代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

思考停止の経済学が世界を殺す

2008年12月04日 | 自由貿易批判
 今月号の『現代農業』(農文協、2009年1月号)に先月号に引き続いて私の書いたものが載っています(338-343頁)。興味のある方がおられましたら、今書店で販売中なのでご笑覧ください。

 私の書いた記事のタイトルと見出しだけちょっと紹介させていただきます。

*********************

WTOの世界的誤謬を正す(下)
市場原理主義の破綻を国際協調の関税引き上げで乗り越える
                            関 良基

*農産物貿易を自由化してはいけない四つの理由

 ①環境問題の発生
 ②工業が収穫逓増産業であるのに対し、農業は収穫逓減産業である
 ③農産物需要は、工業製品に比べて価格弾力性が低い
 ④競争の前提条件がそもそも不公正である

*自由貿易推進の経済学は不都合な事実を無視してきた

*外部不経済効果を内部化するためにも関税引き上げを

*思考停止の経済学が世界を殺す

*国際協調しながら関税を引き上げる

************************

 見出し語の多くは、編集部の方が付けて下さったものです。さすがプロ。見出しの付け方が抜群に上手いのです。とくに私のお気に入りは、「思考停止の経済学が世界を殺す」でしたので、この記事のタイトルに借用させていただきました。
 
 ちなみに、正統派経済学の自由貿易信仰が「世界を殺しつつある」と表現したのは、私ではなく、国際エコロジー経済学会の会長も務めたハーマン・デイリー(メリーランド大学教授)です。デイリーの本からの引用が見出しになったわけです(ハーマン・デイリー『持続可能な発展の経済学』みすず書房、2005年)。
 経済学を「思考停止」と呼んだのは私ですが。どこが「思考停止」で、どう「世界を殺しつつある」のかは、本文を読んで下さるとありがたいです。もっとも先月号からの続きなので、先月号もあわせて読まないと、どう「地球を殺しつつある」のかは十分に理解できないかも知れませんが。

 この記事では、農産物を自由貿易の対象としてはいけない経済学な理由として四点を挙げました。これらの四点は、主流派経済学がほぼ完全に無視しているものなのです。これらの四点が理解できるだけで、農産物の貿易を自由化してはいけないことは誰の目にも明らかになるはずです。しかし正統的経済学は、臭いものには蓋をするかのように、見えないフリをしています。ですので、「思考停止」と呼ばざるを得ないわけです。

 しかし、短い記事ですので、四点を十分に分かりやすく解説することはできておりません。やはりこれらを全面的に展開するためには一冊の本が必要になります。いずれ書いて出したいと思います。(出版社が引き受けてくれるかどうかが大問題なのですが・・・)
   
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9 コメント

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ご丁寧な返答ありがとうございまた (バク)
2008-12-04 22:52:46
駄文、乱文のコメントに対し、ご丁寧なご返答を早速にいただき、ありがとうございました。最近ちょいと忙しくて、貴ブログに目を通しながらもお礼の言葉(反論?)もできませんでした。まだまだ仕事が残っているのですが、今日はちょっとしたしたことがあって一念発起してパソコン画面を開きました。

