孤象bastard

埒もなし。

国谷裕子Y×久米宏H 追記あり(『キャスターという仕事』後半戦。BS日テレ夜の本の虫 久米書店最終回 録画)

2017-05-20 21:15:25 | ・ことばの尻尾踏み。


 読んでもいないし録画を見終えてから起こし始めたわけではない。
 もう少しいくかなと思ううちに終わってしまった。この番組、前に見たとしても一度だろう、国谷裕子前半戦、気づかなかった。なんかざんねん。シゴトじゃないので最終照合未満。ついでに、メインスポンサーが岩塚製菓だったんだな。。。(黒豆煎餅とふわっとの亜中毒者)

 H  前回に続いて今回も、NHKのアナウンサーでは、ないっ、全くのフリーランスでお仕事をずっとしてらっしゃった国谷裕子さんとお話を続けていきたいと思います。
 で、クローズアップ現代というのが、またこれが、時を選んだというか、時に選ばれたというか、1993年の4月なんです。
 Y  確かに。
 H  1993年てねえ、覚えてます?
壇蜜  中学生。1年生でした。
 H  夏がやたら寒かったって覚えてません?
壇蜜  お米がとれない。
 H  そうです。7月になっても8月になってもね、寒いっていう日があった…
壇蜜  平成の米騒動って…
 H  よく知ってますねえ、あなたそういう古い話。そういう話はね、まず食い物からくるって…
壇蜜  だってお弁当箱にタイ米入れていったことありますもん。
 H  それが1993年…。この年はねえ、5月にね、Jリーグってのが始まるんですよ。
 Y  そうです(深くうなずく)。
 H  ぼくニュースステーションで全力挙げてJリーグをバックアップしてたんでよく覚えてるんですが、93年はね、えー、自民党が分裂した、というよりも竹下派が分裂したんですけど、大変なふう(?)になったんですよ政界が。 Jリーグはできるは寒いはね、日本のいわゆる55年体制が間もなく崩れるっていうときにクローズアップ現代が始まったんですよね。
 Y  そうなんですよ、ほんとに。私はそれまで国際ニュースは伝えたことがあったんですけども、初めて日本国内の、ま、来るもの拒まず、扱うテーマに聖域はないというクローズアップ現代を担当することになったんですけど、いきなり政治が地殻変動を起こしたという。
 H  あのとき、も、ほんと大変でしたから。
 Y  55年体制が崩れるという。35年間続いた自民党による支配というのがなくなって、連立政権時代がわっと始まっていく。私は日本の政治を扱ったことがなかったのにいきなり次々と政治家のインタビューをしなければいけなかったりとか…
 H  大激変の年だった、そのときにクローズアップ現代が始まった…
 Y  国内のね、ほんと地殻変動がまた…
壇蜜  運命ですね、もう。
 Y  運命でしょ? だから、89年と93年に新番組が始まるって、すごい…、これ変な話ですよ、ついてるっていうコトバ、こういうとき使っちゃいけないのかもしれませんけど、運命ですよ一種の。
 Y  そうですね。歴史にはほんとうに恵まれたというか、歴史に後押しされたというか…
 H  初めて政治家のゲストはやってくるし。
 Y  そうなんですよ、もう。ほんとに、初めて羽田孜さんというかたが来られて、ま大体そのときは29分番組だったんですけど、VTRの分量が3本(?)ほどしかなくて、全部インタビューで埋めなければならなかったっていうので。
 で、私もうほんとに何を聞いていいかわからなかったので、スタッフのディレクターと一緒に相談しながら、どこまで聞いていいんだろうかっていうふうに、ほんとに相談して臨んだっていうことの、記憶してるんですけど。
 H  竹下の七奉行っていう人がいて、竹下派が分裂してそのおひとりが羽田さんだったんですけど、インタビューを褒められたっていう話、ここに書いてありました。
 Y  はい。(笑) まあ、あの日はほんとにすべてのテレビ局を回られて、ほんとに分刻みでテレビ局回ってらっしゃったんですけども、あとになってある新聞が、あのインタビューがとてもよかったっていうふうに書いてもらって、私としてはもう、政治家のインタビューをやったことがなかったので自分がどこまで通じるんだろうかと。まあそれでほんとに、ちょっとほっとした記憶があるんですけれども。
 H  そのときに羽田さんがスポークスマンでね、全局回ってインタビューが終わって、羽田さんが、NHKの国谷さんのインタビューが一番よかったっておっしゃったんですって。
 Y  いや、新聞に書いてあったんです。新聞の批評で書いてあった。
