ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

106日目 バカ殿様の城下町へ再び

2015-01-31 23:32:43 | 南関東
2014年11月15日(土)


このブログでは2回に渡って登場しました、とっても難儀なお仕事。
その処理のためにこれまで行った所が東村山市所沢市で、またしても東村山市へ行くハメとなりました。面倒だな。
そしていよいよこの日が仕事の最後の大ヤマ。

約束の時間は15時なので千葉を13時頃に出ればいいのですが、一気に目的地にたどり着くのも面白くないので、早めの11時半に出て、途中の西武新宿線・田無駅で下車。

駅構内→
ささやかな仏心?が出て、買ってみようかと思ったら、店番は品物補充で留守・・・。
ふっ、店は損したな、と負け惜しみ。

↓本当はもっと早起きして、ここに行きたかったんだけど・・・。

ですが、私は根っからの宵っ張りの朝寝坊である上に、お布団の心地良さに負けました。
弱い心の持ち主です、嗚呼。

(458)東京都西東京市役所
狭っ苦しい駅南口から歩いてすぐ。
旧・田無市と旧・保谷市とが、平成13年に合併して成立。
いわゆる平成の大合併でも比較的早い時期に行われたものだったので、当初は地名についていろいろとマスコミで取り上げられたものでした。
その後、ツッコミどころ満載の地名が未遂も含めてあちこちに大繁殖したので、埋没した感あり。というか、かなり時間が経つとだいぶしっくりくるもんです。
それと田無という地名、文字通り田んぼの無い所。水はけが良すぎる土地柄のよう。相手となった保谷は、かつては「穂屋」「穂谷」と書かれたようだった事から、豊かな土地柄だったみたいで、とても対照的。

駅北口→

まっすぐ伸びる駅前通りを行き、交差する新青梅街道を西へひたすら歩く。
そして田無で、多摩六都科学館の他に名所と言えば・・・。

ほらっ、左にチラリと見えるこれ!→

↓その名のとおり、田無タワー。
   
正式名称、スカイタワー西東京。
東京タワーと同じように、ここも電波塔。高さ195メートルで、結構高く感じますよ!
真っ青な空に映える白い鉄筋構造物、なかなかよろし!
右写真の白い巨大ボールは口惜しい口惜しい多摩六都科学館。
ではでは、登ってみようかな!

ところがどっこい→
たまには(極めて稀のよう)入れる日もあるらしいのですが、もったいないなあ~。

↓さ、気を取り直して5か月ぶりの東村山へ。

前はコンモリしていた「志村けんの木」はバッサリと剪定され、風邪を引きそうなみすぼらしい姿に。
今年から西武線の高架化工事が始まる(もう始まった?)ので、その工事にこの木が差し障りにならないのか分からないけど、多少のトバッチリを受けるかもしれない。

~またしても要件はあっさり終了~
なら良かったのですが、そこそこ時間を要する。
仕事はつい最近めでたく完了し、高報酬をボリ戴きました。

↓無事に終わり、あのお団子屋さんで一人寂しく打ち上げ。

この日は若旦那ではなく、女将さんが焼いておりました。
寂しい上に、寒くなってきました。人恋しくなり電話をする。
私と同じくせっかくの土曜日を潰してまでも、私よりも寂しく頑張って四ツ谷で仕事をしている大学時代の友人を飲みに誘う。
突然の無理難題でも二つ返事で快く応じてくれた友人、いいヤツだぜ・・・(涙)。

東村山から一路、新宿へ。

↓西武新宿駅前



相変わらずの人混み。

「思い出横丁」でカンパイ!→
大きな火事がありましたな。いつだったっけ?
それ以降は来ていないはずなので、ホント久しぶりだなー。
今じゃ「思い出横丁」なんてこじゃれた呼び名がつけられているけど、以前の「しょん○ん横丁」の方が、大衆的庶民的、しみったれた感じでいいけどなあ。
でもそんな名前じゃ女性客を呼び込めないし、仕方ないな。

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105日目 北部九州・史跡巡り(15)~飯塚

2015-01-29 22:51:42 | 九州北部
2014年10月12日(日)


再び中心街に戻ってきました。

吉原町商店街を歩きます→
飯塚の歓楽街らしく、飲み屋とても多し。
でもひっそり。誰もいません。まだ夜じゃないしね~。夜の姿が気になるぅー。

↓この通りを進んだ先には、こんな建物があります。

嘉穂(かほ)劇場。昭和6(1931)年に開設された芝居小屋で、国の登録有形文化財。
奈落は必見らしく、他にも芝居の小道具やポスターなども見られるという。
ではでは、入ってみましょう!
と思ったら、この日は公演の日、そんな日は見学できません。ガックリ・・・。本当に呪われたが如く、タイミングの悪い事が重なりすぎ(泣)。

ふと視線を嘉穂劇場の前の飲み屋にやると、一人の若い女の子が倒れている。
そして、その周りにその子の知り合いらしき男数人が介抱している(みたい)。
じーっと見ている私に気づいた彼らに「あっち行きな!」と言われる。
本当に介抱だったのか、それとも・・・。

