りょうさんの思う壺・・!

大ごと、小言ひっくるめ!
巷の話題も、私ごとも!
ひと息ついて、ご一緒ください!

水戸再発見

2011年02月26日 | 思うところ
さあ、今から水戸、東京に向かいます。
天気予報によればきょうの関東地方は晴れ、気温も上昇し寒くないということです。
神戸発茨城空港行きの便は、搭乗率40パーセントを切っているような印象でした。
3人掛けの私の座席も一人だけで、後部座席はがら空き状態ですからこの数値は間違いないでしょう・・・・



2月から名古屋便が乗り入れ、そこから札幌に向かう便が就航しましたが利用率が気になるところです。
茨城県民はもっと積極的にこの空港を利用しないとこの先不安材料は払拭されないかもしれません。

いつも興味のある機内から見える富士山は例外なく雲に包まれていましたが、かなり遠方に見える富士ですが毎回ちがう趣をみせてくれるのが楽しみです。
厳しい逆光の中をズームアップを駆使した今朝の写真をご紹介します。



茨城空港には定刻に到着・・・天気は晴れ気温も10くらいはあったようです。
スカイマーク便が着陸しバスを待つ間、百里基地からF15戦闘機のスクランブルがありすさまじい騒音に包まれました。
あのちっぽけな戦闘機1機があれだけの音をだすのですから、基地の町の住民は快く思わないかもしれません。

沖縄の嘉手納基地や普天間にも行きましたがそれはすさましいもので、静寂さのなかで暮らす我々には生理的に落ち着かない音です。
静かな茨城のイメージからかけ離れた地がこの空港周辺かもしれません。

収録を終え久々の友人と会うためにタクシーを飛ばしてお馴染みの居酒屋に向かいました。
お互い年金で暮らす生活設計の話題の渦中にあり身で大いに盛り上がりましたが、土地の広さにかけては雲泥の差で神戸と水戸とは比較になりません。
どうやっても勝ち目のない議論でしたが、もうひとつ勝ち目がないのが食べ物です。
おいしいお酒と茨城にしかない農産物に舌鼓を打ち、新しい発見のある夜でした。足掛け7年水戸通いをして結構わかったつもりでしたが、茨城の懐の深さを改めて感じました。
上野までの車中はお酒のせいで爆睡状態・・・明朝はさわやかな目覚めになることでしょう!


韓国映画「戦火の中へ」

2011年02月24日 | 思うところ
私が所属している団体で韓国からの留学生を預かっています。
非常に見識のある優秀な大学生で実に正確な日本語が話せる人物です。
その彼と話をする機会があり、韓国には兵役義務があり大学を一時離れ軍隊にいくか、兵役を免除してもらうかの選択時期に入るようで少しばかり悩んでいるということでした。
物理系の研究に従事している関係で申請すれば兵役が免除になるそうですが、この選択はどうしても世間からは冷たい視線をあびるとのことでそれなりの覚悟が必要だとの話でした。

つい最近起こった朝鮮半島の緊張感は日本でも驚きとして伝えられましたが、韓国の若者にもこの事件は紛れも無い危機感をあたえ、戦争という現実を思いおこさせるには十分なものでした。
韓国ではまだ戦争は終結してはおらず、休戦中の国家である言う事実は若い世代にも戦争について考えさせり機会になったようで、徴兵制にはことさら関心を寄せています。
平和な今の日本では考えられないことですが、私たちの日本でも戦後独立したのは昭和26年のサンフランシスコ講和条約の調印からです。この年に国際社会に復帰したのですがこの時代のアジアの複雑な支配関係が今の朝鮮半島の現実として残っています。

そんな折、興味のあった韓国映画「戦火の中へ」を鑑賞しました。
1950年6月25日、北朝鮮の奇襲によって始まった朝鮮戦争はわずか3日でソウルが陥落し、兵器の乏しい韓国軍は敗走を続けこのままでは全滅の恐れも濃厚となり、8月には最後の砦、洛東江を死守するため軍司令部のある浦項に駐留する部隊もこの前線に向かうことになります。
その軍司令部が設置された浦項女子中学校の守備に残されたのは、戦闘経験がほとんど無い71人の学徒兵でした。
部隊を指揮するカン大尉がこの地を去るにあたり守備隊のリーダーに任命したのは一人の物静かな学生でした。この主人公が朝鮮戦争で戦った71人の学徒兵のなかの一人で母親に宛てた手紙をモチーフに、実話を基にした韓国映画がこの「戦火の中へ」です。

