ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

143日目 いよいよ、こんぴらさんへ

2016-02-15 23:01:01 | 北四国
2015年12月30日(水)


四国生まれの私ではありますが、階段地獄・こんぴらさんへはまだ行ったことがなかったので、個人的には今回の旅での一番のハイライト。

さて、この3ヶ月前の9月に行った北海道・赤平市のズリ山で、自慢の健脚(?)が思っていたほど強くなかったことにかなりのショックを受けた私でしたが、この時既に年末年始には金刀比羅宮に行くのは決めてましたので、それに備えて鍛えておこうと決意!
したんですが、一日たりとも決意を実行することなく・・・。結局、さらに衰えを増した上での今回でございます。

足裏が痛く、たいぶ疲労は溜まってはいますが、気力・余力はまだまだ充分!その気になればこのまま高松までも歩け・・・ませんが。

登り初めてすぐに横道に逸れます。見ておきたい建物があったので。
旧金毘羅大芝居(金丸座)→
天保6(1835)年築の、現存する日本最古の芝居小屋。
催しがなかったこの日は中を見学できたのですが、時間の都合上、外面を見て終わり。
ここに来るのにかなりの急坂を上らねばならず、結果的にムダに体力を削がれただけでした。

表参道に戻ります。
ちょうど100段目、一之坂鳥居→

↓ここを登りきると大門(365段目)
 
この門から金刀比羅宮の境内になります。
私と言えばまだまだ元気です。

桜の馬場→

馬場西詰銅鳥居→

上の鳥居近くにある、こんぴら狗のゴン→
こんぴら参りに行けない代わりに、飼い犬に参拝に行ってもらう風習が江戸時代にあったそうです。
「こんぴら参り」と記した袋を犬の首にかけ、旅人から旅人へ代わる代わる連れられ、無事にこんぴら参りを果たした犬が「こんぴら狗」と呼ばれました。何とも微笑ましいお話しではないですか。
我が家の愚犬じゃ、そんな芸当は到底ムリだな・・・。

旭社→
このあたりの階段になると、肩で息をしていかにもしんどそうな人多数。
まだまだ余裕のある私はその横をイヤミっぽくさっさと追い抜く。

ちょっと骨っぽい階段→
最初に想像していたのは、階段は赤平のズリ山階段のようにひたすら続いているものだと。
実際には数十段程度を登って、しばらく平地、また階段、そして平地、とそんなのの繰り返しだったので、思っていた以上に楽。
でもいずれ、地獄のような泣きたくなるような長い階段があるのだろう、と登っていたんですが・・・。
↓上の写真の階段を登りきったら、御本宮(785段目)にあっさりついてしもうた。

何だ、こんなもん?、というか、物足りない
赤平の山は平地を歩く箇所はなく、ひたすら階段を登るだけで、しかもほぼ休まずに登っていたから膝がガクガクしていたのだな。
それほど足は衰えていないじゃないかと変な自信を回復する。

金刀比羅宮は海の守護神で、御祭神は大物主神と第75代・崇徳天皇。

絵馬堂→
全国から奉納された船の絵や写真が飾られております。

眺めがいいです→

さて、私のように御本宮程度では物足りない人のために(?)、神様はちゃんとその先をご用意してくれてます。
奥社への参道→
ただ、日は落ちて黄昏始めた時間なので、その先にも行こうという変わり者勇者がいない。
行きたいんだけど心細いよなあ(かなり小心者)、と思っていたら若いアベックが果敢に突進して行く。
これは渡りに船(こんぴらさんだけに)とばかり、その後を付いて行く(まるでストーカーだな)。

どう注意すればいいんじゃ!→
確かに茂みでガサゴソ音がする。気にはなりましたけど・・・。

↓御本宮から17・18分程で奥社(厳魂(いづたま)神社)に。

まだまだ登れるぞ、膝プルプルもなし。ただ残念なるかな、1368段目、果てでございます。
絶壁には天狗のお面がかかっているらしいんですけど見忘れる。というか、暗くて見えなかったとは思うけど。
御本宮ではお参りしなかったので、ここで。

夜景はもっといいですな→
しばらくこの景色を眺めていたのですが、アベックはとっくに降りて行ってしまって、あたりは物の怪が出てきそうな山奥の気味悪い闇の中。
急に怖くなり超マッハで御本宮に戻る。
すれ違う人がいなかったので、私がこの日最後の奥社の参拝者となった、かも。

