りょうさんの思う壺・・!

大ごと、小言ひっくるめ!
巷の話題も、私ごとも!
ひと息ついて、ご一緒ください!

常磐線の普通電車

2010年02月27日 | 思うところ
水戸へ行くなら、常磐線特急ひたちが便利です。
この特急を使えば上野から1時間少し、普通電車なら2時間少しかかります。
料金はといえば特急なら4000円を少し超え、普通車なら2000円程度です。
曖昧な運賃表示はこの路線は季節によって運賃が異なるからです。

先日の一人旅は上野から水戸まで各停を利用してのんびり旅をしました・・・
通勤時間帯でなかった事もあり、ガラガラの車内はとても首都圏の交通機関と思えないほどでした。

さて今回はMasacoさんが同行・・・各停で水戸まで行こうと誘うと「賛成!!でもグりーン車で・・・」と言うことで大奮発して二階建てのピカピカの車両に乗り込みました。

関西圏のJR西日本では、随分前からグリーン車がありません。
この事情は色々あるようですが、座席に格差をつけるより、運行時間短縮を進め私鉄客を奪い取れという思惑があったからです。
この究極が例の福知山線の脱線事故を生じさせたとも言えます。

あの事故が発生するまでは、車掌はヒステリックで駆け込み乗車があれば「今、○号車で駆け込み乗車がありました・・・」のように、まるで乗客をなじるようなアナウンスを平気でやり、不愉快を超えた異常な雰囲気でした。
それまでは乗客の動きを見ながらドアを閉めていた車掌が、時計とにらめっこで、時間になると有無を言わさずドアを閉めるようになりました。
危険極まりない行為ですが、ドアに引っかかる客があれば車内アナウンスでののしる訳です。

メリットは当然あります・・運行時間は実に正確で、複々線ですから新快速と普通電車の接続は同じ駅の向かい合ったホームに入り乗り換えは数秒で住みます。
まるで呼吸をあわせたように同時間にホームに滑り込むという妙技は自慢だったのです。
複々線の強みは絶大で、並行して走る阪神や阪急電車は束になってもかなわない競合路線でした。
大阪神戸間をわずか19分で結び、京都に行くにも新幹線など使う必要がないくらい速い電車が運行されていた区間です。

あの事故以来、JR西日本の時計は逆戻りしました。大阪神戸間の所要時間は21分に戻り、車掌も乗客をののしらなくなり、少々のダイヤの乱れなど気にしない雰囲気に突然変わりました。

もしこの新快速が常磐線を走れば、普通料金だけで水戸まで50分はかからないでしょう。
もちろんJR東日本は死んでもやらないことですが、その反面常磐線の特急を使うとよく分かるのは、ドル箱路線を維持することを最優先していることがよくわかります。
あのわずかの距離で、普通電車は特急を2本見送るのですから、特急に乗らなければ・・・という心理をわき起こします・・うまい作戦です。

今回ゆっくり車窓の景色を楽しみながら水戸まで行くという思惑は正解だったものの、2時間の行程では取手までに外は真っ暗になりました。
もっと残念なことは、せっかくの2階建て車両の窓が空間を大きくとるためか曲面になっており、車内の照明がガラスに乱反射してまったく外の灯りが見えないことでした。
車両のデザイン優先も大事ですが、外の景色くらい見やすい設計にしてよ・・・と感じたものです。
常磐線はだまって眠ていろと言うことかもしれませんが、のどかな田園地帯の景色に感動する人も多いはずです。
電車の旅はそれぞれの路線に特徴があり、褒めるのもよし・・けなすのも良し・・結構楽しい発見があるものです。

条件運航

2010年02月26日 | 思うところ
飛行機ネタが続きますが・・・
午前中に銀座にある関西系の大手私鉄の東京支社を訪ねたいと思い、神戸空港を9時過ぎにでる便を予約しました。
いつもの通り早めに空港のラウンジでコーヒーを頂き、新聞各紙に目を通し搭乗するのですが、ゲートに向かうと何だか様子が異なります。
アナウンスに耳を傾けると、どうも羽田空港が濃霧のため閉鎖状態とか・・・・

なんども同じ内容のアナウンス続き、その都度出発時間が繰り下げられ、ついに10時半を過ぎてしまいました。
鳴く子と天気には勝てん!というのでしょうか、そのうち条件運航になるとのアナウンス・・・
羽田上空について着陸が困難なら神戸に引き返す!それで良ければ乗って・・!となりました。
それは勘弁してよ!と言いたいところですが、羽田便では珍しいことでそれも良いか・・と天候に身を任すことにしました。

新幹線ならそろそろ東京に着く頃です。雪が降れば米原付近で徐行運転になる新幹線ですが、途中で引き返すことはありません。
アラスカのアンカレッジ空港で8時間、北京で6時間、先日の関空でも4時間待たされた事がありますが、旅にはこんなことはつきものです。

結局神戸空港で2時間半の待機でしたが、お昼までの予定が狂った以外はそう大きな問題もなく無事に羽田につきました。

疑わしきは罰す!

