の訃報が17日夕刊の一面に出ていました。フィリピンはルバング島の密林で、終戦を信じずあるいは欺瞞と考え、30年近く細々と遊撃戦闘を続行し、1974年遂に発見され保護されたニュースは、数あるニュースの中でも私には非常に大きな衝撃でした。もちろんその2年前の横井庄一さんの方が先だったのでそれに続く2番目のニュースでしたが、小野田さんは実際に駐留米軍に攻撃を試み続けていてなおかつ生き延びていたことが明らかになって、そのことはより大きな驚きでした。
私が育った時代は、今から思えば裕福ではなかったとはいえ、世の中は10年前にあったはずの戦争なんかまるで無かったかのごとき高度成長の真っ只中で、子供の私などには戦争の話題も避けられているかのようでした。そこに30年近く経って密林で旧日本兵が突然見つかったものだから、戦争って本当にあったんだ、しかもこんなに悲惨なものだったのか、と、教科書で実感を伴わず習っただけの私にとってこれ以上の直接証拠はありませんでした。自分が過去にワープする代わりに過去の方からタイムスリップして来たのです。
そして日本に帰ってからの横井氏と小野田氏の対照的な生き様。それが彼らの経歴と無関係でないと考えるにつけ、人生とは何だろうか、教育とは何だろうか、と、非常に考えさせられました。
私が育った時代は、今から思えば裕福ではなかったとはいえ、世の中は10年前にあったはずの戦争なんかまるで無かったかのごとき高度成長の真っ只中で、子供の私などには戦争の話題も避けられているかのようでした。そこに30年近く経って密林で旧日本兵が突然見つかったものだから、戦争って本当にあったんだ、しかもこんなに悲惨なものだったのか、と、教科書で実感を伴わず習っただけの私にとってこれ以上の直接証拠はありませんでした。自分が過去にワープする代わりに過去の方からタイムスリップして来たのです。
そして日本に帰ってからの横井氏と小野田氏の対照的な生き様。それが彼らの経歴と無関係でないと考えるにつけ、人生とは何だろうか、教育とは何だろうか、と、非常に考えさせられました。
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