もっと長いのが放送されたらしいです


 このエントリーでお伝えしたインタビューの長いバージョンがアルジェリアで放映されたらしいです。ノルディン・ガファイチが知らせてくれました。
 いよいよわたしもアルジェリアのスーパースターかしらん。

 短いトピックはすでに放映されてYoutubeにもアップされてます。これです。
 今度はアップされますかね。

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何を教え、学ぶべきか~メキシコ(2)


(いちおうこのエントリーから続きますが、このエントリーからここまでも少しずつ関係しています)

 日経の「中南米のヒロイン十選」はきのうの9回目が骸骨キャラのカトリーナだし今日(3月27日)の10回目がティナ・モドッティということで、最後の二回がメキシコ関係になりました。

 結局10回のうち6回までがメキシコの「ヒロイン」になったわけです。
 これだと中南米の、というより「メキシコのヒロイン」に少しつけたしがあった、くらいの感じがします。
 筆者田中さと子氏の好みもあるでしょう。でも「中南米」というぼわっとしたくくり、日本の人の頭の中でなんとなくひとかたまりにされているモノの中で、メキシコはかなり傑出した存在である、ということは言えそうに思うのです。
 おととい日曜日の書評では「BRICs」という単語をつくった人であるジム・オニールの近著『次なる経済大国』が扱われていました。この本ではBRICsにインドネシア、韓国、メキシコ、トルコを加えて論じてあるそうです。
 経済的意味でも、メキシコはこれから「来る」可能性がかなり高いみたいなんです(わたし、経済の方はまるで無知なので、受け売りしているだけですが)。

 で、わたしの言いたいのはここです。
 
 これだけ重要な国・地域なら、「美術」というくくりのなかとか、「文学」というくくりのなかとか、「経済」というくくりのなかで扱うのでは不十分で、「メキシコ」という単位、カタマリとして見つめる、そういう視点を育てる姿勢が、少しはあっていいのではないか、ということです。

 今の日本の教育体制では、明治のときに定めた「オウベイ」志向の仕組みがいまだあまりに強すぎて、それ以降伸びてきた地域に対する視線を育てられる態勢になってないです。
 アメリカ合衆国や、ドイツとかイギリスとかフランスとかは「そのものとして」見つめる視線を育てる体制がありますし、隣国だし経済成長の目覚ましい中国や韓国を見つめる視線はさすがにそれなりにありますが、それ以外の地域に向ける視線が構造的に育たないみたいな感じがするのです。

 これでは日本は、21世紀に対応できないんじゃないでしょうか。
 明治の成功体験を引きずって、明治の教育枠組みに固執すべきではないです。

 わたしは別にヨーロッパについて勉強することがもう不要だと言っているわけではありません。
 現に前のエントリーではヨーロッパの言語教育政策の世界的重要性を持つことを示唆したつもりです。いまのヨーロッパの「売り」はこれだと、本当に思ってます。

 ただ、
 ヨーロッパの歴史・地理等々はすみずみまで知っていてもメキシコはterra incognitaのままであり、しかもそういう100:0みたいな偏りに問題があるとは思いもしない、というような頭をこれからの日本にたくさん作るべきではない、と言っているんです。

 そして世界の中で、中南米の中でメキシコというのは相対的に重要度が高い、つまり教えられ、学ばれる価値が高い国・地域であると思います。これは中南米の他の国・地域に親近感があり、専門的に研究したりしている方々には悪いですが、たぶんそうだと思います。
 だからそういうバランス、配置を若い人たちの頭の中に培うようにしたいです。

                 
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NHKの英語がCEFRに合わせて再編


(関連エントリーはいろいろありますが、たとえばこれをご覧ください)

 「欧州共通言語参照枠」、略号CEFR とかいっても、なんのことだ、わたしにはかんけいない、という反応の人がこれまで多かったと思いますが、今年4月からのNHKの英語諸講座がこれの6レベルに合わせて再編成されたそうで、日本でも一気に関心が高まるでしょう。