2010年02月24日 | 思うところ
飛行機利用者にとって最近特に厳しく制限を受けるものが、機内持ち込み手荷物サイズと、電子機器の使用制限です。

電子機器の使用制限は航空法に基づき・・というおふれですから無視することはできませんが、電子機器がそんなに危険なものかと考える一瞬です。
私も無線関係のハードと無縁ではないので、まんざら無知ではないと思うのですが「疑わしきは罰する・・」という姿勢が支配している以上、安全を唱えるには明確なデータを示さなければなりません。

なぜ飛行機内で電子機器が使えないのかと言うと、乗客が持つ電子機器から微弱電波が輻射されており、場合によって(この場合が謎なのです・・・)これが電磁波干渉となって航空機に搭載された航法用電子機器に影響を及ぼす可能性があるということです。

この結論は社会的関心を集めていますが、現時点ではこれらの機器が実際にどの程度の影響を与えているのかを示す具体的データは皆無ではありませんがそう多くありません。
ここに疑わしきは罰す!原則が生まれるわけです。

電車に乗ると優先座席付近での携帯電話の使用制限が繰り返しアナウンスされています。
その理由に心臓ペースメーカー使用者への影響があげられていますが、これについてはすべて検証を終え、全く問題のない使い方も判っています。
もしろ電子機器の問題より利用者のマナー遵守の意味合いが高くなっているようです。
もちろん新しい電子機器が次々誕生する現代社会ではいちいち確認できないのですべてアウトの扱いになるわけでしょう・・・。

航空機内でゲーム機や携帯電話など電子機器の規制強化の背景は、機内で法律に触れる使用が増加していることだけでなく運行計器に異常をきたす事例が比例していることが明らかになったことから起こっています。
また、法律が想定していなかった無線LAN機能を備えたゲーム機などが増加したことへの予防策でもあるようです。

過去に起こった電子機器の使用が原因で影響が出たと推測されるケースでは無線のノイズ程度から、衝突防止装置が誤作動して回避指示が発せられたり、自動操縦で上昇中に機体が急に横方向に傾いた、また自動操縦装置で水平飛行中に高度が設定値より大きくずれた、着陸進入時に自動操縦装置の表示が大きくずれて元に戻らなくなった・・・などなど恐い事例があり、その主な犯人が携帯電話だと言われています。

ただこれらの現象に対する調査はすべての航空機で検証したわけでもなく、定量的な数値が得られたわけでもなく、それしか考えられないという根拠が主なところですから「疑わしきは罰する・・」対応になります。

規制する側は使用規制の対象となる電子機器をさらに増やすよう提言しており、一般乗客は携帯電話は我慢できても、パソコンや音楽プレイヤー、カメラ程度の電子機器の使用にもっと寛大であるべきという声が大きくなっているのも事実です。

飛行機では機長に法令違反者の拘束や降機命令といった強い権限が与えられています。
機内での喫煙や暴力、乗務員の業務の妨害、シートベルトの不着用などと併せ、電波を発する電子機器などの使用を「安全阻害行為等」として制限されています。

とにかく出発空港でドアが閉まってから、到着空港でドアが開くまでが制限を受ける時間ですが、私が乗るスカイマークはドアが閉まらなくても結構うるさく注意されます。
機内に入ると携帯電話は使いませんが、写真が大好きな私としては、せめてデジカメくらいは使わせてよ!!!といつも思います。

デジカメを使ってだけで制御できないような飛行機を作るメーカーが今の時代にあることも不思議でなりません

浄瑠璃寺

2010年02月23日 | 思うところ
随分前になりますが、浄瑠璃寺の参拝を目指したのですが時間切れで断念したことがあります。
岩船寺からわずかな距離なのですが、釣瓶落としといわれる秋の夕暮れ時だったように思います。

せっかく岩船寺まできたのですから、当然のことながら浄瑠璃寺に向かうことにしました。
境内に入るとあいにくこの期間は、藤原時代の国宝、浄瑠璃寺三重塔が修復中で全体がテントで覆われ見ることができません。
浄瑠璃寺三重塔は、平安時代に京都一条大宮から移されてきたのだそうです。
振り返ると浄瑠璃寺本堂である九体阿弥陀堂が見えますが、この様式も現在残っているただ一つのものです。

