想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

「ありがとう」という薬

2013-03-26 02:52:06 | Weblog
   (ありし日のサンダー 夏の盛りの森で)
(続き)
玄関を開けるとただいまーと言う習慣があります。
入るとすぐに、パタパタと足音がし、ヤツがやって
くるからです。
幼い時は玄関ドアの前で待っていたようで、開けると
目の前で飛び跳ねるという具合で、ただいまと言うのと
抱きしめたり、スリスリしたりで一騒ぎでした。
2歳から留守番でもケージも使わなくなり、奥の部屋に
ある自分のベッドで寝て待つようになりました。
帰ると爆睡中なのでそっと眺めていると、ややあって
気づいたか慌てて起きます。
慌てっぷりがおかしくて、寝癖のように耳が後ろへ折れた
ままなのに、いやいやぼかあ起きてたよという顔をします。
可笑しくて可愛かったものです。毎度毎度それですから。

シッポをバタバタとさせ、すり寄って、股のあいだを
くぐってひとしきりのただいまの挨拶をするのがドアを
開けた時の習慣。それを十数年やってきました。
最期の数ヶ月だけ、ベッドから首をかしげて背伸びして
迎えてくれました。調子がいいと玄関近くまで来ようとして
立ち上がろうとしていました。
まあ、そういう日常だったわけですから、ただいまーと
声を出してもシーンとして何も起きない、とたんに動揺
してしまうのでした。
わかっているはずなのに、想像を超えてシンドイものでした。

車に乗ると後部座席を振り返る癖があります。
信号停止した時やちょっとした気配や音に、つい見るのです。
いつも一緒にいて、彼を確認することがあたりまえになって
いたからです。
急ブレーキを踏んでヤツは座席から転がり落ちたことが
何度かあって、その度にすごく反省して安全運転安全運転と
自分に言い聞かせていました。

雪の坂道でスリップし止めようと斜面に乗り上げ、反動で
横倒しからさらに回転し車は逆さになってしまった時、とっさに
サンダーーーと叫びました。
シートベルトで自分は無事、エラいことになったと思った
瞬間に、ああ、サンダーは!と不安が襲ってきました。
サンダーは逆さの車内ですでに起きあがり、わたしの方へ
近づこうとシート越しに身を乗り出していました。
おっとっとてな感じで。それを見てどんなに安心したことか。
ドジな飼主のせいで彼はさまざまな経験をしたのですが
いつも平然としていてくれました。
そしてそばを離れませんでした。

だから、いなくなって、身体の脇がすーすーとして、
どうしようもなく、身の置き所がなくなったのです。

体重が37kgでした。おデブではなく筋骨たくましい系です
が、老いで筋肉が落ち、細くなってそれくらいです。
歩くのが辛くなり、補助ベルトで支えてあげなければ
用足しができなくなりました。重いんだけれど、そう重く
もない、そんな感じで日常のあたりまえのことでした。
けれど、右手で支えもっていたので身体の右半分に負担を
掛け過ぎたせいか、右脚の付け根から先が痛むようになり
ました。いつもの疲労からくるそれとは異なりました。

彼が死んで数日後から激しく痛むようになり、足を着くのも
そっと置くというようになりました。
腫れあがってしまいしかたなく病院へ行き、医師は一通り
検査すると首をかしげながらとりあえず湿布と痛み止めで~と
処方薬を出してくれました。
その夜からアレルギー反応が出たのです。

非ステロイド系の薬で、以前にも処方してもらったことがある
もの、もう一つは初めてのものでした。
アレルギー反応はさまざまな要因が重なって起きるので、
以前はだいじょうぶでも突然発症したりします。
アスピリン喘息でした。
息があまりにも苦しく、気が遠くなりそうなのです。我慢して
いたのですが、なんだかおかしいぞと思い、薬のせいか?と
気づきすぐに使用をやめたのです。
重篤な呼吸困難に陥らずにすみましたが、発熱と苦しい喘息は
すぐにはおさまらず、泣きっつらに蜂な数日を過ごしました。