 そうすると、その背後にある「思想」に無関心ではいられなくなるでしょうね。

 ヨーロッパ発のいろんな思想潮流が軒並み元気をなくしてきた今、いちばん注目されるのはヨーロッパ評議会、ヨーロッパ共同体の言語教育思想である、と言いきっても言いすぎではないようにわたしは思います。

[追記] いま大阪のランコントルに来てますが、CEFRに詳しい西山教行さんも、先日欧州歴訪して各国の現場を視察してはじめてCEFRがわかった、と言っておられました。彼にしてこんなことを言うんだから、CEFRの思想って本質をつかむのが大変難しいものなのだと思います。2012.03.31.
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エジプトマンガか・・・


 Jeune Afriqueの同じ号で、エジプト力士の話を読んだすぐ後に、またエジプトのニュースがわたしをとらえることに。ユングがsynchronicityてなことを言ってたのを思い出します。

 去年エジプトでマンガ雑誌Toktok Magazineが創刊されています。創刊すぐあとに革命が起こり、マンガ家たちは彼らの経験したことを表現していくことに、社会的、政治的な現実に密着していくことにしたのだそうです。
 使われている言語はエジプト方言です。
 創刊号は寄稿者たちの自費でわずか500部の発行だったそうで、今でも2000部にすぎませんが、ここでもまたネットの情報伝播力が威力を発揮しているとのこと。

 インターネットサイトとかもヨーロッパ語はもちろん英語だけですが、スタイルはフランス=ベルギー派を思わせるところがある、と書いてあります。なんだか思わせぶりな書き方。

 アルジェの国際マンガフェスティバルの雑誌部門で二等をとり、アングーレームにもセレクトされたこの雑誌、5号から「(複数の)ヨーロッパからの助成」を受けるそうです。EU? フランスですかね? ここもはっきり書かないところがちょっと臭いますが・・・

 日本がマンガを文化的武器として使いたいなら、こういうところにも目を配って、少しでいいから助成金など出せるといいんですけどね。・・・いや、そういうことはやめておいた方がいいか。
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大砂嵐 おおすなあらし


 こういうニュース、明るいですね。すがりたいですね。こういうのがスポーツの効用だな。

 Jeune Afrique 18-24 mars号(エヴィアン協定50周年記念号)↑読んでたら、「EN HAUSSE / EN BAISSE」(上昇株下降株、くらいの意味ですかね)のところに"sumotori"とか"Tournoi de printemps d'Osaka"とか書いてある男性の写真があって、なになに?と読んでみました。

 エジプト出身の力士、Abdelrahman Ahmed Shaalanが初土俵で初勝利をあげた、っていうニュースでした。
 調べてみたら、四股名は「大砂嵐」というんですね。

 近年、相撲ってもう終わりかな・・・という雰囲気を感じていたのですが(多くの方がそれを感じていたと思います)、角界が徹底的に21世紀に合わせた体質改善をして、こういう人がどんどんでてきて元気に土俵を支えてくれたら、世界レベルで時代の先端に出られる可能性はまだ残していると思います(ところで、アルジェリア人力士は出ませんかね・・・)。

 ・・・日本の「フツブンガク」研究も、時代に取り残されて消えて行く、なんてことにならないように頑張らないと、と思います。そうでないと本家フランスも怒りますよ。あれだけ日本には文化予算をつぎ込んだのに、ってね。

 「EN HAUSSE / EN BAISSE」のEN BAISSEの方にはちゃんと薄熙来Bo Xilaiも載ってますしね。アフリカもしっかり世界を見てます。日本も世界をちゃんとみないと。
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『ミュージックマガジン』にサラームさんの本の書評、なんですけど・・・


このエントリーから続きます)

 『ミュージックマガジン』4月号には、ささやかなものですが拙稿によるサラーム海上さん『21世紀中東音楽ジャーナル』書評を載せていただきましたのでご照覧いただけましたら幸いです。
 この本の興味深いところ全てがご紹介できたわけではありません。たとえば本著の「サラーム海上の音楽的生い立ちの記」的趣きはお伝えできていません。わたくしの筆力の至らなかったことをお詫びいたします。

