りょうさんの思う壺・・!

大ごと、小言ひっくるめ!
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逆うち

2012年03月29日 | 思うところ
先日来密かに心に願っていたことは、昨年末までに四国霊場八十八ヶ所巡礼を終えることでした。
とはいっても最初の巡礼の旅が結願したのは2001年のことです。その年の暮れ高野山奥の院にお参りをすませめでたく一回目のお役目は果たしたことになります。
お遍路さんが右廻りするのは、僧侶は袈裟で左半身を被い右肩を露出すのは仏陀を敬う心からきているそうで、右肩を常に仏にむけることから聖なるものの周りは「右廻り」となるそうです。
出発は3月26日朝7時・・明石海峡大橋を渡ります。



初回のお遍路を済ませたとき、次回はご先祖様に出会えるという逆打ち・・つまり88番札所から順に1番までを廻るコースに挑みたいと思いスタートしたのは3年前のことでした。
その頃は機会を見つけ、途切れ途切れながら四国に出かけていたのですが、28番札所高知の大日寺から全く足を進める機会を逃してしまいました。
途中走行メータは44444kmに・・・



その頃からうるう年に逆打ちをすると、順打ち3回分のご利益や、お大師さまに会えるという言い伝えを聞いていました。
思いがけず今年2012年はそのうるう年にあたります。この日が我が9回目の結婚記念日ということもあり、記念にベトナム旅行を終えたのですが、今年こそ絶好の機会と感じ日ごろ怠けていた償いをしようと土佐から徳島の巡礼の旅に出かけました。

逆うちとは、逆に廻ってお大師様と会ったとう言い伝えによるのですが、逆打ちは「生まれ変われる」とか「死者に会える」ともいいます。でも最初からの逆うちは禁物でやはり何度か遍路してから逆打ちするのが一般的なようです。



今回も例外なく車での遍路でしたが、それでも半日かけて車を捨て「へんろ道」を歩きました。
第21番札所太龍寺への山道は急坂でかなり過酷でした。富士登山ほどではありませんが、お参りを済ませ下山途中すれ違った巡礼さんの息遣いは相当なものでした。初めて歩き遍路の過酷さを実感した思いです。
一度は歩き遍路をしてみたいと思っていましたが、そう簡単ではないと痛感です。
そもそも金剛杖は倒れた時の墓標となるもので、巡礼は白装束は死への備えの衣装です

ご先祖様に出会うという逆うちの巡礼でしたが、父の出身地である阿波徳島など所縁の地を歩くことができ、自分ながら満足のいく旅になりました。
不思議なことは、その日留守をしていた娘と同行していた家内が同じ時刻に夢のなかで母とであったそうです。私には現れなかったことが何を意味するか分かりませんが不思議な話でした。



3月というのに雪の中の峠を越え高知に入りましたが、土佐でも夜は0.8度まで冷え込みました。
寝袋一つの若者が今夜の宿は野宿です・・と語っていましたが、毎日宿坊に泊まると数十万円を軽く超える出費のお遍路さんは相当な負担となります。
何と言っても健脚でも40日、私の年齢なら60日位を覚悟しないといけません。
それより、金剛杖が実際に墓標になる覚悟も必要です。
今回山道を歩きながら分かったことは、歩けなくなるということは、死を意味するのだと痛切に感じたことでした。



阿波の霊場、1番札所霊山寺で最後の納経をすませたのは3月28日16時30分、無事にうるう年の逆打ちを終えたことに感謝しています。

バイク野郎・ハノイ編

2012年03月15日 | 思うところ


ヒマを見つけながらのレポートですが、ベトナム・ハノイの旅行記ができWEBで公開の運びとなりました。
最近の旅日記は写真に少しにコメントを加える形式で実にずぼらなものです。
人に見せるというより、自分の記録という意味合いもあります。

皆さんから文章が長いから読む気がしないという賞賛?の意見もあるので、それもありか!という思いです。
そんなわけで読み物としては価値はありません。
ただ、ベトナムに興味のある方に少しばかり目を留めていただけるかもしれません。

http://www.hasegawa.in/overseas/vietnam/index.html

これをコピペしてご覧ください。

ハノイに限らずベトナムのバイク事情はその昔の中国の自転車事情のようにすさまじいものです。
バイクにドラム缶4個を積んで走る光景も見ました。
ダブルベッドを自転車に積んで走っている光景に度肝を抜かされました。
日本の友人はみんな嘘だと取り合いませんが・・・。

そして今回、現地のガイドさんからベトナムでは水牛もバイクで運ぶよ!と言われました。
それはないだろうと・・!で話が終わったのですが、街角で手に入れた絵はがきをみると、そんなこともあり得ると感じる一枚に出会い買ってまいりました。

いかがでしょうか・・・?

