豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

砂漠の民族と宗教

2001-10-13 21:02:42 | Weblog
10月13日(土) 快晴

 スエズ運河

右舷にシナイ半島の殺伐とした砂漠。左舷には熱帯樹林と街並み。スエズ運河は両岸に対照的な眺めが延々と続きます。何時間も同じ景色を見飽きた頃、突然巨大な吊橋。ODAで日本のゼネコンが工事中でした。
ニューヨークのテロの影響で航程が変更。エジプトとトルコにも寄航の予定でしたが、イスラム原理主義勢力が強いお国柄なので中止。代りにギリシャとクロアチアに寄航します。

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   砂漠の民族と宗教

スエズ運河通過。船上ではピース・フェスティバル。右舷にシナイ半島の殺伐とした砂漠が広がる。左舷には熱帯樹林と街並みの対照的な景色が続く。アラブでは太陽よりも月を好む。『神は人間の罪深さを知らせるために太陽を作った』砂漠では農業はできない。家族単位の遊牧生活が基本となる。集団の秩序よりも契約が重んじられる。

農業と違って働けば働くほど収入が増えるというものではない。そこは努力が報われない世界である。「もしも神が許されるなら(インシャラー)」と運命に身をゆだねる。すべては神の意思であり、人間の力は及ばない。オアシスは天国で、砂漠は地獄だ。砂漠の風土と生活様式が、唯一絶対神の、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を生んだ。

各国の事情を見てみよう。

アラブ人もユダヤ人も同じセム系民族である。

同じイスラム教でも、アラブ民族はスンニ派で、ペルシャ民族はシーア派である。イスラムの諸宗派は「神の使徒(カリフ)」の後継者争いから始まった。マホメットを初代とするカリフは2代目以降はほとんど政敵に暗殺された。7代目のカリフのフセインはペルシャ帝王の娘と結婚したが暗殺された。シーア派はこのフセインを正当なカリフと主張する。

エジプトにはコプト派キリスト教徒が400万人いる。

レバノンではマロン派キリスト教徒がイスラム教徒よりも多い。シーア派も多い。従って、大統領はマロン派教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派から選ばれる。

シリアではイスラムの異端派であるドルーズ教徒が多数いる。

イランにはゾロアスター教徒がいる。

イスラエルではユダヤ人よりもアラブ人の方が多い。ドルーズ教徒も多い。

このように、イスラム国家は対イスラエルでも一枚岩ではないし、イラン・イラク戦争、イラクによるクエート侵攻など内輪もめも絶えない。

トルコでは第1次世界大戦の敗戦後、アタチュルクが政教分離し、国民国家を建設した。つまりイスラム聖法を停止し、憲法を制定した。しかし現在、原理主義などの保守派の台頭に国内政治は揺れている。

イランではレザハーン、パーレビ国王が脱イスラム国家を建設したが、腐敗政治から、ホメイニによるイスラム革命で保守イスラム国家に逆戻りをしている。



読書「南仏プロバンスの12ヶ月」 ピーター・メイル

映画「レジェンド・オブ・フォール」

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