「商工省に岸あり」と謳われた切れ者が満州に渡り、わずか三年余、運営と統治に十全な指導力を発揮して、日本に凱旋する。終戦後、A級戦犯から復活を遂げ急ぎ足で権力の階梯を駆け上ったこの男は、総理となって安保改定に真骨頂を発揮する…。昭和史の光と影をつねに身にまとったこの妖人政治家の特異な野望とは。
昭和の妖怪 岸信介 (中公文庫) | |
岩見隆夫 著 | |
中央公論新社 |
岸信介元首相に関する興味深い記事が西日本新聞に今朝掲載されました。
岸信介氏といえば、安倍晋三首相が尊敬する祖父であり、彼のアメリカの議会演説でも何度も名前が出てきました。
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安倍首相の米議会での歴史に残る迷演説 そんなに好きなの?! 祖父岸首相・アメリカの山羊・TPP・軍事同盟
そして、岸信介氏は1960年の日米安保条約改定をした総理大臣でした。
その岸氏について、戦前戦後に在日米大使館で勤務し、1960年の日米安保条約改定時には極東担当の国務次官補を務めたグラハム・パーソンズ氏が未刊行の自叙伝の中で
「戦犯(容疑者)だった岸氏は50年代半ば、大使館のわれわれによって傘下に納まった。
その後、(自民)党総裁になり、信頼に足る忠実な協力者となった」
と記していたというのです。
ちなみに、米国務省は2006年に刊行した外交史料集で、米中央情報局(CIA)が1958年から約10年間、日本の左翼勢力を弱体化させ保守政権の安定を図るために資金提供を行っていたと明らかにしています。
この外交文書自体には保守系政治家の氏名、政党名、提供額には触れていませんが、研究者の調査などで岸政権下の自民党有力者らが対象だったことが明らかになっています。
アメリカ発のアーミテージ・ナイレポートをなぞるように、集団的自衛権の行使やTPP交渉に突き進む安倍政権は、岸内閣と同じ轍を踏んではいないでしょうか。
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CIA日本人ファイル 第3巻―米国国立公文書館機密解除資料 賀屋興宣・岸信介 小宮義孝・久原房之助 前田稔・野村吉三郎 | |
現代史料出版 |
「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで | |
マイケル シャラー (著), Michael Schaller (原著), 市川 洋一 (翻訳) | |
草思社 |
1945年から90年代までの歴史的経緯を詳細に検証する。冷戦下の共産化の脅威と予想を超えた経済発展が両国の立場をどのように変容させたか。日米関係論の必読書。
今の日米関係は単純な政治資金の提供で結ばれたものではないでしょうが。
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憲法改正を目指し、対米自立を望んだ岸信介元首相は、首相に就任する前から米国の冷戦戦略に取り込まれていた―。そんな認識を示す文書を、日米外交に深く携わった元米国務次官補が残していた。孫の安倍晋三首相の政治姿勢にも強い影響を与えた岸氏だが、背景を探ると、もう一つの顔が浮かび上がった。
文書はワシントン近郊のジョージタウン大図書館にあった。戦前戦後に在日米大使館で勤務し、1960年の日米安保条約改定時には極東担当の国務次官補を務めたグラハム・パーソンズ氏の文書コレクション。パーソンズ氏は、退官後の80年代前半に書いたとみられる未刊行の自伝で、岸氏に関してこう語っていた。
「戦犯(容疑者)だった岸氏は50年代半ば、大使館のわれわれによって傘下に納まった。その後、(自民)党総裁になり、信頼に足る忠実な協力者となった」(「傘下に納まった」の原文は「cultivate」。和訳は文書を見つけたオーストラリア国立大のテッサ・モーリス・スズキ教授と吉見俊哉東大大学院教授の共著「天皇とアメリカ」=2010年刊から)
63年の同僚宛ての手紙にも「われわれは54年、岸を傘下に納めた」。そこには有望な政治家と見なす岸氏を取り込んだ、との視点が鮮明にうかがえる。
55年の保守合同で自民党が誕生する直前の混乱期。保守派リーダーの一人だった岸氏は、米国とどうつながっていたのだろうか。
保守合同前夜の1955年7月9日午後、東京の在日米大使館。当時の民主党幹事長だった岸信介元首相は、大使館のジョージ・モーガン参事官に招かれた。「キングサイズのスコッチ・アンド・ソーダ」を片手に約3時間半。モーガン氏の質問に冗舌に答える岸氏の姿があった。
