想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

森庭の安らぎ

2015-08-30 01:03:25 | Weblog

やっほーやっほー、先を走る犬が裏山の小道を登っていく。
後ろを見、また走り、立ち止まり、今度は戻ってくる。
こちらが歩く分の三、四倍くらい彼は走っている。
一周して帰り道の終わり頃、彼の足取りがようやく
ゆっくりになって、すぐ前を歩いていく。

庭はそのまま森に続いているので、時には遠出をして
奥のほうへも行った。山を削った道は反対側は崖に
なっているので用心して真ん中を行く。
誰も通らないのでぼうぼうと茂ったままの草をかきわけ
どんどん行く。
犬が一緒なので怖くない。
というより、恐れないまま歩いていた。
楽しさばかりなのであった。

すべてが3.11前の話である。
失意のまま、4年半。
怖さを覚えてしまったので、山歩きが楽しさではなく
追憶になった。
森庭の続きなので天気のいい日は歩く。
でも、やっほーやっほーともう聞こえない。

聞こえないのは当たり前なんだが、聞きたい。



今年はらっきょうを
1kgほど買って漬けた。
甘酢に唐辛子が効いて、オトナ味に仕上がった。
大きなガラス瓶から二三日食べる分だけ取り出す。
らっきょうはガラス容器が似合う。小さな容器は
友人がくれた琉球ガラスの蓋付きの器。

暮らしの中の小さな楽しみは、襞々になって模様を作る。
そして、ある日。
何かの拍子に、襞の谷間に落ち込んでいた記憶が
溢れ落ちる。

その時から、時に胸騒ぎがし、時に睡眠を妨げ、
そして唐突に涙を誘う。
そのかけらを摘んで、問いかけでもしないと
情緒の波がいつになく荒れ続ける。

自分で己を知っているつもりでも、わかっていると
思っていても、それがどうしたとばかりにささくれの
一粒がどうにもならない。

瞑想はしなかった。
覚えがあるので、扉をあけて、そこへ入っていった。
何十年ぶりだろう。
自分で自分の声を聴く。
ほんとうの気持ちは隠しているのだと、他人事なら
言えるけれど、何が本当で何が良いことなのか、
決められないこと。
決められないことを、決めなければわたしはまた鍵を
かけてしまうだろうと、しばらく留まった。

わかったのは、幼いわたしが幼いからといって今よりも
聞き分けがなかったとは言えないということだった。
子どもの純真は、決められないという結論をそのまま
受け止めていただけだった。
どうにもならないし、できないということを、悲しむ
しかないということだったのだ。
じっとして、外へ行くと元気に笑った。

襞から盛り上がってぽろぽろと零れてきたのは、
小さかったわたしの、堪えていた涙だ。

わたしは、どうにかしてなだめてあげようと思った。
けれども何をどういおうと、誰かに責任をなすりつけて
悪者を決めて、気が済むわけではなかった。

どうしようもなく愚かな生き様を人は時に選んでしまう。
十歳かそこらで「諦め」を超えていくために、どう振る
舞えばいいかを考えていたというのか。
わからない。
そんな知恵があるはずもない。
ただ、そこを本気で超えたかったことは確かだ。
その感触だけは確かにわかる。
そうでなければ生きていくことができなかった。
毎日の時間がとても長く思えた。



過去は過去である。
過ぎ去ったことのなかに生きているわけではない。
目の前の今を生きる。
けれど、生きているのは、まるごとの自分である。
今を生きる自分自身のなかに過ぎ去った時もある。

なぜ神を知ったのか。
なぜ仏を求め、仏を諦め、神に出会ったのか。
青く曇ったガラス容器を眺め、静かに満ち足りた
暮らしがある。
けれど神を知らなかったなら、ガラスを美しいと
思うわたしであっただろうか。
刺さった悲しみの粒が化膿し、再び血を流したかもしれない。

神とは、人の世の不条理の先にあるものだ。
人情の罠、牢獄から解放される場所だ。
もしも今、わたしの中心にそれを抱いていなかったら、
襞を裂いて起き上がってきた、小さな私の悲しみが
少しづつわたしを壊していっただろう。
たいていの人がそうであるように、死にながら生きた
だろう。



神は求めなければわからない。

神様、神様、と怯えて呟いていた小さなわたしに、
だいじょうぶだよと、ようやく返事をすることが
できて、やれやれ、やっほー、だなと背伸びをした。
黒い毛皮の君にも、いっしょに遊んでくれてありがとう
慰めてくれてありがとうと、いまさらながらのお礼を
言った。

アホのうさこにようやく戻れる。

さて、本日は全国100万人大集合「戦争法案反対」デー。
傷めていた脚はもうちょっとだけど、10万分の1に
なりに行くとするか。少しでも参加したい。

あいにくな空模様だけど炎天下のアスファルトよりマシ。
国会議事堂前は色とりどりに染まり歌声が響く。
赤い服は持っていないのであるが、レッドカードもどきを
作った。あと、やっぱ水…、一口チョコも持って行こ。





























コメント (2)
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強い個人になる

2015-08-17 02:24:39 | Weblog
(ジョリの子 → ジョリコ に改名。
後ろの白いのは網戸用の放射能除けシート、
夏はけっこう役立ちます、オススメ)