 ところで。

 ご覧のとおりこの号は菊地成孔さん特集になっているのですが、一部の記事の内容が菊地さんの逆鱗に触れたらしく、ブログに『ミュージックマガジン』との絶縁宣言が載せられ、業界はいま大騒ぎになっています。
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『ふらんす』で「世界音楽はフランス経由」連載開始


このエントリーから続きます)

 白水社の月刊誌『ふらんす』で、いま店頭に並んでおります4月号から「世界音楽はフランス経由」の連載を開始しております。

 第一回はBaylavwaを扱っております。これ、かっこいいですよ。カリブのマンハッタントランスファー、またはテイク6といったところです↓



 みなさまのご声援を賜れましたら幸いです。
 あつかましいことを申しますが、御支持の声を白水社さんにフィードバックしていただけましたら、長く連載を続けさせていただけると思います。
 日本のワールドミュージックの振興のためにも、よろしくお願いいたします! m(_ _)m

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金沢大学文学部ふつぶん


 金沢大学は昨日が卒業式でした。

 文学部仏文は、留学、就職関係で卒業を伸ばしていた二人が卒業したので、在籍者がいなくなりました。
 後継学類の人文学類の中にフランス語学フランス文学が存続しますし、四年前に新設の国際学類ヨーロッパコースにもしっかりフランス語を主に履修する学生がいますが、「金沢大学文学部仏文」という伝統的で分かりやすい名前はこれで消滅です。

 二人には卒業証書はわたしが授与すべきところですが、それをやると人文学類の四年生には人文学類専任の先生から授与してもらわないといけないし、全コースで何度も授与役教授が交代しないといけなくて面倒だからでしょうか、人文学類長の柴田先生が全部わたしてました。お疲れさま。
 でも寂しかったです。
 わたしからあげたかったな。

 ご存知のとおり大学というところはオモテ4年、留年4年、休学4年で目いっぱいいると12年おれるところですから、まだどこかに学生さんがちょこっと残っているはずで、金沢大学文学部自体は、もうほとんど紙の上だけのような存在ですが、完全消滅はしていません。

 とかなんとか言いながら、時代は変わっていきます。
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散文的


 もう旧聞に属しますが、16日に吉本隆明氏が亡くなられていますね。
 彼が最後に人々の耳目を集めたのが原発肯定論だったといえるのは意味深いです。

 「発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない。それは人類をやめろ、というのと同じ」

ということだったんですが。

 20世紀初頭のフランスのある種の政治傾向の人にとって、科学とはドイツであり、ロシアであり、日本であったのだろうと思います。マルローは、何もただ無邪気に日本びいきだったのではなく、たとえばHenri Massisのような人に対抗して日本を支持していたんでしょう。(マルローのことを調べていてこういう人に行き当たりました。このあたりの人の考えていたことが、今の日本の人には一番分かりにくいでしょうね・・・)

 それにしても山上たつひこ↑の描いた暗い未来が冗談でなくなってきた感じですね。
 ただ違うのは、山上の世界では核戦争、つまり人間の意思によって放射能がまき散らされるのですが、実際に起こったことは経済至上主義の帰結として放射能が振り撒かれたということです。人間のわざではないです。
 戦争で人類が破滅するならそれは悲劇ですが、叙事詩的ではあります。
 実際に起こったこと、これから起こりそうなことは、あきれるほど散文的です。
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トゥールーズ事件


 フランス・トゥールーズで起きたユダヤ人学校殺傷事件の犯人が射殺されましたが、彼はアルジェリア系だったということです。ううむ。

 さる18日はアルジェリア独立が承認されたエヴィアン協定50周年記念の日でした。
 それ以来フランス、アルジェリア両国の関係は波乱に満ちたものでしたが、ここでまた一段とフランスにおけるアルジェリア系人が肩身の狭い思いをすることになるのでしょうか。

 道は険しく、出口は見えません。ああ。
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