御本宮に戻るなり、こんぴら参りのベテランと覚しき人に「イノシシはいなかった?」と声かけられる。
「確かに茂みでガサゴソ言ってましたけど、サルかなんかかと・・・。」
「それがそうだろうねえ。」「・・・。」
用心なさすぎにも程があるよなあ(猛省)。

↓人影がなくなり、店仕舞いした観光地は、何て寂しいんだろう。


ことでんで高松に戻ります→
どう見てもペンギンにしか見えんわ。

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143日目 こんぴら参り・前座

2016-02-13 23:32:05 | 北四国
2015年12月30日(水)


こんぴらさんへ早く行きたいのですが、はやる気持ちを抑えて先に市街地の散策してみます。

参道となっている全蓋式の新町商店街→
またの名を「こんぴらレトロ街道」というけど、人はそこそこいるも、かなり賑やかといった商店街でもない。

実家への琴平土産は、こんぴら船をかたどった「本家船々堂」のおせんべいにしようかと思っていたのですけどね。
こんなお店を見つけてしまったのだ→
創業90年余りの琴平で最も古い老舗和菓子店「へんこつ屋」。お店横にある「天皇陛下御召上の品」の看板を見て考えが変わる。建物が文化庁登録の有形文化財であるといいます。

へんこつまん→
お店の中でも食べられます。
年寄りへのお土産だからな、硬いおせんべいじゃ難儀だろうから、この方が良かろう。
因みに「へんこつ」とは、曲がったことが大嫌いな頑固者のことで、生涯自称「へんこつおやじ」で通した初代が、こんぴらさんの麓で発売したしたことが始まりらしいです。

↓アーケード商店街を出ると、金倉川(かなくらがわ)を跨ぐ一ノ橋。


↓一ノ橋から下流側の玄孝橋(げんこうばし)より琴電琴平駅方向。

向こうの橋は大宮橋、鳥居のウラがの低い建物が駅。
もう一方のノッポな建物は高さ27.6mで日本一の高燈籠で、慶応元(1865)年に完成。
瀬戸内海を航海する船のために建てられ、今も夜には明かりが灯されております。

玄孝橋の上流側→

琴平は金刀比羅宮という有難い神様のお参りを目玉とする観光地でありますが、地元ではできれば隠したいんじゃないかと思われる(?)、かなりディープな、でも歴史のある世界が写真左側に広がっております。

門前町にそぐわない一際目立つ建物を拡大→
ま、見ての通りのお風呂屋さんです、大人の男が楽しむ所のね。
これは仕舞屋になっていましたが、左横のお店は立派に商売しておりました。
尤も、こんな所じゃあバア様がお出迎えするイメージしか沸かんけど。

↓この建物のウラ路地には、怪しげなカオリのする建物多数。
 
元遊廓であったこの一帯、江戸時代の琴平は天領だったので、かなり自由に歓楽を提供できる街として発展でき、昭和5(1930)年の「全国遊郭案内」には、「貸座敷は目下28軒あって、娼妓は約111人程いる。」と記載されているようです。
参拝での汗を流して、また汗をかく!パラダイスな街だったんだな、琴平。昔の人が羨ましい。それにしても「娼妓は約111人程」という意味がよく分からん(笑)。
正直、金刀比羅宮への表参道歩きよりもここ散策の方が面白かったですよ、個人的には。

↓川を上流側に遡ると鞘橋(さやばし)があります。

橋柱のないアーチ型の珍しい木造橋。
ただ普段は立ち入り禁止で、金刀比羅宮の御旅所で行われる年三回の祭典の時だけ使用。

↓この橋の目と鼻の先には、琴平花壇という寛永4(1627)年創業の超老舗旅館。


↓アーケードとはケタ違い、詣で客でごった返す表参道。

さすがは世に知られたこんぴらさんだけあります。
実はこんぴら参りは初めてでございまして、だからか私の頭の中は既に、♪金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュシュ、でいっぱいでございます。

↓清酒醸造元の酒造屋を使った資料館「金陵の郷」。


↓琴平グルメで楽しみにしていた「こんぴらうどん」。

「しょうゆ天」がお目当てだったのですが、この時既に16時すぎ。営業時間は17時までなので絶望的。

ここが最初の階段だったかな?→
いよいよ「心臓破り」と称されるこんぴらさんの階段ですが、一体どんなもん? 