自己中になるという話ではないよ。
《「日本人は個人としてどんなによくても
集団になった場合信頼できない」という
外からの評価を自信を持って打ち消すことが
できない。(略)理不尽なものにNOを言える
ようにならなければならない。それには、
それぞれがムードに流されない
強い個人になるための
自分らしさを、養い育てていく必要がある。》
日々の新聞8月15日号からの抜粋だが、
強い個人が生きるには
この国はあまり居心地のいいものではない、
残念ながら、現在進行形だと思っている。

先日、山暮らしとはいえ、村の住民として
村役場へあるお願いに行ったとき、それを
感じた。行政区という住民自治組織を通せ、
個人の申し出は受け付けないという。
行政区の方では新たに入ることを歓迎しない
という。あからさまではないが、ざっくりと
言えばそういうことなのだ。

まわりくどい話をする人たちに、結論はこう
ですね、と切り返すと、またぐるぐると話を
戻してあいまいな言い方をする。
そりゃあそうだ、いずれも拒否するわけには
いかない件であるが、けれどもこの女一人の話に
つきあうわけにはいかないという態度であった。


(EM菌の堆肥に生えてきたかぼちゃに
びっくり、種が入っていたらしい)

わたしは声は大きい方ではない。
わたしは声は大きくはないが、はっきりと
話す方である。
だから言った。
あなたの話は法的には根拠がありますか?
ないですね、きりがないから上の人と話をさせて
ください。と。

すると、自分が伝える、あとで連絡をすると
答えるのである。
わたしは強い個人ではないが、強い個人に
なろうと思い始めたところだったので、
心の中で神さまにお願いしながら、ぐっと
耐えて、筋の通らない話ですね、と言って
それ以上ゴネずに一応は引き下がって帰る
ことにした。ごねていると思われるのが
不快だったからである。

そして、帰路、運転しながら対応した若い職員の
言葉を反芻していて、ふと気づいた。
なんのことはない、彼は事情も情報も調べず
適当に、いつも通りに、対応しただけなのだ。
話を聞かないままに結論ありき、である。
いつもああやって個人からの陳情を受け流し
できるだけ相手にしないようにしているのだろう。

それで、わたしは車を止めて、電話をかけた。
名乗ると、電話口の女性は前とは違って丁寧で
あった。くだんの若い男に代わってもらった。
そして、あなたは知らないかもしれないが…と
ゆっくりと事情を、相手が聞く気も調べる気も
ない周辺事情をとてもゆっくりと話し始めた。

男はふんふんと相づちを打っていたが、突然
えーっと言った。そうだったんですか~
と言い、わかります、わかります、そうですよね、
と言い出した。善処すると言い出した。

一村民の女である(と思ってるだろう)私の
素性を話した後のことだった。
素性というより、この村へ来た経緯を話した。
それだけである。その話に登場した人の名に
彼はちょっと反応した気がした。
それから、なんだか声音が変わった。
一村民、一個人を尊重してくれたのではない。

地元のちょっと有力者っぽい知人の名前に
反応したのだ。
彼は親しい友人であると、わざと言ったわけ
ではなく移住の経緯に関わった人だったので
話に自然に出てきた。
その後、手のひら返しの対応ぶりであった。

けれど、こんなことはこれからも続くだろう。
これに味をしめて同じ手を使うなどと
いうことはない。
かえって不快であった。
そして、日々の新聞の言葉を思った。

あまり村へ降りない。
人里へ近寄らない。
人を離れるためにここへ来たのだから当然だ。
しかし、生活するのは諸々やっかいなこともある。
政治に首をつっこみたくはない。
誰かの力を借りたとたんに色がついて区分け
されてしまい、個人ではなくなるのだ。
利権で動き、癒着と談合が当たり前の旧態然と
した村は息苦しく、人はバラバラで活気はない。
元気なのは村長人脈に連なる企業と人々だけだ。

田舎に若い人が居着かないのは、仕事が少ない
からだけではない。不自由なのだ。
何につけ、不自由である。
コネ社会、いらぬ噂で人が指を指す。
親切な人はいるが、密やかな声でしか話さない。
いざというときには、いなくなる。
そういうところから出て、もっと孤独な場所
都会へ行ってしまう。

文化と教養がいかに大事かと痛感する。
強い個人になるには、学ばなければ、言葉を
持たなければ思考できないし、行動は思考から
生まれる。

群れていれば安全地帯だというのは錯覚で
人が生きることの可能性を閉じてしまうのに
悪い年寄りのいいなりになって、次世代が
悪習を引き継いで、またぞろ悪い年寄りの座に。
そうこうしていつか村ごと滅びていく。
いつか国ごと滅びていくか、他国に吸収される。

そうならないために、頑張っている人が
いるのだが、密やかでイマイチ勇気がないのだ。
あなたはトーキョーに行けるからいいけど、と
私はよそ者だから言いたいことを言うと見ている。
どうせなら宇宙人くらいに思ってくれよ、
どうせなら、うさぎなんだから山から降りるな
でいいですよ、と思いながら顔では笑っている。

日本全国に同じような田舎がたくさんある
のだろう。これでは自民党政権が続いたはずだ
としみじみ思う。

SEALDs は都市部で増殖中だが、田舎の
若もの達が頑迷でずる賢い年寄りを説得できる日
が来ることを期待したい。
MIDDLEs もOLDs も諦めたくはないが…。







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