ラグランジュ・ポイント

日記帳です。トップページからは写真も見られます。全て私個人の見解で、所属団体の立場・戦略・意見ではありません。

星空サイクリング

2007-07-03 21:54:48 | Weblog
常日頃思うことだが、
自転車が車道の端を通るという道路交通法の規定には無理がある。
自転車を避けただけで中央線を跨いでしまうという状況は通常の交通とは
言い難い。
そもそも自転車と歩行者の交通量の差が極端にあるわけでもないのに
歩行者に厚遇を与えるのは不合理だ。
(車道脇は自動車の危険以外にも道が悪くタイヤに悪影響があるのも
走ってみると分かる)
「歩行者が弱者」である、そして「弱者は保護すべき」というのは
いずれも根拠がない。よくよく考えてみるとそうだ、と僕は思う。

自転車も歩行者も、お互いを邪魔しないように譲り合いの精神で
歩道を共有する。そうあって欲しい。
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4 コメント

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本気で書いてますか? (チャリノリ)
2007-07-04 09:53:45
「弱者を保護する必要などない」
そう主張されてるように見えますが……。

中央線をまたがなければ自転車すら抜けないような
狭い道ならば、そもそも抜かなければいいのです。
自転車を抜く義務など自動車にはありません。
まるでその義務があるかのように思いこんでいる状況、
異常事態なのはそちらであって「狭い道の存在」ではありません。
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Unknown (筆者)
2007-07-04 19:16:06
弱者を保護するのに、そもそも根拠がないと思います。保護すべき、という意見の人がいるのは理解できます。当然に保護されると考えると、「我々は弱い。保護しろ!」っていう考え方に繋がりそうだからです。

たしかに、自転車よりも自動車の方が優越する理由もありませんね。歩行者も自転車も車も原チャとかその他乗り物も全て対等だと考えるなら、自転車と自動車も譲り合いの精神を基本とすべきですね。考えを改めます。例えば片側一車線の道で、左折のために左に寄ってる車の後続車は、別に無理して追い抜こうとしませんものね。
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Unknown (だちゅら)
2007-07-06 02:52:17
なんかね確か教習所の先生が言ってった。
交通弱者の概念っていうの。
歩行者とか自転車って車とガチで勝負したって、勝ち目無いやン。歩行者vs車の事故の場合だと怪我したり死ぬリスクって歩行者の方が断然高い。
この落差ていうかパワーバランスを是正するために、交通弱者ていう概念使って法的に保護しましょうというわけやったと思う。

まぁ法律学的な見地て、僕門外漢だから何とも言えませんが、social welfareの含みからも次のことが言えます。
歩行者ていうのは一般的に子どもや老人が多い。そうした人びとは社会全体の中でも、まぁ弱者でもあるわけで、だから車とかバイクとかへのアクセスが疎い。
だから保護してあげましょうよってノリ。

まぁ車運転してたら歩行者とか自転車ウザいし、逆にチャリ乗ってたらベル気付かない老人「はよ死ね」とか思うし、歩いとったら放置自転車とか駐車違反切られてる車みたら「チ○かすやなぁ」とか僕は思うわけです。ほんでバイクのってるときは「俺最強」。
まぁ交通戦争ですよ。
それぞれが自分の都合とかエゴとか前面に出して生活する場所っていうのが公道。普段みんな見ず知らずに人にそこまで我を出さへんやん。やっぱface to faceの関係じゃないからないからでしょうか。
このパーソナリティって学術的にはおもしろいと思う。
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Unknown (筆者)
2007-07-06 20:24:09
アメリカ的な発想に立てば、見ず知らずの人同士こそ一番気を使い合わないといけないんでしょうね。まあたとえ知人同士でも、他人と接する以上気を使いあわないと上手くいきっこないかと思いますね。
家族でも友達でも恋人でもそこらへんのおっさんでもほとんど同じように気を使うべきかなと思います。僕は。ただ、そこらへんのおっさんは相手の事を知らないので、ほとんどおせっかいは焼かないかなとは思いますけど。他人にお金を貸せる基準とその上限額っていうのは、考えてみると僕の場合たぶん、友達でも見ず知らずのおっさんでもほとんど変わらないと思います。
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