りょうさんの思う壺・・!

大ごと、小言ひっくるめ!
巷の話題も、私ごとも!
ひと息ついて、ご一緒ください!

雪やコンコ

2012年02月20日 | 思うところ

例年より寒い神戸ですが、暦の上では立派な春・・・
ただ寒さは収まりません!
なんとなく風邪の症状が治まらないので、珍しく家にこもることにしました。
週末は何かと野暮用がありますが、週末はぐっと自分をおさえて休暇としました

家内も娘も外出で留守番役は、我が家の黒猫「くろん」とペアです。
この猫・・・女性には触れられるのですが男には見向きもしません。
極端に人見知りの激しい猫です。
暖かい場所を求めて家じゅうを渡り歩く気まぐれ猫ですが、当然ながら私のところには来ません!

そんなわけで、会話もなくそれぞれ別の場所で一日を過ごすのですが、
トイレに立って窓を見るとすりガラスを通して白い影が斜めに通り過ぎていきます・・
珍しい雪だ!と思い外を見ると予想通り大粒のボタン雪が降り注いでいました。



周辺は結構積もったところもありましたが、気温は1.8度・・・
やがてすぐに消えていくのですが、神戸では珍しい吹雪模様におもわずカメラをもち屋上に!

雪国の人から見るとずいぶん酔狂な光景でしょうが、子どものころしばらく雪の地方に住んだことがあります。
雪で苦労をしたことがないせいか、今でも雪景色には郷愁を覚えます。

冷たい雪の中、パジャマ姿でしたが風邪などどこかへ飛んで行ってしまうほど刺激的なピリッとした時間でした。
おじさんは喜び、猫は娘のベッドで丸くなっておりました。



ゆきやこんこ あられやこんこ・・
この歌を思わず口ずさみましたが、子どものころは、雪やこんこん・・と知らずに歌っていました

コンコンはキツネ!猫はニャー・・
つまらないオチになりました。

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2月後半の運勢

2012年02月17日 | 思うところ
あっというまに2月も中旬を過ぎました。

きょうまでの2月は幸せな月ではありませんでした。
その1:
神戸空港で予約便に乗ろうとしたら、該当なし・・
「なんで!!??」
日程が変わり2回ばかり変更したのが原因で、私の操作ミスだったようです!

カウンターで悪戦苦闘しながらも、幸い空席があったので新たにチケットスを購入したのですが、その取り消し時間がなく片道運賃がふいになりました。

その2:
悪いことは重なるもので、出張前にPCのグラフィックボードが認知症になりました。
時々真顔になるのですが、立ち上がりも悪く何より画像が気まぐれになるとストレスが大です。
肝心な時働かないマシンは即退場です!
グラフィックBくらいなら安いので交換しても問題ないのですが、もし他の原因なら・・など、いろいろ考えが頭をよぎります。
そろそろ後身に道を譲る頃でかな・・・。
そんな時、立ち寄ったショップブランドにお買い得があり思い切って買い換えることにしました。

パソコンの引っ越しも結構面倒なものです。
その日のためにあらかじめ引っ越し用HDDにデータを保管していたのですが、どうしても私のレベルでは解決できない課題にぶち当たりました。
そこで、片付けがままならない我がデスクを整理して2月後半が始まりました。

少しだけツキから見放された前半を取り戻せれば・・!
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避難所に咲いた緋寒桜

2012年01月17日 | 思うところ
沖縄では、桜の花が咲き始めやがて満開を迎えるという、爽やかな朝のテレビニュースに17年前を思い出しています。

1995年(平成7年)1月17日、忘れもしないあの阪神・淡路大震災が起こりました。
ドカンという突き上げるような衝撃に飛び起き、とっさに家具を抑えなだら揺れに逆らった行動が可笑しくもありました。
激震地では何の意味もなさない無駄な行動だと気づくのにそう時間はかかりませんでした。

