中国と日本。骨董と芸術。


 オリヴィエ・アサヤス監督の『夏時間の庭』(原題 L'heure d'ete)。ちょっと感心しました。

 むかしベルトラン・タヴェルニエ監督に『田舎の日曜日』という佳作がありました。少しあれを思い出しましたが、画面は『田舎の日曜日』のような陽光には満ちていないです。むしろ歴史的な時間の流れについて語っている作品ですね。

 ひねったストーリー、出来事は起こらないです。ああ、ありそうだなあ、と思われることが起こっていくだけですが、それが大きな歴史の時間の流れをよく表現してます。

 映画の最後に、売られる前の屋敷で孫娘が友人たちと大パーティーを開きます。若者らしい喧噪と大騒ぎは映画の中では、それまで流れてきた静謐な大人の時間、芸術家の思いのこめられた神秘的空間と対比されそれを冒涜するもの、という意味を生じそうですが、全然そうではないんですね。
 孫娘さんは孫娘さんなりのやり方で、祖母と過ごした濃密な時間を懐かしむのです。それは子供らしい幼稚なこと、エピソード的なことではなくて、これもまた歴史の中でまったくオーセンティックなことなんです。

 あと面白かったのは、中国と日本のもつ意味の対比でした。

 次男は中国での技術監督の仕事で運が開け始め、本格的に定住しようというところです。その子供たちはむしろアメリカ合衆国に親近感を抱いてそちらに留学するかもしれません。
 一方長女の工芸デザイナーは日本のタカシマヤでオリジナル・ブランド製品を売り出してます。彼氏はアメリカ人です。
 兄弟が相談を交わす高級レストランでは、周りに東洋人の客がやたらいます。これも日本人たち、という設定かなと思います。

 アメリカは現代を支配するものとして別格ですが、中国はこれから活力をもって世界に駆け上がっていく存在、日本は既に成熟の段階に達してフランスのクリエーターの作りだす最高のエッセンスを評価する力を蓄えた存在、なのでしょう。
 人間と同じで、国もいつまでも子供や若者でいるわけにはいかないので、おそらく日本もこういう老成した自己像を受け入れないといけないのでしょうね。

 あとこの映画では、家具、工芸品がポイントになってます。骨董というより芸術として扱われているんですね。
 意地悪なことを言えばこの映画は、オルセーなんかではこういう「文化財」にも目を向けてくださいよ、という、新たな「フランスの文化的売り物」を開拓しようとする試みのひとつになっていると思います。

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