中学時代から42年!同級生コンビのつぶやき

日々の生活の中での雑想文。時代の狭間に在するアラフィフの想い・・・。

高齢者不明問題

2010年08月25日 08時46分04秒 | Over 65 years
騒ぎとなっている

高齢者不明問題ですが、

死亡しているのに戸籍上は存在

と言うことは予測できた事で

今の日本の状態をみれば有り得る事態だと思います。

年金でさえああですから、戸籍だって住民票だってあてになる代物ではないですね。


さらに、人が亡くなり、どのような手続きをしたらいいのか

分からない、知らない、方々も多いと思います。

自分の父、母親の死を故意に報告しなかった方もいれば、

故意ではなく、無知だった場合もありますね。

それは、連絡を怠った側だけの非ではなく、

役所側もなんらかの対応が必要であるはず。

宿題の多い日本政府になってきましたね。

認知症の親との付き合い方

2010年07月24日 23時38分47秒 | Over 65 years
表題の件。


本当に難しいですね。


子どもに接するより、難しい。


「認知症」でなくとも、

高齢の親との付き合い方には、

いろいろと考える事が多いのではないかと思います。


我が家の母は、

認知症といえども中度で、

穏和の態度の中での認知ですので、

他の方に比べたら、余裕を持って

接することができるのかもしれません。


それでも、元気の頃と比べると

「何故??」と思うほど変わってしまっていますし、

本人は、自分ひとりで全てできるし、問題ないのに

どうして子ども達はこんなに自分の世話をやくのか

不思議だそうです。

子の心、親は知らず・・・・・。

この猛暑の中、一人で家にいるのは

とても心配なので、我が家に10日間いるように

迎えに行ったのですが、

3日目にして

「なぜ、ここにいるの?」

と質問。

家に帰りたいそうなので、明日返す予定です。


こちらの思いはなかなか伝わらずで、

もう自分が他人の介護ヘルパーになって、

もう少し仕事的に、ドライに親に接するほうが、

うまくいくのかな??