当時我が家は神戸市の一番西に位置し、淡路島を臨む高台でした。
停電の中で、ラジオからもたらされたわずかの情報は、震源地が淡路島付近だということでした。
この情報が私の判断を狂わせました。
震源地に一番近い我が家がこの程度なら大したことはない・・・
すべて、間違いであったことがこの2時間後わかることになります。

死者行方不明者6437人、今回の東日本大震災の同数は19238名・・
犠牲者の数では比較にならないものですが、兵庫県南部のこの狭いエリアの光景は言葉にする勇気も失せることが多くありました。

あの日を忘れることはありませんが、この年生まれた子どもたちも17歳、多感な青春時代を懸命に生きています。

あの日私たちが、いや私自身何をしていたのか・・・
今も鮮明な記憶の中にいますが、17年目のきょう、当時の記録をひとつご紹介しておきたいと思います。
いま沖縄で満開となる緋寒桜と神戸の避難所のお話です。

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 震災後、避難所への救援物資輸送や医療活動支援のために開局された11の非常無線局は、全国から駆けつけた学生を中心とする若者のエネルギーによって支えられた。 
 私にとっても31年間のアマチュア無線活動の中で類を見ない経験をすることになった。
 不自由さをおして集まった仲間は、高校、大学生はもちろん休暇を先取りした東京のテレビマン、物書き、会社員等、実に様々で全国規模の混成チームができあがった。
 
 2月に入ってすぐの頃、仲間の一人から相談を受けた。「神戸の町から色が消えた。灰色になった町に彩りを取り戻そう。まず避難所に花を届けよう」という内容だった。
 避難所の食料は充足してきたものの、特定の物資はまだまだ不足している。その中で、沖縄で今咲き誇っている桜の花を神戸に届けてはという提案であった。
 
 沖縄の桜は赤味の強い緋寒桜という種類で、日頃お馴染みの本土の桜とは明らかに異なる。
 2月27日、待ちかねた桜の花が大阪空港に到着した。
 沖縄周辺の島々からこの日のために持ち寄せられたもので、それぞれの島の特徴がうかがえる贈り物であった。
 渋滞の町を避けて六甲の山越えで運ばれた桜を早速、東灘区の幾つかの避難所に届けることにした。満開の300本の桜と沖縄の菊の花500本が避難所に彩りを添えることになった。
 
 最初に訪ねた小学校の校庭で、焚火を囲む10人ほどの人の輪に加わった。燃料は倒壊した木造家屋の廃材だ。積み上げられた廃材から生活の臭いが漂っている。
 暖をとるおばあちゃんの「花を見てホッとした。ありがとう。ありがとう」と繰り返す潤んだ笑顔が忘れられない。
 
 恐る恐る教室の扉を開けた。我々にいぶかしそうな視線が注がれている。
「こんにちは、沖縄から桜の花を持ってきました」の呼び掛けに部屋の雰囲気が一瞬和らぐのがわかる。
 日本で生活する者には、桜の花にとりわけ特別な思いを抱くのだろうか。
 春の訪れなど考える余裕も与えられなかった避難所の人たちに、束の間の夢をプレゼントできたのかも知れない。
 重苦しい教室に笑顔が戻ってくるのが嬉しかった。
 
 花瓶もなく愛用のグラスに丁寧に小枝を差す人や、じっと感慨深く花を見つめる人がいる。
 「もう一本もらえますか?」という声に振り返ると、枕元から一枚の写真を取り出してきた。亡くなった子どもさんの遺影だそうだ。
 笑っている写真の主人公と桜の花の色合いが妙に似合うのが哀しい。残された人の優しい眼差しに隠された震災のすごさが、無言のまま重く伝わってきた。
 
 花を配り終えるころ、照明灯に浮かぶ校庭の片隅にある自衛隊の仮設風呂から子どもたちの歓声が聞こえてきた。復興の手助けには程遠いほずの花が持っ不思議な力を知らされた一目であった。
 避難所とのふれあいの中で活動した我々の業務も、4月15日をもって終わりを告げた。