俳優については興味が無くよく知りませんが、韓国の人気ダンス・ボーカル・グループ「BIGBANG」の“T.O.P”ことチェ・スンヒョンさんが主役を務めている作品ですが、息つく暇の無い作品はリアルでよく出来ています。
主人公の気が弱いジャンボムは、命令に困惑しながら部隊を統率しようと努力しますが、一部の不良学生が反旗をかかげるなど青春時代の対立をそのまま軍隊に持ち込んだような描き方も印象的です。

反発する最年長のガブチョは少年院送りの代わりにと学徒兵に志願したという筋金入りの反逆児ですから、ジャンボムとガブチョは事あるごとに衝突します。
しかし真の敵は北朝鮮の766部隊を率いるパク・ムラン少佐で“洛東江へ向かえ”という上層部の指示を無視して学徒兵たちが守る浦項へのルートを進み激しい戦闘に入ります・・・

朝鮮戦争開戦から1ヵ月余りが過ぎた1950年8月の物語ですが、私は当時は3歳・・・この戦争で日本は朝鮮特需といわれる好景気に沸き戦後の復興に大きく寄与したのですが、お隣の戦争で特需を招くという現実は例外の無い地球上の掟のような感じがします。

2トンの火薬を使用した戦闘シーンの凄惨さに目を逸らす場面も多くありますが、今の若者にはどのようにみえるのでしょうか・・・
この戦闘の結果韓国軍20万人、アメリカ軍14万人、国連軍全体では36万人が死傷しています。
何より市民の犠牲者が150万人とも300万人ともいわれここでも戦争の一番の犠牲は庶民であるということがわかります。

この時期、北九州のある町が朝鮮戦争で犠牲となった兵士のアメリカ本土に移送する場所となり多くの日本人がこの作業に従事した記録が残っています。このレポートは強烈に頭に残っています。
戦況をリアルに描き、観客に戦場の臨場感と学徒兵たちの心情を感じてもらおうという作品の意図が重くのしかかる映画でしたが、最近では非常に心に残る作品でもありました。
親しくなった韓国人留学生の若者とまた一献傾ける機会が近くあります。この話題についてゆっくり話を聞いてみたいと思っています・・・私のお勧め映画の一つです。

バレンタインデー後日談

2011年02月22日 | 思うところ
平穏に過ぎた今年のバレンタインデーは、本命も義理でさえもチョコレートは届かず静かに幕を閉じました。
ただ我が家ではチョコレートではないのですが、家内と娘が焼いた手作りのチョコシフォンケーキがテーブルを飾りました。
いつもの白い生クリームではなくこの日はチョコレートクリームが添えられていました。

そんなおり、知り合いの小学生の娘さんから「長谷川さんのために手作りのチョコレートを作った」と連絡を受けました。
そのチョコレートを昨日受け取ったのですが、わざわざチョコレートを作る教室に出かけて作り上げたと聞き感動しました。
出来栄えはLOVEの文字がガタガタになり愛も壊れる寸前のようですが、聞いてみると文字を絞り始めたらすぐにチョコが硬くなってこうなってしまった・・と弁明です。
味は非常に甘く、チョコレートの純度も高いようですが、味よりその気持ちが嬉しいものでした。
本人に出来栄えを聞くと上出来だということでしたが、親に聞くとしょっちゅう鍋に指を突っ込んで味見をしていたとのことで、まさに爪の垢を煎じて出来上がったバレンタインチョコだといえます。

緑髪

2011年02月21日 | 思うところ
2月も後半を迎え気温もようやく10度を越え、春の扉が開かれる予感がします。
窓越しの日差しは、我が家の黒猫「くろん」の黒い毛皮にはむしろ強すぎるくらいの熱量でぽかぽか陽気の休日になりました。
こんな季節の、のんびりとしたお休みをいただくといつも思い出すのが、与謝野蕪村の俳句「春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」です。
うららかな春の海の装いを実にうまく現している名句ですが、終日を「ひねもす」と詠みこみ、ゆるやかにうねるさまを「のたり」と表現する見事さに感動します。この季節の瀬戸の海にふさわしい句だと思います。