一応アーケード街?→
廃れ感たっぷり。

こちらは立派なアーケード街→
「東町商店街」の「歌人白蓮想」前。個人でせっせとお集めになった柳原白蓮に関する資料が見られるらしい。
立派なアーケードだけど、人が歩いていないのはどこも同じ。

天井→
東京駅のドームの天井みたい。

ここで郊外に出ます。

実はこの日はお昼をロクにとっていません。「道の駅うすい」でパンをかじった程度。
普段から旅の最中の昼食は極めて軽いのですが、特にこの日はハラペコ状態。
というのも、飯塚・嘉穂は嘉飯(かはん)地域というらしいのですが、それをもじった「kahanライス」と呼ばれるご当地オムライスがあって、それを食べたかったから。

神仙楼→
屋号や外見からしていかにも中華料理屋っぽいですが、実際、中華料理屋さんです。
ここに来たのは、普通のケチャップご飯に卵を被せたものではない、中華風オムライスが気になったワケでありまして。

嘉飯ボタ山天津飯→
これでも一応オムライスなんだと。
かなりピリ辛ではありましたが、とってもおいしい!
でも、やっぱりどう見ても天津飯だよな~。一体オムライスの定義とは何ぞや?

オムライスの他にも「ほるホルめし」という、どこぞの民族がホルホルしそうな名前のホルモンめしも気になっておりまして、もし嘉穂劇場のリベンジがある時には、是非味わってみたい。

再びアーケード街へ→
本町商店街。このアーケードは旧長崎街道なので、周辺には史跡が多いです。
そして黒田官兵衛ゆかりの史跡も多い、飯塚。
朝ドラとのダブル効果で観光客を呼び込むまたとないチャンスではあったのですが、あまり人が来ているようには感じません。非常に残念なことです。
ここはネット民に人気があるらしい副総理、もっと飯塚などの筑豊地域をアピールする発信をしないと!

からくり時計→
10分遅かりし・・・。

台風の影響がジワジワ出始めたか、雨がとっても強くなってきました。
なので、予定していた隣の小竹町は行く気がカンペキに萎える。

さよーなら、遠賀川に飯塚に筑豊→

↓相変わらず人でごった返す博多駅に戻ってきました。


台風がいよいよ迫っているんだなー→
「8号」ではなく、「19号」。かなりいいかげん。

こちら福岡空港→
南の方はヤバイ状態に突入したみたい。
一番上、14時発の成田行きが6時間遅れなんて、ヒドス(笑)。やってくれるね、LCC。

夜の空港は美しすぎ→
雨が降っていると、さらに美しく感じる。

帰りの飛行機も、折しも昨日民事再生法の適用を申請したスカイマークで、026便21時10分発。空港に着いたのは19時頃だったから、時間潰しだけで疲れる。

さて、機内では気流が不安定につき、ずっと安全ベルト装着ランプが点灯。
終始グラグラガタガタ。生きた心地がしないよ・・・。だから飛行機はイヤなんだ

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105日目 北部九州・史跡巡り(14)~飯塚

2015-01-27 23:50:54 | 九州北部
2014年10月12日(日)


結果的になんですけど、本旅最後の訪問地となったのは飯塚市。

↓筑豊線の電車に乗ると、やがて右側に接近する飯塚シンボル「忠熊のボタ山」、別名「筑豊富士」。

ボタ山には石炭カスも積まれているので、自然発火することもあるらしい。
一種の火山? なるほど、火山顔負けの優美な形。

14時すぎ、新飯塚駅に到着→

そして何はさておき町訪問の証しとしての役所へ。

(457)福岡県飯塚市役所
いわゆる筑豊三都の一つ。
江戸時代は長崎街道の宿場町として、明治以降は炭鉱都市として栄える。
首都圏在住の人にとって東京銘菓として知られている「ひよ子」は、実は発祥の地は飯塚
これを聞いてショックを受ける東京人が少なからずいそう。

役所前のガソリンスタンド→
値段、高すぎ・・・(笑)。
それはともかく、下の政党広報板には、こっそりと副総理のお名前が表示されています。
そう、飯塚市とその周辺はこの先生の地盤。
ただ、このスタンドの会社と先生とは関係があるのかは知りませんが。

↓市役所前をまっすぐ行くと、新飯塚橋。

遠賀川(おんががわ)に架かる橋。昔、採れた石炭を川で洗っていたので水が黒く濁ってしまい、「ぜんざい川」と呼ばれていたらしいです。

下流の方向→

そんで、国道211号線を南下→

↓雨降りとなった中、「飯塚」停留所(臨時)でバスを待ちます。

本来停留所のある所は、バス停奥に写っている工事中の建物である「飯塚バスセンター」内。
停留所名は「飯塚」。JRにも飯塚駅はあるものの、「こここそが飯塚の中心だ」と言わんばかりの命名。

さて、バスに乗って降りた所は「幸袋(こうぶくろ)」停留所。
この近くには多くの騒々しいオバサン共人たちで大賑わいの通り道があります。

↓古い建物が並ぶこの道は、昔の長崎街道。

おや? 「村岡・・・」と書かれている幟がチラリと見える。村岡? 村岡と言えば、あんお方の事?
そうです、アンお方。
ここは例のドラマでは嘉納伝助のモデルとなった筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門旧邸がある通り。
ということは、蓮子姉さま、つまり柳原白蓮の一時のお住まいだった所でもあります。
ドラマ効果は抜群! ミーハー多すぎ(私も含む)。

じゃあ、炭鉱王の豪邸に入ってみましょうか!
入館料は300円ですが、ジャフの会員証を見せたので2割引の240円。

玄関→
入れないから、たむろってないで早くのいてくれないかな?