東日本震災大震災から1年

2012年03月11日 | 思うところ
ベトナムから無事に戻ってまいりました。
首都ハノイとホーチミン(旧サイゴン)とは1000キロほど離れているようですが、とにかく南北に長い国です。
今回のハノイへの旅は、4年に一度の結婚記念日を現地で迎えることと、再びハノイへ・・・と願いながら実現できなかった父の思いの代行でもあります。
現在酷寒で中断していますが、四国のお遍路の逆うちへ挑戦しているのですがこのきっかけも父母やは祖母が歩いた道のりをなぞってみたいという旅です。

日本から海路ハノイに入った父ですが、そのルートや寄港先の場所についてはよくわかりません。
しかし、海はまちがいなく続いていることもあり訪れたハロン湾に父の遺影を添えることにしました。
すでに70年の時間が経ちましたが、駆け込みの宿題を終えたような思いでもありました。



きょうは東日本大震災からちょうど1年を迎えます。
改めて犠牲となられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々にお見舞い申し上げます。
連日の報道でも追悼の番組や復興のつち音を伝える映像が伝えられています。

17年前の阪神大震災は、私自身その真っただ中にいました。
比較的被害の程度が軽微であったため、ボランティア活動の取りまとめとしてお手伝いすることになりました。
当時神戸からお隣の大阪に入るには、半日以上を要する神戸はまさに分断された陸の孤島でした。

これらのサポートのために大阪に入ることになりましたが、電車を使うと兵庫県の北部を経由して京都を回るルートでも早くて8時間、車は緊急車両優先でいつ目的地に着くか全く予想がつかない状況でした。
そこで車庫に眠っていたバイクを引き出し、急きょ整備し大阪に向かいました。
市内にはすでにガソリンもなく、片道切符でただ目的地にたどりつくことを願っての道のりでした。

道中、倒れた家が道路を消し去り、申し訳ないと詫びながらぺちゃんこになった瓦屋根をバイクで越え寒風の中を走りました。
ドミノ倒しのようにすべて同じ方向に倒れた家並みや、すべて燃え尽きた町に手を差し伸べることもできず、鼻水と涙でかすむ目を凝らしながらの大阪を目指したことが昨日のように思い出されます。

阪神大震災のニュースは、その後例の地下鉄サリン事件ですっかり忘れられたのですが、東日本大震災は連日欠かすことがないくらいあらゆる角度から支える力の報道に満ち、復興を支援する声が絶えません。
日本人の思いやりと底力を感じ頼もしい限りです。

やがて来る、南海、東南海地震に備えなければならない我が地方ですが、これらの教訓を学びながら過去の苦い経験を近い未来への備えにしたいと改めて誓う一年目の朝です。


ベトナム ドン

2012年03月02日 | 思うところ
ハロン湾のクルージングチームの8人の中に入りましたが、残り6人はハノイに帰ってすぐ空港に向かい帰国の途につきました。
そうなると、私たちだけはホテルに残され、翌日の便まで全く自由時間になります。

これが厄介な時間です・・・
昼間はホーチミン廟を見学し、ベトナムにとって偉大な指導者の功績を改めて知ることになりました。



きょうは博物館めぐりでもしたいと思っているのですが、野金曜日は閉館とか・・
街中を歩くにしても最近ひったくりなども増えているとか・・
そんな情報をどんどん提供してくれるのですが、最後には「気をつけてください!」
で勝手にしろです。

ベトナムでの旅人が困惑するのは買い物です。
ツアー旅行者が強制的に連れて行かれるみやげ物店は米ドルや円もOKですが、
街中はそうは行きません。
ベトナムの通貨で戸惑うのは、ゼロが一杯ついてくることです。



ペットボトルの水は、レストランでは1ドル街中では2本1ドル程度ですが、
ベトナムドンで払うと20000ドン位ですから、ちょっとしたものを買えば何十万ドンの単位になり面食らいます。
当然ながら両替したドンは円やドルに戻せないので原則使いきりになります。

ハノイ最後の日、空港までの時間町に放り出されます。
一度も手にしたことがなかったドンを持たなければ買い物もできません。
この加減がいまひとつつかめないのですが、夜の集合時間までバッグを離さず
歩く長い時間になりそうです。
本物のハノイの旅が始まるのかもしれません。

ハロン湾クルージング

2012年03月01日 | 思うところ
これまで、ほとんどが自由旅行のスタイルでした。
豪華な旅とは無縁だと思っていましたが、思い起こせば貴重な経験も多くさせていただきました。

数年前あるきっかけで利用した旅行会社のツアーに参加して以来、毎日のようにダイレクトメールが届くようになりました。
パンフレットを見ているだけで世界旅行が出来るくらい情報満載ですが、旅の醍醐味はやはり現地に行かなければ十分に味わえません。

今回も思い立ってツアーのお世話になったのですが、初めて利用する会社でこれまたすべてインターネットからの申し込みです。
保険も費用もすべてネット処理で、人に会ったのはハノイの空港で現地ガイドが初めての関係者でした。
空港でも機内でも誰が同行者なのか判らず、一昔ならこんな不安な旅は売れなかったことでしょう・・

この旅で特筆すべきことは、多くの大学生の卒業旅行と出会ったことです。
そのスタイルも実に様々で、一緒にディナーをとったり、道中就職の話に花が咲いたり・・・
予算ギリギリで食事も節約している様子に、差し入れをしたり・・

にぎやかな大阪のグループは「一緒に写真を撮ってください・・・僕らもその歳になったらそんな旅にあやかりたい!」
ちょっと気恥ずかしくなる申し入れでしたが、我々がこの世界から消滅しても彼らがその昔・・と、語ってくれることも悪くないなー・・と思いながら写真に収まりました。

ハロン湾の夕日はあいにくのお天気で出会えませんでしたが、たとえ短い時間でもハロン湾のクルージングでの出会いは貴重なものだったと感じました。

下船時にしっかり交わした握手は「いつか大阪で会いましょう・・」の挨拶とともに、彼らの未来にエールを贈る思いでした。