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143日目 まんのう町から琴平町へ徒労歩

2016-02-11 01:04:14 | 北四国
2015年12月30日(水)


滝宮駅からまた電車に揺られ、まんのう町(ちょう)に入ります。

↓目の前が羽間池という羽間(はざま)駅にて。

香川県をブラブラしていると必ずと言っていいくらい目に付くのが池。

温暖で降水量が少なく、大きな河川が流れていない香川県は、昔からしばしば渇水に見舞われ、そこで水不足を補うための策としてあちこち作られたのが溜め池。
今ではだいぶ数を減らしたものの、狭い讃岐平野に15,000近くあるもあるのだから、そりゃイヤでも視界に入ってくるワケです。

こんなにも溜め池が沢山ある香川県ですが、その数は全国で見ればそれでも3位なんだとか。
1位は兵庫県で、その数はぶっちぎり断トツの約43,000で、2位は広島県と、共通しているのは瀬戸内海に面している県。たしかに雨はあまり降らない感じだよなー、ここらは。
だから渋々雨男を自負せざるを得ない私が、このあたりに行っても滅多に降られないのも分かるというもの。
そんな気候だから香川県では良質な小麦がとれ、塩もできたので「さぬきうどん」が発達した訳ですが、意外ですが山の方ではソバも多く栽培されていたりします。

ここ、まんのう町の由来となったのも溜め池「満濃池」から。
満濃池は、面積は約1.4キロ平方メートル、周囲は約20kmで溜め池としては日本一。

大宝年間(701~704年)に讃岐国守・道守朝臣により創築され、各地に超人的な伝説を残すスーパー坊主・空海も修築に当たった事もある歴史のある池なのですが、いくらゴッドハンドを借りても所詮自然の力の前ではちっぽけな存在にすぎず、しばしば決壊を繰り返す。
今回残念なのは、ことでん沿線からは満濃池が見えないって事。

そんな香川県ですが溜め池をいっぱい造った程度では水不足は解消せず、吉野川から香川用水を引いてどうにか苦しみから解放される。

↓終点・琴電琴平駅の一つ手前、榎井(えのい)駅で下車。


↓長閑な田園風景広がる所へフラフラやってまいりました。


菜の花が咲き乱れ、春爛漫な感じ→
実際、冬が嘘のような春を思わせる暖かさ。

ところで、こんな長閑な場所へ来た理由なんですが・・・。
実は知る人ぞ知る(?)、高貴な場所があるので、皆様にこっそり教えちゃいましょう(他言無用で)。

天皇陛下や皇族方がお忍びでお見えになる所?→

↓建物横には「天照大神」と刻まれた碑もあったりする。


↓菊の御紋こそないけど、電柱に貼り付けてあるプレートが印籠のよう。


何てことない、この近辺の地名を「天皇」といい、要は気になってきてわざわざ足を運んでみたワケです。ただ、実際にはご覧の通りどーってこのない畑の中にある住宅密集地の一角。
おまけに地名の由来を地元の人に聞いてみたかったのですが、人っ子一人歩いていないし・・・。

昔は天皇や上皇、皇族はしょっちゅう四国に「島流し」にあっていたので、それと何か関係あるのかな?、と思ったけど、少しも手がかりを得られず、得たのは徒労だけ。何のために行ったんだか・・・。

これ以上の格式のない「天皇」地名、実はここだけではなく、調べた範囲では四国に数箇所、仙台にもある事が分かりました。

(562)香川県仲多度郡まんのう町役場
平成18年に3つの町が合併してできた町で、人口は約2万人。
この役場をちょっと行ったところに中学校があるのですが、そこで昨年5月、教育現場ではあってはならない(?)事が起こり、ちょっとした話題になりました。

この後はとりあえず琴平町役場まで行くのですが、その距離およそ2.5km。
1.5kmほど離れた榎井駅に着いてもすぐに電車が来る保証もないし、バスは次の便までしばらく間があり全く使い物にならず。

↓結局歩いたほうが賢明だということで、県道28号線をトボトボ・・・。



実に気になる「どじょううどん」。溜め池が多いから、よくどぜうが捕れたんでしょう。
「しっぽくうどん」などと共に、香川の伝統的なうどんの郷土料理であります。

この日はまだ10km程度しか歩いていないのですが、足裏が疲労か妙に痛い。
後には超大物が控えているというのに・・・、コマッタもんだ。

(563)香川県仲多度郡琴平町役場
言わずと知れた「こんぴらさん」金刀比羅宮のある町。
面積は小さく、県内でもブービー。ただ人口密度は上位にランクされる。

JR琴平駅→

↓旧高松街道から参道へ。



まずは市街地をぶらついてみましょう。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

143日目 さぬきうどん発祥の地

2016-02-08 23:21:23 | 北四国
2015年12月30日(水)


