スタンダール、EU、世界

27. ところでわたしは最近「スタンダールって、EU的作家なんだ」と気が付きました。ジャン=イヴにそう言ったら、我が意を得たという感じで「そのとおり」という答えが返ってきました。
 これはスタンダール研究を中心テーマにしようと決めた時には全然意識していなかったことです。

 スタンダールは仕事で、あるいは個人的興味から欧州各地に足跡を残した人でした。大好きだったイタリアだけではなく、西はスペインから東はロシアまで実際に見聞し、それを執筆活動の糧にしていました。ですからスタンダール研究はフランス語を媒介にした全欧州の知識人の出会い、知的交流の場になっているわけです。

 「闘うフランス語」に指摘されるまでもなく欧州でも英語の伸張は甚だしく、どんな場でも英語で済ませられる状況が現実化しつつあります。学校でも、ジャン=イヴの奥さんのクロードさんの話だとここ5年くらいの間にフランスでは選択語学でドイツ語から英語へのシフトが急激に起こった、ということでした(IT化の時代にはやっぱり英語できないとどうにもならないとみんな考えた、というのですね。全体的な傾向についてはともかく、就学期の子供を持つ人の実感として参考にしておくべき証言です)。
 もしここで、英語以外のコトバはとくに学ばなくていい、という意識が欧州全域に広まったらどうなるか。ドイツ人=フランス人の間、フランス人=イタリア人の間等々でも、いったん英語を介したコミュニケーションしかできなくなるでしょう。
 するとこれまで千年以上営々と積み上げられてきたフランス=イタリア間、フランス=ドイツ間などの「直接相手の言葉を用いた交流」による貴重な知的営みが無になる危険にさらされるわけです。そんなことになってはたまったものではない、と憂慮するヨーロッパ人は多いのですが、スタンダリアンは特にこれを強く意識しているように思います。現在の欧州連合の理念は、スタンダール研究と方向性を同じくするのです。

(こういう話を聞くと、日本人にとっての英語やフランス語、イタリア語というものと彼等の間でのそれらの言語というのは、ずいぶん違った意味を持っていることを感じます。交流の歴史の年季が違うわけです。逆に極東のわれわれのところの言語事情、交流の実情も見える気がしますね。極東ではなんといっても中国が古代からの超大国で、国際的な場での知的営みが中国語以外でなされることなど考えられないという時代が長く続いたのです。そのわれわれの感覚では、いまヨーロッパがやろうとしていることを理解するのは難しいはずです)

 スタンダール研究にはいろんな国の人が、ただの第三者としてではなくスタンダールの足跡を残し、そのまなざしを受けた者として参加しています(残念ながら日本はほとんど彼の視野には入ってませんでしたが)。
 たとえばイタリアはディマイオさん(ちょっと魔法使いみたいな感じの、でも優しいおばちゃん。たしか閉館になる日の旧フランス国立図書館閲覧室で彼女と会いました)もいるし、若い方ではバリバリの俊英フランチェスコがいますし、イギリス、スペイン、アメリカ等々それぞれファンや研究家がおります。ドイツには、今回は来てませんでしたがネルリッヒのおっちゃんがいますね。この人は身長はそんなでもないですがいかにもドイツ人らしいがっちりした体格の人で、馬車馬の如き精力的な活動をしています。あの手足のすごく長い娘さん(その名もフランスさんというんですよ。(^_^) )は元気にしてるかな? でもドイツからはネルリッヒさんとかヴァイアントさんとかの後に続く人が出てくるんだろうか? ちょっと心配な雰囲気です。

 イギリスのスタンダール愛好家としては、最近日本に赴任してきた某 H 君の参入が面白い展開になるかもしれません。彼がわたしにコンタクトしてきたメールが、ちょうどわたしがグルノーブルでジャン=イヴの家にいるときに飛び込んできました。彼はジャン=イヴとも知り合いで、羽織袴で撮った彼の結婚写真がジャン=イヴのコンピュータに残ってました。 (^_^)  次のニッポンのスタンダリアンの集まりは、例年通りなら年末に京都であるはずなので、きっとそこで興味深い話が彼から聞けることでしょう(わたしは研究発表のあと皆で「うどんすき」を食べるのが楽しみなのです。 (^_^)y )。

 ちなみにジャン=イヴの家にいるときにはもう一通、イランの学生からの問い合わせが舞い込みました。かの地には十分なスタンダール関係研究書が見当たらないし適切な指導教官もいないとのことで、浅学非才なわたしに相談を求めてきたのでした。ちょうどタイミングよくこの学会にいくところだったので、会場でベルチエ先生にこのイラン学生のことをお願いしたら、さすがベルチエさん、こころよく彼への助力を約束してくれましたね。 (^_^)v

 こんな感じの EU 規模、世界規模での研究家、愛好家のつながりというのも、21世紀の文学研究のもつ大きな意義だと思います。インターネットのおかげで、世界のどんな辺境にいる人も孤立せず、ネットワークの一員になれるようになったというのは大変画期的なことだと思いますね。 (^_^)y
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