関様の主張には大変共感できるもので、政府がその政策を実行すべく取り組みをはじめたら全面的に賛成したいと思いたいです。でもどうしても疑問がぬぐえないのです。関様が紹介したブログも読みました。大きな輸出超過があるにもかかわらず、少なくない国民が貧困にあえいでいる現状は、内需が軽視されたために富が国民に還元されていないためである。だから内需を増やすと同時に過度な輸出依存の体質を改め、その分、農産物の保護政策をとるべきだという主張だったと思います。確かに今取り組まなければならない政策はこれだと思います。その意味で民主党が打ち出した農家の所得保障の政策は評価できます。ただしどこまで本気なのか大変疑問ですが(小沢氏は本質的に新自由主義的傾向が強い政治家だと思っています)
私の疑問は資本主義の根源的なところにあります。それは私がもし会社経営者(資本家)だったとします。そして同時に学生時代に身につけた左翼的思考も併せ持っていたとします。すると従業員を派遣労働者で安上がりにすませようとはしないでしょうが、給与は世間並には押さえます。そして内部留保をできるだけ多く抱えるようにします。理由は2つ。不測の経済状況に対処できるようにするため、経営の拡大目指すためです。つまり良心的資本主義者に徹していてもやはり富の配分には慎重になってしまうものなのです。要は資本主義には限界があるのです。社会主義(共産主義)の思想はこの点をついているのでしょう。一方、資本主義もケインズ理論、すなわち国家が積極的に関与して需要を喚起する方法で富の再配分を作ろうとしたのでしょう。しかしそれには資本家サイドの欲(エゴ?)は守られていますから常に経済成長が必要になります。日本が高度成長期の間はその問題点が表面化しなかっただけで、成熟期なって人工的に需要を喚起するためバブルが作られ、はじけてしまいました。
よく言われている言葉に「東西冷戦で敗北したのは社会主義陣営だ」がありますが、私は「両者とも敗北した」と思っています。資本主義陣営では人々の心が荒廃し、拝金主義がはびこっています。ホリエモンが一時もてはやされましたが、基本的には富が豊かさの指標となっているためであるためではないでしょうか。その意味で、関様の言う政策が本当にうまく回っていくのだろうかと言う疑問がついて離れません。現に今、米国の金融危機で自動車産業が大不況に直面し、非正規労働者の首切りが始まっています。それは輸出の劇的な現象で大企業すら倒産の危機が忍び寄り、富の再配分の原資すら失われようとしています。経済対策としてはおそらく国債発行を大量に行って内需を喚起させ、同時に紙幣の増刷分を円高や外貨準備金吸収させる手だと思いますが、おそらく自民、民主ともこのような大胆な手は使えないでしょう(米国の影におびえてが第1の理由、その点、中国はえらい!)
関様がおっしゃる政策を始める前に「本当の豊かさとは」を定義し直す必要があると思います。以前、TVで、自給自足を中心にほんのわずかな収入で生活している人を追っている番組を視ました。その人達に暗さがなく心豊かな生活を送っている様子が伝わってきました。関様の政策が実現するためには「豊かさとはなにか」を問い続ける必要があると思います。そして多くの国民(サヨク的には人民、もちろん私も含めて)の価値観の転換があって初めてなしえるものだと思います。しかしそのためには長い時間が必要だと思います。短期的には内需喚起ともてる国(お金が消えたわけでなくどこかに偏在しているはずです)への輸出の拡大を探るのが現実的な手段ではないかと考えてしまいます。

話は変わりますが、実は今日、小さな研修会で講演を行い、幾ばくかの謝礼をいただきました。そこでちょっと贅沢しようと思っていたら、なんとその何倍もあるへそくりを落としまいました。まさに「悪銭身につかず」を痛感して帰宅しました。自宅でやけ酒の発泡酒を飲みながらTVにスイッチを入れたところ、派遣労働者の首切りのニュースを見ました。この人達の大変さに比べたら自分の失敗など小さなことだなと思うと同時に関様の主張が気になりパソコンのキーボードをとりました。やけ酒ならぬやけ書きです。駄文を長々と書いてしまいましたことをお許しください。
バクさま (関)
2008-12-06 07:40:04
 大変な災難でした。私も途上国をうろついていてサイフをすられたりなんてことはしょっちゅうありました。まあ、運の悪いときは誰にもあるものです。いやなことは忘れて、前向きに行きましょう。
 
 確かに、善意の人間でも資本家になれば、やはり派遣を多く雇って、内部留保を蓄えねば、景気が悪化したらリストラをせねばなどと思うのでしょう。でなきゃ経営が成り立たないので。

 その資本主義の害悪を公的介入によって是正したのがケインズ政策ですが、やはりそれにも限界がある……。
 ご指摘の通りだと思います。このブログで論じてきたエコロジカル・ニューディール政策は、ようやく国際世論としても大きな潮流になってきましたが(パン・ギムンまで「グリーン・ニューディール」なんて言い始めました)、ケインズの限界をエコロジカルな観点から是正しようとしているものです。
 それにも限界がある。さらにその先は・・・・・。
 と、政策はたえず進化させていかねばならないと思います。
 その修正の積み重ねの果てに、気がついたら資本主義は資本主義でなくなっている、というのが理想的なソフトランディング路線かと思うのです。
 それができなかった場合、世界革命というハードランディング路線か、はたまた世界戦争か世界人類滅亡という最悪の事態になってしまいそうです。
 