我が家から海まで数分・・・昼食の蕎麦が負担になるほど動いていないことにふと気がつき海岸線を歩くことにしました。
海沿いに歩くこと10分あまりでマリンピア神戸というアウトレットモール街に着きます。
休日になれば他府県ナンバーの車で国道2号線があふれ大渋滞になります。住民から見ると実に迷惑な施設ですが、散歩途中に立ち寄るには適度な刺激がある楽しいところです。
釣り人の釣果を覗き見したり明石海峡を行き交う船や神戸空港に着陸する高度を下げた飛行機の尾翼のマークを確かめたり、ヨットハーバーのなかに新しい船を探しながら歩くのが結構面白いのです。

神戸の海岸はテトラポットに覆われ、ある時期砂浜が全く無くなりました。浜辺ということばがいつしか消え、海は近寄りがたいものになりましたが、その反省かこのところ海辺の再生が試みられています。
我が家の前の海も例外ではなく、アジュール舞子と称して人工ながら海に直結した海水浴場として生まれ変わりました。
ここは明石海峡に沈む夕日の撮影スポットでもあり、またジョギングや散歩を楽しむ人たちの憩いの場所になっています。

海岸線は人工ながら美しい砂浜が続きます。久しぶりに波打ち際を歩いてみました。まさに「ひねもすのたり」のとおり、太陽の光を受けた冬のきれいな海水が打ち寄せる浜辺に幼い頃を思い出します。



引き潮の砂浜に残された比較的大きな石に面白いものを見つけました。一瞬人間の頭部を連想し笑ってしまいました。波が引いたあとの海草が石にくっついただけのことですが、身につまされるような自然のオブジェ?にドッキリです。
最近茶髪どころかピンクや紫色の髪も珍しくありませんが、薄くなった頭部をグリーンに染めたらこうなるという見本のようで自嘲気味に思わずシャッターを切りました。
休日の海辺はじつに面白いのです。

地鎮祭

2011年02月20日 | 思うところ
私のホームページをご覧の方はご存知かと思いますが、昨年末から孤軍奮闘していることがあります。
それは長年お世話になった我が事務所を解体し、住居にする計画が進んでいることです。
やがて車の運転もままならなくなります。寂しいことですが歩く手段しかなくなれば駅に近い便利な住まいに関心が移ります。
歩けなくなるという前提であればお話になりませんが、幸いJR沿線で快速電車の停車駅でもあり、淡路島の玄関口となる駅のすぐそばという利便性が大きな要因です。
何より駅に近いのにこれだけ静寂な環境も珍しくここを永住の地にしようと考えたものです。
当然これまでの業務も縮小し、身の丈にあった生活スタイルに切り替えることも目的の一つです。時々終焉の準備をしているのだろうか・・・と、自分ながら考えることがあるのも事実です。

木造2階建ての解体に10日間も費やしました。そう堅牢な建物でもなかったのですが、阪神大震災にも耐えた頑張りの物件です。更地にしてももともと狭い土地ですから、猫の額のようなイメージなのですが、昨日地鎮祭を執り行いました。



そもそも地鎮祭をするか、しないか・・どうして必要なのか、など迷う人も多いようです。
その迷いの一番の根拠が最近では経費の問題らしく、玉串料がいくらかと言う話が先にでます。本来はそれより大事なことがあり、その本質的な意味があまり語られないことも気がかりです。それは忘れてはならない日本特有の心の文化をどう織り込むべきかという価値観ではないかと思うのです。

地鎮祭はその土地の神様に工事の無事を祈る祭りで土地の浄化が目的です。国土が狭く農耕民族であった日本は土地を巡っての争いがあとをたちませんでした。
日本ではこの土地を所有しているのは八百万の神といわれてきました。もともと神様の所有地に家を建てるのですから、自分が金を出したから好きに勝手にすればいいというわけにはいいきません。
神様に断りもなく家を建てることはルール違反となるようで、時として神様の怒りに触れることもあるということでしょうか!
地鎮祭はいわば八百万の神から土地を借りるための『土地借用の儀式』というわけです。

明石海峡大橋を見上げるこの場所は、太古の時代はもちろん古く万葉の時代から語り継がれた名所旧跡の多い場所です。松林が続く海岸線は古墳も多く石棺が見つかるような環境で、口の悪い連中は古代の墓場の上に住んでいる・・・といいます。
そうなればなおさら古代人の霊を慰める意味もこめて、土地の神様の教え通りに暮らすことが必要かもしれません。

