りょうさんの思う壺・・!

大ごと、小言ひっくるめ!
巷の話題も、私ごとも!
ひと息ついて、ご一緒ください!

避難所に咲いた緋寒桜

2012年01月17日 | 思うところ
沖縄では、桜の花が咲き始めやがて満開を迎えるという、爽やかな朝のテレビニュースに17年前を思い出しています。

1995年(平成7年)1月17日、忘れもしないあの阪神・淡路大震災が起こりました。
ドカンという突き上げるような衝撃に飛び起き、とっさに家具を抑えなだら揺れに逆らった行動が可笑しくもありました。
激震地では何の意味もなさない無駄な行動だと気づくのにそう時間はかかりませんでした。

当時我が家は神戸市の一番西に位置し、淡路島を臨む高台でした。
停電の中で、ラジオからもたらされたわずかの情報は、震源地が淡路島付近だということでした。
この情報が私の判断を狂わせました。
震源地に一番近い我が家がこの程度なら大したことはない・・・
すべて、間違いであったことがこの2時間後わかることになります。

死者行方不明者6437人、今回の東日本大震災の同数は19238名・・
犠牲者の数では比較にならないものですが、兵庫県南部のこの狭いエリアの光景は言葉にする勇気も失せることが多くありました。

あの日を忘れることはありませんが、この年生まれた子どもたちも17歳、多感な青春時代を懸命に生きています。

あの日私たちが、いや私自身何をしていたのか・・・
今も鮮明な記憶の中にいますが、17年目のきょう、当時の記録をひとつご紹介しておきたいと思います。
いま沖縄で満開となる緋寒桜と神戸の避難所のお話です。

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 震災後、避難所への救援物資輸送や医療活動支援のために開局された11の非常無線局は、全国から駆けつけた学生を中心とする若者のエネルギーによって支えられた。 
 私にとっても31年間のアマチュア無線活動の中で類を見ない経験をすることになった。
 不自由さをおして集まった仲間は、高校、大学生はもちろん休暇を先取りした東京のテレビマン、物書き、会社員等、実に様々で全国規模の混成チームができあがった。
 
 2月に入ってすぐの頃、仲間の一人から相談を受けた。「神戸の町から色が消えた。灰色になった町に彩りを取り戻そう。まず避難所に花を届けよう」という内容だった。
 避難所の食料は充足してきたものの、特定の物資はまだまだ不足している。その中で、沖縄で今咲き誇っている桜の花を神戸に届けてはという提案であった。
 
 沖縄の桜は赤味の強い緋寒桜という種類で、日頃お馴染みの本土の桜とは明らかに異なる。
 2月27日、待ちかねた桜の花が大阪空港に到着した。
 沖縄周辺の島々からこの日のために持ち寄せられたもので、それぞれの島の特徴がうかがえる贈り物であった。
 渋滞の町を避けて六甲の山越えで運ばれた桜を早速、東灘区の幾つかの避難所に届けることにした。満開の300本の桜と沖縄の菊の花500本が避難所に彩りを添えることになった。
 
 最初に訪ねた小学校の校庭で、焚火を囲む10人ほどの人の輪に加わった。燃料は倒壊した木造家屋の廃材だ。積み上げられた廃材から生活の臭いが漂っている。
 暖をとるおばあちゃんの「花を見てホッとした。ありがとう。ありがとう」と繰り返す潤んだ笑顔が忘れられない。
 
 恐る恐る教室の扉を開けた。我々にいぶかしそうな視線が注がれている。
「こんにちは、沖縄から桜の花を持ってきました」の呼び掛けに部屋の雰囲気が一瞬和らぐのがわかる。
 日本で生活する者には、桜の花にとりわけ特別な思いを抱くのだろうか。
 春の訪れなど考える余裕も与えられなかった避難所の人たちに、束の間の夢をプレゼントできたのかも知れない。
 重苦しい教室に笑顔が戻ってくるのが嬉しかった。
 