 まあ、資本主義がこの先もうもたないだろうと考える人々は前に比べて格段に増えています。この先、もっと増えるでしょう。
 理想社会についての議論は夢として論じつつ、現実に直面する諸問題を一つ一つ解決する方向に改革を重ねるしかないと思います。
読ませて頂きました (デルタ)
2008-12-08 21:42:15
お久しぶりです。
図書館にて、記事を読ませてもらいました。
経済学全般への、不勉強が身に染みました……。

その上で、門外漢からの若干の問題提起を私のところで、かかせていただきました。
工業界でも、「収穫低減」へだんだんと移行しており、まさにその問題のために、構造不況を起こしている、と自覚がありましたので。
「今」「日本において」農業が「収穫逓減」になっているのは、工業界、とりわけ電子部品製造の世界で起きていることと同構造でないだろうか、と思った次第です(だとすれば、「今」「日本だから」こそ限定的に、自由貿易に耐えない状況にあるといえそうに思えましたので)

以上、門外漢からのひとことでした。
資本主義の限界(続き) (バク)
2008-12-11 00:34:36
デルタ様の「収穫低減」による不況という考えは私も同意見です。私もデルタ様同様、経済は専門ではありませんが(何しろ大学で単位落としたぐらいです(^^; )自分なりに貧しい頭で考えた結論を言うと、工業界での「収穫低減」は基本的に生産過剰にあるのではと思っています。今は過剰生産の調整期に入っている状況だと思います。このまま市場原理至上主義に任せていたら、おそらく多くに血が流れた後に再び需要が生まれるだろうと思います。新聞やその他の情報からみれば反転は来年後半だろうと予想されているようです。その間、いったいどれだけの血を流さなければならないのでしょうね。それとあまり語られていませんが、好況、不況のサイクルが短くなってきているような気がしますし、好況時でも我々庶民にはそれに見合った益をもたらされなくなったようにも思えます。政治が冷たくなった。それが私の基本的な印象です。
「収穫低減」になったのは基本的に資本主義は常に成長しなければ不況が待ちかまえている宿命からきていると思っています。それは市場原理至上主義や修正資本主義でもその罠から逃れられないと考えています。だから資本主義で富を作り出すには常に需要を喚起させて生産を増やしていくか、金融手法で金が金を生み出していく手段の2つしかないように思われます。しかし消費する側には限界があり、いずれ成長がストップする。すると成長から縮小に移り不況を迎えてしまう。修正資本主義は縮小をある程度受け入れて、再び需要が生み出される状況を傷が浅い内に政策で再び需要を呼び起こすというものだと思います。オバマやゴアはこれを原子力発電で新たな需要を作り出そうとしているようです。ブログ主の関様は環境と自立農業で対応することを訴えているのでしょう。すなわち関様も基本的には修正資本主義に分類されるのではないかと思うのですが、関様、間違っていたら申し訳ありません。私は資本主義そのものに疑問を持っているのですが、現実には修正資本主義の手法で不況脱出を図るしかないと思います。すると100年の計からすれば関様の考えが一番優れていると思います。
私が資本主義に疑問を持った理由は。明日の食事に困っているワーキングプアの人たちや解雇された非正規労働者が多くいるにもかかわらず、毎日コンビニで廃棄されている食料品がものすごい量であることです。食料品は過剰状態なのだが、必要としている人たちには回らない。こんなバカなことはまさに天につばするようなことです。おそらく食料品だけでなく工業製品も似たような状況だと想像しています。何らかの計画経済が必要だと思います。つまり資本主義の限界なのだと思います。
私がもっとも嫌う市場原理至上主義は常に市場の流れに逆らうことは却って歪みが生じてしまう。市場の流れに任せていたらいずれは調整される。これがよく言われるハードランディングの意味でしょう。ハードランディングには多くの血を流してしまう人たちがいること一考だにされていない。今の社会がまさにそれです。そして彼らは今の状況を「改革が足りないからだ」と言っています。これ以上改革が進めばもっとひどい状況になるでしょう。
ところで、麻生首相は小泉・竹中ほど冷酷な人間ではないので、修正資本主義的な政策に色気を見せています。しかし新自由主義に毒されたマスコミや上げ潮派、財政再建派に押されているようです。彼は本能的に財政出動と郵政民営化凍結が正しいと思っているふしが感じられます。だから倒閣すればもっと悪くなるのではないかと危惧します。偽装チェンジ勢力が勢いを盛り返しつつあります。
訂正 (バク)
2008-12-11 00:47:10
「一考だ」→「一顧だ」です。
「経済成長なしでも利益を出せる体質に」 (デルタ)
2008-12-11 20:28:51
私は、工業界の硬直化は過剰供給だけが原因でないと考えていますが(農業も同様)、仮に過剰供給に原因を求めるとすると、その規模を縮小していくしか解決がなくなります。解雇だけが事業縮小の手段ではないですが、広い意味でのリストラ(オランダ式のワークシェアリングも含んで)が回避不能です。みんなで貧しくなる方が公平、と私は思っていますけれど、今の平均的な収入レベルを下げないといけないのは、自明でしょう。つまりゆるやかな縮小均衡、です
私は、市場原理主義の人間です、自称する珍しい人間です(爆)。その中でもさらに少数派かもしれませんが、市場原資主義がなぜ必要と考えたかは、皆さんの認識(竹中・小泉路線に対する認識)とはかなりのズレがあります。