お屋敷→
明治30年代後半に建てて以後、幾度かの増築を経て今に至る。

回遊式のお庭→
敷地面積は2300坪、この庭園は国指定の文化財。

1階の大広間→
ここから庭園を見渡せます。ゆっくりと寛ぐのにもってこいの場所。
寛ぐどころか、横になってただただ眠りたい。

2階の座敷→
白蓮のお部屋でございます。明治44年に増築された数寄屋造りの建物。
お屋敷写真の、丸い電球がぼんやり付いている手前のお部屋がここです。

トイレ→
大富豪の家とはいえ、さすがにトイレはボットン式みたいだね~。
と思いきや、九州でも最初の水洗式のものなのである。

柳原白蓮と伊藤伝右衛門との10年間を、ちょびっとでも偲ぶことのできたお屋敷でございました。

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105日目 北部九州・史跡巡り(13)~嘉穂郡

2015-01-24 23:57:10 | 九州北部
2014年10月12日(日)


篠栗線に乗っていると、強い雨が降り出したのが分かる。
しかも、風もそこそこ吹いていそう。やれやれ、どうしたものか・・・。

↓でも、桂川(けいせん)駅では降っていませんでした。

助かった、と思いきや、たちまちパラパラやってくる。まさに雨男の本領発揮です。
ただ、すぐ止んでしまったのでラッキー! そんな中を桂川町役場に向かって歩きます。

何てことない田舎道→
ですが、これは昔の長崎街道。
そう言われてみると、何となく古道の趣きを感じてしまうのがまた不思議なところ。

長崎街道を横切って、道なりに行きます。

↓ここ桂川だけに限らないけど、九州ではやたらレンガ塀が目に付きます。

白壁などとはまた違った美しさ。

↓(455)福岡県嘉穂(かほ)郡桂川町(まち)役場

かつては炭坑があり、大いに栄えたようです。まあ、筑豊の町はどこもそうですが。

↓役場に来てすぐ、乗る予定のバスの時間が迫っています。

奥の方向へ進むバスに乗りたいのですが、常識的に反対側の車線に停留所があるはず。
ところが、見渡してもそれらしきがないじゃん。どうしたものか・・・。
仕方ないので、この反対側で待つ事に。

↓「ときめきウォークinけいせん」のゴールが役場

参加人数がほとんどいないのか、待っている数分のうちに会場は片付けられてしまいました。
ひょっとして、参加者は右端に座っているじいさま一人だけ?

さて、バスの来る方を見ていると、交差点があってさらにその先(待っている所から約100メートルほど)で停車。そこだったか・・・、離れすぎだわ。
結局、手を挙げて乗せて貰いましたが、「お客さん、乗り場はここじゃないよ!」と怒られてしまう。

降りたバス停はここ→

(456)福岡県嘉麻(かま)市役所
従いまして、難なくクリア。
平成18年に1市3町が合併してできた市。ここもかつては炭鉱都市。

タイミング悪いな→
最近こんなのばかりだわ・・・。

↓近くには「道の駅うすい」がありますので、早速行ってみましょう。

ま、建物は地場野菜などを売っていたり、軽食屋さんがあったりと、よく見られるタイプの道の駅です。
ただし・・・。
お○○タレント・おすぎがレシピを考えた「嘉麻の釜めしの素」というのが売られております。
嘉麻=カマという地名を、自虐的ですが過疎に苦しむ町を少しでもPRしたいがための、涙ぐましいお話し。

自販機に描かれていたもの→
全然可愛くないな、いくら「ゆるキャラブーム」とはいえ、とにかく作れりゃいいってもんじゃないだろと思ったものでしたが・・・。
実際着ぐるみの画像を見てみると、思いのほか愛嬌があってカワイイ。