本堂に入ると九体阿弥陀仏が迎えてくれます・・・
実にすごい波動を感じる阿弥陀仏ですが、写真はご法度!
中央の釈迦如来像はこの寺のご本尊で、九体阿弥陀仏よりさらに歴史を重ねています。
仏像の講釈ができるほど勉強しているわけではありませんが、この寺の仏像はひと目見ただけでも深みがちがいます。

お気に入りの九体阿弥陀仏の額縁よう写真を一枚お受けしてきょうの記念にしました。
平城遷都1300年祭などを含め、奈良の史跡を訪ねるには時間がいくらあっても足りません。

岩船寺

2010年02月22日 | 思うところ
加茂の三塔と呼ばれる三重塔を持つ名刹がこの町の周辺に三箇所あります。
恭仁恭遺跡から向かったのが岩船寺です。
京都府木津川市加茂町にある真言律宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。開基は行基と伝えられています。

JR加茂駅から車で20分あまりの所ですが、参道を歩くと「関西花の寺霊場第15番札所」という看板が山門に出会います。
その名のとおり「アジサイ寺」とも呼ばれる紫陽花の花で有名です。
境内には三重塔や十三重石塔、五輪塔、石室があり、本堂には木造阿弥陀如来坐像が安置され、安らぎのひと時になりました。

岩船寺の周辺は野菜の無人販売所がたくさんあります。生の野菜だけでなく自家製の漬物も売られ無人販売所も多く見られます。
ビニール袋に入れられた色々な種類の漬物が一袋100円で吊り下げられています。

鉄道とバスを乗り継いで歩くのも良し、都会の喧騒を離れ自分を見つめなおす時間に最適の場所ではないでしょうか・・・・

幻の都「恭仁京」

2010年02月22日 | 思うところ
今年4月から約半年間にわたって繰り広げられる「平城遷都1300年祭」の会場を通り、京都山城国史跡「恭仁京大極殿跡と山城国分寺跡」に立ち寄りました。

恭仁京って、お馴染みでない方にはちょっと難解な読み方です。
正解は「くにきょう」と言って、奈良時代に聖武天皇によって造られたれっきとした都のことです。
隣接する恭仁小学校は古式建築の木造校舎で、この裏庭にあたる跡地が大極殿跡の広場になっています。
休日にも関わらず誰も居ない静寂な田園地帯ですが、大極殿跡を含めた山城国分寺跡はかなり広い場所です。
とは言っても、広場には大極殿跡の基壇や恭仁宮放棄後の国分寺の金堂の大きな基礎石が残っているだけで平城や平安と比べると狭い山中というイメージです。
不思議な思いはのどかな田園風景が広がるこの地に日本の都があっったとは信じられないくらいです。

現在は京都府木津川市となっていますが、何でこんなところに都があったのか不思議に思います。
天平12年、西暦740年12月15日に、聖武天皇が「恭仁宮に幸す」と宣言して平城京(奈良市)からこの地に遷都し、恭仁宮と呼ばれました。(加茂町教育委員会記述)

聖武天皇が恭仁京に遷都した理由はいまだ明らかにされていませんが、一説によるとこの頃はたびたび疫病や戦乱に見舞われ、世情も不安定だったようで、こうした事態を打開したかったのか聖武天皇は、奈良の平城京を離れ、各地を転々とした後この年に現在の加茂町瓶原の地を新都を定めました。
しかし、恭仁京の命は天平16年(744)までのわずか4年あまりで廃都されてしまいました。
その後、宮域は大極殿を中心に、山城国分寺として再利用され、山城国分寺跡は、恭仁宮の大極殿をそのまま用いた金堂跡を中心に南北3町(約330m)、東西2町半(約275m)の広大な寺域をもつ寺となりました。

ついでとは言え、この山城国分寺跡(恭仁宮跡)を訪ね、今もそのまま残る金堂跡(大極殿跡)に立ち、悠久の歴史に触れることができ、ちょっといい時間を頂きました。
この春から盛大に行われる平城遷都1300年祭のホームページでも「はじまりの奈良、めぐる感動」をテーマに掲げ日本の始まりを強く意識しているようです。

都が置かれ文化と政治の舞台となった地が関西のほとんどの県にあります。
奥深い日本の歴史の道をいつでも歩ける幸せを感じます。

車が結ぶご縁

2010年02月21日 | 思うところ
一台の車がご縁となってお付き合いが始まった人の輪があります。
それは世界で一番コンパクトなキャンピングカーが結んだご縁です・・・
昨年、長距離走行が多くなったため少しパワーが欲しいと思い仲間には相談する時間もなく買い替えすることになりました。
少し不義理をしているようで気にかかっていたものの、定期的な集まりにも日程が合わずそのままになっていました。

この集まりは、みなさんキャンピングカーのオーナーと言うこともあり泊りがけで各地から集まってきます。
夜は自慢の料理を囲んで情報交換の時間になります!
今回はこの土日に当たりましたが、あいにく土曜日は夜の会合があり断念・・・
幸いきょうの日曜日に時間が取れたので当然の乱入を試み朝自宅を出ました。
行き先は京都府木津川沿いにある河川敷のキャンプ場です。
我が家から2時間少しの行程です!