>資本主義は常に成長しなければ不況が待ちかまえている宿命
まさにこの宿命、というのか壁を越えるために常識を覆していく作業が必要、だから一度経済的政策・規制を徹底的に疑おう、という立場なのです。この壁を越えない限り、「不況をさける為に地球を食いつぶしていく」
ことなると、危機感を持ったからなのです。
たとえ修正資本主義で、貧困の問題を解決できたとしても、「不況を避ける為に……」の問題はなおも残り、鉱産資源の限界からやがては破綻します
(関さんのいわれる方法で、エネルギー資源の破綻を回避しても、鉱産資源はどうしようもありません)。

あえて挑発的に書かせて頂くと、
外的な要因だけで今の危機を読み解き、外国が悪いんだ(外国の意のままに経済運営した奴が悪いんだ)で済ましたり、政治が間違っていたで済ましてしまうことに、大変な危惧を持っているのです。
この議論に固執してしまったために、ウルグアイラウンド以来時間を浪費しているように見え仕方がないのです。

改めて、問いたいです。
「それでは、”今””日本において””どのような前提があるから”、農業が「収穫低減」の構造に陥っているのですか?」
……幸か不幸か、日本の電子産業も同じ構造に悩み、同時に要因分析が進みつつあるのですから、それを参考に、農業でも自分を省みていただきたいのです。
資本主義の限界(3) (バク)
2008-12-12 10:16:11
「工業製品が過剰供給になっている」と思ったのは、先日、1Gのメモリーを買ったときでした。それまでは256Mを使っていたのですが、動画も扱うため「もう少しあったらなあ」とは思っていました。でもその後、512M,1Gが出ても購買意欲は湧きませんでした。ところが、価格がびっくりするほど安かったので購入に至りました。メモリーチップの市場はすでに飽和状態だろうなと思った次第です。今後、2や3が出ても私は買わないでしょう。でも10Gが出てくれば購入すると思います。今のメモリー市場は飽和状態で、需要そのものが減少しているのではないかと思い至ったのです。このような現象を「収穫低減」と認識しているのですが、間違っているでしょうか?(それともレベル低いかな?笑)。「収穫低減」のスパイラルから脱出するためには購買欲をかき立てる新製品の開発なのだと思います。そしてこれが資本主義の勝利をもたらしたものでしょう。計画経済では「常に新しい物を作る」ことはできないでしょう。市場原理至上主義者のいう「競争のないところに成長はない」の根拠だと思います。しかし市場原理主義を過大評価すると好況・不況の振幅が大きくなりすぎたり、そのサイクルが短くなる。所得の再配分が適正に行われない。等の弊害が表れてきたのが現代だと思います。修正資本主義は時代が要求していると思います。現に世界はこの方向で動いているように思えます。
農業については最初の発想は毎日破棄される食料品が膨大なものである。というところからきています。売れ残ったから捨てているのです。しかも捨てていても利益をある程度得ているはずです。基本的に食料品は過剰供給で価格も安いのだと思います。食料品が捨てられるような社会システムは何であろうと絶対間違っています。私は無宗教で理工系の人間ですが、いずれ報いを受けることになると思っています。因果応報です。このありあまる食料品はかなりの割合で外国からの輸入品がによるものだと思います。すなわち自由貿易のシステムがもたらした結果だと思います。その意味で関様の主張は当たり前のことを主張されていると思います。けれども、じゃあ今すぐに保護貿易を!という議論にも賛成しにくいです。当然その反作用は大きく日本の経済をそれこそ破壊しかねないことになるでしょうから。関様の言うように外交努力で解決するのか大変疑問です。一方、民主党の掲げる「農家の所得保障」は一定の評価ができると思います。自民党や民主党も含む上げ潮派が日本の米を輸出すればよい。