ことでん長尾線の終点・長尾駅まで行ってから再び瓦町駅に戻り、お次はこんぴらさんのある琴平町が終点の琴平線に。
のっけからしばらくは結構な乗車率で、しかも若者が多かったので、すげ~ぞ、こんぴら詣では老若男女こんなにも流行っているのか!と思っていたところ、綾川(あやがわ)駅で一気にガラ~~ンとなる。

↓ほとんどの客はここ目当てだったのだ。納得。

地元商店街が弱り目の所に、さらなる祟り目としてトドメを刺しているコレ、どこもかしこにも進出して留まる事を知りません。

↓その隣・滝宮駅(たきのみや)駅で私含め数人が下車。

ますます空気輸送の比重の高まった電車を見送る。
大正15(1926)年の開業以来からずっと使われているらしい年季の入った老舗駅舎で、近代化産業遺産に選ばれているんだそうな。

↓(561)香川県綾歌(あやうた)郡綾川町(ちょう)役場

平成18年に綾上(あやかみ)・綾南(りょうなん)の2町が合併してできた25,000人程が暮らす町で、綾歌郡は明治32(1899)年に阿野(あや)と鵜足(うた)の2郡が合併した際に名付けられた郡。

1時間半程駅周辺を散策します。

滝宮天満宮→
天満宮と言えば、学問の神様で有名な菅原道真。
彼は讃岐守として4年ほど讃岐国で過ごしており、その際に塒としていたのが、天満宮のすぐそばの「滝宮神社(またの名を「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」ともいう)」の一角にあった官舎。

↓だからか?、狛犬ならぬ狛牛なのでござる。モ~~。


↓「北面の武士」という超エリート・コースを捨てて出家した、平安時代末期の西行法師さんがお掛けになった岩もあります。

西行さんはかなりのイケメンだったらしいので、ここで「さぬきうどん」でもすすっていたら、さぞかしCMになりそうなくらいのいい絵になった事でしょう。

町名の由来となった綾川に架かる滝宮橋→
昭和8(1933)年に竣工した橋で、平成23年には 「土木学会選奨土木遺産」に選ばれる。
戦前では香川県で唯一の開腹アーチ橋であったらしい。

上流側→

下流側→
眼下は「滝宮公園」といい、桜の名所。1ヶ月半後が待ち遠しいですな。
また、釣りスポットでもあるという。

橋の下に行ってみる→

橋桁の所にポツンと水車小屋があります。
綾川町周辺の地域は良質な小麦の産地で、以前の農家は水車で小麦を挽いていたという。
でも、壊れて惨めな姿を晒しております→
どうやら川の水かさがかなり増した事があったようですな。

↓釣りスポットのそばだからか、こんな石があったりする。

魚に詳しい某大学客員准教授が大喜びしそうだ。

↓滝宮橋からちょっと下流方向にある「道の駅滝宮」。


道の駅にある「滝宮の念仏踊像」→
菅原道真が讃岐にいた仁和4(888)年に、どエライ日照りが起こり、困っていた農民たちのために道真が七日七夜祈り続けたところ、三日三晩大雨が降り続いたので、農民たちは滝宮神社の前で大喜びしながら唄い踊ったのが始まりで、後に法然上人が振り付けをして、念仏を唱えながら踊るようになったことで、「念仏踊」といわれるようになったという。毎年8月25日に行われます。
それにしてもこの像、イチローが振り子打法だった頃の格好に見えるんだわ。

↓綾川町の自慢、というか滝宮が鼻高々、今や全国区となった「さぬきうどん」の発祥地。

空海和尚の甥である智泉(ちせん)和尚は、遣唐使として唐に行って習ってきた空海にうどんを教えてもらって、病弱であった故郷・滝宮の両親のためにうどんを作ったのが、「さぬきうどん」のルーツであるという。
日本でのうどんの起源は諸説あるようですが、大陸では諸葛孔明の家に来た客のためにうどんで饗したというから、仮に大陸から伝わったとしても伝来に相当長い時間がかかったもよう。

それはさておき、綾川町が発祥地であるとの一般的認知度が全くないのが残念。
町内にある案外知られたお店で思いつくのは「山越(やまごえ)うどん」くらいかな。

駅内にある「うどん会館」では、うどん打ちが体験でき、変わった名物では「さぬきうどんアイス」なんかがあります。
↓それでは発祥の地に敬意を表して、ここで冬の定番「しっぽくうどん」を戴きます!