雨は降っていませんが、幟を見て分かるように風はムチャクチャ強くなってきました。
↓そんな中、右にゆるくカーブしていく道を歩いてみます。



この道路、昭和63(1988)年に廃止されたJR上山田線の廃線跡で、歩いているのは臼井-大隈駅間の臼井駅方向。

怪しいな、ここ→

↓臼井駅ホーム跡が残っていました。


大昔の様子(YAHOO画像より)→
本当にこんなんだったの?ウソみたいな昔。

↓再びバスに乗り、12時40分頃桂川駅へ。


一番上の駅の写真でも左端に出ていますが、「王塚古墳」とやらが非常に気になりまして。
なので、行ってみました→
前方後円墳のこれ、何だい、ただのハゲ山じゃん、などと馬鹿にしてはいけません。
これは国特別史跡。「特別」ということは、そんじょそこらのとは格がまるで違う、姫路城や厳島神社などと同格の史跡なのであります。
では何が特別なのか?
古墳の中にある石室と呼ばれている部分の壁全体に、それはそれは様々な文様が実にカラフルに描かれているのです。いわゆる装飾古墳といわれ、有名な高松塚古墳とはタイプの異なるもの。

こちら「王塚装飾古墳館」→
ここで装飾古墳のお勉強ができます。私もしっかり学習しました・・・と言いたいところですが、今ではすっかり忘れてしまっています。

出る際に受付のお姉さんに「来週18・19日に石室を公開しますので、是非お越し下さい」と言われる。
どうしてこの3連休にそれをやってくれないかな? ことごとくタイミングが悪すぎるわ。

「古墳館」から見る古墳→
階段を登った右に見える柵がそれの入口です。

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105日目 北部九州・史跡巡り(12)~糟屋郡

2015-01-22 22:36:24 | 九州北部
2014年10月12日(日)


九州最終日は曇り空です。心配していた台風19号の影響か?
その台風は前日には沖縄本島付近に接近、この日は奄美諸島の西側を通り、翌日に九州上陸しそうとあって、どうやら最後まで予定を全うできそう。

ホテルは6時前にチェックアウトし、地下鉄に乗って博多駅に行き、JR篠栗(ささぐり)線で長者原(ちょうじゃばる)駅へ。

長者原駅→
これより篠栗線沿線の町巡りの開始です。

仲原(なかばる)炭鉱竪坑跡→
明治21(1888)年に設立された「粕屋採鉱会社」の炭鉱。
昔は社宅が建ち並んでいたというこの周辺は、残っているのはこのレンガの竪坑のみ。
これは一応文化財ではあると思うのですが、前にはリサイクルボックスが置いてあるのみならず、横にはゴミが置かれてあったりと、最早どうでもいい、古いだけの建物という扱われ方。

↓(452)福岡県糟屋(かすや)郡粕屋町(かすやまち)役場

長者原駅は博多駅から10数分という近さもあって、福岡のベットタウンとして人口も増加の一途で、市昇格も視野に入ってきたところまで来た4万5千人ほど。
町の表記は「粕」だけど、郡名は「糟」でややこしいな・・・。「白」の方が画数が少なくて楽だけど。

近くの「賀与丁(かよいちょう)公園」→
看板の「YOSAKOIかすや祭り」は毎年第二土日に開催され、旧来のお祭りに代わる住民参加型のお祭りとしてスタート。なので、歴史はまだ浅くこの時で14回目。

公園の池→
見ての通り、自然を見ながら歩く走るもよし、ボーッとするもよしの公園。

↓次に篠栗駅へ行き、バスに乗って久山町へ。


篠栗駅を出てすぐのバスの車窓→
目の前は田んぼで、周囲は比較的長閑な場所でありながら、山の上はニョキニョキ生えたベンタナヒルズというらしいマンション群。極めて強烈な印象を残す光景であります。

8時15分、久山役場前バス停で下車→

バス停近くでは早朝から清掃→
そのそばをブラブラほっつき歩いているのは申し訳ない気がする。

(453)福岡県糟屋郡久山町(まち)役場
人口は8千人あまりの、山に囲まれた町。
そして、鉄道は走っていながらも、駅のないかわいそうな町。新幹線だから仕方ないんだけど・・・。

役場から北東方向の山の方へ歩いてみる→
「山の神」がいるのは箱根だけじゃないぜ!

↓バス停近くにあるこれ、最初遠くから見た時は、何で子供たちはこんな狭い所で大勢固まって遊んでいるのかと思ったワケですが。


↓久山町は今だに牛を使って田んぼを耕しているようです。


シブガキ?を狙うガキんちょ→
などと、あちらこちらにこうした人形が置かれています。

再び篠栗駅に戻ってきました。

(454)福岡県糟屋郡篠栗町(まち)役場
こちらも久山町同様、福岡のベッドタウン。
その一方で写真右にあるように、「森林セラピー基地」として宣伝しています。
ま、森林浴ですな。興味のある方はコチラをどうぞ。

それはそうとこんな小さな町に堂々世界一のものがあるというので、見に行かない手はない。

↓という訳で、城戸南蔵院前(きどなんぞういんまえ)駅へ。


駅前の橋→
欄干には鉄琴みたいなのが付いていて、キンコンカンコン鳴らせます。

↓世界一は、この篠栗四国八十八箇所の第一番礼所・南蔵院にあります。

お腹がやたらピカピカでメタボな大黒様。皆がナデナデするからですが、確かに撫でたくなるお腹をしています。
ところで、ここの住職は宝くじで当選を連発させていることで有名らしく、それにあやかりたいという人も相当数いると思われ。

怖っ!不動明王様→
夢でうなされそうだ。

でかっ!→
ゆったりと穏やかなお顔をしてお休みになられている世界最大の釈迦涅槃(ねはん)像、高さは11メートル、幅41メートル。ホント、「でけぇ」の連発しかないです。
胎内参拝といって中に入って参拝でき、御御足に触ると金運が良くなると言われているようですが、私には毎年行っている富士山・新屋の山神様がいます。浮気はいくないよな~、悩ましいぜ。せいぜいさっきの大黒様をお腹を撫でる程度でお許しを!