 多くの出会いを与えてくれた90日間の仲間と、桜の花が橋渡しをしてくれた、人との出会いはかけがいのない絆をつくり、生涯忘れることのできない思い出を残した。

                         (1995年記)

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神戸の心は今、東北の人たちの心と同じです。
一日も早い復興を願いつつ・・・
きょうは心静かに黙祷から始まる一日となりました。
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映画「マイウエイ 12000キロの真実」

2012年01月16日 | 思うところ
戦争映画「マイウエイ 12000キロの真実」を観てきました。

日本人と当時日本の統治下にあった朝鮮人の青年が、幼少の頃、京城(今の韓国ソウル)で出会い、マラソンのライバルとして激しく意識してゆきます。
やがて日中戦争がはじまり、ノモンハン戦争を皮切りに幾多の戦線で悲劇的とも言える運命の出会いと葛藤を繰り返していきます。
数奇な運命に支配される人を描いた作品ですが、日本軍人が捕虜のあとロシア兵になり、そしてドイツ兵となって連合軍と戦うというあり得ないストーリーながら、実際にあった人物がモデルとなっているそうです。
最後は、連合軍の総攻撃地点となった激戦地ノルマンディー・・・
戦場での生と死はどんな力によって決められるのか、誰の力で生死が決まるのか、そんな感覚の中で映画の展開に息つく暇もありません。

どんな映画かはWebの映画宣伝をみればしっかりと分かるので、改めて紹介しませんが眠くならない映画です。

この映画に興味を持ったのはオダギリジョー扮する、日本軍将校でありマラソン選手でもある主人公長谷川辰雄と、そのライバルであった当時朝鮮のマラソン選手、ジュンシクを演じるチャン・ドンゴンの共演ということも手伝っていました。

当時のアジアの歴史的な背景と、時代に翻弄されたオリンピックのマラソン競技を通して描かれた映像は、韓国の著名なカン監督作品により凄まじい迫力を作り出しています。

でもここで描かれているのは、単なる戦争映画ではない・・

人は戦争によって運命が左右されるだけでなく、心まで変わらざるを得ないというという訴えが身に沁みます。
しかしながら逆説として、戦争の極限を迎えても、また過酷な戦場の中でも、人の心に本来の人間性を取り戻させることができるということを訴えているのもこの映画の特徴でしょうか。

神戸でも映画館の閉鎖などが見られ観客動員が話題になりますが、日曜のしかも封切館にしては驚くほど観客が少なくゆったりしていました。

私の前には観客はひとり・・

上映直前に私の席を一つはさんで若いカップルが座りましたが、上映中ごそごそと飲食を続けているのが気になりました。

戦争映画の大音響が、この二人の動きを助けたのですが、静かなシーンの連続ならひんしゅくものでしょう・・・
映画が終わりやがてスーパーテロップに差し掛かるとそそくさと席を立っていきました。
その席には、飲料水のカップや食べ残しのゴミがそのまま置き去りにされていました。

映画よりいつものゲームの方が面白かったのかも知れませんが、彼らにこの映画の意味がどう理解できたのか、これまた興味のあることでした。
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イチゴ

2012年01月11日 | 思うところ
連日寒い日が続くと春が恋しくなります

チャイムが鳴り、
インターフォンの画面に目をやると、
クロネコ便のお馴染みのお兄さんの顔・・・

届いたのは、神奈川県の友人からの荷物です
中身は大好きなイチゴ!!

イチゴの香りと色合いに触れると幸せ感が湧いてきます。
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えべっさん

2012年01月09日 | 思うところ
関東の方にはあまり馴染みはないようですが、「柳原のえべっさん」という愛称で親しまれる神戸の兵庫の蛭子神社は、毎年1月9日〜11日の間「十日えびす大祭」として商売繁盛や家内安全、学業成就を祈念してにぎわいます。
明日は仕事なので、宵えびすにお参りしてきました。