ウマ~。

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143日目 コトコトことでんに乗って、まんでがん讃岐に触れる 

2016-01-30 14:00:29 | 北四国
2015年12月30日(水)


この日は高松琴平電気鉄道(通称「ことでん」)に乗って、その沿線の町巡りをすることにします。

瓦町駅からスタート→
地方私鉄にしては、やたらでっかい駅ビル。
かつては「コトデンそごう」「高松天満屋」が入っていた「ことでん瓦町ビル」で、昨年10月から「瓦町FLAG」としてリニューアルオープン。

ことでんのマスコットキャラクター→
青いのが「ことちゃん」、その右「ことみちゃん」。
ことでんは、明治44(1911)年11月18日に今の志度線の開業したのが事の始め。
記念すべき満100才の日には、こんぴらさんで二つのキャラの結婚式があったばかりか、昨年には「ことのちゃん」という子供も生まれたことになったという。
たかだかマスコットキャラクターでここまでストーリーが展開されると、かえって下らない気がしないでもないけど。

ところでこれらは何がモチーフとなっているのでしょうか?
私にはペンギンにしか見えないのですが・・・。

あるサイトにはキャラ採用の経緯が載っておりました。
平成13年の「コトデンそごう」倒産に伴って、ことでんは経営破綻に陥り、民事再生法を申請。
この時、地元に経営再建の支援を得るべく、ことでんは必要か問いかけたところ、「鉄道は要るけど、
ことでんは要らない」とけんもほろろな回答ばかりだったという。お世辞にも接客態度がよろしくなかったらしい。
地元との信頼関係が希薄なのを痛感した会社は、「ことでんは要るか?」の問いかけを忘れないようにと採り入れたのだとか。なのでモチーフは「イルカ」。

ま、ことでんの宣伝をする義理もないので、これで切り上げて本題へ。
因みにこの日使う切符は「ことでんフリーきっぷ(\1230)」。

↓長尾線に乗り、三木町(みきちょう)の池戸(いけのべ)駅で下車。


池戸駅出入り口の東側→
昔の駅周辺の写真を見ると、全蓋式のアーケードがずっと連なっていたのですが・・・。
それでも一部蓋が残っていたり、お店の前に棒が取り残されているなど、このハンパさは不可解。
そもそもこんな長閑な場所でアーケードがあった自体違和感あるけど、それがかえっていい味出していたんだろうけどね。

↓鉄道に沿って伸びる長尾街道旧道を東へ。

学園通り駅までの2km程を歩くことにします。

↓門は空いているのですが、建物には入れず。

この郡役所が置かれたのは大正8(1919)年ですが、当時1町18村あった木田(きた)郡も仲間をどんどん減らし、今では三木町だけ。

香川大学農学部→

池戸駅の2つ隣・平木駅→

駅前→
ここも以前はアーケードが連なっていましたが、老朽化が理由で撤去。
通りが明るくなったはいいけど、人がいないのでどっちにしたって廃れた印象を持たれてるに違いない。

↓アーケードは新川に架かる平木橋手前まで300~400m程ありました。


新川の下流方向→

(560)香川県木田郡三木町役場
高松市のベッドタウンで約28,000人が暮らす町ですが、ここ数年は微減。

近年は「希少糖の里 みき 」として売り出し中。きっかけは、希少糖を大量生産できる酵素が三木町で発見されたから。
希少糖とは、自然界に極めて僅かしか存在しない単糖のことで、またの名を「太らない砂糖」。
特に研究の進んでいる希少糖「D-プシコース」は、砂糖の7割程度の甘味がありながら、カロリーはほぼゼロで、「ズイナ」という植物の中にそれが多く含まれているのだとか。
そして香川大学農学部でこの研究が進められています。

もう一つの最近の町の売り出しものへ→
学園通り駅の南にあって、平成25年にできた「三木まんで願鏡(がんきょう)」という高さ約8mの巨大な万華鏡。

↓下から覗くと、こういうふうに次々に色や模様が変わっていきます。
  
一度見たらもういいやって感じのモニュメント。「まんでがん」とは讃岐弁で全部とか目一杯とか意味。

町のシンボル「白山」→
「はくさん」ではなく、「しらやま」。讃岐七富士の一つで標高203m。

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142日目 夜の高松を徘徊する

2016-01-27 23:31:15 | 北四国
2015年12月29日(火)


