宇野昌磨 フリー中継の前にショート録画で。

2022-03-26 21:34:40 | memo。


途中からの録画に数秒もなく見入る。あるべき形で隙ひとつなく連動する体幹と枝葉シヨウ。俗感のなさは鈴木明子を超える。


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「誰にでもつらい経験があるはずだ」。さくっとすぽんと。

2022-03-24 18:13:17 | ・おもに音楽。

 ↑↑ 写真は ↓と直接関係のない石塚真一「BLUE GIANT」カラーページ撮。





かぎかっこつきのタイトルは、映画の前半でだれかが(笑)言うせりふの一節。うろおぼえ。

「ブルーノート・ストーリー」。

前知識は、ヴェンダースがつくったジャズ関係の映画が短期間上映される、のみ。1週間延長されたその最終日が今日。
ゼレンスキーが軽く引いたモノをさくっと切り裂くようなキング牧師の断片がすぽんと嵌まっている。


私が音楽をまず知らないのはジャズに限ったことではないが上映中たぶんしあわせだった。
インタビューと記録の映像と写真、それら記録と記憶、想像と創作であそぶアニメーション、いくつかロードムービーが挟まり、ラストに感ずる、これはドラマ。




は?    以上です。












みずいろ顔かいせついん出演「音楽こうろん」最終回の中村八大を思い出していた。まるで英語を解さないまま夜中のハーレムでセッションしていたという。あのブルーノートのヒトたちとも、と検索すると懐かしや大友良英のJAMJAM日記に、ニューヨークのマンションの写真に添え「60年代前半の半年ほど、ここに中村八大さんが住んでいたそうだ。ここからハーレムに行って、オーネット・コールマンとセッションをしたり」とあり。







 ──── 2024-04-03 (週刊現代2023/12/2・9 大友良英 p.148-149)

(略)演奏を始めると、驚きました。僕が得意とするノイズや即興演奏という分野は、なかなか理解してもらうのが難しい。でも、坂本さんは僕がやろうとすることを即座に理解して、それ以上に面白いピアノを奏でてくれる。言葉を交わしたわけではないのに、すべてが伝わる───。まさに音楽という言葉で話しているような、幸福なひとときでした。
 その初めてのセッションから数カ月後、東日本大震災が起こりました。僕はふるさとの福島を応援するプロジェクトを立ち上げ、坂本さんも協力してくれました。こうした社会活動でも坂本さんは大先輩ですから、焦る僕に、「福島、福島と声高に言うばかりだと、気持ちがついてこられない人もいるよ」とアドバイスをくれたり、精神的な面だけでなく、経済面でも助けてくれました。
 坂本さんは「偉大な音楽家」として扱われるのが嫌いでした。'13年には、福島で開催した盆踊りに浴衣で参加してくれたんです。僕はYMOの曲を、坂本さんは僕が作曲した『あまちゃん』のテーマ曲を、その場のノリで演奏して……楽しかったなぁ。
 '14年に坂本さんと、福島県双葉町を視察するツアーに参加したときのことも忘れられません。線量計の音がけたたましく鳴り、防護服の中で僕は言葉を失うばかりでした。でも坂本さんは、自分が目にした風景、受けた衝撃を、言葉をつくして記者に訴えました。坂本さんは自分の世界的知名度を、社会を良くするために利用する覚悟を持っていたのだと思います。
 (略)
亡くなる直前の今年3月、小山田圭吾さんとのライブには「坂本さんにも参加してほしい」と声をかけたら音源を送ってくれたので、そこまで深刻な状態だとは思っていませんでした。でもこれが、坂本さんの最後の音源になってしまいました。




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ただ、なみだかん。

2022-03-20 23:06:03 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。



BS1のザ・ヒューマン(例によって録画)を見ていた。
きのうのこもれびホール「つなぐ-TUNAGU-みんなの笑顔」でダンスを見ているときと同じようにただたんにたんじゅんに、涙感。
あのダンスと松田兄弟の話とはいみみたいなことが違えども私には同じ。

表現自体の感覚
感受と表現と伝達




たまにお迎えにいく施設のさほど大きくない掲示板によく絵がかざられており(以前ここの画像フォルダに載せた気がして探してみたが見つからなかった)、同じ作者と思われる作品が多い。



できるひととできないひとがいる。それは同じ。




伝わらないのか伝えたいのか伝えなくていいのか伝えたくないのか





まるで違うけれど私と同じ。

同じだけれどまるでちがう。






青が多いRさんが紺のスタジアムコートを脱いだら水色だった。撮らせてもらった。
Rさんに私が自分のことを言うとき私は私と言わずramenさんとつい言ってしまう。つい言ってしまう、という言い方は、言っちゃいけないことを言うことだ。言っちゃいけないと思うのは、Rさんにはふつーに話してもわからないと思っている自分を制しているってことだ。