 花瓶もなく愛用のグラスに丁寧に小枝を差す人や、じっと感慨深く花を見つめる人がいる。
 「もう一本もらえますか?」という声に振り返ると、枕元から一枚の写真を取り出してきた。亡くなった子どもさんの遺影だそうだ。
 笑っている写真の主人公と桜の花の色合いが妙に似合うのが哀しい。残された人の優しい眼差しに隠された震災のすごさが、無言のまま重く伝わってきた。
 
 花を配り終えるころ、照明灯に浮かぶ校庭の片隅にある自衛隊の仮設風呂から子どもたちの歓声が聞こえてきた。復興の手助けには程遠いほずの花が持っ不思議な力を知らされた一目であった。
 避難所とのふれあいの中で活動した我々の業務も、4月15日をもって終わりを告げた。

 多くの出会いを与えてくれた90日間の仲間と、桜の花が橋渡しをしてくれた、人との出会いはかけがいのない絆をつくり、生涯忘れることのできない思い出を残した。

                         (1995年記)

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神戸の心は今、東北の人たちの心と同じです。
一日も早い復興を願いつつ・・・
きょうは心静かに黙祷から始まる一日となりました。

映画「マイウエイ 12000キロの真実」

2012年01月16日 | 思うところ
戦争映画「マイウエイ 12000キロの真実」を観てきました。

日本人と当時日本の統治下にあった朝鮮人の青年が、幼少の頃、京城(今の韓国ソウル)で出会い、マラソンのライバルとして激しく意識してゆきます。
やがて日中戦争がはじまり、ノモンハン戦争を皮切りに幾多の戦線で悲劇的とも言える運命の出会いと葛藤を繰り返していきます。
数奇な運命に支配される人を描いた作品ですが、日本軍人が捕虜のあとロシア兵になり、そしてドイツ兵となって連合軍と戦うというあり得ないストーリーながら、実際にあった人物がモデルとなっているそうです。
最後は、連合軍の総攻撃地点となった激戦地ノルマンディー・・・
戦場での生と死はどんな力によって決められるのか、誰の力で生死が決まるのか、そんな感覚の中で映画の展開に息つく暇もありません。

どんな映画かはWebの映画宣伝をみればしっかりと分かるので、改めて紹介しませんが眠くならない映画です。

この映画に興味を持ったのはオダギリジョー扮する、日本軍将校でありマラソン選手でもある主人公長谷川辰雄と、そのライバルであった当時朝鮮のマラソン選手、ジュンシクを演じるチャン・ドンゴンの共演ということも手伝っていました。

当時のアジアの歴史的な背景と、時代に翻弄されたオリンピックのマラソン競技を通して描かれた映像は、韓国の著名なカン監督作品により凄まじい迫力を作り出しています。

でもここで描かれているのは、単なる戦争映画ではない・・

人は戦争によって運命が左右されるだけでなく、心まで変わらざるを得ないというという訴えが身に沁みます。
しかしながら逆説として、戦争の極限を迎えても、また過酷な戦場の中でも、人の心に本来の人間性を取り戻させることができるということを訴えているのもこの映画の特徴でしょうか。

神戸でも映画館の閉鎖などが見られ観客動員が話題になりますが、日曜のしかも封切館にしては驚くほど観客が少なくゆったりしていました。

私の前には観客はひとり・・

上映直前に私の席を一つはさんで若いカップルが座りましたが、上映中ごそごそと飲食を続けているのが気になりました。

戦争映画の大音響が、この二人の動きを助けたのですが、静かなシーンの連続ならひんしゅくものでしょう・・・
映画が終わりやがてスーパーテロップに差し掛かるとそそくさと席を立っていきました。
その席には、飲料水のカップや食べ残しのゴミがそのまま置き去りにされていました。

映画よりいつものゲームの方が面白かったのかも知れませんが、彼らにこの映画の意味がどう理解できたのか、これまた興味のあることでした。

イチゴ

2012年01月11日 | 思うところ
連日寒い日が続くと春が恋しくなります

チャイムが鳴り、
インターフォンの画面に目をやると、
クロネコ便のお馴染みのお兄さんの顔・・・

届いたのは、神奈川県の友人からの荷物です
中身は大好きなイチゴ!!