とにかく温かくて最高のお天気で気持ちの良いドライブ日よりでした。
何の前触れも無く突然顔を出したのですが、久しぶりに皆さんに出会い日ごろのご無沙汰をお詫びし再会を果たすことができました。
来月の集まりには参加できるかはなはだ疑問ですが、時間は上手く作るもの・・大事な時間を忘れることなく今後もいいお付き合いを続けたいと思っています。

高藤大樹くん

2010年02月19日 | 思うところ
紅白歌合戦に初出場した「flumpool」というグループがあります。
何度聞いても覚えられなくてフラフープかいな?と顰蹙を買うおっさん発言をして「なんでやねん!」と突っ込みを受けます・・
でも最近はきちんとフランプールと呼べるようになりました。
その理由は、彼らがデビューする前からピアノの奏者としてまたコーディネーターとしてサポートしてきた「高藤大樹」先生の結婚式が機会でした。
先生とは呼んでないのでいつものように大樹君と言いますが、彼とは3年ばかり前に出会いお付き合いを続けています。

音楽を生業とする多くのミュージシャンとも出会いますが、彼は実に誠実で聡明な頭脳の持ち主です。
それは音楽に関する場面の随所にその生き方が聴こえることからよく判ります。
長く付き合えるタイプの好青年ですから、先日彼の結婚式の司会を・・と言われた時は断る口実などありません。
Masacoさんとラジオ調で・・そんなん無理やろ!といいながら喜んで努めさせてもらいました。

当然この披露宴ではそのフラフープじゃなくてflumpoolの面々も全員出席し兄貴分の大樹君の門出を賑やかに祝いました。
flumpoolヴォーカルの山村隆太君のソロも感動的で、さすが大阪出身・・と拍手を送り、豪華な披露宴に司会も忘れ喜んでいました。
この様子はフランプールのブログにも紹介され、大樹君のブログもファンの祝福の書き込みであふれています。

そんな余韻が残った数日後、彼の新居に伺いました。
都内の下町の雰囲気がぷんぷんする町並みを進み駅からの道は結構大好きな通りです。
ここが新居か・・・と感心しながらピカピカの床にそっと足を乗せました。

出会いというものは不思議なものです。
毎日のように多くの人に出会いますが、長いつきあいになる予感を感じる出会いは嬉しいものです・・・
音楽業界もそう安泰であり続けることは難しいかもしれません。
そんな中で、真贋の目利きのできる彼の先見性で新たな音楽界のリーダーとして活躍してもらいたいと陰ながら祈っています。

東京タワー

2010年02月15日 | 思うところ
東京タワーは久しぶりです・・・
夜の東京タワーは、タクシー移動のときなどにただ眺めるだけですが、展望台から夜景をみるのは本当に久しぶりです。

明るい時間はラジオのゲストとしてこれまでお招きしたアーティストの皆さんと表参道ヒルズで昼食会を開催しました。
言わば番組の仲良しグループですが、皆さんとても素敵な女性たちで大いに話がはずみました。
可愛い赤ちゃん連れも含め、今年の始動開始のタイミングなど皆さんそれぞれの思いが聞けました。
同窓会みたいな集まりですが、皆さん急がしい身ですからお昼間に全員集合と言うわけにはいきません。
その後お昼組と別れて、この時間に来られなかったチームと合流するために私が銀座に移動することにしましたが、これまた楽しい時間でした。

これらを終えて水戸に向かう予定でしたが、東京タワーでシンガーソングライターの松本英子さんがライブをしているということで訪ねることになりました。
そんな話をしたら食事をしていたシンガーソングライターの千宝美さんと、しらいしりょうこさんが行くならよろしく言っておいてとのこと・・・良く知っているとのことで驚きながらも一路東京タワーへ・・・

松本英子さんは秋田市出身で1999年に「涙のチカラ」でデビューし、その年福山雅治さんのプロデュース曲「Squall」がヒットしたアーティストです。
おしゃべりはラジオのレギュラーを持つだけに聞かせる語り口調で、なかなか素敵な実力者です。

東京タワーは休日でもあり、また夜にもかかわらずいっぱいの人出でにぎわっていました。
東京タワーでの滞空時間は短いものの、好天気に恵まれた素晴らしい夜景を眺め挨拶もそこそこに今度は上野に向かいました。
駆け込むように常磐線のスーパーひたちに乗り込み一路水戸に・・・