この神社は神戸市の中で、歴史と伝統のある兵庫の地に、えびすの杜として鎮座しています。
「えびす神」の中でも一番古くから語られているのが、『古事記』『日本書紀』の国生みの段に登場するヒルコ(蛭子)の神です。
この神は、イザナギ・イザナミの神が日本国土を創世する際に、その御子として生まれましたが、手足が不自由であったといわれています。
どうやら鎌倉時代に、ヒルコ神がえびす神ということが定着したようです。



昨日からNHK大河ドラマ「平清盛」が始まりましたが、 兵庫のまちは平安時代の昔から「大輪田泊」と呼ばれる良好な港のあるまちとして知られていました。
平安時代の末期、平清盛は大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれた兵庫の港で中国(宋)との貿易を行いました。
また、治承4年(1180)には、わずか半年間ではありますが、京都から現在の兵庫区福原に都を移し、貿易の拠点として港の大改修工事が行い後に兵庫のまちは「兵庫津」と呼ばれるようになり、海陸要衝の地として発展していきました。

とにかく私の故郷でもありルーツの兵庫ですから、この界隈には商いとは無関係に自然に足が向いてしまいます。
この周辺には歴史的な名所も多く、今年は特に観光名所として脚光を浴びる場所でもあります。
いちどお越しになりませんか!
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冬景色

2012年01月09日 | 思うところ
寒いのは好きでは無いのですが、雪景色は大好きです。
雪国の人にとっては、酔狂な思いかもしれませんが日本の雪にはひときわ風情を感じます。



家でのんびりの正月も悪くはありませんが、ちょっとばかし雪景色に触れたくなり車を走らせました。
行先は京都北部・・・
親戚の家を突然訪ね、新年のあいさつをしてきました。



途中吹雪になり、久しぶりに雪の中を走りました。
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初詣でと年賀状

2012年01月05日 | 思うところ
新年のごあいさつが遅くなりました。
皆様お気に入りのお正月になりましたか?
辰年・・よろしくお願いします

おかげさまで、非常に落ちついた元旦を迎えました。
気負いもなくあるがままにこの一年が過ぎることを願いました

初詣では元旦にお誘いを受けて西宮神社に・・これは番外です
そして翌日は何と言ってもわが町の氏神様、舞子六神社にお参りです
もう一つ我が家に一番近い小さなお社があります
ここは、無人ですがその昔の鎮守様の雰囲気が残るお社です



舞子六神社は、昨年の地鎮祭でお世話になった神社ですから、
お礼参りと新しい御札を受けに向かいました
境内で宮司さんに出会いごあいさつ・・まずは、いいスタートとなりました
娘のおみくじも大吉、これもまずまずといったところでしょうか・・



ゆっくりした時間の中で今年は年賀状の整理を入念にやりました
慣例を通り越して惰性のような年賀のやり取りも正直なところ多くあります
仕事がらのせいか相手の顔が浮かばないものや、何よりそっけない年賀状が増えてきたのも事実です
宛名も本文もプリンター印刷の年賀状が一番欲しくないという話題がテレビでも流されました
少し考えるところがあった今年の年賀状事情です



昨年の6月、引っ越しの挨拶状を年賀状の数以上に出しました
ところが、2割は旧住所からの転送で少しばかり意外でした
私自身整理については及第点が貰えない自覚がありましたが、
意外とみなさんも人の引っ越しなどに興味がないということがわかりました。
あらゆる場所で必死に年賀状を売るコーナーにも驚きましたが、
年始にもまだ年賀状を売っている場面も目撃しました
電報が消え去るように年賀状も今後は大きく様変わりするのでしょうね。
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最後の忘年会

2011年12月31日 | 思うところ
どういう訳か、師走の30日は16歳からずっと欠かさずお付き合いが続く仲間の忘年会です
この日に定着したのがいつだったか定かではありませんが、
現役時代に全員が揃えるのは大晦日かこの日しかなかったことが大きな要因です
この会は四0会(ヨンマルカイ)と言って、昭和40年に高校を卒業した仲間の会です

毎年、数回口実を作っては会うのですが、一度も欠かしたことがない会なのです
友人の一人が、「何だか兄弟みたいな出会いの場になった・・」
といった言葉に、不思議な感じがしながらもうまく表現していると感心したものです