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104日目 北部九州・史跡巡り(11)~日田

2015-01-15 23:30:13 | 九州中部
2014年10月11日(土)


日田市観光案内所で貰った「日田町歩きマップ」の冒頭にはこう書かれています。
「自然豊かな山々に囲まれた日田盆地。
ここはかつて、政治・経済・文化において九州の中心をなしたと言われる。
歴史的に、豪商達が活躍し、文化人・書家・画家等の往来が盛んで、町人文化の繁栄があった。
栄華を極めたまちの名残が今も随所に光る。
晩秋から春先にかけて、朝霧で包まれるまちの様子は独特で、「湖底から生まれた水のまち」と言われるような神秘的な光景を作り出す。
今も昔も、自然、人情、歴史が、日田の全てを優しく包み込む。」と。
朝霧こそ見られずでしたが、町を廻ってみて、まさにそうだなと思えるいい所でした。

そんな日田巡りはまずは豆田町(まめだまち)から。

上町(うわまち)通り→

↓御幸通り
 

両通りを結ぶ道→
江戸時代の町並みが残り、現在ではそれを活かした商店街となっている重要伝統的建造物群保存地区。でも、商店街といっても観光客向けの店ばかりですが。

日本丸館(にほんがんかん)→
安政2(1855)年創業の薬屋さん。

天領日田資料館→
この日は観光客は多く来ているのですが、誰も顔抜きパネルで写真撮影してくれてません。寂しすぎる。

草野本家→
資料館の隣にある国指定重要文化財。
主に製蠟を行なう傍ら、酒造り、庄屋などをしたといい、現存しているもっとも古い建物は享保10(1725)年築。ただ、年4回しか見せてくれないらしい。

咸宜園(かんぎえん)・秋風庵→
江戸時代の儒学者・廣瀬淡窓が開いた私塾。
誰でもいらっしゃいと、開けっぴろげのオールカマーだったので、5000人が学んだ日本最大級の規模。
門下生には、有名どころでは高野長英や大村益次郎らがいるという。へえ~。

17時が迫っているので、自転車を返しに急いで駅に戻ります。

駅近くの商店街→

↓右に目をやると、「ふるさと日田大屋台村」というのが開催されておりまして・・・。

この屋台村は、日田のグルメを大結集させた10月11日から3日間行われたイベント。
実は日田に来て、これが開催されているのを知ったのですが、運の無いことに16時で終わり。つまり日田に着いた時点で実質「明日おいで」の状態。
よ~~く下調べをしておけば・・・。或いは東峰村に行かなければ・・・。
日田には、ご当地グルメの「日田やきそば」を始め、鰻・うどんなどいろいろ美味しそうなグルメがあるのですが、せめて「やきそば」だけでもここを去るまでどこかでありつきたいと思っていたワケですが・・・。

駅前通りを歩いて隈町(くままち)へ→

ドンキなんて目じゃない商品陳列のお店→
というか、入るのでさえ難儀に見える。

三隈川(みくまがわ)の河畔に来て、私は思わず「おお~」と声を上げてしまいました。
川というより湖っぽい光景、これは美しい!

沈み橋→
右は「亀山(きざん)公園」。

橋から上流を見る→
左側の建物は日田温泉のホテル。

三隈川公園より一望→

カタカタ、屋形船→
船では鵜飼いと夕飯が楽しめるらしいです。
夜になると、恐らく明かりを灯したたくさんの屋形船がここを埋め尽くすであろう光景を想像してみて欲しい。

ホント、安らぎとくれたし、感動したわ→
またここでもカッパ。

ただ、列車の出る時間の関係で夜景を見られなかったのが口惜しい。
さらに不幸なことに、駅近くには「日田やきそば」屋さんがないではないか!(「日田やきそば」ではない単なるやきそば屋さんはそこそこあるんだけど)
心残りだけが募る日田、絶対また来ると誓ってションボリ福岡に戻ります。

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104日目 北部九州・史跡巡り(10)~東峰・日田

2015-01-12 23:46:48 | 九州
2014年10月11日(土)


今日は成人の日。ですが、私には成人式の思い出がありません。
案内状を紛失してしまって会場がわからなかったこと、
それとその翌日に試験があったので勉強しないといけなかったこと、
さらには、私はその時にはまだ20歳になっておらず、「成人」と言われても今一つピンとこなかったこと等、いろいろとあった訳ですが、成人式のニュースで楽しそうな様子を見るにつけ、複雑な気分になるのも事実であります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓うきは市でようやく体勢を立て直した私は、筑後吉井駅を14時前を後にし、筑後川に沿ってグングン山奥へ向かい、大分県日田市に突入。