 H  あ、新聞評なんだ。ああ。何で引っかかるかっていうと、その他大勢のインタビュアーにぼくも入ってるんです。(笑)各局回ってますからね、間違いなくぼくもやってるんですよ。
 Y  羽田さんがそうおっしゃったかわからないですけど…
   (CM)
 H  1993年て日本経済がちょっとおかしくなり始めて、雇用(?)の形も変わってきて、いろんな社会が変わって、ちょうどまた日本が動き出す…、ただ、あんまり幸せな方向ではないんだけど変化し始めるタイミングではあったんですね。
 Y  93年に初めて日本の地価が2年続けて下落したんです。それまでは1年地価が下がってもまた次の年には戻る。だから93年が、ちょうどバブル崩壊の痛みが本格的に感じられるようになっていった年だったんですね。ですので、座間工場が閉鎖というのもありましたけれども、これで、そこからほんとに、人のリストラ、設備のリストラ、資産のリストラ、企業がだんだん力を入れるようになって、同時に価格破壊っていうようなことが言われて、中国がだんだん世界の工場というふうに言われるように生産拠点が移ってって、何か、100円のゴルフボールというのが大きなニュースになって。
 初めはそれでみんな喜んでたんですけれども、よくよく考えていくと、価格破壊っていうことは、日本のものがそういう海外から入ってくるものとの競争にさらされていって、値段は下がっていて、こんなに安くこんなものが買えるっていう喜びもつかの間、やはりどんどん人が切られていくような時代。デフレというか…、そうですねえ。
 H  今ちょうどいい話題が出たんですけど、(新書を示して)この「言葉の力を信じて」というサブタイトルかな、ついてますが、この言葉というのはとっても重要で、今、価格破壊という言葉が出たのでちょうどいい話だなと思って。価格破壊っていうのはかなりインパクトのある言葉でね、聞いた人は、ある人はいい言葉だと思い、ある人は、つらいと思う言葉なんですよ。
 この中にもいろいろ出てきますけれども、例えばねじれ国会という言葉が出てきますよね。ねじれ国会って言葉をニュースでさんざん使うんですけど、ねじれ国会ねじれ国会って100回ぐらい聞いてると、…ねじれてるのかと思っちゃうわけですよ。そうすると、参議院(員)選挙の前にねじれ国会ねじれ国会ってなぜ問題かっていうと、衆議院で多数を占めてる与党が参議院だと多数を占めらんないでねじれてるんだから…
 Y  何も決まらないと。法案が通らない。
 H  だから、ねじれ国会っていうのは、ねじれを直さなきゃいけないんだ、ねじれってのはねじれてんだから直さなきゃいけないんだって刷り込まれると、参議院でも与党のほうを多くしてねじれを正そうというふうに思い込ませる魔力があるんです言葉っていうのは。
壇蜜  無意識のうちに、ねじれって悪いことなのかなあって思うように…
 H  そう、ただ、この本にも書いてありますけど、ねじれ国会が生まれた、参議院で野党が多数っていうのは、これは世論を反映してるんです。世論が野党に入れたからねじれたんですから。その成果を、これをねじれだとテレビであるいは新聞で言ってしまうことは、今度の選挙では野党に入れないようにして、ねじれを直しましょうと言ってんのと同じ意味を持つ可能性があるとこの本で指摘してるんですけど、これは鋭いと思いました。言葉ってこわいと思いましたね。
 Y  同じように、ここの本でも紹介してますけれども、「なかなか理解が進まない安保法制」という言葉も、だんだん、なかなか、確かに世論調査をすると、理解が進んでいないという事実がある。だけど「なかなか進まない安保法制」っていうふうに繰り返し繰り返し使っていくことによって、じゃ、もし理解が進めばそれはいいことなのかどうかというふうに何か考えてしまうようになるんですよね。
 H  そう、「なかなか理解が進まない安保法制」って毎日聞いてると、理解が進んだらこれは国会を通過するんだと思い込んじゃうんです人間は。
壇蜜  理解できれば、さも解決したかのような。
 H  だから、言葉がいかに難しいか。 言葉を選ぶのは、大変でしたよね。
 Y  そうですねえ。だから、私もそういうことに気がつくまでにたぶん時間がかかったと思うんですね。だから、先ほどおっしゃった、新しい社会問題に新しい言葉が生まれると、それが広がると共通認識になって、それに向けた解決策が生まれていくと。それはいいことなんですよ。だけど、こういうふうに何気なく、初めは現象を伝えている言葉が、繰り返し繰り返し使われることによって、それがひとり歩きして意味を持ってしまうようになる。で、伝えてるほうは、その意味を持ってしまったことに気がついて使う使わないをほんとうは判断していかなければいけないんですけれども、みんなが使うようになると、なんかその刷り込みに自分もいつの間にか加担していってしまったんじゃないかという反省もありますし、もっともっと気をつけなければいけなかっただろうなというふうに思ったりもしますねえ。