病は気からというけれど、自分の身体が精神力でもっていた事
を思い知りました。
熱で思うように動けずに寝ているのに、重いあの黒いからだを
もう一度支え、抱きしめてあげたいと思うのでした。
身体が歪んで痛くても、そうしたいと思うのでした。
思えば思うほど涙が溢れてくるのです。
足が痛くては看病もできないのですから、生きていた間に発症
せずに本当によかったという思いもあります。
思いながらまた、亡くなってもういないということがとめどなく
悲しい。しようもないことを、繰り返し思ってしまうのでした。



時間とともに薄れていくのだろうか、というのは淡い期待
としてあるのですが、昨日より今日が明るいということは
まだありませんでした。
どっと疲れるように不在の実感が迫ってきて、ひとりで
いることのつまらなさを感じます。
昼間、仕事場や世間で他の人といるときには普通にして
過ごせるのですが…。

老犬になると子犬のように遊んだりじゃれたりはしない、
静かな生活です。なんにもしないのにそばにいて、空気
のように連れ添って、それがあたりまえという暮らし。
何するわけでなし、けれどもおまえがいつもいた、という事と
スコンと抜け落ちてしまった現在の間で宙づりなのでした。

生活のさまざまな場面に、彼のためにということがあって
習慣でつい同じことをしてしまい、もうそれはいらないのだと
気づき、がっかりと気が沈みます。
スーパーマーケットでペット用品の売り場へ近寄り、あわてて
避ける、次は警戒して遠巻きに歩く、ついには寄らないように
なる。実際、彼のための買い物がなくなるとスーパーに寄る
必要がぐんと減ったことに気づきます。
何してあげてたわけでなし、と思うのですが。

簡単に整理がつくものではないと思いながら泣いて過ごしたく
ないと思いました。泣くのは嫌いなのです。
悲しくて泣く、仕方なく泣く、けれど、それを続けているのが
嫌でした。
どうして悲しいのか、と自分に問いかけていました。
最初の数日、悲しみを避けようとはりきりすぎて、一発で
身体の調子を崩しましたから不自然に拒否するのではなく
冷静に考えようとしました。
でも、冷静というのはちょっと違うかもしれません。
そもそも混乱中なわけですから。
そしてカメから言われた言葉を思い出していました。
脳、だからねえ…、脳は記憶を使ってくるからね…と。

自分の脳を見る、脳と向き合う、それは奇妙な気がしますが
心身としての自分を考えると、脳は身の一部です。
心としてのわたしは、サンダーに悲しいとは言えません。
思い出すたびに、サンダーちゃんありがとうね、と思います。
そして、ある時ありがとうと思った時に涙が止まることに
気づきました。

ありがとう、そう口にすると、ふわっとあたたかな気配が
やってくるのです。乾いた、痛い、尖った悲しみが消えていき
柔らかなふっと息がかかるようなやわらかなものに包まれました。

それがきっかけのように、帰宅してただいまーと言った後に、
どっと落ち込むということがなくなりました。
風景の中に何かを探すことも少なくなり、思い出がたくさんある
場所を通っても思いにふけったりせずに素通りして行けるように
なっていきました。あ、とは思いますが立ち止まりません。

お酒を飲まないので、酔ってごまかすということは昔から
しないのです。考え考え考える、それがいつもの方法です。
サンダーの死で、自分を見失いそうな迷子になったような
こころもとない感じでした。
記憶喪失のような、自分は何をしたらいいのかと戸惑うような…
やらなければならない仕事が目の前にあるんだけれど、うまく
頭が回らないのでした。
甘えているのじゃないかと自分を叱咤しもしましたが、
そうすればするほど同じところから動かなかったのです。

ありがとうで和らいでいる自分に気づいたのは大きな発見でした。
次は、避けずに思い出してみるということをしました。
思い出に涙したりしないぞと逆らったり抗ったり意識をせずに
いると、記憶よりもっと深いところで感じるようになってきました。
たとえば目で見るというより後頭部の奥から眺める感じ…。
懐かしい場所を訪れるように。でもいつもの場所。
すると不在の現実より強く、あのよく知っているやさしい波動が
感じられたのです。

どこからやってくるのかしら、と最初は思いましたが。
やってくるのではなく、覚(し)っているのですね。
それがあったから、何するわけでなしという静かな生活
を過ごして、いつも満たされていたのです。