↓いい駅名であると専らの評判の夜明(よあけ)駅で下車。


駅にはこういうものが置かれ、自由に鳴らせます→
明け方にこれを鳴らす(近隣に迷惑ですが)なんていうのも風流哉。
2つ上の写真の、右にカーブしていっている日田彦山(ひたひこさん)線に乗り換えます。

↓んで、またすぐに福岡県に入ったりする。


降りた駅はここ→

↓ホームは高台にあるので、町を一望できます。

木々がちょっぴり邪魔。

こんな駅なので、駅舎は下の方→
77段あるそうです。

古い姿のままの駅舎→
駅舎の喫茶店からは、客の賑やかな笑い声が周りが静かな分、否が応にも響き渡ります。
実はこの駅、ムチャクチャ有名な方が小さい頃に利用していたというのですが・・・。

滞在予定時間は僅か30分程度しかないので、またもせわしなく散策。

↓駅前通りを歩いて突き当たりの国道211号線


↓(450)福岡県朝倉郡東峰村(とうほうむら)役場

人口2,300人あまりのこの小さな山村は、平成17年に小石原村と宝珠山村が合併して成立。
村+村=村で意味あったの?っていう合併です。
看板にあるとおり、「日本で最も美しい村」連合に加盟しています。

↓そんな「美しい村」であるのだからこれくらい当然!


役場のちょっと先→
この時にはまだご存命であった氏。嗚呼、合掌。
なんでまた、このような所でこんな企画展が?
氏の父親が宝珠山の炭鉱で働いていた関係で、氏が小さい頃しばしばこの地を訪れていたというのです。
その炭鉱は昨年のNHK朝ドラ「花子とアン」に出てきた蓮子お姉さまの嫁ぎ先である嘉納伝助のモデルとなった筑豊の石炭王・伊藤伝右衛門が経営していたもの。
「いぶき館」の建物は、彼が邸宅の一部をこの地に移して、社交場「炭坑クラブ」として使っていたであるとの事。
不謹慎ではありますが、ある意味タイムリーになってしまったこの企画展、まだやっているんかな?

ふれあい広場から→
左端の建物が「いぶき館」と思いますが。

広場にある坑道入口の跡→
昭和38(1963)年に炭坑は閉山。

↓15時半すぎ、日田駅へやってきました。




↓この町は見所満載で広範囲に渡るので、駅横の観光案内所でチャリを借りることにします。

ただ、大牟田と違って17時までなのが恨めしい。

(451)大分県日田市役所
江戸時代は日田金・日田銭といった金貸し屋で有名で、九州の金融の中心的役割を果たした
「天領日田」。天領とは幕府直轄領の事です。
いつだったか有名になった中津江村(なかつえむら)は、合併で日田市が呑み込んでおります。

さ、あとはひたすら観光するだけ。
日田に来るのは初めてではないのですが、これまで素通りしていました。
で、実際市内を廻ってみると、私が全く想像していなかったそれはそれは素晴らしい風景が広がっていたのでございます。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ



104日目 北部九州・史跡巡り(9)~うきは

2015-01-11 00:27:08 | 九州北部
2014年10月11日(土)


前に降り立った時はまだ新幹線の工事中であった久留米駅では、しばらく駅周辺を散策。

駅の隅にこっそりPR→
あたかもバツとして立たされているかのよう。

↓これから乗る久大線の列車は、ホーム端っこのこんな寂しい場所から12時すぎに出発。

ですが、列車は立ち客がいるほどの満員。

↓揺られること30分、下車した駅は筑後吉井駅。

私の大チョンボで観光時間縮減のツケを払わされたのは、この駅のある「うきは市」。
パッと見、うきわ(浮き輪)に見間違えそうなこの地名、元々「浮羽」という立派な漢字があるのですが、今の流行に乗っかっちゃった訳だな。

↓駅前通りを真っ直ぐ歩いて、ぶつかった道(筑後街道・国道210号線)を右折すると橋に来ます。

ここを越えると、古い建物が多く見られるというのですが・・・。
ま、橋を渡ってすぐ左に曲がっていつも通りのノルマをこなして後、その古いという建物たちを見て廻ろう。

↓まさか古いとは言っても、こういう古民家が立ち並んでいる訳じゃないと思いますが・・・。


(449)福岡県うきは市役所
平成17年に浮羽郡の浮羽町と吉井町が合併してできた市ですが、人口は緩やかに右肩下がりで、約3万2千人。

↓この役所の敷地には行政にしては珍しい足湯のサービスがあります。

吉井地区には温泉があるらしく、これも本当に温泉のお湯らしいです。
が、私は足湯には全く興味ないので、どうでもいいですけど(中途半端に足だけが浸かるのがイヤなのである)。