この日は偶然にも大安日でしたが、実はこの日にこだわったわけではなく家族全員が揃うのがこの日だけだったということです。
早朝になったのは、この地を護る神社の神主さんも結婚式を二つ控え、失礼ながら稼ぎ時であり朝一番の時間しか空いていないということが理由でした。

私の友人に神戸でも由緒のある神社の宮司がいます。仕事ではなく趣味の世界で親しいお付き合いをしているのですが、当然ながら今回の地鎮祭について相談しました。
要するに地鎮祭をお願いしたわけです。日ごろは快く何でも聞き入れてくれる好人物なのですが、これに関しては首を縦に振りませんでした。理由は土地の神様との契約だからその土地の神社にお願いするべきだ・・というのです。
私は「お寺さんはもっと遠いところから喜んで法事にくるぞ・・・!」というと、そんな問題ではない・・と諭されました!

日本の神様はその土地に宿り我々に御加護を与えてくれるのですから、遠方の神様ではなく一番近い神様をお呼びしお守りいただくことを言っているのだとそのときに理解したのですが、持つべきものは友だちなのに何と薄情な神主・・と罰当たりな思いを抱きました。
ところが驚いたことにある日その宮司が現れました。持参したのは彼が特別に作った銅版の鎮め物7点と、金箔入り清酒、そしてその神社の純正の静め物を届けてくれたのです。



神社の正式な静め物は手のひらに乗るくらいの小さな桐の箱の入ったものですが、特注品はひと形や鏡、剣などの7点セットで、それぞれ30センチくらいの大きなものでした。

実はこの他にも我が家に秘宝?があります。それは銅鏡と銅剣です。これは銅鐸の復刻やその歴史に挑んでいる東大阪の上田鋳金の工場で鋳込んだもので磨きをかけた銅鏡の復刻品です。
家内が夜毎磨きをかけた鏡と剣ですが、これを我が家が家の鎮め物として捧げることにしました。これを納めるために容器も素焼きながら作り上げました。
当日神主さんに現物を見せました・・怒られるのかと少し心配でしたが、この素焼きの器を手にし早速祭壇に捧げ「ここまで気遣いをする施主さんは初めてです・・」と多分感心されたのではないかと想像できます。



この日は青空が広がる晴天に恵まれました。目の前の明石海峡もすばらしい空の下輝いています。自分なりに幸先のよい時間であったと満足しています。

映画「太平洋の奇跡」

2011年02月16日 | 思うところ
「戦争を知らない子どもたち」の一人である私ですが、話題の映画「太平洋の奇跡」フォックスと呼ばれた男を鑑賞してきました。
 1944年玉砕の島サイパンが舞台で、ドン・ジョーンズの長編実録小説『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』を原作とした日本映画ですが、ナレーションは英語・・アメリカから見た日本軍の姿を描いています。
 役者さんについては無知ですが、大場大尉役の竹野内豊さんの演技は最高でした。あの時代の戦地で栄養豊で脂肪たっぷりの民間人や軍人が登場すると興ざめですが、大場大尉の立ち姿や振る舞いの演技は立派でした。

 物語は太平洋戦争時に激戦が繰り広げられたサイパン島が舞台になっています。わずか47人の兵士が45,000人もの米軍を巧みな戦略で翻弄し、米兵らから畏敬の念を込めて「フォックス」と呼ばれた実在の大場栄・陸軍大尉が主人公です。
 上映館は昼間で私より間違いなく年長者が多かったのですが、年齢から見て従軍の経験年代でもなさそうな人たちが占めていました。私の隣に座ったグループは私語が多くとても映画を真面目にゆっくり鑑賞するという意識がなく決してお行儀がいいとはいえませんでした。鍛えなおさねばならないのは若者だけではなさそうです。

 私のサイパン感といえば、海を楽しむ若者の立場とは明らかに異なります。マリアナ諸島の戦闘などサイパン周辺の戦時に興味がありそれなりに学習しましたが、私がことさら説明を加える資格はありません。
 しかしサイパンに行くと、映画のシーンにもあった斉藤中将たちが自決した洞窟に線香を手向けます。そしてバンザイクリフと呼ばれる岬に向かいます。

