一連の報道、松本本人の言動、メディアや世間の反応について、各界の識者たちはどうみていたのか――。「週刊文春」で2週にわたって掲載された特集「松本問題『私はこう考える』」を公開する。

 元大阪府知事・大阪市長の橋下徹氏(54)は、松本人志報道について「意義がある」と評する一方で、週刊文春には役割を問いかける。

「スキャンダルが面白い、それだけでいいのか?」

橋下徹氏

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書く側が持つべき“覚悟”と“責任”

 これまで「週刊文春」も含め、週刊誌とは散々やりあってきました。特に政治家として権力を持っていた時期には、政治家になる前の過去の生活態度のことも書かれた。松本さんと同じように、今もメディアに出演する人間として「書かれる立場」です。

 でも、これはもう、仕方がないですね。やはり権力者やメディア出演者は、私生活での振る舞いをある程度問われるべきなんです。

 そうした監視役を大手メディアが果たす力が弱まっている中、「文春」は大いにやるべきなんでしょう。

 他方、表現の自由が強く保障される日本ではペンの力は恐ろしく強い。記事やSNSによって、書かれた本人のメンタルは病み、家族関係はボロボロになり、社会的に抹殺されて仕事はなくなり、最後には命を絶つ場合だってある。書く側にはそのことへの覚悟と責任を持った上で、なお自分たちが書く意義を意識してもらわないと困ります。

第1弾は昨年12月27日発売号に掲載

“世に訴える力”は使う側の心意気次第

「文春砲」と騒がれ出した当時の編集長が「人間の内面を抉り出すのは面白い」的な話をしていましたが、それでは単なる覗き趣味の便所紙雑誌です。

 もちろん売るためにはセンセーショナルな見出しや内容もある程度必要なんでしょうが、文春には当時の編集長の言葉に象徴されるように覚悟と責任と意義をしっかりと組織内で共有できているようには思えませんでした。だから僕も文春には罵声を浴びせていましたけどね(笑)。

 便所紙雑誌でいくと開き直るならそれでいい。でもそんな仕事や人生、僕なら嫌ですね。遊びや不真面目な部分は大いにあったとしても、やはりペンの力を大いに発揮して、権力者の首を獲る、社会的強者の不正を暴きそれを正す、社会規範を深化させて世の中を良くする、弱者を助けるなどの役割も果たすことを人生の軸にしたくないですか?

 文春の世に訴える力が大きいことははっきりしたので、あとはその力を使う側の心意気次第でしょう。

 政治家時代の僕に関する文春記事に強烈な差別的表現があり、これは僕の家族に対してとんでもないことをやらかした。さすがに文春もまずいと思ったか裁判上の和解で決着しましたが、書く側の覚悟と責任、意義の意識があればどこかで止まったはずです。それがなかったので暴露趣味的な行動が暴走した。