豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

戦争の記憶

2001-09-17 20:29:48 | Weblog
9月17日(月) 快晴

      世界遺産・古都フエ  

フエはダナンから車で2時間半。ここもベトナム戦争の激戦地で、町並みは壊滅的な破壊をこうむりましたが、近年修復作業が進んでいます。ベトナム最後のグエン朝の王宮や寺院が点在し、日本でいうと京都みたいな観光名所です。

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    戦争の記憶

ベトナムは国土が33万平方キロ、人口が7400万人。人口の90%はベトナム人(キン族)、その他にタイ族、ターイ族、ムオン族、クメール族、華人など50以上の民族からなる多民族国家である。
1976年ベトナム戦争の勝利により南北統一を実現し、共産党が実権を握った。その後も中越戦争、カンボジア紛争、西側の経済封鎖などで、ベトナムの経済は1979年に破産状態に陥り、世界の最貧国であった。その後1986年に導入されたドイモイ路線(指導資本主義)により、起死回生の驚異の経済発展を遂げた。
吉田、カオリとビーの車で農村地帯を抜け、山を越えて古都フエへ。山道を登る時にはバッテリーが上がらないようにクーラーが切られた。山頂に米軍のトーチカが残っていて、眺めの良い場所でみすぼらしい服装の中年女性たちがお土産を売っていた。片言の英語でお世辞を言いながらしつこく付きまとうので、ついに根負けして絵葉書を買った。グエン朝王宮、カイディン帝廟などを見学した。
フエはベトナム最後のグエン王朝(1802-1945)の都がおかれた町だ。喧騒のダナンとは違い、フォーン川のほとりに王宮、寺院、皇帝廟などが並び、アオザイ姿の女性たちが行き交う落ち着いた街だ。フォーン川の向こうは新市街でドンバ市場を中心に活気に溢れている。
グエン王宮では王宮門に登り、太和殿を見学して裏に抜けると、続く建物群のほとんどはベトナム戦争で破壊されて残っていなかった。昼食のベトナム麺はうまかった。猛暑の熱気でアスファルトの道路を行く人々が陽炎のように揺れている。30年前、僕は銃弾の飛び交うこの地で同じような光景を見ていた。その時26歳の僕は「長生きをし過ぎた」と感じていた。1970年が世界を救う最後のチャンスであると僕は信じていた。「もはや手遅れだ」この痛苦の念は今も変わりはない。既に人間の欲望は世界の限界をとっくに超えているのだ。世界の富の80%は世界人口の10%の先進国が独占して、浪費している。後進国の人民にも同じ贅沢を享受する権利があるという主張に僕たちは反論できない。世界のすべての人間が先進国並の生活水準を望めば、宇宙船地球号は数年で沈没する。
18:00 ダナン出航。

読書:「ユダヤ人」 サルトル

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