サンダーとつながっていたのはそのやさしさ、仁の波動。
仁は恵みです。
それは引き出しをあけるように、いつでも触れることができる
ことも思い出しました。ああ、ここにあったと。
ようやく平静な自分を取り戻したような気がしてきました。
部屋の模様替えをし、庭の様子を見て歩き、植木鉢の手入れ
をしたりするようになりました。
元気なふりをすることもいらなくなりました。

逃げるための読書ではなく、途中で止めていた高村薫の「冷血」
を読了するべく再び手にとると、前とは違って調子が出て面白く
なってきました。いつもの高村作品と変わりなく一段と人間味が
あり、合田刑事もすっかり歳を取っていたけれど合田は合田だと
納得したりして読み終えました。冷血は命をテーマにした作品
なのだなと最後まで読んでわかりました。
ただの警察小説ではなく。

わたしはわたしでありたいのです。
サンダーが永遠にサンダーであるように。
悲しみで押し流されるように己を見失うことを、どうにか免れて、
あらためてカメ先生に感謝しています。
先生に出会う以前の二十数年前も深い悲しみの底に沈んで
いたことを思い出しもしました。
けれど、そこからどうやって今に至ったのか思い出せず、空白
になってしまっていました。
人とはどんな存在であるか、身体と心はどうつながっているか、
教わって知っているつもりでしたが、いやはや、脳に負けている
未熟者の己を実感させられました。
同時に生身の自分を感じ、それを他人の肉体のように客観的
に眺めることであらたに「命」の不思議と強さを思いました。

そして「ありがとう」の効きめで思い出したことは、先生に最初に
教えていただいたことと共通するということでした。
「親にしてもらってうれしかったことを思い出してごらん、親が
いなかったら、他人でもいいんだよ、幼いころのことを思い出して
ごらん」という言葉でした。
自分本位になりすっかり忘れていた風景がそこに蘇ったとき、
感謝の気持ちがこみあげてくる、しきりに申し訳なさを感じた
ことなど、思い出されました。そして、ありがとうございますと。

自分の脳と闘って、硬直していた脳の方がようやく降参し
現実の変化に慣れていき、わたしの心に従い始めるまで
二か月を要しました。
脳を飼い馴らす、脳に支配されず意志をもって生きるには
自己の想い、志がなければできないということでした。

サンダーにありがとうと思うことは呪文のようによく効き、
ありがとうによって悲しみの固い塊が溶けました。
脳は前頭葉前野に記された一番新しい亡くなった日のことを
最優先のデータとして扱っていました。
けれども、ありがとうは、サンダーとの時の積み重ねで育んだ
消えない喜びを引出してくれて、それが溢れだしてきました。
胸をみたす、あたたかな、よく知っている感覚に気持ちが
ほぐれていく。優しい時間が再び流れ始めました。
時計の針とは関係のない、別の時がそこにはありました。

愛しさが指先まで降りてきます。
とげとげとしたものが失せていき、脳はこの心地よさの方へ傾斜し
現実もそんなに悪くないとデータを書き換えると、カナシイと
いう文字を消したのでした。

もうサンダーを想ってもさみしくも悲しくもありません。
ある夜、とめどなく熱い涙があふれた時、そこにあったのは
命のかたまりのような存在感でした。
君に会えてよかった、君とすごせてよかった、ありがとうと
いう言葉以外ありませんでした。
そのありがとうはサンダーに向けられたというより神さまへ
お礼を奉る時の荘厳な感覚に似てもいました。



3.11で大切な人を失くされ、故郷を追われるように失った方々
の辛さを思わずにいられません。
悲しんでいるときも、その方々に申し訳ない気がしていました。
そこからどう立ち直り立ち上がって生き続けるか、簡単には
言えませんが、常なるものを内に持っていることが人を支える
のではないかと思います。
常なるもの、その信が、無常を生き抜く力となると思います。
抽象的な表現ですが、生きる力は物質的な事柄ではないですから。

負けないようにとか、悔しさをバネに立ち直ろう的な、そういう
頑張る系の前向きとは違う、柔らかな恵みに引き上げられるような
背中を押してもらえるような、そういう力のほうが本当の元気に
なれるのではないかと思います。
移ろい変わるものではなく、常なるものを発見すること、それが
いつになるのか今はわからなくても求めないことには始まらない
わけで、求めること思い続けることの目的として、これ以上の
ことはない、そう思います。