膨大な米公文書の調査などを基に戦後の日米関係を米国側の視点で描いた「『日米関係』とは何だったのか」の著者、米アリゾナ大のマイケル・シャラー教授(68)が90年代に見つけた大使館から本国への報告文書には、その時の様子が詳しく記録されている。
民主、自由両党の合同はまだ時期が公になっていなかった。民主党を主導する岸氏は、合同が11月ごろになるとの見通し、新党首選びの状況、憲法改正や積極的な反共外交政策の採用、再軍備促進といった新党の政策などについて情報を「提供」(シャラー氏)。社会党の動向に関する推察も伝えた。いずれも米国側が欲していたとみられる。
岸氏は戦前、在日米大使だったジョセフ・グルー元国務次官とじっこんだった。同氏が日本で立ち上げたロビー団体の米誌東京支局長は、民主党幹事長時代の岸氏の英会話の家庭教師。支局長らは米政府に日本の政治状況などを報告、岸氏を売り込んでいたという。
50年代、反共のとりでとして日本に安定した保守政権の誕生を望む米国の思惑をよそに、54年12月に退陣した吉田茂首相の後を継ぐ鳩山一郎、石橋湛山両氏はそれぞれソ連との国交回復、日中関係改善を志向。もともと反共・反ソで保守合同の強力な推進者、岸氏こそ米国の対日政策に合致する政治家だった。ロビー団体の人脈などを通じて、米国は岸氏をさらに「磨いた」とシャラー氏は語る。
シャラー氏によると、50年代半ば、在日米大使館員が岸氏と会ったり、酒を飲みに行ったりしたとの記述も文書に散見された。岸氏がモーガン氏と会った当時の首席公使が、岸氏を「傘下に納めた」と記したグラハム・パーソンズ氏。大使館と岸氏とは深い結びつきができていたとみられる。
シャラー氏は「岸氏は米国に取り込まれたというより、むしろ積極的に取り入ろうとしていたと私は考える」。日米安保条約の不平等性の解消を目指した岸氏だが、「米国の信頼を得なければ、それは成し遂げられないし、信頼されれば国内での自身の政治力も増すという計算もあっただろう」とみる。
55年、鳩山政権からの条約改定申し入れを一蹴した米国は、57年の岸政権からの交渉提起には応じ、60年に改定は実現した。
一方でシャラー氏は、岸氏が首相就任後、米中央情報局(CIA)と秘密の資金提供の関係を結んだと著書で明記した。「権力の座に駆け上がる過程で米国と築いた濃密な関係が、資金提供の土壌になったのもまた事実だ」と指摘した。
▼「岸信介証言録」などの著書がある原彬久・東京国際大名誉教授
「cultivate」の意味について、私は「米国は自分たちの望む方向に動くように岸氏を取り込んだ」というニュアンスに受け取った。米国は岸氏を利用しようとしていた。彼らは岸氏を高く評価していたが、利害関係とは別のところで尊敬したり評価したりはしない。そんな生やさしい世界ではない。一方、岸氏も国内外の共産勢力と戦うため、米国を利用しようとしていた。だから米国の信頼を得るために情報を提供することもあろう。政治家として熟察し、いろんな計算の下で動いていたといえる。
CIAから資金提供を受けることは道義的に問題ありだが、当時は革新勢力も旧ソ連から資金援助を受けていた。強力な保守政権を築き米国から何とかして自立したい、選挙で革新勢力に負けたくない、との思いから岸氏はきわどい政治判断をしたのではないか。
逆説的な言い方だが、米国から独立するために従属する―というのが、皮肉にも岸氏の対米戦略だったと考える。
西日本新聞社
【ワシントン18日共同】米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけて、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るため、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。
同日刊行の国務省編さんの外交史料集に明記された。同省の担当者は「日本政界への秘密工作を米政府として公式に認めたのは初めて」と共同通信に言明した。
米ソ冷戦が本格化した当時、日本を反共の「とりで」にしようと、自民党への支援に加え、左派勢力を分断する露骨な内政干渉まで行った米秘密工作の実態が発覚。日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる重要史実といえそうだ。
岸信介とCIAの密接な関係 自民党にも金の流れ?