と思う今日この頃です。

投薬確認ヘルパー

2009年12月07日 22時50分11秒 | Over 65 years
高齢者の一人暮らしのお宅へ、

朝30分だけ訪問し、ご老人が薬を飲んだか確認するための

ヘルパーさんを依頼できるということを先日知りました。


母も一人暮らしをしており、

どうしても薬を決められた通りに飲めません。


我が家で寝泊りしている時は、

娘に「薬飲んだ?」「大丈夫?」と聞かれことでプレッシャーになるのか、

1日1回でいい薬を、先日は朝に3回飲んでいました。

飲んだ事を忘れてしまうのです。


自宅に帰ると逆に誰も声をかける人がいないので、

薬が全く飲めなくなります。


いろいろ手段は取りましたが、なかなか思うとおりにいかないので、

投薬確認ヘルパーを検討中です。


そこまでするなら、同居を・・・・と考えても、

そう簡単にはいかないところが、難しい現状・・・・。

シルバー世代の想いと子どもの想い

2009年11月18日 11時22分56秒 | Over 65 years
78歳の母は、実家で一人暮らしをしている。

時々留守番を頼んだり、罹りつけの病院へ行くのに、こちらに呼び寄せ、

その際は1週間~10日ほど我が家に寝泊りして過ごすこともある。


先日の日曜日にこちらに来て、

つい先ほど一人で実家に帰っていた。


「明日車で送るから、明日帰ろう」

という言葉も聞かずに帰っていた。


母が急に帰ることにしたのは理由があり、

朝、私から薬の飲み方や、一人で家にいる時の食事はどうしているのか

などの質問をあれこれされたからだ。


正直、聞かなくても私は母が全て一人で出来ていない事は把握してるのだが、

認知症に片足を入れそうなほど、物忘れが多かったり

自分で自分の事をできてなくなっているので、

「進行度」を確認するためにも、あえて本人に答えさせるようにする時がある。


もちろん答えは

「ちゃんと出来ている」

「食事も作って食べてる」

と、虚偽回答。


嘘をつこうと思ってそうしているわけではないのも分かるのだが、

そんなに強がらなくても・・・・と思う事しばしば。


さらにいくつか質問を繰り返すと、母はだんだん気持ちが高ぶり

「そうやって追い詰めて言われてもわからない!」

と憤慨する。


結局居心地が悪くなってきたので、早く家に帰りたくなったのだ。


こちらの言い方は到って冷静沈着なのだが、


母としては、答えられない、答えたくない点なので、

気分を害してしまう。



こちらはこちらで、もう一人じゃなかなか料理も身の回りの事もできなくて・・・

といっそ素直に弱音を吐いてくれれば、いいのに・・・

という想い。



シルバー世代の想いと子どもの想いは

なかなかしっくりいかない場合がまだ多く、

どちらがどうあるべきなのかが、見出せずにいます。


やはり自分が母の歳になってやと

「ああ、母はこんな思いをしてたんだ、

         こうしてあげるべきだったんだな・・・」

と理解するようになるのだろう。

それまでは試行錯誤を繰り返しながら、

「老い」というものを学んでいきたい。

朝の電話  ~年老いた母から学ぶ~

2009年11月12日 00時30分58秒 | Over 65 years
朝8時半頃、携帯電話が鳴った。


ディスプレイには、介護施設の電話番号が打ち出されている。

この時間にかかってくるのは、これで4度目。


「もしもし」


電話に出ると、母のデイサービス先を決めるときに

新設丁寧に説明、案内をして下さったNさんだった。


「おはようございます」

と明るい7割、残り3割は「困惑」したような感じが伝わってきた。


こちらも用件はだいたい察しがついていたので

あまりテンションは高めず、冷静に普通のトーンで挨拶をした。

Nさんは続けて


「お母様を今お迎えに上がったのですが、

    今日は娘さんのところに行くので休むとおっしゃられていますが

          その予定で宜しいですか?」


と確認をしてきた。


即答で「いいえ、その予定はありません」と返事をする。

Nさんにはこちらから母に電話をして説明するので、

迎えの車には少し待ってもらうようにお願いし、

すぐに母に電話をした。


結局なぜこのような事態になるかというと・・・・。

11月16日が母のかかりつけの病院の定期診察になっており、

その予定をこの前の8日、日曜日に実家に帰ったおりに伝えた。


病院は実家大田区ではなく、娘達の住む豊島区に近い病院になり、

定期診察の際は前日に誰かしら母を迎えに行き、

娘の家に1泊してから病院へ行く。


16日もそのように迎えに行くから、また連絡する。


という流れを説明してきたのだが、

大きな勘違いをして、母は火曜日に娘の家に行く・・・

と思い込んでしまっていたのだ。


母に電話をしてみると

「あれ、今日じゃなかったっけ??」と

キョトンとした話かた。

「違うよ」

と冷静に説明をして、最終的にはデイサービスに行くということで落ち着いた。


姉にその話をすると

「事前に予定を知らせるとそうなる。だから用事のある時は、

   前日、もしくは当日に突然言うようにしないと本人混乱する」

という意見。


朝のデイサービス事件は今年で4回目。


火曜日と金曜日の朝の携帯への電話は、ほとんど察しがつくほど。


日にちが分からないのか、違うように解釈してしまうのか

理由は分からない。


こうやって勘違いをしてしまうシルバー世代のお世話をされている

介護関係の方々が本当に大変だと思う。

いつも申し訳なく思うと共に、なんとかしてスタッフのヤキモキを

解消できたら・・・・と。


ですが実際ヤキモキしているのは、介護スタッフではなく

肉親なんだといいう事も分かっています。


年老いた母からも、まだいろいろな事を学びつつ、

自分の「老い」と向き合っていかなければ・・・・。

介護から快護へ  

2009年10月26日 10時51分57秒 | Over 65 years
としま広報に載っていたこの言葉


「介護から快護へ」


本当にその通りだと実感しました。


介護される側、介護する側、両者にとって「快護」へと


進展してゆけるものならば・・・・。


ですが現実問題、介護を快護へ導くのは、とても難しいことだと思います。


双方に課題がまだまだ沢山あるのです。


特に、介護される側の「努力」というのは、介護する側の努力に比べると、


軽視されているような気がします。


身体が思うように動かない、ほとんど寝たきり、


認知症の診断が下された人に・・・何の努力が???