この年になると、話題は健康と年金というのが標準のようですが、その通りになりました
事実健康を害して一人欠席・・
不自由を押して来てくれた友人もいます

突如現れたのがMasacoさんと今年富士山を目指したWさん夫妻
師走恒例ながら、会場となった我が家で高人数の忘年会になりました
これだけの友人が訪ねてくれる家、まさに団欒の住処そのものです

買い出しや、食事の準備は確かに大変ですが
それより大きな話題に花が咲くのは素晴らしい時間です
引っ越ししてから半年、多くの客人を迎え賑やかなひと時になりました

後片付けを済ませ眠りについたのは、大晦日になっていました
今年最後の日、久しぶりに満足できる片づけを済ませ
テレビは恒例の紅白歌合戦が流れています
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師走の名古山霊園

2011年12月30日 | 思うところ
師走も大晦日前となると、さすがに名古山霊園は静かな一日でした



あっという間にこの一年が過ぎ去り、遅ればせながら先祖の墓参りに出向きました
とはいっても、子どもたちは仕事で、家内とふたりだけの寂しい墓守役です
ラジオからは帰省ラッシュの渋滞情報が流れていますが、
姫路までの道路はスイスイで快適なドライブコースでした

お決まりのお参りを済ませ、仏舎利塔に行くと28日から休館・・・
中に入ることができません
入り口は早々と門松が飾られ、まったく人気のない施設は
いかにも市が管理するものだという雰囲気を漂わせています



神社仏閣の年末年始は、庶民が唯一得られる貴重な時間に合わせた年中行事ですが
ここはお釈迦さまの遺骨を祀る施設です
行政が運営する施設ですから、宗教色を薄め「人類永遠の平和と幸福の祈願を・・」
訴えているのですが、周りは多くの人たちの先祖供養の象徴地です
年末年始に門戸を閉じるというのは実にお役所仕事ではないかと思います

名古山霊苑は、国宝姫路城の西にあります
インドの故ネール首相から贈られた仏舎利を納めた厨子の仏舎利殿がその中心にそびえています
父が生前この厳かな場所を気に入り、墓地を作ったのはおよそ半世紀前のことでした
それ以来この場所を定期的に訪れるのですが、
神戸に住む我が家が姫路市のこの墓苑を利用させてもらっているのは
私の祖父母の故郷であもあるからです

そういえば今は息子も姫路市の住人・・・
徐々にこの地に近づいているのでしょう!


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レンズの再利用

2011年12月28日 | 思うところ
外出時の必携ツールはデジカメです。
旅にはもちろん欠かせない必需品ですが、デジカメの小型化でポケットにすっぽり・・というスタイルが大きく貢献しています。
このところ、スマートフォンに代表される携帯端末のカメラ機能はすでにこれらに匹敵するもので、デジカメなど不要という人も多くいます。
でも、カメラはカメラで、すべてがとって変わることはないはずです・・

子どもが小さいころのことですが、写真といえばすべて自前で処理していたこともあり、かなりマニアックなカメラ愛好家でもありました。
転換期は、モノクロ時代が終わり、カラープリントが主流になるころ、これも自前でやるかそれとも・・の時期でした。

ある時期デジタルカメラというものが市場にでて、物珍しさも手伝い早速購入しましたが、今では考えられないような代物でした。
その画像が保存されていますが、今見ると実用とはかけ離れた悲惨な画像です。

あれから何年・・・購入したデジカメは軽く10数台・・・。
お古は人にやったり、家族にやったりして今手元には3台愛用機が残っています。

カメラ界の今年の話題は、何といってもミラーレスの超小型の一眼カメラが各メーカーから一斉に発売されたことです。



量販店に立ち寄るたびに手にすると、よくぞこんなに小さくまとめたなーと感心しきりです。
大きなカメラとお別れして久しいのですが、この小さな姿に感動です。
これならカバンにすっぽり収まりそうだ・・
これに加え、このカメラに大昔のレンズが使えるとわかり遊び心が頭をもたげました。