Rさんを含む大抵の利用者さんに対してramenさんと自称しながら、どうじに私はほぼ常にこのひとにはすべて見透かされているとも思っている。これもまた自分を制している部類だろうか。
なにはともあれとりあえず私はほかの意識高い系ヘルパーさんたちの側にはいない。






*** 再放送 3月22日(火)午後5:10




開演間近というときに近くの席に向かう人が知り合いであることに気づいた。挨拶することもないかというほどの。というほどなのかどうなのかも迷いながらつい目で追って、私から手を振る。
閉幕後、会釈を交わして席をたつ。ドアへ向かう途中でまた目が合うことがあり、実はうちの息子が出てたんですよと、座っている彼を紹介するように示すと彼は表情を変えずにまっすぐ私に視線を向けた。交えた視線をそのまま私は親へ移し、ダンスはいいですねとか何だったか一言投げて失礼した。ワケワカ。まんま失礼だ。背を向けた途端に私の責めは始まる。彼にきちんと挨拶するのがふつーだふつーだふつーだ。
想定外に対処できず、場面転換後即座に認識する自分の誤動作。



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(まいどしょもなぃ)

2022-03-20 09:09:14 | ■おもに美術。


今朝の東京新聞24面美しい人。

絵に映る梅はご覧じていない。
ねもとにねこでもいるのやら。

お召し物コーデの素敵なこと。

上村さんたらエッシャー安野
帯にかかるは胸やらなにやら



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(みずいろじゃない写真。)

2022-03-11 07:06:18 | memo。


新しいゆるキャラかパフォーマンスのスナップに一瞬見えた。韓国の次期大統領だった。紛らわしくない写真を使わないんだなー。

何かを文字に起こしたいと思わない以上に描きたくなる気分絶無なので、微かにあったら微かにかいてみる。










いろんな意味でプーチンに近い国に乗る報道気分裏下ABコワイ。



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似てる シリーズ?

2022-03-10 14:19:35 | ■だらだら。


*** 画像はテレビの塔本シスコさんドキュメント番組録画画面の一部。






テレ東Youで見たTDRマニア(?)のレイチェルさんと平野レミ。て、すいませんこれはメモしてあったものでほぼ曇り硝子。んで、北京オリンピックのフィギュア女子でいつも一瞬佐久間由衣な選手がいたこと思い出していま検索したけどわかりませぬ。


だからなんだってんだまいどな話ですが、ついこないだたまたま開いた文春に恒例っぽい相似形写真が並んでて、ほらほかにも似てる似てる言うてるもんも少なかないのさと人並み意識な安心の片頬で、文春の相似形で私の納得は少ないの。似てるってポイントは実に人それぞれなのだろさ。



誰かの歌をカバーしている徳永英明の顔と徳永英明を真似ている岡村隆史の顔

腕を組んで笑うアンガールズ山根と腕を組んで笑うだろうか有吉

或る日キャンプの準備をしているヒロシの顔と蛭子能収の顔


浅井健一の歌声とプリンスの歌声
 プリンスの歌声はたまにラジオで流れるとほかにも何人か連想する。私はキー高めの男性ヴォーカルはきらいとかにがてとかひとりごちていたが、比類なき存在(声以外の比重高し)って扱われかたをしているかたがたはほぼほぼ高めですね。





テレビ録画した映画天井桟敷の人々を見ていた。誰かに似ているなんて少しも思わなかったのが、ガ(ギャ)ランスがドレスを脱ぎかけたとき、そしてベッドカバーをサリーのように纏ったときのジャン=ルイ・バローの驚いた顔が草彅剛だった。


この映画はムカシむかし、三百人劇場でのリバイバル上映にはるばる(感)出かけたことを鮮明に覚えているが、内容は静止画記憶のそれぞれにつながりがなく、4K修復画像と相俟って新鮮に感受しながら見ていたのだが、その驚いた顔の連想以降、まざりものと化した。折に触れ、ココを草彅が演れるだろうか、いや大丈夫だな、などと併想していることに気づく。


少し前に、顔が似てるってのは何とかだと書いたけれど、似ているということとは離れて、貌もしくはその何らかの印象が特異というのは異形にもほんわか通じる。
ひ(惹)かれるかヒ(引)くか。
バローは遙か遠く、演じ手として確かな評価がある。草彅は控えめな称賛に意外性のニュアンスがつく。私はここで二、三度草彅に触れた記憶があるが、ファンとか特に応援しているとかはない。自意識噴出系ではないちょっと地味に変わっているヒトにふと気づくと小さなしあわせ感があるのだ。



あー、あった ひとつ 私にもしあわせ感。よかたよかた。

バローの貌で今ふと思い出すグールドの映像。今モスにいて、BGMがどなたかのぴあのなの。






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