住宅が密集する中を歩いていくと、それは徐々に見えてきます。

↓吉井観光の案内拠点・観光会館「土蔵(くら)」

この写真でどういう町か分かったようなものですが、詳しくは市の観光HPにお任せします。
「筑後吉井は江戸時代に久留米有馬藩と日田天領を結ぶ豊後街道の宿場町として栄えました。(中略)明治2年(1869)の大火を機に、火災に耐えられる白壁土蔵造りのほぼ現在の町並みになりました。(中略)平成8年(1996)に国の重要伝統的建造物群地区に選定され(以下略)」。
こういう町なので、できるだけ長く観光していたかったのですが、そうも言っていられなくなりましたので急いで見て廻ります。

南新川(みなみしんかわ)→
江戸時代初期、地元の庄屋さん5人が私財を投じて開削した川。
吉井地区は元々水が無くて穀物があまり採れない所であったみたいで、それで庄屋さんがお殿様に水を引き入れる嘆願をしたらしい。その結果、川ができてからは吉井はたくさん収穫できるようになってウハウハ状態に!
ですが、工事中に何と5人の「はりつけ台」が立てられ、これを見た人々は老若男女問わず子供までも工事に参加したのだという。
無慈悲なお殿様。それとも、こうでもすれば何が何でも川を完成させるであろうとの深い思慮だったのか?
右には「祇園さま」の名前で親しまれている、素盞嗚(すさのお)神社があります。

↓上の写真奥には「居蔵の館(いぐらのやかた)」があります。

公開されているのですが、入る時間はもちろんありません・・・。

↓上の建物の前の曲がり道の行った先には・・・、


白壁通り→
鮮やかな白壁の美しい商家が、これでもかというくらい軒を連ねています。

↓この通りの突き当たりには、さっき途中まで歩いた筑後街道で、「蔵しっく通り」と呼ばれています。



名前のとおり、多くの骨董品屋さんが建ち並んでいます。

そんな中、一際目立つお店→

えっ? 「カッパのへそ」ではなく?→
店名は「あけぼの 河童菓庵」で、「雷さんのへそ」はここの名物饅頭らしいです。

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104日目 北部九州・史跡巡り(8)~鳥栖

2015-01-08 22:58:52 | 九州北部
2014年10月11日(土)


この年末年始はいつものごとく旅に出たのですが、2日に帰ってきてから左ふくらはぎが痛い状態が今日まで続いています。
腫れていて押すと痛いし正座もできないしで、おまけに赤いアザまで・・・。
どうやら肉離れを起こしてしまった(あくまで自己診断)みたいです。
歩くのには支障はないけれど痛いので、どうにも痛みが引かないようであればお医者さんのお世話に・・・。
新年早々、本当にロクなことがありません・・・。

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鹿児島線に乗って前日と同様南下します。

↓博多の隣・竹下駅にて初めて目の当たりにする「ななつ星」

この連休は書き入れ時だと思うけど動かないのね。
お蔭で実物を見ることができた訳ですが。
ただ、ほとんど興味がないので、乗りたいとまでは思いませんけど。

↓予定より遅れて乗り込んだ鳥栖(とす)駅

この駅舎は古く、明治22(1889)年に完成したもの。
でも、古いのはこれだけではないのだ。

舶来の線路を使って屋根の支柱にしています→

↓ホームからは巨大な「鳥栖スタジアム」が丸見え。


駅前通り→

途中から轟木川という小さな川に沿って北方向に歩きます。

(448)佐賀県鳥栖市役所
道路・鉄道などの面から見て九州で最大の交通の要衝地。
それゆえ、いろいろな業種の工場が集まってくる極めて恵まれた自治体。
昭和29(1954)年、鳥栖町など2町3村が合併して市制を敷きました。
ここにもあった昨年還暦の自治体。
ただ、昔から思っていることなのですが、佐賀県の市であることに違和感ありあり。

↓今度は轟木川を南下すると、長崎線の高架線が行く手を阻みます。

高架線をくぐる道路へ迂回しますが、その道は旧長崎街道。

再び出会う轟木川に架かる境橋→
「境」と付いてくらいなので、何らかの境となっていたのは容易に察しできます。
この川は佐賀藩と対馬藩との境に当たり、この橋の先には番所跡(検問所)の目印が建っており、かつては宿場町(轟木宿)でありました。

↓鳥栖のパワースポット、日子(ひこ)神社

慶長2(1597)年、時の佐賀のお殿様が豊前・英彦山(ひこさん)神社から勧請した神社。
ここでシーボルトが天測して轟木の位置を測定したと言います。
鳥居横には池がありまして(分かりづらいですが)、それは願いを叶えてくれると言われている、その名も「叶池」。

いかつい姿した吽狛犬→

長崎街道を駅の方向に戻ります。

↓数軒ですが、昔ながらの商家が建ち並んでいる所。


途中で脇道(ウラ道といった方がいいかも)にそれます。

素晴らしいしもた屋に遭遇→
この建物がある辺りはちょっと怪しげだけど、それがまたいい雰囲気を醸し出している飲み屋街をでありまして、そこをウロウロして駅前通りへ向かって歩くと、またもありました!

