると思うので
注目したい。
何か毎週のように役員への説明とか発表とかある。
こんなん異常。たぶん管理職の仕事。
次の上司面談では役職を下げるように
かけ合ってみよう。主任などというささやかな権力を
臨んだ事はないし、仕事の押し付け罰ゲームがあるのみで、
ほんまあほみたいだ。
パルスプラザに同人誌即売会を見に行ってきた。
漫画を読み、その作品にある程度情が湧くと、次に作者に
興味が出てくる。面白いもので、好きな作品の作者の人となりは
作品同様、共感できることが多い。
同人誌即売会は、漫画を読む所であると同時に、
漫画家(あるいは同人作家)を見に行く所でもある。
ネット上では舌鋒鋭く万の事を議論しているあの作者が
実際会ってみると、虫も殺さないような大人しい人だったりして
なかなか楽しい。
漫画は最終成果物であり、その原料は作者のこれまでの人生である。
例えばワインが好きな人が、素材の産地や製法といった製品に至る過程を
楽しむのに近いのではないかと思う。
昨今は、漫画家と読み手の距離が近い。これほど漫画好きにとって
恵まれた時代はないと思う。
髪の毛が抜ける頃って初秋の季語かなと思う。
府中市って東京と広島の二箇所にあるそうやけど、
完全に国の怠慢という気がする。たった今からでも
改名させれば済む話。
今夏は花火も見ず祇園祭にも行かず、海に入ることも
かき氷を食べることもなかった。近頃は完全に秋の気候だし
季節に置いていかれた感がある。
転居に関する雑務、こんなに面倒くさかったっけ・・。
7月の半ば以降、もう2ヶ月くらい事務ばかりしてる気がする。
やる事の量が増えたのは、以前よりも細部まで気が付くように
なったからなのか。
引越しの準備もとても面倒くさい。
ミニマリストを気取ってみても、やっぱり全財産持って
移動するのは毎回骨が折れる。
無がある。
やりたい事を概ねやり尽くしてしまったが、
しかしやりたくない事もまた頑として存在する。
目だけがぎょろぎょろと動き、身はジッと静止している。
人生は長い。
筋力が落ちて徐々にやせていくのに
腹には肉がついてきて不恰好。
定期的に思うことやけど、twitterってノーベル賞を受賞するに
値すると思う。日本中(あるいは世界中)の赤の他人の
生活体験を共有できるという所が画期的。他のSNSやそれまでの
コミュニケーション手段と比べても量が段違い。
特にこれは、マイノリティにとってメリットが大きい。
コネクションによって広げていく関係は、人数的に知れている。
人付き合いのかなり良い人でも、知人と言えるのはせいぜい数百人まで。
その限られた人脈の中では、変わり者がコミュニケーションを取るのは
難しい。全校生徒数百人の学校ですら、仲間が見つからず浮いてしまう
子供がザラに居ることを考えると、そう思われる。
ところがtwitterであれば、世間中のアカウントから興味のある話題を
ピックアップできるから、知人の範囲が数百人から数千万人に広がったような
ものだ。これだけ母数が増えると、理論上ほぼ全てのマイノリティーが
同族を発見できる計算になる。
twitterは変人の巣窟のように見えるのは、一面では正しい。
他のSNSに比べ、おそらく変人の占めるボリュームが違うはず。
いわゆる「ぼっち」の人間が、人生で初めて似た境遇の他人を発見できること、
これは実際革命的なことである。
去年、平日の朝に国分寺駅前の公園で
おにぎりを食べながら、何百人という中高生が
通学するのを眺めたことを唐突に思い出した。
とてもエモかった。