 H  言葉はとっても難しいんですけど、それと同じぐらいの意味を持つのは、この本でも冒頭に、ハルバースタムというアメリカの記者の言葉を書いてありますけど、テレビのニュース番組って何が難しいかって、やっぱり映像がインパクトを持ち過ぎるんですよ。とにかく映像がインパクトを持ちすぎるんで、言葉の力を信じて、キャスターなる人種が何か言ったところで、とても数秒間の映像には勝てないっていう。で、映像は情動的って、まあ人間の心を揺さぶるから、テレビ見てる人がみんな映像で、ワールドトレードセンターにジェット機が旅客機が2機突っ込んだりなんかする映像を見ると、感情がぶわあっとなってきて、この力にはとても対抗できないってのがテレビのこわさ、なんですよね。それはやっぱりテレビニュースやってて最大の問題です。そう思います。
 Y  見たものがすべて、それが現実なんだっていうふうに思い込んでしまう。ほんとうはその映っていないところにまた違う現実があったり情報があったりしてしまうんですけども、あまりにも映像がインパクトが大きいと、観ている人の想像力を奪ってしまって、ほかにもっと大事なことがあるんではないかということを忘れさせてしまう。
 ですから、まあクローズアップ現代の、よかったというか、いい構成というのは、映像を紹介するVTRはありますけども、それと同じぐらい重要視されていたのがスタジオパートで、そこで映像に映ってないことの中にある重要な点ですとか、そこで語られていない違う見方、多角的な見方や情報をきちっと提示するということが、ま、大事だというふうに思ってやってきたんですけどね。でもなかなかその映像のパワー、映像のパワーっていうのはほんっとに強いので、もうわかった気にさせてしまう、そういう危険もあるだろうなあと思いながら放送してましたね。
 H  それはテレビの危険性でもあるんですよね。報道番組に限らずすべてのテレビって。こう、おんなじように靡いてしまう。これ、風が吹いたって話がありましたけど…
 Y  はいはい、風向きの原則…
 H  風向きがこういうふうに流れていくとテレビがみんな…、観ている人はテレビで流れる…、視聴者が流れていく風向きを見てテレビのほうも視聴者のほうと同じ風向きを向くと、どんどん同じ方向へテレビが向いてっちゃうっていうこわさがあるんですよ。それは報道番組に限らずすべての番組そうなんですけど、おんなし風向きを求めるんです。お互いに同じ風向きを求めて、おんなじ風向きを向いていくこわさってテレビってありますよね。
 Y  そうですよね。ですから、こう、観ると、その感情の一体感とか共有化っていうのを促して、その感情が、ある種の感情が視聴者の間に生まれていくと、今度はテレビはその感情に寄り添い始めて、その寄り添い始めることによって、よりまた大きな共感が生まれる。そうすると、これは視聴率につながったりするわけですけれども、そうなるとだんだんだんだん、それと違った意見を言い出しにくくなったり、異なる考えを伝えにくくなったりしていくんですよねえ。で、排除されていくっていう。
 H  で、放送に携わって29年で、クローズアップ現代・クロ現が23年。3,700本ぐらい?
 Y  3,684本で、まあ私が取材で休んだときとか、ほかの方が担当されたこともありましたけれども、そうですね、クローズアップ現代という名前では3,784本。
 H  あの番組は、この本にはっきり最後に書いてあるんですけど、えー、降りた、降ろされた。どっちかっていうと降ろされたほうですか?
 Y  …(笑)そうですね。と思います、はい。
 H  ケネディー駐日大使が日本にいらっしゃったときにインタビューなさってますよね。で、ケネディーさんに対するインタビューの一文が載ってるんですけど。国谷さんのコメントです。(p166)
── 日本とアメリカの関係は、安倍政権の一員、それにNHKの経営委員や会長の発言によって影響を受けていると言わざるを得ません。
 安倍首相の歴史観は第二次世界大戦におけるアメリカの役割、そしてその後の日本占領についてのアメリカ側の概念と対立する危険がある。アメリカ大使館は一部の発言について非常識だとしています。