↓中央市場



木の骨組みのアーケードが覆い、昭和的な廃れた感じのお店が並んでいます。
とってもいいではないか!
ただ、一軒も営業していなかったのは、残念至極。

↓開いていれば、ここのアイスキャンディーを買ったのに・・・。


などと、余裕を噛ましていたのはここまでで、鳥栖11時10数分発の電車に乗ればいいはずだと思ってホームに行き、何げに時刻表を見るとそんな電車はないではないか!
その11時10数分発は実は、久留米駅から乗る久大線の時刻でありまして、気がついた時には、当然それには間に合いません。
ある町の観光に時間をたっぷり確保していたのですが、泣く泣く縮小するしかなくなりました。
何をやってもダメな日は、本当にどうにもなりません・・・。

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104日目 北部九州・史跡巡り(7)~福岡中央区

2015-01-07 23:41:36 | 九州北部
2014年10月11日(土)


明けましておめでとうございます。
本年どうぞよろしくお願いします。
という訳で早速ですが、しばらく放りっぱなしにしていたブログを再開します。


この日は何故だかやたらとボケボケしていた日でありました。
起きてすぐに予定表をどこかにやってしまったのが判明し、目覚めから慌てふためいたのがケチの付け始め。
どうにも見つからん! 
諦めて7時前にホテルを出ます。大雑把にスケジュールは頭に入れていたので何とかなるだろう、という安易な考えを持って・・・(結局夜になって、よく使っているメモ帳に挟んであったのが判明する)。

ホテル近くの「昭和通り」→
お目覚め感は今一つの通り。

大濠公園を散歩します。

大濠(おおほり)池→
周囲約2キロの、福岡市民の憩いの場。
公園のあるこの場所は、元々博多湾の入り海で、昨年の大河ドラマで相当世間に名が知れ渡ったであろう福岡藩初代藩主・黒田長政が、福岡城を築いた時にここを堀にしたという。
そして大正15(1926)年に福岡県が堀の改良工事に着手、昭和4(1929)年に大濠公園として開園。

↓道路は閑散としていても、公園は早朝から健康的な人たち多し。

11月14日に記念すべき第1回の市民マラソン(福岡マラソン)の開催が迫っているのもあるみたい。

池の中の島にて→
ま、そういうことです。

↓ホテルから持ってきた地図を見ると、この辺は「如水隠居」とあります。

今も昔も、ここは「お隠れ」の場であるらしい。
キョトンとした様子のワンが可愛らしい。

公園近くの福岡城跡へ→

目指せ、本丸→
ただし、跡ですが。

↓グルッと見渡す。

福岡城は、黒田長政が慶長6(1601)年から7年をかけて築いたお城で、別名「舞鶴城」。

↓お城の眼下には柵に囲まれた丸い原っぱがあります。

鴻臚館(こうろかん)跡、今で言うところの迎賓館で、7世紀には既に存在していたらしい、かなり古い施設。
時を最近まで進めると、かつての平和台球場でもあります。
ここで野球を見たことはありませんが、目を閉じると、当時の歓声・球音が聞こえてきそう。

明治通りを東に歩きます。

〔37〕福岡県福岡市中央区役所

珍しい水のデジタル時計→
どうせ凝るなら、小便で時を刻むようにして欲しかったところ。

福岡市の中心・天神へ。

渡辺通り→
右にあるは西鉄福岡(天神)駅で、駅の真上はバスセンター。

(447)福岡県福岡市役所
言わずと知れた人口約150万人の九州最大の都市。
市名を決める議会で投票をした結果、「福岡市」と「博多市」が同数となったので、最後は福岡出身の議長が「福岡市」に票を投じたという。
もちろん政令指定都市で、東・博多・中央・南・西・城南・早良の7つの区に分かれて・・・えっ!?8つあるって?一体どういうこと?
カワイイ区
名前からして女性限定の何らかの区?
或いは、他の都市に比べて、独身男性より独身女性が圧倒的に多いという福岡市が、「多くの可愛い女性がこの区に登録しています。男、カモン!」といった、婚活の一環として作った区?
ではなく、市のHPによれば「福岡の魅力や特性を、カワイイというコンセプトで発信し、交流人口の拡大や、産業振興などにつなげていくことを目的としています。」とある仮想区
趣旨に賛同できれば、来る人拒まずらしいです・・・。

↓人影は写っていませんが、実は周りでは準備でてんてこ舞い。

博多駅前も会場となっており、そこも同じく大わらわでした。
この日(10月11日)から3日間、「アジア太平洋フェスティバル福岡2014」が開催されますが、ただ、台風が近づいているのが悩ましい。

博多駅8時53分発の電車に乗るつもりですが、天神からバスでも駅へ行けます。
しかも100円と、地下鉄に比べて安い!

これを使わない手はないじゃん→
ところが、あちらこちらで渋滞が始まっておりまして、挙げ句、乗る予定の電車には乗れずじまい。
あ~あ。地下鉄なら余裕で間に合ったはず。やっぱり安かろう悪かろうだな・・・。

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