日が落ちればもはやホテルに戻るだけなのですが、総延長2.7kmで日本一の長さを誇るアーケード街・高松中央商店街を無視するのは大変失礼かと思い、長さを体感してみます。

↓その前に、高松自慢(?)でシンボルの、四国一高い(地上151.3m)名前もまさに「高松シンボルタワー」も載せておかないと。

そうしないと高松市民に怒られそうだから(笑)。

↓暗くなったらJR高松駅前が眩いばかりのキラキライルミネーションに包まれる。
 
でもなあ、「四国=野暮ったい」といった、昔から引きずっているイメージで洗脳されてしまっている私にとっては、こんな煌びやかな光景はどうも似合わない気がしてなりませぬ。

↓アーケード街ほっつき歩きのスタートは、江戸時代に高松藩の武器庫があったことに由来する「兵庫町商店街」から。


↓まっすぐ東に歩くと、「片原町西部商店街」と「高松丸亀町商店街」との接点となる「高松丸亀町壱番街前ドーム広場」へ。
 
遥か頭上には平成19年に完成したアーケード街のシンボルというべきクリスタルのドームがあって、その高さ実に32mで直径26m。この北側には三越百貨店があります。

↓そのまま「片原町西部商店街」をまっすぐ。


↓途中で南北を貫く「ライオン通商店街」が分岐。

パッと見た目、飲食店が多そうな感じ。
何でライオンなのかと思ったら、この通りには「ライオンカン」という映画館があったかららしい。

↓ドームに戻り、「ライオン通商店街」の西側に平行して伸びる「高松丸亀町商店街」へ。

屋根、高すぎ・・・
高松築城と頃を同じくしてできた400余年の歴史を持つ街。
同じ香川県にこれまたお城で有名な丸亀という市があるのですが、当時の殿様が丸亀の商人をこの地に移したからなんだとか。
写真左奥にチラリと写っている昔ながらのブロック造りの建物は「百十四銀行高松支店(昭和元(1926)年築)」で、戦時中の空襲時は決死の消火作業で被害を免れたという。

丸亀町グリーン→
この奥を出ると四国の大動脈・国道11号線が通り、続いて「南新町商店街」となります。

ところで、すれ違いざまに「今日は妙に人が多いわね~」という会話をよく耳にする。
4年前の大晦日夜にこの商店街を歩いた時は、ほとんど人がおらず気持ち悪いほどガラ~~ンとしていたものですが(大晦日だったからか?)、それが嘘のようなこの日の賑わい。
帰省で帰ってきた人達が街に繰り出してきたのかな? それにしても日が落ちてもこんなに人がいるなんて、地方都市ではそうはないぞ・・・。

人通りが絶えてシャッターばかりが並ぶ他の都市の商店街店主達は、万策尽きて高松丸亀町商店街のこの姿をヨダレを垂らさんばかりに見つめるしか術はなくなったかも知れませんが、この商店街はここなりに、こうなるまでは相当の苦難があったという。
私は見ていないのですが、2年前に「カンブリア宮殿」という番組でここが取り上げられたようですが、ピーク時に比べ売り上げは6割、通行量も7割それぞれ減ってしまいジリ貧状態だったのを、商店街に人が定住してもらうような作戦に打って出て盛り返したという。結果、商店街再生のモデルケースとして年間13,000もの人が視察に訪れる程に。

南新町商店街→

因みにアーケード街を離れた姿はどうなのか?
↓高松琴平電鉄・片原町駅近くのウラ通り
 
やっぱりありました、うらぶれた昭和の枯れすすきのような、廃墟好きにはたまらなくゾクゾクするような通り。
何故かラーメン屋数軒が固まっている。「うどん県」に喧嘩を売っているんか、オラ!