というふうにしてケネディーさんにインタビューしてるんですが、これNHKの会長っていうコメントも入ってるんですが、こういうときこそ国谷裕子はNHKのアナウンサーじゃない、フリーランサーだっていうスーパーを入れたほうが、ぼくははるかに効果があると思うんですよ。
 Y  なるほど。
 H  とてもNHKのアナウンサーはこの発言はできません。
 ぼくが思うに、ぼくも実はラジオで前会長の話は随分してるんですけど、あの会長じゃなかったら国谷さんは降板しなかっただろうとぼくは実は思ってるんですよ。そう思ってません?
 Y  (首を大きく傾げ)いやあ…、わからないですねえ。(笑)
 H  この質問はねえ、会長はねえ、かちんとくると思います。
 Y  ああ、もちろん…
 H  降板だって、再契約。正確に言うと再契約しないってNHKから申し渡されたわけですが、そのときは悔しいと思いました?
 Y  う~~ん、まあ、自分が予想していない形でやめることになるんだなあと、まあ…、23年やっていて、毎週4本。事前にちゃんと読み込んで準備して、スタッフと議論できるような状態に持っていくというのはかなり大変なことで、デイリーをやったあとに週末もやはりクローズアップ現代の準備に追われるわけですね。それを一体いつまで続けて…、続けられるんだろうかというふうに、まあ、どこかでは思っていたんですけども、そうやって契約を更新しないと突然言われて。スタッフの人たちがそれより一、二か月前に、来年も継続を希望しているというふうに言ってくれていたので…
 H  現場はずっとやる気だったんですよね。
 Y  そう、現場はそういうふうに継続してほしいというふうに言っていたことを知っていましたので、まあこれは違う力が働いてるんだろうなというふうには思いましたね。
 H  あれ疲れるんですよニュース番組って。スタッフはねえ、みんなばらばらですから毎回。でね毎晩ね、終わったあと、久米さん明日までこれ読んでくださいってこんな(分厚い)持ってくるんです。(笑)それおまえ、明日までってこれ持って読んでくださいって…
 Y  それ、夜の11時か過ぎですよね。
 H  そそ、本何冊かとプリントアウトしないと、どさっと持ってきてね…
  (CM)
 H  壇さんは気になったところあります? いっぱい付箋がついてますけど。
壇蜜  そうですねえ、あ、ここにしますやっぱり。クローズアップ現代の23年を終えて。新しいテーマとの出会い。(p222~224)
──  <クローズアップ現代>が放送されていた時代、雇用は不安定化し、中間層の縮小、少子高齢化が進み、日本企業の競争力も相対的に低下、ブレークスルー的なイノベーションによる新しい産業もなかなか生まれず、閉塞感が長い間、漂っていた。私も、暗い気分で放送に向き合っていたことが多かった。その気分を変えるきっかけになったのは二〇一〇年、新宿で開かれていた国際的な女性会議だった。会場は、世界各国から女性の政治家、経営者、官僚の方々が何百人と集まって議論を戦わせ熱気があふれていた。「女性が活躍している企業のほうが競争力がある」「ダイバーシティー(多様性)がある組織のほうがイノベーションが生まれる」「女性が経営する会社は女性だけでなく男性にとっても働きやすい環境をつくりだす」。
圧倒される思いで聞いていた。こういう動きは、それまで番組で取り上げておらず、発言の一つひとつが私には新鮮で前向きであり、目から何枚もウロコが落ちる思いだった。なぜこのような女性たちのムーブメントが<クローズアップ現代>のレーダーに入ってこなかったのか。それは実に簡単なことだった。
 番組制作の現場に女性が少なかったからなのだ。<クローズアップ現代>の制作現場は、圧倒的な男性社会。決定権のあるポジションには女性がおらず、女性の目線、女性の提案が反映されにくい場になっていた。一方、私も自分自身のことで精一杯。キャスターとして認められたいという強い気持ちもあって、制作陣の求めるスケジュールに合わせて会議や打ち合わせに出席し、早朝、深夜の収録にも何も言わずに求められるままに働いていた。報道という男性中心の組織に合わせる働き方に、私は疑問を抱くことがなかった。そんなとき、NHKから外に一歩踏み出てみたら、問題意識を共有する女性たちが大勢いて、大議論をしていたのだ。ここから私にとって新しいつながりが生まれた。自分たちで問題提起をしていかなければと目が覚め、女性たちとのつながりや、APECの女性会議、スイスのダボス会議などで学んだことを番組のテーマとして、女性ディレクターやチーフプロデューサーたちを巻き込んで番組を提案し、放送につなげていった。