 太平洋戦争中、日本軍司令部がサイパン島北部にありました。1944年6月15日から始まったアメリカ軍の激しい攻撃は7月9日まで続くのですが、追い詰められた日本兵や民間人が、アメリカ軍からの投降勧告や説得に応じず80m下の海に身を投じて自決した悲劇の断崖がこのバンザイクリフです。
 多くの自決者が「天皇陛下、万歳」と皇居の方角に向かい身を投じたのですが、自決者の数は1万人にのぼるとも言われていています。
 男性は80mの断崖から一挙に飛び降り即死状態だったようですが、婦女子はさらに低い位置から飛び降りたこともあり死に切れず苦しみながら終焉を迎えた海です。私が覗き込んだ海は見事な色合いで美しい空の色と融合していましたがその日の海は血で真っ赤に染まり死体の山と化したと聞いています。
 現在はサイパン島南太平洋地域の平和記念公園として整備、慰霊碑が建てられており多数の供養塔とともに観光地の1つとなっています。

 沖縄を訪れても海軍司令官の部屋に残る手りゅう弾の痕跡を観るだけでも万感こもる思いになります。司令官が先に自決し、行き先も知らされず北の前線からサイパンの守りに付いた途端、山の形も変形するくらい激しい艦砲射撃をうけその後上陸作戦を受けたのですから、将兵の悲劇は筆舌に値しないくらいのものです。
 応戦する武器弾薬の補給もない戦いの結末はわかりきったことです。戦争の悲惨さはいつも庶民が大きな犠牲を払うという哀しい現実です。

 当時のサイパン島は特に民間人も多く女学校もありました。軍属はもちろん現地人の徴用も多く現地のチャモロ人も1000人近くが犠牲になっています。何より日本兵や在留日本人の55000人が犠牲になった特別な島を忘れてはなりません。
 先日行った北海道で再び学んだ樺太の悲劇と同じように1945年8月のポツダム宣言受諾以降も戦場となった事実は重く、このサイパンのタッポーチョ山を拠点とした大場大尉とその部隊の実話から教えられるものは多大です。

 映像はそれなりに迫力があり、多くのシーンから学ばせてもらいましたが何よりその当時の個々の人間にドラマがあるということです。
 父や祖母から聞いた戦争の話を私なりにその後咀嚼した乏しい知識ですが、私の世代の後の人たち・・そして息子たちにこの映画を観せるとどんな言葉を発するのか興味がわきます。


冬用タイヤ

2011年02月15日 | 思うところ
この冬こそは雪の中を走ろう・・・
そんな思いでこの季節の始まりのある日スタッドレススタイヤを新調しました。

大雪で閉鎖された国道と、閉じ込められた車のニュースを見ながら、あそこまで行くのは嫌だな・・!と身勝手なことを思い浮かべていました。
とにかく天変地異を思い浮かべるこの季節の異常な寒さに大自然の偉大さを改めて痛感しています。
冬用タイヤを入れたから大丈夫!!などと過信するのは愚の骨頂であることはよく承知しているのですが、一度くらいその威力を味わってみたいと思っていました。

冬の雪道は意外と経験しています、ただしこれまですべて鉄のチェーンで対応していました。切れたタイヤチェーンが捨てる機会を逸し長く置き去りにされていましたがあまりいい思い出はありません。
とにかくゴム製のタイヤが雪の上を走るというのがどうしても馴染めずこれまで使ったことがなかったのです。
ところが先日北海道を車で走り、観光バスに乗ったりして北国の人の雪慣れに感心しました。当たり前といえばそうなのですが、雪に対する決意が我々と異なるようです。

そして、どうせ春までこのタイヤの真価を発揮することなどできないだろうと思っていたのですが、何と今日は大雪になりました・・・いやきょうも、といった方がいいのかもしれません。
何で関西でこんなに雪が見られるのと思うくらいこの冬は異常です!

この日所要で大阪の南部まで行くことになりましたが、降りやまない雪の中を走り、ついに高速道路も一部区間の規制が始まりました。
北海道の雪と比べると小雨のような雪なのですが、装備のない関西地方では一台がどうにかすれば全部アウトになります。

しばらく停車しただけでどんどん積もる雪に感動でしたが、何と言っても冬用タイヤの意味と効能を実感できた一日になりました。
タイヤは良かったのですが車を降りたらそこは深いシャーベットの世界・・問題はタイヤではなく靴にありました。
やはり足元をきちんと固めないといけませんね!!