というわけで、眠っていた交換レンズが再び日の目をみることになりました。
小さなボディーに大きなレンズというアンバランスな姿も結構サマになります。
構造上、取り付けた交換レンズの5.5倍の倍率になるので、格安で超望遠撮影ができるのも興味深いところです。

保存が悪くカビが付いたレンズもありますが、二度と使うことがないと思っていたレンズに再び出番ができたことは、何よりウキウキする思いす。
われわれおじさん世代は、捨てるのが下手でいつまでもガラクタと同居ですが、今回ばかりは遊び心を超えたエコ思想の実践として別の意味でも貢献できたのではないかと思うのです。
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山側から海・港へ

2011年12月25日 | 思うところ
何だか神戸の観光案内のようになってきました
きょうのルートは、神戸の高台異人館街から三宮、元町、神戸モザイクをしっかり歩くコースでした
口にするのも嫌になる、寒い寒い日曜日です
ところで、カメラを変えたので、写真の色合いがいつもと違うことにお気づきでしょうか?

手袋なしでカメラ片手に歩くとさすが冷たいものです・・・
神戸が一望できる、神戸北野神社から、神戸異人館街のシンボル風見鶏の館が見下ろせます!
ここは、明治42年頃にドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏の自邸として建てられました。



赤レンガと尖塔の上の風見鶏で有名な異人館の中でも異彩を放つ建物で、昭和53年に
神戸市の所有となり、国の重要文化財に指定されています。

神戸のさびれゆくシンボルといえば、元町高架下の通りです
三宮寄りはまだ元気ですが、神戸駅に進むにつれて急に寂しくなります
そして閉店が続出・・・
ここは一時は神戸港に着く船乗りの買い物の名所でもありました
私の父も生前ここを通り、実につまらない高い買い物をしていました



6丁目に近い高架下は、日曜日なのに人が通っていません・・
年の瀬の商戦に程遠い現実がここにあります

歩き始めるとどうしても足が向くのが港です
最近はメリケン波止場ではなく、神戸モザイク周辺に行くことが多くなりました
ポートタワー、神戸海洋博物館、ホテルオークラ神戸と六甲連山・・・
この寒さの中でカモメが漂っています



ちょうどクルージング船、コンチェルト号の出航でしたが、どういう訳か夏より乗客が多くびっくりでした
この船もよく利用していたのですが、最近はとんとご縁がありません





大観覧車もフル稼働だったのはやはりクリスマスの日曜日だからでしょう
きょうの買い物は、一眼カメラ用の交換レンズ・・
最近中古の交換レンズ探しが面白くてカメラ屋さんをよく覗きます
手に入れたレンズの試写が楽しみでもあります




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クリスマス・イブの散歩

2011年12月24日 | 思うところ
神戸の最低気温は3度、日中でも8度までしか上がりません。
寒い寒い土曜日・・・そういえば今日はクリスマスイブ

哀れなことに、きょうは黒猫「くろん」と一匹・一人のお留守番です・・・
お互い睨み合って会話もなく、気まぐれで孤独な時間です。

ネコと違うのは、狭い家から飛びだして、自由に出かけることできる・・・
ネコと張り合ってどうするねん!!
そこで、冬装備をして海岸の散歩にでかけました。
目的は買ったばかりの一眼カメラのテストを兼ねてです。

外気はピリッとしてさわやかです。
家を出てすぐに見えるのが明石海峡大橋のたもとにある移情閣、中国革命の父、孫文の記念館です。



時折雪空に変わる空模様も、これまたときおり晴れ間が訪れます。



歩いて15分ほどで、マリンピア神戸・・・
ヨットハーバーも静かです
明石海峡は大荒れですからこんな日に海に出る気にはなれないと思います。



アウトレットの賑わいはいつもより少ないものの
きょうも遠方から沢山の人がやってきます。



この日の散策は、歩数計7500歩
定期券の期限も近づいてきたので、帰りは電車に。



寒くても、歩く時間はいいものです。
写真写りこんなもんでしょうか・・














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冬支度

2011年12月23日 | 思うところ
カッコつけても所詮貨物車はそれなりで、乗用車とは違います。

寒波襲来のニュースに車も冬装備に・・と、まず足元を冬用に変えました。
昨年下ろしたてのスタッドレスタイヤも2回目の出番を迎えます。
今年の春先、山陰の峠越えで大雪に遭遇しました。
ノーマルタイヤではとても無理なコースでした。