↓丸亀町商店街・南新町商店街に交差する通り
 
綺麗な姉ちゃんがいそうなお店もいっぱいないとね、街は盛り上がりませんわな。

↓「田町商店街」と続いて、ここでようやく蓋が途切れました。

さすがに人もおらんようになりましたわ。あまりにゆるすぎるキャラを見て疲れがどっと出る。
ドームから1.2kmくらいかな?ゆっくり歩いたので結構長く感じたなあ・・・。
他にもアーケード街はあるのだけど、もういいや、途中寄ったスーパーで大量に調達した酒とつまみで、翌日に向けての英気を養うことにします。

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142日目 高松で在りし日の宇高連絡船を憶う

2016-01-23 23:59:45 | 北四国
2015年12月29日(火)

志度を出れば後はひたすら千葉に戻るだけなのですが、もちろんそのまま真っしぐらに帰るはずもありません。

栗林(りつりん)公園北口駅で下車→
ここで降りたら日本に関する旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で星みっつ!に格付けされた(「わざわざ旅行する価値がある」という意味)特別名勝・栗林公園はすぐなので絶対に行くべきなのですが、志度寺での一件で時間がなくなってしまいました。あのBB(略)め・・・。
というか無理すれば廻れなくもなかったんですが、せっかくの三星は是非時間をかけて見たいので・・・。

とりあえずホテルにて荷物を置いて一休みしてから街へ。
香川県庁
今や全国的に知られるようになった「うどん県」、100万人をやや下回る人口。
全都道府県で一番面積が小さく、しかも自治体で一番広い岐阜県・高山市以下。

明治4(1871)年にできた香川県は、明治6年に今の徳島県に当たる名東(みょうどう)県に呑み込まれるも、香川と徳島は反りが合わなかったようで、明治8年にまた香川県として独立する。
ただ今度は県令と県役人との対立がきっかけとなり、明治9年に愛媛県に吸収合併させられ、明治21年にようやく全国で最後に誕生した県として晴れて再び分県する。
くっついたり離れたりどこぞの芸能人を見ているよう。

高松出身の文豪で、芥川賞や直木賞を創設した菊池寛に因んだまさに「菊池寛通り」を進むと、中央公園があります。
菊池寛の生家跡の碑→
せっかくの碑なのに後ろには公衆便所。もう少しレイアウトの面は何とかならなかったのかねえ。

(559)香川県高松市役所
四国の企業の本社や、大企業の支店、四国を管轄する国の出先機関などが集まる四国の中心拠点。
ただ人口は四国では松山市に次いで2位の約42万人。
中央公園では様々なイベントが行われ、園内には香川県出身の偉人の銅像が見られます。もちろん菊池寛も。

中央通りを北へ→

↓高松市のアーケード街の総延長2.7kmは日本一。

後でブラブラするつもりでおります。

↓栗林公園を諦めたので、せめて高松城跡である玉藻公園を・・・。

と思って行ったのですが、想定通り休園。
約230年間にもわたって高松を治めた松平氏の居城。堀に海水が引き込まれた水城で、ここと今治城(愛媛県今治市)・中津城(大分県中津市)とで日本三大水城という。一応全て見てはいるけど、どれもお城の中には入ったことなし。

高松琴平電鉄の「高松築港駅」→
お城の石垣にベッタリ身を寄せている珍しい駅。

↓高松築港駅の目と鼻の先にあるのがJR高松駅。

正直言ってJR四国本社のお膝元の駅舎としてはかなりちっぽけ。昔の方が貫禄あったような。
県も小さいからこうなのか、経営が苦しい(との噂される)JR四国の懐事情のせいなのか・・・。

↓駅前とそこにある像→
 
高松を訪れた人にはニッコリ笑った鬼がお出迎えしてくれます。
怖いハズの鬼にもっと癒されたい(?)という方は、高松沖にある女木島(めぎじま)という島へ是非!
そこはむかーし昔、イヌ・サル・キジを率いた桃太郎が鬼をやっつけたとされる鬼ヶ島でございまして、「鬼ヶ島大洞窟」なる観光スポットがあります。

ところで、女があれば男もある、というワケで男木島(おぎじま)という島もあります。
どちらの島にも古い集落が残っており、集落町並み散策好きな方には超オススメなんだそうです。

高松港→

港を眺めるうちにハテ?、帰省時に幾度も乗った国鉄宇高連絡船の桟橋はどこだろう? 見回してみたのですが、それらしきはちっともない。
そこで客待ちしていたタクシーのおっちゃんに聞いてみると「あそこらへんだよ」と教えてくれる。
それが「高松港旅客ターミナルビル」→