イチゴの香りと色合いに触れると幸せ感が湧いてきます。

えべっさん

2012年01月09日 | 思うところ
関東の方にはあまり馴染みはないようですが、「柳原のえべっさん」という愛称で親しまれる神戸の兵庫の蛭子神社は、毎年1月9日~11日の間「十日えびす大祭」として商売繁盛や家内安全、学業成就を祈念してにぎわいます。
明日は仕事なので、宵えびすにお参りしてきました。



この神社は神戸市の中で、歴史と伝統のある兵庫の地に、えびすの杜として鎮座しています。
「えびす神」の中でも一番古くから語られているのが、『古事記』『日本書紀』の国生みの段に登場するヒルコ(蛭子)の神です。
この神は、イザナギ・イザナミの神が日本国土を創世する際に、その御子として生まれましたが、手足が不自由であったといわれています。
どうやら鎌倉時代に、ヒルコ神がえびす神ということが定着したようです。



昨日からNHK大河ドラマ「平清盛」が始まりましたが、 兵庫のまちは平安時代の昔から「大輪田泊」と呼ばれる良好な港のあるまちとして知られていました。
平安時代の末期、平清盛は大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれた兵庫の港で中国(宋)との貿易を行いました。
また、治承4年(1180)には、わずか半年間ではありますが、京都から現在の兵庫区福原に都を移し、貿易の拠点として港の大改修工事が行い後に兵庫のまちは「兵庫津」と呼ばれるようになり、海陸要衝の地として発展していきました。

とにかく私の故郷でもありルーツの兵庫ですから、この界隈には商いとは無関係に自然に足が向いてしまいます。
この周辺には歴史的な名所も多く、今年は特に観光名所として脚光を浴びる場所でもあります。
いちどお越しになりませんか!

冬景色

2012年01月09日 | 思うところ
寒いのは好きでは無いのですが、雪景色は大好きです。
雪国の人にとっては、酔狂な思いかもしれませんが日本の雪にはひときわ風情を感じます。



家でのんびりの正月も悪くはありませんが、ちょっとばかし雪景色に触れたくなり車を走らせました。
行先は京都北部・・・
親戚の家を突然訪ね、新年のあいさつをしてきました。



途中吹雪になり、久しぶりに雪の中を走りました。

初詣でと年賀状

2012年01月05日 | 思うところ
新年のごあいさつが遅くなりました。
皆様お気に入りのお正月になりましたか?
辰年・・よろしくお願いします

おかげさまで、非常に落ちついた元旦を迎えました。
気負いもなくあるがままにこの一年が過ぎることを願いました

初詣では元旦にお誘いを受けて西宮神社に・・これは番外です
そして翌日は何と言ってもわが町の氏神様、舞子六神社にお参りです
もう一つ我が家に一番近い小さなお社があります
ここは、無人ですがその昔の鎮守様の雰囲気が残るお社です



舞子六神社は、昨年の地鎮祭でお世話になった神社ですから、
お礼参りと新しい御札を受けに向かいました
境内で宮司さんに出会いごあいさつ・・まずは、いいスタートとなりました
娘のおみくじも大吉、これもまずまずといったところでしょうか・・



ゆっくりした時間の中で今年は年賀状の整理を入念にやりました
慣例を通り越して惰性のような年賀のやり取りも正直なところ多くあります
仕事がらのせいか相手の顔が浮かばないものや、何よりそっけない年賀状が増えてきたのも事実です
宛名も本文もプリンター印刷の年賀状が一番欲しくないという話題がテレビでも流されました
少し考えるところがあった今年の年賀状事情です



昨年の6月、引っ越しの挨拶状を年賀状の数以上に出しました
ところが、2割は旧住所からの転送で少しばかり意外でした
私自身整理については及第点が貰えない自覚がありましたが、
意外とみなさんも人の引っ越しなどに興味がないということがわかりました。
あらゆる場所で必死に年賀状を売るコーナーにも驚きましたが、
年始にもまだ年賀状を売っている場面も目撃しました
電報が消え去るように年賀状も今後は大きく様変わりするのでしょうね。