いやはや我ながらハードなスケジュールですが、きょうは充実した一日でした。

神前式

2010年02月15日 | 思うところ
最近結婚式に招かれると、ホテルの片隅に作られた「にわか作り・・」いや、本悪的なチャペルに案内される機会が多くなりました。
賛美歌を歌い、鐘の音に送られフラワーシャワーとかライスシャワーとかの祝福セットでみんなが二人の門出を祝うのですから人気があるのでしょう!
それはそれとして日本は世界で類を見ないくらい結婚式のスタイルが多様化して、外国人にとって理解できない国のようです。
日本人がもともと宗教観が希薄と言われるのは、「イワシの頭も信心から・・」にあるように信仰の対象が実に身近な生活に結びついた「ココロ」に帰属ずる習慣が根底にあるのかも知れません。

ただ問題なのことは海外に留学に行った学生が外国の友人から「君の宗教はなにか?」と聞かれた時に「ありません・・」と答える若者が多ということです。
日本では特別不思議な話ではないようですが、海外では宗教を持たないと言うこと自体亜大きな問題で人間ではないと思われるくらい疑わしい人間の部類に入れられる恐れがあります。それだけ重要な話題です。

親切な友人なら「お葬式も宗教は無関係なの?」と聞き、そこでお寺の坊さんが来ると言えば「なんだ仏教徒じゃないか・・」となるわけです。
そんな日本の若者も、生まれてすぐ神社にお宮参りに行き、法事にはお坊さんが来て、クリスマスは飾り付けをしお祝いをして、バレンタインデーにはチョコレートを配り、お正月には初詣に行き、お葬式になると再び坊さんが登場し集結させる・・・・ときちんと記憶に残っているのです。
これが宗教的に考えると地球上で最も不思議な国家を作っていると言われる日本のゆえんです。
しかし、この節操のなさが今日の日本の繁栄をつくった要因だと言われているのも事実です。

地球上には歴史上の戦いの遺恨や民族間の宗教上の対立などを引きずり、現在も解決の道が探れず苦しんでいる国家がいかに多いことか・・
日本は世界を敵に回したあの大きな太平洋戦争を経験し、鬼畜・・と命をかけて憎み、ののしった相手国とわずか数十年もかけず仲良くし繁栄を享受したきわめて珍しい国家です。

話が完全に本論から逸れてしまいましたが、この日は目黒雅叙園で若いミュージシャンの結婚式です。私の役目は司会役!
ラジオの相方Masacoさんのバックを引き受けてくれているピアノの高藤大樹くんと真希子さんのおめでたい披露宴の席です。

私にとっては久しぶりにアシスタント役としてMasacoさんが参加して二人体制のラジオ風に・・というリクエストでした。
とにかく新郎側はミュージシャンばかり・・・当然にぎやかな披露宴になりました。
新郎大樹くんは、紅白出場のフランプールの結成前からキーボーディストとして指導的役割で参加しています・・テレビでもよく見かけるイケメンアーティストです。

またまた話が逸れましたが、二人からこの日挙式に出て欲しいと連絡を受け早めに会場に入りましたがそこは神前式の式場でした。
そういえば神前での挙式に参加するのは実に久しぶりの感じがします。
色打ち掛けと紋服の二人の晴れ姿をみながら、何だか自分の身内の祝い事のような新鮮な思いで二人の姿を見ていました。
時代を先取りするように果敢に最新の楽曲作りに挑戦する若者が、日本の伝統的な挙式にこだわり未来と愛を神前で誓うというその気持に感動したものです。

披露宴では彼がプロデュースするアーティストと共演したり、プランプールのヴォーカル山村くんのソロなど、」まるでディナーショのような豪華な宴となりました。
その門出の手伝いができたことは大いに満足できる一日であり2次会を含め遅くまで幸せな時間をともにしました。

蒟蒻

2010年02月11日 | 思うところ
婚約の話しではありません、蒟蒻のお話しです!
先日の蕎麦打ちで、ラジオの相方Masacoさんが初めてみたグロテスク?な塊りが「こんにゃく芋」でした。

お世話になった東海村の根本さん宅で、応援に来てくださった親戚の方がこんにゃく作りの名人と聞いて興味をもったMasaco嬢が「蒟蒻ってどうやってできるの?」から話題が弾みました。
さすがラジオ人何でも興味を持つのはいい心がけだと思いながら、内心はそんなことも知らんの?と冷ややかでした。
でもそこは親切な方ばかり「今なら5年ものの蒟蒻芋があるよ・・」と綺麗な座敷に持ってきてくれたのが蒟蒻芋の現物でした。