札幌の朝

2011年02月10日 | 思うところ
札幌の朝です・・・
気温はそう高くはないのでしょうが、予報通り雪!
窓の外に目をやると大きなボタン雪が振り続いています。


きのうまの札幌が快晴であったことから、一日で大きく変わるお天気にこれから帰る友人と私自身の空の移動が順調であればいいのに・・
そう思いながら出かける準備をはじめましょう!!

札幌雪まつり

2011年02月09日 | 思うところ
羽田発新千歳空港行きスカイマーク便は、1時間40分客を待たせてようやく飛び立ちました。
スカイマークの特性である大幅遅延の悪循環がまた始まったような印象です。
札幌市内に入ったのは23時を過ぎてしまいました。
おかげで札幌で合流する仲間は帰宅・・・仕方なくそのまますすきのにあるホテルに投宿・・!
そしてきょうは札幌雪まつり会場へ!

テレビニュースでみる雪像の実物に初めて接して、工夫を重ね進化す芸術作品に拍手を贈ります。

きょうの札幌は朝はマイナス5度程度、夜はマイナス0.9度比較的穏やかな一日でした。

腰につけた万歩計は2万歩足らずでしたが、時には氷の上をまた雪の上を歩きながら札幌を満喫しました。
あすは神戸空港直行ですが、メンバーはトワイライトエキスプレスの豪華列車で北陸や大阪へ・・・
夕暮れの空港までひとりボッチになります。

今夜はカニ料理を囲んで談笑、そしてライトアップされた雪まつり会場を訪れ今部屋に帰ってブログアップです。

すすきのネオンが差し込む部屋からのレポートです。




年金で暮らす家

2011年02月08日 | 思うところ
 新居作りに取り掛かりました。きっかけは年金生活にはいる準備をするためです。
詳細は私のホームページにアップしていますので興味のある方はご覧ください。結構評判なのです・・・
http://www.hasegawa.in/home/index.html


 老後をどう暮らすかというライフスタイルは個々に課された問題に違いありませんが、ここには標準というカタチが存在しません。宵越しの銭は持たね~・・という江戸っ子スタイルも今は語り草です。

 それにしても私の周辺でさえ色々な問題に直面します。中小企業経営の友人のなかでも廃業寸前から何とか現状維持まで、様々なケースが見受けられます。

 年金をいただけるという通知を受けて改めて考えた結果のことですが、日本での老後は結構厳しいようですね。
 私がアリだったのかキリギリスだったのかは別として、これからの日本社会の中で人に迷惑をかけない暮らしを維持することは最後の義務ではないかと思いました。
 
 思い立ったらやる正確がまだ消えない自分ですが、この判断が吉と出ることを密かに期待しています。




ウイングレット

2011年02月03日 | 思うところ
きょうの神戸空港からの茨城便はこのマーク!
神戸は厚い雲に覆われていましたが、茨城空港は快晴です。

このところ飛行機といえばスカイマークばかりですが、結構楽しみなのがきょうはどの機材にあたるかな・・です。
スカイマークの機材はすべてB737-800型ですが、そのうち10機以上がウイングレットという主翼の先端が垂直になっている機種です。ますます機材が増えているので新しいマークに出会うのがこれまた結構興味深いのです!
これまではトランプのマークが書かれ、色を変えていたのですが追いつかずついに「さくらんぼ」や「ひまわり」「チューリップ」などが登場しました。お客さんもどれに乗ったか記憶に残るので旅の思い出に一役買っています。

東京往復だけでなく北海道や長崎への便もすべてスカイマーク・・・・
ほぼ全機種に乗っているのですがきょうは一番新しいこのマークでした。


茨城空港に着いたらロビーにIBSレポーターの姿が・・そういえばきょうから名古屋からの便が札幌まで就航する初フライトの日です!
このところ神戸からの茨城便の乗機率は推定50パーセント程度に見えます。
もっと利用しなければスカイマークのことですから突然やーめた!となることも十分考えられます。

そこでレポーターの木村さんと田谷さんのお二人にも神戸に是非!と言っておきました。
お愛想で言うくらいなら簡単ですがすかさず「案内してくれますか?」と言われましたが、当然ながら「任せておけ・・・!」となったのは言うまでもありません。
茨城の・・皆さんもっとこの便を使ってくださいね!