先日来密かに心に願っていたことは、昨年末までに四国霊場八十八ヶ所巡礼を終えることでした。
とはいっても最初の巡礼の旅が結願したのは2001年のことです。その年の暮れ高野山奥の院にお参りをすませめでたく一回目のお役目は果たしたことになります。
お遍路さんが右廻りするのは、僧侶は袈裟で左半身を被い右肩を露出すのは仏陀を敬う心からきているそうで、右肩を常に仏にむけることから聖なるものの周りは「右廻り」となるそうです。
出発は3月26日朝7時・・明石海峡大橋を渡ります。
初回のお遍路を済ませたとき、次回はご先祖様に出会えるという逆打ち・・つまり88番札所から順に1番までを廻るコースに挑みたいと思いスタートしたのは3年前のことでした。
その頃は機会を見つけ、途切れ途切れながら四国に出かけていたのですが、28番札所高知の大日寺から全く足を進める機会を逃してしまいました。
途中走行メータは44444kmに・・・
その頃からうるう年に逆打ちをすると、順打ち3回分のご利益や、お大師さまに会えるという言い伝えを聞いていました。
思いがけず今年2012年はそのうるう年にあたります。この日が我が9回目の結婚記念日ということもあり、記念にベトナム旅行を終えたのですが、今年こそ絶好の機会と感じ日ごろ怠けていた償いをしようと土佐から徳島の巡礼の旅に出かけました。
逆うちとは、逆に廻ってお大師様と会ったとう言い伝えによるのですが、逆打ちは「生まれ変われる」とか「死者に会える」ともいいます。でも最初からの逆うちは禁物でやはり何度か遍路してから逆打ちするのが一般的なようです。
今回も例外なく車での遍路でしたが、それでも半日かけて車を捨て「へんろ道」を歩きました。
第21番札所太龍寺への山道は急坂でかなり過酷でした。富士登山ほどではありませんが、お参りを済ませ下山途中すれ違った巡礼さんの息遣いは相当なものでした。初めて歩き遍路の過酷さを実感した思いです。
一度は歩き遍路をしてみたいと思っていましたが、そう簡単ではないと痛感です。
そもそも金剛杖は倒れた時の墓標となるもので、巡礼は白装束は死への備えの衣装です
ご先祖様に出会うという逆うちの巡礼でしたが、父の出身地である阿波徳島など所縁の地を歩くことができ、自分ながら満足のいく旅になりました。
不思議なことは、その日留守をしていた娘と同行していた家内が同じ時刻に夢のなかで母とであったそうです。私には現れなかったことが何を意味するか分かりませんが不思議な話でした。
3月というのに雪の中の峠を越え高知に入りましたが、土佐でも夜は0.8度まで冷え込みました。
寝袋一つの若者が今夜の宿は野宿です・・と語っていましたが、毎日宿坊に泊まると数十万円を軽く超える出費のお遍路さんは相当な負担となります。
何と言っても健脚でも40日、私の年齢なら60日位を覚悟しないといけません。
それより、金剛杖が実際に墓標になる覚悟も必要です。
今回山道を歩きながら分かったことは、歩けなくなるということは、死を意味するのだと痛切に感じたことでした。
阿波の霊場、1番札所霊山寺で最後の納経をすませたのは3月28日16時30分、無事にうるう年の逆打ちを終えたことに感謝しています。
とはいっても最初の巡礼の旅が結願したのは2001年のことです。その年の暮れ高野山奥の院にお参りをすませめでたく一回目のお役目は果たしたことになります。
お遍路さんが右廻りするのは、僧侶は袈裟で左半身を被い右肩を露出すのは仏陀を敬う心からきているそうで、右肩を常に仏にむけることから聖なるものの周りは「右廻り」となるそうです。
出発は3月26日朝7時・・明石海峡大橋を渡ります。
初回のお遍路を済ませたとき、次回はご先祖様に出会えるという逆打ち・・つまり88番札所から順に1番までを廻るコースに挑みたいと思いスタートしたのは3年前のことでした。
その頃は機会を見つけ、途切れ途切れながら四国に出かけていたのですが、28番札所高知の大日寺から全く足を進める機会を逃してしまいました。
途中走行メータは44444kmに・・・
その頃からうるう年に逆打ちをすると、順打ち3回分のご利益や、お大師さまに会えるという言い伝えを聞いていました。
思いがけず今年2012年はそのうるう年にあたります。この日が我が9回目の結婚記念日ということもあり、記念にベトナム旅行を終えたのですが、今年こそ絶好の機会と感じ日ごろ怠けていた償いをしようと土佐から徳島の巡礼の旅に出かけました。
逆うちとは、逆に廻ってお大師様と会ったとう言い伝えによるのですが、逆打ちは「生まれ変われる」とか「死者に会える」ともいいます。でも最初からの逆うちは禁物でやはり何度か遍路してから逆打ちするのが一般的なようです。
今回も例外なく車での遍路でしたが、それでも半日かけて車を捨て「へんろ道」を歩きました。
第21番札所太龍寺への山道は急坂でかなり過酷でした。富士登山ほどではありませんが、お参りを済ませ下山途中すれ違った巡礼さんの息遣いは相当なものでした。初めて歩き遍路の過酷さを実感した思いです。
一度は歩き遍路をしてみたいと思っていましたが、そう簡単ではないと痛感です。
そもそも金剛杖は倒れた時の墓標となるもので、巡礼は白装束は死への備えの衣装です
ご先祖様に出会うという逆うちの巡礼でしたが、父の出身地である阿波徳島など所縁の地を歩くことができ、自分ながら満足のいく旅になりました。
不思議なことは、その日留守をしていた娘と同行していた家内が同じ時刻に夢のなかで母とであったそうです。私には現れなかったことが何を意味するか分かりませんが不思議な話でした。
3月というのに雪の中の峠を越え高知に入りましたが、土佐でも夜は0.8度まで冷え込みました。
寝袋一つの若者が今夜の宿は野宿です・・と語っていましたが、毎日宿坊に泊まると数十万円を軽く超える出費のお遍路さんは相当な負担となります。
何と言っても健脚でも40日、私の年齢なら60日位を覚悟しないといけません。
それより、金剛杖が実際に墓標になる覚悟も必要です。
今回山道を歩きながら分かったことは、歩けなくなるということは、死を意味するのだと痛切に感じたことでした。
阿波の霊場、1番札所霊山寺で最後の納経をすませたのは3月28日16時30分、無事にうるう年の逆打ちを終えたことに感謝しています。