春先の雪に驚きましたが、さすがダンロップのスノータイヤは問題なく峠を超えさせてくれました。
まず足元を固めろ!の教えは健在です。

ことしもあっという間に年の瀬を迎え、いつもお世話になっているディーラーに無理をお願いしました。
乗用車とは違い、バンタイプの我が愛車は大変です。
アルミホイルでも結構重いのですが、鉄のホイールの雪用タイヤは、車に積む込むだけで大変な作業です。
今年の引っ越しでかなりオーバーワーク気味の年老いた体を実感しています。
筋肉痛もありこれまで難なくできたことが結構負担に感じるのですからタイヤ交換も人任せになってしまいます。

いつも親切にしてくれるディーラーのスタッフのお世話になりお陰さまで何とか車の冬支度が完了しました。
外はこの冬一番の冷え込みです・・・

安心は安全へつづく道です。何だかホッとした気持ちでこの冬を乗り切れそうです。
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秘蔵写真

2011年12月20日 | 思うところ
これまで十数台のデジタルカメラを使ったのですが、一夜で失望したものやお気に入りなど、ずいぶん楽しませてもらいました。

ある時期、それなりのカメラ愛好家だった証拠は暗室に機材をそろえ、すべて自前で写真に取り組んでいたことです。
転換期は何度かありましたが、カラープリントを自前でやるか、それとも・・の選択の時期など時代の変遷を感じる経験も多くありました。

その後も、一眼レフカメラを手放せず愛用していたのですが、ある時期デジタルカメラとうものが世に出てきました。
もの珍しさに早速買ったのですが、新鮮さは格別でしたが画質は解像度の悪いブラウン管テレビそのもので実用とは程遠いものでした。
今もその画像がデータとして残っていますが、驚くほどすごい画質です。

今年のカメラニュースに、各社のミラーレス一眼が出そろったという情報に、再び遊び心が頭をもたげてきました。
小さい一眼カメラに興味があったこともあり出かける度に、品定めをしていました。
ただ、一眼レフカメラから去った世捨て人ですから、今更カメラのスペックを講釈する身分でもなく、ただひっそりと遊ぶには何がいいか・・自分に向いている機種はどれかなど、この選択の時間がこれまた楽しいのです。

このところカメラ専門店は、大規模電気量販店になり街のカメラ屋さんがどんどん消えていきました。
便利なようでどこか寂しいのですが、ネットショップの通販も賑やかです、これも時代なのでしょう。
すこしばかりのこだわりですが、カメラはお店で顔を見ながら買いたい、昔からそうだったように・・・、というわけで、きょう大阪のカメラ屋さんに出かけ記念すべき一つを手に入れました。

ウキウキ気分で家に帰り、魚眼レンズやズームなど交換レンズを付け替えながら、あれやこれやと結構夜更かしをしてしまいました。
直感的に相性が良さそうなのは、私が最初に手にした同じブランドであることもまんざら無関係ではなさそうです。
被写体は当然ながら我がガラクタ部屋になりますが、コンパクトデジタルカメラでは味わえなかった感触を久々に味わっています。
おもちゃみたいなカメラを手に喜んでいる姿を誰かに見られるときっと子どもと同じなのでしょうね。

年金生活者を直撃する10万円コースの買い物ですが、眠っていた心にスイッチが入ると、この先あれもこれもと恐ろしい未来が待ち受けているのかもしれません。
そうなれば、猫の大好物の缶詰を一ランク下げてやろうかと企んでいます。
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