と思われるかもしれませんが、でも努力は必要なのです。


「動けないのだから当然」とか

「お金を払っているのだから」


というやってもらって当たり前の姿勢は極力避けたいですね。


さらに、私達は老いれば老いれるほど、

自分で自分の事ができるようにしようと、

日々努力をしないといけないものだと最近感じます。


その為にも、最低でも40歳を過ぎた頃からは、

健康管理、体重管理、体力・筋力の維持、趣味をみつけ、人と沢山会う、

人の言う事を寛大に受け止める心の訓練

など、老いた時にどういう自分でありたいかを意識し、

予防をしていかないとならないのです。


そう、人は常に老いていくにあたり、


予防と努力・・・そして感謝ですね。


健康でいられたのであれば、健康に感謝。


誰かの手を煩わす事になってしまったのであれば、

生かされて、人に助けてもらう事に感謝。



対する、介護する側にしては、

なるべく心の余裕をもつことを心がけたいですね。


78歳の要介護1の認定をされている母が、時々我が家に居候をする時、

なんてことはなく、自分の気持ちが落ち着いてる時はなんとも思わない事が、

心に余裕がないと、小さな事でもイライラしてしまい、

口調もだんだんと強くなる事もしばしば。


これでは快護にはなりませんよね。

お恥ずかしい次第です。


余裕をもつには、やはり時間と助けてくれる人の存在が大きいです。

プラス実際問題、「お金の余裕」も大事なんだなぁと日々実感。


デイサービスや在宅介護などのサービスをうまく利用して

自分の時間をつくったり、介護される本人も気分転換。

サービスを利用する事も時には大事と思っております、

そうなると、やはりお金もかかってくるのです。


全てをクリアし、「快護」と呼べる日が本当に来るのか。

「任侠ヘルパー」の女社長が言っているように

「理想」でしかないのか。


まだまだ解決、検討しなければならい事項の多い介護現場ですが、

私自身がまず、母親に対して「快護」と呼べる対応ができるように

無理せず少しづづ、努力していきます。

怪奇現象

2009年10月21日 15時33分00秒 | Over 65 years
あれ、ここに置いてあった手紙がなくなってる。

『誰か動かした?』

聞いてもみんな首を降る。


夜に食べようと残しておいたおかずはいつの間にかなくなっている。

みんな知らない、食べてないと答える。


私の母宛ての大事な書類 、子ども達が触らないよう、引き出しの下に入れたのに、行方不明?

でも、誰もが知らないと言う。


どうして?

他にも、誰もやっていないのに、

間違えなくなくなったり、移動されている物があったりする。


まさか、これは怪奇現象??


そんな日が1週間続いてます。

これが、78歳要介護1の認定を受けている、

母との1週間の同居生活での出来事でした。


怪奇現象と思っていれば、時間は穏やかに流れます。

見守り

2009年09月04日 21時11分49秒 | Over 65 years
介護のカテゴリーに
見守りがあります。
義母は、要介護。
月の半分近くは、見守りのため、義母の所に泊まります。
今日も、急遽泊まりになりました。
在宅介護の家族のシェアリングです。
いづれは我が身。
できることは、できるうちに。
介護疲れの犯罪も、これから更にふえるでしょう。
当事者にしかわからない現実問題が、沢山あるとおもいます。
介護のシェアリングができるうちは、幸せかもしれません。

ささやかな「お祝い」

2009年08月28日 00時25分13秒 | Over 65 years
夏休み中の事業として

「高齢者への配食事業」に1ヶ月半(週二回)