米国の戦後アジア政策は、米国の権益を守ってくれる、その国の「ストロングマン」を探し出すことから始まる。巣鴨プリズンを釈放された岸信介(後に首相)は、「強い男」として米国保守派に見いだされ、CIAの庇護を受け続けていた。
実態を垣間見ることのできる「聖地」がワシントン郊外にある。米国国立公文書館別館。米軍諜報組織や米中央情報局(CIA)の機密解除書類を手に取って読むことができる。「岸信介」ファイルの閲覧を請求すると、30分ほどでひとつの箱が出てきた。そこには一体何が入っているのか。しかし、その中身は意外に拍子抜けのするものだった。
書類の束は薄く、CIAが作成した資料はわずか5枚しかなかった。しかも岸の政治的プロフィルの紹介ばかりで、CIAとの深い関連が指摘される人物のファイルとは到底思えないようなものだった。
しかし、実を言えばこのこと自体が、研究者には意味をもっている。「岸のCIA関係資料はほんの薄いものです。しかし、われわれにしてみれば、逆にそのことが両者の深い関係を疑わせるに十分なものになっているのです」。こう語るのは、一橋大学名誉教授の加藤哲郎だ。
CIA内部では、各国の諜報エージェントや諜報対象者について暗号名で呼び合う。日本関係には「PO」を頭につける。解明されているものの一部を挙げると、自由党総裁だった緒方竹虎はPOCAPON、読売新聞社社主で原子力委員会委員長などを務めた正力松太郎はPODAM、あるいはPOJACKPOT‐1、などだ。
しかし、岸については暗号名すらわかっていない。
加藤は、緒方や正カの分厚いCIA関係資料を手に取って見せた。緒方は1千枚近く、正力は500枚ほどもある。戦後の日本政界とCIAとの関係を追究してきた加藤は、岸のCIA関係資料はまだ、ほとんどが機密指定を解除されていないとみている。「岸資料の5枚目のあとには、『not declassified』、まだ公開されない、という紙が1枚だけ挟まっている。この1枚の紙の後ろには、何百枚もの秘密資料があるかもしれないのです」。
岸とCIAの知られざる関係を追って、米アリゾナ州ツーソンに飛んだ。アリゾナ大学の歴史学研究室で教鞭を執る同大教授、マイケル・シャラーは、歴史資料と学生たちのリポートの束に囲まれていた。シャラーは米国務省の歴史外交文書諮問委員会委員を務め、非公開資料にも目を通していた。文書を公開するかどうか国務省に参考意見を述べる立場にあった。
――岸元首相に対してCIAから資金提供があったという話をどう思いますか?
「そういう証拠はあると思う。賄賂的な意味合いよりは、派閥の運動資金や政治キャンペーン資金というような形で提供されたと理解している」
――資金はどのような形で渡されたのでしょうか?
「当時、CIAから経済団体や企業を通じて岸のほうに資金が流れたという記述を米国側の書類で私は目にしたことがある」
――経済団体とは経済団体連合会のことですか?
「それも一つだと思う。それから個々の企業と何かしらの契約を結んで資金を流していくということがあったと思う」
シャラーは、委員として知りえたことは具体的には明らかにしなかったが、研究者として発掘した機密解除資料については明確に語った。その概略はシャラーの著書『「日米関係」とは何だったのか』にも記されている。シャラーによれば、のちに岸内閣の蔵相になる岸の実弟、佐藤栄作は1957年、米国に対し何度も秘密の資金提供を要請していた。
このため、CIAから自民党にカネが流れ、「CIAによる資金は、1958年5月の衆議院選挙運動をはじめ、さまざまな方面に使われた」(『「日米関係」とは何だったのか』)。
※週刊朝日 2013年5月24日号
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おまけに、借金が鰻登りになる中でも、保有している(買わされた)宗主国の国債には、ビタ一文も手をつけられず。
この先、世界の何処に生じるか不明の紛争に備えて、借金で首が回らない中でも、軍備の拡張に励まねばならず、先進国中、ダントツの借金が何処まで積みあがるのか考えただけでも溜息が出ます。
それなのに、アホノミクスの嘘も見抜けず、能天気に一億火の玉路線で断崖目指してまっしぐらの政権に追随する人々がおられる事実を如何に考えるのか、と悩みます。
ハーメルンの笛吹の物語、ってのは、この国のことだったのかな。。。
http://s.ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12082174310.html
安倍晋三災害が、日本をぶっ壊す
安倍の破壊力 > 東日本大震災 だそう。
( データあり )
でもしかで 総理選んで カス掴み
タイムマシンで幼少期の安倍晋三を殺して脳ミソをちゅうちゅう吸いたがる夢をお持ちのようですが、反戦平和主義者がいかに自身の暴力には肯定的であるかはあなたの主張でよく分かりますね。そういえば中華料理には生きた猿の脳ミソを食べると言うとんでもない料理がありますが、幼い人間の脳ミソは美味なのですかね?
マジギレのコメント、しぇーしぇー。
これは吉本の有名なギャグです。
これを知らないとは、あなたは関西人ではありませんね。
>反戦平和主義者がいかに自身の暴力には肯定的であるかはあなたの主張でよく分かりますね。
あ、晋三お坊ちゃまも嘘つきだから、仕方が無いか。