Masaco嬢には袋田の滝やその周辺に行った時、このあたりは蒟蒻の産地だよ!ときちんと告げています。
もちろん本人も美味しそうな蒟蒻を買って「おかあさんに送る・・」でしたから蒟蒻が芋からできることくらい知っていると思っていたわけです。
ところがところが・・・

こんにゃくは昔から「身体の砂おろし」という表現で語り継がれている食品です。カロリーが低くて、たんぱく質、食物繊維が豊富でしかも家庭でも簡単に作ることが出来ます。
ダイエット食品の筆頭格のこんにゃくは一つのイモからびっくりするくらい多くの蒟蒻ができます。ほとんどは水分ですがこんなに増えるの・・と驚くほどです。
家庭でもできるように「こんにゃくの素」という凝固材も売られているようで現物を見せてもらいました。

蒟蒻芋の生育や収穫など蒟蒻談義が進みましたが、相変わらずMasacoさん「これが蒟蒻のもとなん・・・・?知らんかったわ!」の連発
蕎麦が水一滴も使わずに練りあがる様子や、こんにゃく芋をきれいに洗い摩り下ろして・・・などレシピーを聞いて、茨城の名産が手間隙かけて出来上がることを実感したようです。

嫁入り前(こんにゃく前・・・)の修行になったか判りませんが、スーパーに行けば何でも揃うという危ない発想にならないように教えられた貴重な蒟蒻つくり授業になりました!

Kiss-FM粉飾疑惑

2010年02月11日 | 思うところ
平成2年10月1日「兵庫エフエムラジオ放送株式会社」として開局した独立系のFM局、「KISS-FM KOBE」は、兵庫県内を地盤とするFMラジオ局で、兵庫県・大阪府全地域及びその周辺計約570万世帯1,300万人を聴取エリアとしています。
出資者は兵庫県や神戸、姫路、尼崎市なども出資している人気FM局でした。

開局以来、独立系FM局」としてほぼ100%自主制作を行っていましたが、独立運営を維持できず、ついにTFM系ネット傘下入りを決定し、2003年4月をもって100%自主制作路線に幕を下ろしました。
昨年あたりからこの局の噂にろくなものが無く、給与の遅配どころか出演者のギャラさえも支払っていないという最悪の話ばかりが横行していました。

そのKiss-FM Kobeのきょうのニュースがタイトルにある「Kiss-FM粉飾疑惑 社長「旧経営陣を提訴」」でした。

神戸新聞の報道によると
・・・・・・・・・・・・・・・
Kiss-FM粉飾疑惑 社長「旧経営陣を提訴」 

 2007~08年度の売上高を約6億円粉飾した疑いがあるFMラジオ局「Kiss-FM KOBE」(神戸市中央区波止場町、キッス社)の城田渉社長(54)が10日午前、会見して疑惑を正式に認め、今月中にも旧経営陣に対して損害賠償を求めて提訴する方針を明らかにした。
 城田社長は、経営難が深刻化していることについて「早い解決が必要だ。(損害賠償請求)訴訟は起こす」と明言。弁護士と相談の上、平沢正博前社長と当時の常勤取締役3人(うち2人は現職)の計4人を相手取って今月中にも提訴する、とした。
 旧経営陣に対して「特別背任にあたるのは間違いないと、私自身は思っている」と述べた。
社員の中に解任の動きがあることについては「真摯に受け止めるが、従業員にも一定の責任はあるだろう」とした。
・・・・・・・・・・・・・・・・

こんなニュースについに来る日が来たか、の思いがあります。
昨年12月に就任したばかりの城田社長が神戸新聞に答えた内容は、同社が架空の売り上げを記載するなどして粉飾を行い。
2007年度は売上高約10億円のうち2億円、08年度には同約13億円のうち約4億円が水増しされていたということです。

問題はこうした虚偽の決算を基に、同社が金融機関などから約1億5千万円の融資を受けていたことだけでなく、放送事業を許認可する総務省や株主総会にも虚偽の報告をしていたことは大きな社会問題です。

KISS FMは1992年からダイエーが事実上の親会社となり私の友人も役員をしていましたが、そりが合わずに辞任、その後ダイエー自体の経営危機・経済再生機構入りがあり、これがKissの経営危機の始まりでありJFN入りを決心したとも言われています。

ところがどっこい!すぐお隣の大阪にはFM大阪があり、元々JFN加入局です。エリア競合が激しいなかで、同じネット番組を引き受けてはリスナーから見放されるのは当然です。

また神戸には、ラジオ関西という音楽に強みを発揮する老舗AMラジオ局があります。
地元の強力なメディアである神戸新聞社も出資関係の問題で、阪神・淡路大震災を契機にKISS FMから撤退していることもあり、元々スポンサー出資が弱い兵庫県でもあり慢性的なスポンサー不足を生じ苦戦が続いていました。