失くしてその尊さを教えられるという、生きることは残酷さと
紙一重ですが、命を感じ、命をまっすぐに受け取って生きて
いくことが人としての幸せであると思います。
それを知るゆえにまた、人一倍怒りや悲しみをも感じてしまう
そんな現実が目前に広がっているにしても、逃げてはいけない
のだと。

長い文章になってしまいました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。






















































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子たぬき…?が来たよ 

2013-03-21 00:58:47 | Weblog
珍客です。おーい、早くおいでとカメの声がしたので出て
行くと、いました。
テンかたぬきか、よくわからないんですけどこどものようです。
コダヌキちゃんと声をかけたら固まってます。
         
(後で調べたらどうやらハクビシンのようです)
ヒトに会ったことがないのでしょう、たぶん。木に登るのが
上手らしいけど、登らずのそのそと小屋の回りを歩いてます。
でも出ていかない。キョトンとしてました。

怖がらせて悪かったね。
まんまるの目でかわいい顔をしていて、やあやあ、よく来たね、
またおいで、と話しかけました。
怖がるといけないのでそばを離れたけれど、結局カメラで
びっくりさせてしまった、また来るかしら?
ぷ~ちゃんの気配が消えてきたってことなんだろうなと
思います。
これまでウサギ以外の獣は近づかなかったから。


あ、ここにもたぬき…いや、あーたはたぬき寝入り…


ぷーちゃんのお墓が雪の下から現れましたね。
まだ未完成です、芝や花をこれから植えてこんもりと
丸いぷーちゃん塚になります。

悲しみは突然なほど抗いがたい衝撃をともないます。
怒りの静め方は知っていても、悲しみの消し方は日薬
くらいしか思いつかないかもしれません。
さぞかし悲しんでいるだろうと、郷里の姉貴が心配してくれ、
けれども声もかけにくかったらしいことを最近知りました。
わかります、自分のことはさておいてわたしも人様には
そうですから。

脳は記憶を動員し欲求を具現化するべく指令を出します。
そのままに行動すれば、喪失の悲しみにどっぷりと浸かって
はいあがることはできなくなるでしょう。
それまであたりまえにあった事が目の前から消え、その手を
離れて触れることができないという現実と記憶のギャップに
狼狽します。ショックですね。
自分の大事なものであればあるほど失ってしまったこと、
そこにないことへの整理がつかないのです。
考えようとする前に、悲しみスイッチは瞬時に入ってしまいます。

そのスイッチが入らないように、入りそうになったらすぐに
元へ戻すように努めてきました。
それは脳との闘いだからです。
脳は気持ちのいいこと、都合のいいことを優先して働こうと
するものです。
愛おしい存在と過ごしたしあわせな感覚を思いだし同時に不在
なのだという事実も認識しています。
この矛盾に対する反応は、悲しみ嘆きとして膨れあがってきます。

脳内でエイリアンハンドが機能し左脳と右脳を繋いで
うまくコントロールする、その大本の指令は脳幹から出て
います。脳幹がはたらいていないと、右脳だけが先走り
悲しみの渦に呑み込まれてしまったでしょう。
こういう諸々を理屈で知っていても、実際に身体の実感として
ある悲しみというものに、どう向き合うのかと毎日考えずには
いられませんでした。

悲しみ続けると人は体力を削がれ、思考力を失ってきます。
心のバランスを失った身体は病を発症するでしょう。
免疫力が低下し、食欲も減退します。
あるいは身体の弱かった部分がいっきに悪化したりもします。
生きるためには悲しみは毒なんですね。
だからそこから逃れようとたいていの人がもがきますが、
いかんせん、脳のストレート回路のままだと難しいです。
悲しみが深ければ深いほど、喪失のダメージはその後の
生き方に影響を与えざるをえないのではないか、そう思います。

(続)


























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ひなたの猫

2013-03-16 17:53:49 | Weblog
縁側に掛けてみた。久しぶりだ。
風が静まり、陽射しがあたたかいので猫も隣で
寝ている。いつもまにかそばにきた…。
和むんだなあ、ひなた猫。



土の表面が雪解けで盛り上がり、芽を出し始めた
春咲き球根が顔を出しすぎているのを見つけた。
乾かないように上から土をかぶせそっと沈めた。
新芽の季節にはまだちょっと間があって、まんさく
の黄色くらいしか色がない。
春の兆しを樹木や土から感じたくて、ぶらぶらと
歩いてみた。