携わりました。

昨日がその最後の日、、、


これまでほとんど「会話」のキャッチボール

がなかったお年寄りからも

昨日は色々な言葉をかけてもらいました。


その中の一人のおばあちゃんが


「今日でおしまいだね、ありがとう」

「来週から寂しくなるよ」

「また頑張ってもう少し長生きするから、また来てくれるかい?」

しばらくそのおばあちゃんの話を聞いていました。


足が悪く、2週間前にも転倒して、

顔にはまだ「絆創膏」が痛々しく貼られています。


「そうだ、あたしは今日が丁度誕生日」

「80歳になったんだよ」

などなど、いつまでも、いつまでも「名残惜しそうに」

話をしてくれる「おばあちゃん」


その中で「ぽろっと」言った事が、、、、、

もう少し元気で歩けたらさ、あたしは「スイカ」が好きで

いつもなら「買いに行ってたんだけど」今年は無理だったよ、、、、


「身内のいない独居」のおばあちゃんの「独り言」でした。




こうなると駄目ですね。

今は亡き自分の「おばあちゃん」と「オーバーラップ」

休憩時間を利用して「個人的」に

ささやかな気持ちだけ「数切れのスイカ」を届けました。


「おばあちゃん」はとっても喜んでくれて

「一人だけど、このスイカで誕生会するよ」と、、、、、


おばあちゃん元気で長生きしてね!


本当は、「そこまですることはないし、してはいけないこと」

かもしれません。


でもね、今回は「打算や計算無し」に

「おばあちゃんにスイカを食べさせてあげたい」

ただそれだけ、、、、



その瞬間「自分のおばあちゃん」がそこで笑っていました。





誰もが通る路

2009年08月10日 18時04分51秒 | Over 65 years
叔母と久しぶりに電話で話した。

母の妹にあたる叔母。

叔母の家は近くではない為、なかなか会えないが

時々電話くれる。


話しは専ら母の事。

叔母は母のすぐ下の妹で、昔から母の事をとても慕い、一人暮らしの母の方へもマメに電話を入れてくれる。

先週母と電話でおしゃべりをした話しをしてくれ、叔母がポツリと・・・

『もう同じ話ししか、しなくなってしまったんだね・・』

『あんなにしっかりしてたのを考えると、寂しくなるね』

一昨年ぐらいまでは『全然変わらない』と母の事を話していたが、ここ最近はなんとなく感じとったようだ。

母は現在要介護1。


『誰もが通る路、だと思って、優しくしてあげてね』と頼まれた。


『誰もが通る路』

なるべくその路にたどりつくのは、ゆっくりでいいかな。

もしくは、違う路を通れるよう、今から地図を広げて確認しよう・・・。



8.30 決戦に向けて

2009年08月10日 00時05分47秒 | Over 65 years
8月30日の「総選挙」に向けて

個人的に「民主党」に非常に

興味を持っていましたが


「財源」の問題(疑問)

「マニフェストの修正」の仕方(タイミングなど)