ただ公共放送としてのラジオ局には社会的責任があります。
当然監督官庁でもある放送事業を許認可する総務省近畿総合通信局は、電波法に基づき決算書などの事実確認をKISS FMに要請する方針を示し、社幹部から事情聴取し虚偽報告の経緯などを聴くということです。

ラジオ局の凋落傾向は顕著です。スポンサーが獲得できない以上存続は困難です。
しかし無くす事はできません!
1995年に発生した阪神大震災では、ほぼ24時間態勢で食料配給予定などの生活情報を発信した価値ある神戸のFM局です。
この局の再生と行方を古くからのリスナーは興味深く見守っているはずです。




大僧正のご葬儀

2010年02月10日 | 思うところ
にわか遍路の端くれとして四国八十八ヶ所の巡礼を終え、生きながらえ無事に死の国の道中を歩くことができた報告とお礼のお納めが「結願」という巡礼最後の旅となります。
間もなく2回目の巡礼を終えると再び訪れるその聖地が高野山奥の院です。

世界中のホテルやレストランの格付などで知られるミシュランが、日本観光版として三ツ星に選んだその地の一つに高野山があります。
基準はあくまでも、フランス人が訪れたくなる場所ということですが、私から見ても妥当な選択だと感じます。

高尾山は、日本人から観ると必ずしもお手軽な観光地とは言えないかもしれませんが、ことフランス人にとっては魅力的な観光地です。
それは大都市に近いにもかかわらず雄大な自然が広がり、山上から富士山もよく見える・・・そんなところに限りない魅力があるのでしょう!

私にとって高野山は、観光地ではなく聖地であり心が洗われるようなピリッとした感覚の場所です。
これは外国人も同じように感じるようですが、俗世間から離れ神秘的な時間の中にたたずんでいる実感が得られるかけがいの無い地です。

奥の院の参道にはおびただしいくらいの古びた墓標がならび、その中に歴史上の著名な人物の名前を発見し、ときめく時間がもてることは正に現代版タイムトンネルの中にいるようです。
全山が静寂に包まれ、ここだけは別の時間がただただゆっくりと流れている実感を持つ瞬間です。
そんな高野山ですが、時には遠来の友人を案内し私がガイド役をすることもあります。

さて、きょうの高野山はある塔頭のご住職の葬儀に参列するためです。
塔頭(たっちゅう)という言葉はあまりお馴染みでないかもしれません。
お寺といえば一つの建造物を思い浮かべその敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と言って、高野山全体がお寺です。
高野山全体を総本山金剛峯寺に見立て、山内にある小院を塔頭と呼びその数は117ヶ寺あります。

そのひとつの寺院のご住職の葬儀でしたが、私と直接お付き合いがあるのはそのご子息です。
彼は現在、高野山町の町長として活躍し親しくさせていただいていますが、先日跡取りの結婚式に出席し嬉しいご挨拶をしたばかりでした。
年が明けて最初の再会がきょうの葬儀となりました。

お寺の住職の葬儀に参列した経験もありますが、葬儀の規模ではなく今回のように並み居る高僧が斉唱する読経のハーモニーの素晴らしさに葬儀を忘れて思わず聞き入ってしまいました。

日本の伝統音楽の一つ声明(しょうみょう)がありますが、これは仏典に節をつけたもので儀礼に用いられる宗教音楽です。
ステージ上で若い僧侶のコーラス隊がが声明を唱えるのを聞いたことがありますが、そんなレベルを超えた実践の読経・・・年輪をかさねた高齢の僧侶の大読経に感動し心打たれました。
意図的にハーモニーをつけているとは思えないのですが、なんと表現したらいいのか戸惑うくらいです。
実に素晴らしい人間のなせる極限の斉唱だと聞き入ってしまいました。
久しぶりに俗人の仲間に出会えたり、和歌山県知事とも再会のご挨拶ができました。

葬儀を終えて駐車場に向かう途中、観光に来ていたご婦人から「きょうは何かのお祭りですか?たくさんお坊さんが集まっているので・・」と質問されました。

高野山にしては珍しく暖かい日になりました。
お送りさせていただいた大僧正さまのご冥福を心からお祈りし帰路につきました。


映画「おとうと」

2010年02月09日 | 思うところ
映画を観るなら何と言っても水戸駅南のシネプレックス水戸です!
休日でも満席にならず、たとえ名作であってもほぼ希望の席に座れ直前に飛び込んでもゆっくり鑑賞することができます。
これは心配なことなのですがきょうはこのお話ではありません・・・