活花に使った後に植えた赤目柳がこんな風に根づいて
枝も増えた。なんだかおかしい…、花屋の師匠が
なんでも増やしてんじゃ、うちで買わないのかい?
という顔が目に浮かんだ。
師匠はベイビーのことを「太郎は元気かい?」と
いつも尋ねる。亡くなったことを告げると花をオマケ
して、はい、これ太郎ちゃんに。白いフリージアを
くれた。
サンダーだよと言ってもずっと太郎のままだったなあ。



柳の花に埋もれて食事中なのは、蜂?

この後、風が起き、空は翳ってきた。
しばらく眺めていた。
雨粒が風に運ばれるように、ぽつりぽつり
落ちてくる。降っているような降らないような。
軒先の雨だれになるまで、眺めていた。





コメント (2)
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日比谷野音から、祈りを形へ

2013-03-11 00:27:28 | Weblog
もはやカウントの必要などあるだろうか。
ここに集まろうと自宅のPCの前にいようと移動中に
ネット中継を見ていようと、心は一つなのだ。
絶対に許さない、原発存続と再稼働。
即時ゼロへ向けて闘っていく、多数の意志。









普通ならぞろぞろと続くはずのデモは警官によって途中で
停められ分断されるので、小さな塊が一つ、また一つと
流れるという具合、もうそんなことにも慣れてしまったが
コールする声に諦めや衰えなど、みじんも無い。
この日のために遠くから身支度してやってきた人々は老いも
若きも幼きも、夫婦もカップルも、今日は心一つなのだ。





楽隊の青年の表情は、取り囲み
威圧する警官たちに放たれた一矢のように鋭かった。

ふりおろす腕に込められた力 太鼓の音は
熱気を孕む怒りを昇華させる。
多くの人々の祈りを形にせんと、強く強く鳴り響いた。




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春雪の風情

2013-03-08 13:52:28 | Weblog
2010年3月19日雪解けし黒い地面が
見え隠れしていた庭が再び真っ白になった朝。
3年前は夜明けの雪景色だけ載せ、かたわらで跳ねていた
ベイビーの写真は使わなかった。



写真は記憶を引き出してくれる。
あの頃、ざわついて居心地の悪い東京からここへ戻って
解放された気持ちになりつつも心底からではなかった。
夜のうちから雪が降り出し、すると鬱々としたものが
晴れていくようだったのだ。
雪はハレを連れて来た。

まだ明けきらぬうちに外へ出て、朝陽に融けてしまわぬ
うちにと雪の白さを愛で、はしゃいだ。
隣でナンダナンダもう遊んでいいのか、と歩き回って
いるベイビーそっちのけであったようだ。

いやぴったりいっしょだから、気も心も離れることは
ないから特段気にしたりもしないわけだろう。

載せなかったベイビーの写真で、春雪のハレを期待しよう。
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偲ぶ夜に

2013-03-05 15:40:55 | Weblog
ドッグフード缶が一個、棚と棚の隙間に落ちていた。
片づけたはずなのに、散歩ウンチ袋の使いかけとかと一緒に
出てきた。
掃除をすると黒い毛を見つける。ふわっと綿ゴミに混ざり、
存在を主張するでもないが、あることはあるという具合。

消えないというより、消す必要もないけれど、揺らぐ。
悲しみからさみしさに変わって、埋めようのない隙間がかえって
くっきりとしてきた。





2011.3.12からの数日、どこへもいけずにいた頃、
たぶんわたしは彼がいたからだいじょうぶだった。
不在がかえって存在を知らしめるの日々がいまも続いています。

これからずっとそうでしょうけれど、それは幸せなことなんだと
思いもします。
よろこびはふかいと、跳ねたりはしゃいだりではなく、しんとして
います。通り過ぎて泡のように消えないよろこびだから
底の底のほうでじっとしています。

森の春はまだ先なので、もうすこしわたしはさみしがって
だらだらとしているかもしれません。
こんなんじゃなあと情けなく思って鼓舞してはいるのですけれど、
隙間は日々、くっきりとし、今はその縁が鋭角なのです。
ほんとうの春がくるころにはまろやかな縁取りになるでしょうか。




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