(壇蜜)女性の活躍というか、女性がもっと仕事の視野を広げるための何かきっかけになったような一文(?)を見たような気がしました私は。
 H  最近のニュースでもね、男女の給与格差が、男性が100に対して、一番小さくなって…
 Y  小さく…73、そうそう。
 H  全然まだ、70%台かと思ってね、これは誇りを持って出す数字じゃないと思いました。書いた中にもあるんですけど。
 Y  あ、私ですか。(p175)
──  二三年間、<クローズアップ現代>のキャスターとしての仕事の核は、問いを出し続けることであったように思う。それはインタビューの相手だけでなく、視聴者への問いかけであり、そして絶えず自らへの問いかけでもあった。言葉による伝達ではなく、「言葉による問いかけ」。これが、二三年前に抱いた、キャスターとは何をする仕事かという疑問に対する、私なりの答えかもしれない。
 H  今の、キャスターという仕事ということのまとめと話は、つまり自分の言葉でインタビューして、自分の言葉でしゃべるということですか、結論としては。
 Y  …いや、自分の言葉できちっとした問いを発する。その問いというのは、いろいろな角度から繰り返し、また、ある意味ではしつこく問い続ける。聞くべきことは、どんな人に対しても同じように聞く。それによって、その人の人となり、その人の考えがきちっと多角的にわかるようになる。というのが、ま、私なりにフェアにインタビューすることではないかというふうに…。
 H  23年間、楽しかったですか。
 Y  いやぁ、楽し(笑:上体をくねらせるように)…、楽しいっていうより、もうやっぱり大変でしたね。
 H  少し寿命縮まりました?
 Y  いや縮まったと思います。毎日…
 H  本来なら、あと5年生きてたのにっていう感じですかね。
 Y  なんか毎日、平均台の上を歩いてるような…。
 H  全くのたまたまなんですけど、おなしトシにやめたんですよ。
 Y  え? え?
 H  ぼく60でやめたんです。
 Y  あ、ほんとですか、あらぁ。 …でも私59でした、やめたトシは。(笑)



追記:ちゃんとしたブログ
前半戦あり
なるほど終盤(未記載) : 壇蜜「私出世しなきゃ」 久米「よんでください」



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