さて、先日この映画館で久しぶりに映画のハシゴをしました。
その一つが山田洋二監督作品の「おとうと」です。
この映画は、前宣伝を聞いても特に見たいと思って行った訳ではありませんでした。
吉永小百合と笑福亭鶴瓶の姉弟の取り合わせが余りにも奇妙で、そこに興味があったのが鑑賞のきっかけでした。

物語は、東京の郊外で夫を亡くし小さな薬局を営みながら一人娘を育ててきた姉と大阪で何ひとつ成し遂げないまま歳を重ねてしまった弟が、小春の結婚式に現れるところから奇想天外な展開をみせます。

誠実に生きてきた姉、吉永小百合が演じる吟子さんの何と素晴らしいことか!
大阪で問題ばかりを起こしてきた弟、笑福亭鶴瓶の鉄郎の心の中と、その駆け込み寺のような姉の心を映しながら、再会と別れの描写が映画としての質の高さを示しています。
ドラマの展開の前に自然に涙があふれる場面も多くあります。

どこの家族や親戚にも一族の中には一人くらい変な身内が居るものです。
我が家の場合は私ですが、こんな話をすると大抵の人が身内の誰かを思い浮かべ「そうそう・・」という人も多く、否定する人にあまり出会ったことがありません。

私が過去に担当した披露宴の席でも、一人の問題親族(うるさいおじさんが多いのですが・・)の為に大変な事態に至ったことが結構あります。
酔っ払って新婦の友人の振り袖を引きちぎった、新郎のおじさん。
再婚だった新婦をののしって離婚に追い込んだ新郎のおじさん・・・
本家の自分に相談が無かったと暴れたおじさん・・etc
みんなお酒とおじさんが作ったドラマでした。

じゃあ、おばさんは大人しいかと言うとそうでもありません。
これは水面下でジメジメと動き始めるのである意味では慢性疾患のように厄介なものです。
とにかく色々あるのは当然でしょうが、そこは一族のよさでしょうか・・・
どんな問題のおじさんでも、家族の中でまた一族の手で上手に生かされてきたようです。

映画の中の「おとうと」笑福亭鶴瓶の鉄郎さんは、以前も姉の吉永小百合の吟子さんの夫の十三回忌で酔っ払い大暴れしました。
突然現れた姪の小春ちゃんの結婚式では一滴も飲まないと約束するのですがが、目の前の酒をこっそり飲んだことから酔っぱらって大騒ぎ、披露宴を台無しにしてしまいます。
身内は激怒するのですが、鉄郎をかばうのは姉の吟子さんだけ!
その吟子さんもある出来事がきっかけで、鉄郎に絶縁を言い渡してしまうのですが・・・

兄弟姉妹って何だろう・・・家族って・・絆って・・判りきったことなのに何か不思議な思いを感じた名作でした。
この映画を支えたのは何と言っても、吟子さんでも鉄郎さんでもなく何と言っても蒼井優さんが演じる娘の小春ちゃんです。
大阪の将棋の勝負師「坂田三吉」の恋女房の名前が「小春」でした。
ここから取った小春という名前の娘の名付け親が「おとうと」でした。
吟子さんと鉄郎さんを最後まで結んだのは、小春ちゃんの存在だったのですね・・・涙!

雑賀崎灯台(紀北唯一の観光灯台)

2010年02月07日 | 思うところ
タイトルが大げさですが、きょうは和歌山に行ってきました。
毎年恒例になっている集まりに参加のためですが、高速道路を一路和歌山に・・・
神戸の今朝は、氷点下まで気温が下がりとても寒い一日の始まりです。
和歌山に近くなっても気温は2度、とても南紀などという気にはならないくらい冷え冷えとしています。

その集会を終えて行ったのが雑賀崎(さいがさき)灯台です。
奥和歌の浦の雑賀崎灯台は海抜60mの鷹の巣断崖の上にそびえている灯台です。
正直言って周辺は何もありませんが、海岸美日本一といわれるところらしく、確かに夕日は綺麗だと思います。
夕日を見る時間まで待てなかったのですが、沈む太陽の行方を想像するだけでこの美しさは間違いないと思えるほど輝く海が広がっています。

ここが有名なのは実は景色よりも青石で作られた断崖だからです。
この青石は緑泥片岩と呼ばれ、およそ3億年前のものです。
この岩で出来上がった岬の突端が鷹の巣断崖で、灯台から海に向かって階段を下ると岩場にでます。
この急な階段はあまり手入れがされておらず、危険箇所が多くあり、お年寄りには不向きです。

青石が大きく露出し侵食された断崖は確かに見事です。
地質学や岩に興味のある人にはさらに魅力的な地であることは間違いないようです。
きょうの和歌山往復は260km・・・久の紀州路久々の友人との再会も果たせていい一日でした。