と主張していますが、すでに米国は大規模な無農薬米の生産を始めており、日本の米に匹敵する味になっているそうです。こんなのに日本の農家が立ち向かえるはずがありません。私は農業について思うことは一定の所得が保障されるような保護政策が必要だと思います。市場原理至上主義の人達にはバラマキと批判されそうですが、これしかないと思います。それとキューリ1本200円、米1k3000円ぐらいの価値を持たせるべきだと思います。食料品は命をつなぐものです。この自然の恵みに感謝する気持ちを私も含めて持たねばと自省しています。まあ私もかなり罪深いのでエラソーなことを言ってしまいました。私自身は大変罪深い人間です。
資本主義の限界(4) (バク)
2008-12-12 12:08:44
デルタ様のご意見について、答えにならない答えで申し訳ありませんが…
>みんなで貧しくなる方が公平…①
>鉱産資源の限界からやがては破綻します…②
は、連立方程式のような関係を感じました。まず①についてですが、以前ブータンについての番組を見ました。ブータンは経済的には大変貧しい国ですが、国民の幸せ度は90%を超えていたようです。私が言う「価値観の転換」はこれに近いものです。本来、日本人は狭い国土で平野も少ないにもかかわらず、その自然をうまく利用して生きてきました。幸い雨が多く、気候も温暖。多くが質素な生活を送っていたにも関わらず、人心は比較的温厚でした。ブータンのようなライフスタイルと過去の日本は共通点も結構あるのではないかと思います。異なる点は日本は四方が海に囲まれ、海洋民の特性を持ち漁業はもちろん貿易によっても冨をつくっていたところです。ただ、貿易が盛んな時代は結構、国内戦争が多かった時代と重なるのではないかと思っているのです。(間違っていたらご指摘ください。それと琉球は別ですが)江戸時代の鎖国(管理貿易)は平和な時代であったと思います。基本的に管理貿易は平和をもたらすのではないかと思います。従って一定の保護貿易の政策は正しい政策だと思います。しかしその分みんなはつつましい生活も要求されることになります。①はその意味で賛成です。ただし、保護主義の実現は困難でしょうし、都市有権者の理解を得るのも難しいでしょう。
②で思い出すのは、ネーミングは忘れましたが都市鉱山-リサイクル-、技術開発による希少金属や原油の代替物の出現などでかなり緩和されるのではないかと思います。また、①もそれを補っていくと思うので、連立方程式が成立し解が出るようなら可能ではないでしょうか?
>日本の電子産業も同じ構造…
私は電子工学について専門外ですが、ずっと以前にあるものを製作した経験があります。当時、既成製品は高く、まねをして作ろうにも回路が複雑で敷居が高かったせいもあってできるだけ少ない部品で安価に作ることができました。当時、パソコンはPC98の全盛期でした。ソフトもアセンブラのコンパイラ・コンパイラ(プリプロセッサー?)もつくり、少ない部品の持つ欠点をソフト対応させることもできて、既製品にある程度近づけたものになりました(少なくとも私の業界では充分)。今はこの器械を使ってはいませんが、少し改良すれば現代でもある程度通用するとものであると思っています。つまり基本部分に大きな変革が起きて来なかったのではないと考えています。現に私は使用目的が全く違うICでより簡単で高機能なものを作るアイデアを持っています。ただ時間がないのと今は電子工作が必要ない分野に興味を持っているので、やるつもりは当分ありません…。何を言いたいかと申しますと、すでに色んな分野でかなり以前からもう飽和状態に達していて、容器の中の蒸発と凝結を繰り返しているだけのような気がします。そして次第に凝結が減り、蒸発も減っていくスパイラルにみまわれていて、容器の体積が変化するなり蒸発する物質が変わらない限り困難ではないと想像しています。しかし仮にそれができても一時的に大きな需要が生み出されますが、世界のスピードは速く、そう長期間続かないような気がします。