その他、諸々ありますが

「不信感」がでてきました。


個人的には、2児の親として

「目先の子供手当て」だけに焦点を当てると

「とっても魅力的」です。 が

「各党」とも

「似たような感じ」で

「子供関係」に焦点が向きすぎているように

感じてきました。

「少子高齢化」の「少子」にばかり

「目がいっているような」感じです。


もう一度「冷静」に「慎重」に

8.30 決戦に向けて、考えをまとめていきます。


知らない人からの電話

2009年07月18日 10時27分23秒 | Over 65 years
今年に入って、

携帯電話や家の電話に、知らない人から電話がくることが多くなりました。

セールスコールとかそういう類のものではなく、


「あの~、おばあちゃんが道に座っていたので、お電話したのですが・・・・」


とか、


「あの~、おばあちゃんに○○への道を聞かれたのですが、

            ここからだとだいぶ遠いですけど・・・・」


など、そして


「○○タクシーですが、おばちゃんを乗せたんですが、

  お宅の住所も場所も分からないそうですが、どのあたりですか?」


という、内容をきくとハッと一瞬驚かされるような、電話。


おばあちゃん=母 なのですが、

通りすがりの方々や、運転手さんにかなり助けて頂いてます。

母が私の連絡先を書き留めているメモ帳を見せて、

それを元に連絡して下さっているようです。


住所も書いてるあるのですが、それを見せる機転はきかないのです。


見ず知らずの、電話なので顔もわからない方々に、

深く、お詫びとお礼をして電話を切ります。


母は認知症の診断は医師から下されていませんが、

片足1本つっこんでいる状態で、進行しないよう薬も飲んでいます。

担当医いわく、年齢に順じた衰え、ということですが、

もう1ヶ月単位でできなくなることが増えています。


かなりの珍事件を起こしていますので、ちょっとやそっとでは驚かなく、

笑って済ませてはいますが、

笑えなくなる日も、そう遠くないかとも思います。


母は昭和一桁生まれの人なので

「まだまだ元気。一人で大丈夫!」 「一人が気楽でいい」

「年寄り扱いしないで」

といつも気丈に言ってます。


一昨日のTVドラマ「任侠ヘルパー」の中で

「老人はプライドもっちゃいけねぇ~のかよ!!」

という言葉がありましたが

まさに今のお年寄りの中で、そうお思う方もいらっしゃるでしょう。

いえ、ほとんどの方がそうかもしれませね。


そのプライドを抑えて「人に頼ることも必要」ということを受け入れる、

そのタイミングはいつで、その時人は何を思うのでしょうか?


母を見ていると、きっと亡くなるまで「一人で、大丈夫!」

と言っているだろうと想像がつきます。

でも、それでもいいと思います。


プライドと介助・介護はいつも背中合わせ。





危ないペットボトルの開け方

2009年02月08日 19時47分47秒 | Over 65 years
今日は所用のため

76歳の母に、3歳・6歳になる子ども達を預け

2時間ほど外出をしました。


帰宅して早々、上の子が

「ペットボトルのキャップが開かないから、開けて」

と言ってきました。


ポカリスエットのキャップが開かず飲めなかったようなのですが

たまにペットボトルのキャップが少し硬く、大人の私でも

力を要する事があります。

子どもは当然なのですが、76歳の年老いた母も開けるのは困難


今回もまた母でも開かなかったのだろうと思い

早速キャップを外そうと、ペットボトルを受け取ったところ

キャップが何やらいびつに変形しており

不思議に思いました。


思い切りキャップを回し、何度もトライしたのですが

キャップはびくともしません。


どうもおかしいと、ペットボトルのキャップをもう一度見て、

ハッと気が付きました。


ペットボトルとキャップの繋ぎ目を火にあてて、外そうとして

いたんだ!


ジャムの瓶などが真空のため、硬くてなかなか開かない際に

火に軽くあてると容易に開けられるようになりますよね。


母はその原理をペットボトルに応用し、

キャップを溶かしてしまっていたのです。


「ペットボトルは火にあててはダメ」と話すと

「開かないから、火にあてたのよ」と平然と答える母


自分ではほとんどペットボトルの飲み物は購入しない母ですが

孫達が開けるのを頼み、たまに硬くて開かない時があります。

そんな時は

「手の力が弱くなってるから開かないんだよ」と言葉をかけ

代わりに私が開けるというパターンは何度かあるのですが


”自分の力が弱い”と全く自覚していない母ですので


瓶と同じ仕組みで開かないと解釈し、火にあてる方法を実行して

しまったのです。


ペットボトルが溶けるという考えは全くないのです。


歳が原因なのか、それともペットボトルに対する知識がもともとなく

今回のような事になったのか?


いづれにしても、危ないペットボトルの開け方を本日目の当たりにし

うちの母だけではなく、ご老人達の中には同じような事を考える方も

いらっしゃるのではないかと思うと、少し心配になってしまいました。