話は変わって逆におたずねしたいのですが、電子製品の世界でアナログからデジタルに変わって、回路試験もシュミレータで行えるようになりました。その結果なのか簡単な電子回路も製作できない(ハンダ付けも含めて)電子工学出身者を何人か見ました。また、マイコンについてもいまだにZ80や日立のマイコン(名前忘れました)だけで、PICやAVR、DSPなど名前すら知らなかったようです。ちょっとびっくりです。開発現場ではどうなのですか?それと特にDSPは今も携帯電話やアンプの世界で活躍中だと思うのですが、DSPバブルみたなのはやはり起こったのですか?もしよろしければお教えください。
デルタさま、バクさま (関)
2008-12-21 02:02:32
 師走の忙しさでブログを放置しており、返信が遅れてしまいまことに申し訳ございませんでした。

>工業界での「収穫低減」は基本的に生産過剰にあるのではと思っています。

 経済学の収穫逓増・逓減概念は、純粋に労働や資本や技術水準が一定という仮定のもとで、生産規模のみ拡大していったときに収穫が増えるか減るかというものです。需要サイドの落ち込みの結果として収益が落ち込むという場合は、生産費用曲線のみから定義される「収穫逓増/逓減」の問題とは別問題になります。

 世界需要の飽和によって工業製品の収益が減るという現象は、「収穫逓減」とは別の問題になります。

 また資源の枯渇によって生産コストが増加するというのも、収穫逓増/逓減概念とは別問題になってきます。収穫逓増/逓減は、あくまで生産要素の価格は一定という条件下で、生産規模のみを可変としたときの概念ですので。

>「それでは、”今””日本において””どのような前提があるから”、農業が「収穫低減」の構造に陥っているのですか?」

 農業の収穫逓減というのは、これ以上は農地面積を増やせないという国は必ず直面します。所詮、植物の光合成の能力以上の収量は得られないのだから、光合成能力に既定された収量の限界に直面せざるを得ないからです。
 だから今の世界では農業に関しては、ブラジル以外はみな収穫逓減でしょう。

 その上で、需要の飽和、資源の枯渇などで工業部門も農業と同様に生産の限界に直面しているという皆様のお考えに同意いたします。
 
 石油の限界を自然エネルギーで乗り越えたとしても、鉱物資源の限界は乗り越えられないというデルタ様のご指摘もその通りかと思います。なのでとりあえず私の書いていることは当面の危機の先送り政策にすぎないのかも知れません。さらにその先にはもっと大きな改革が必要になると思います。

 その意味でブータンに注目するバクさまの発言には大変に共感します。自由貿易を否定する閉鎖系経済で、国民の幸福と精神的豊かさを実現しているという点でブータンはもっと注目されるべきですね。それと同様に、貧しいけれども高い医療と教育水準を達成しているキューバの事例も。
 
 「貿易が低下すれば戦争だ」と脅迫するマスコミのプロパガンダとは違って、貿易依存度など低ければ低いほど平和になると私も思います。 

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