↓早速行ってみると、モニュメントがあるではないか。




↓当時(黄色の線)と今(緑の線)の海岸線がひと目で分かります。

左下の緑の塊が今の高松駅で、その斜め上が私がいる所、黄色く細長いのはその頃の高松駅。
ちょうど今いる場所が桟橋、というか海だったのか。信じられないな。

↓下船後、帰省客でごった返す中を掻き分けて通路を歩いて階段を降り、この横にあったディーゼル音が鳴り響くホームへ・・・とセンチになる。


↓ついでに連絡船の思い出と言えばコレ。

船に乗ったら必ず甲板に行って、そこで潮風に当たって海と島々を眺めながら食べた「讃岐うどん」はとっても美味しかった。
その味を知っている人は皆が皆そう言っているのだから、本当に美味しかったんだろうなあ。

↓駅で営業している「連絡船うどん」に入って、その頃の思い出に浸るとするか。

地元の人は、駅前や繁華街・幹線道路沿いにあるお店で満足しているのはシロウトだと言うけれど、でもいいのだ。
よそから来た人は、香川県で「讃岐うどん」を食べられればそれで満たされるのだから。

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142日目 日本のダ・ヴィンチと墓守り婆さん

2016-01-20 23:46:45 | 北四国
2015年12月29日(火)


↓香川県庁所在地の高松市をすっ飛ばして、さぬき市・志度(しど)駅へ。

志度は市の中心的地区。
ところで千葉からの往復切符片道分はここでおしまい。有効日数は片道の倍の12日ですが、千葉を出て24時間経たないうちに半分を使い切ってしまったと思うと何だか虚し。

駅右手にあるお店→
屋号を見て、炊き込みご飯屋さんか? と思い覗き込むけど・・・。
先ほどまでウロウロしていた坂出に本社がある和菓子屋さんでした。
お腹が空いていたんだけど、そういう事なら用なし!

↓讃岐(さぬき)国の「さぬき市」に来たのだから(?)、やっぱりこれでしょ!

駅の左側すぐの所にある牟礼製麺さんで「卵とじうどん」を注文。
やっぱりうどんは(私が四国生まれだけあって)これに限りますわ(誤解を招くとマズイので念のため言っておきますが、この「さぬき市」が「讃岐うどん」の本場というワケでは必ずしもありません)。旨いし、しかも\270と安い!
このお店は、うどんは勿論、日本・支那そばまでも作っているそうな。お昼時とあって、客の入れ替り立ち替りが激しく大繁盛。

満足して、早速街の散策を。
↓駅前通りを海に向かって歩くと、左側に高松琴平電気鉄道の終点・琴電志度駅。


↓海に辿り着く前に、昔の雰囲気漂う道と交差する。

この道は、「日本のダ・ヴィンチ」と呼ばれる大天才の名前が付いた通りだったりする。

先に高松寄りの西側から。
玉浦川のほとりにある「新町自然石灯籠」→
石鎚神社の信仰と玉浦川河口に係留する漁船のしるべの役割。

横を見ると・・・。悲しい扱いの文化財→

↓もうちょい歩くと、通りの名前が付けられた大天才、現われたでござる。
 これじゃ顔が分からんね・・・。

これならどうかな?→

↓銅像の横には大天才の旧邸があって、さらに隣が遺品館(でも休館)。

平賀源内って誰?、という人もいるかも知れませんが、夏になったら必ず目にするあれを考えたお方。
その時期に食べるものと言ったら? いろいろあるけど、やっぱりアレでしょ、夏バテ防止のアレ

売上不振に悩む鰻屋さんに相談を受けた彼が、「今日は土用の丑の日」と書いた張り紙を出して宣伝し、お蔭で鰻屋さんは繁盛したそうです。
今で言うキャッチコピー、その日本で最初が「土用の丑の日」なんだそうです。

源内は暴れん坊将軍・吉宗の頃の人で、教科書にも出てきた「エレキテル」を復元したり、近年悪者扱いの石綿(アスベスト)を発見したりで有名なのですが、実に多才な人であり、肩書きを見ればそれが分かります。
発明家・陶芸家・画家・本草家・起業家・鉱山家・地質学者・医者・戯作者・浄瑠璃作者・俳人などなど・・・一体いくつ持てば気が済むんだ! というか呆れる位。
ですが、あまりに才ありすぎたせいか、強烈キャラ(?)すぎたのか、男好き(肖像画を見ればどことなくソレっぽい)だったためか、周りの人々にはなかなか理解されず、山師呼ばわりされる始末。惜しいかな、生まれてくるのが早すぎた!

↓でも「源内通り」にはこんな感じのものがそこらに貼られ、郷土の誇りの程が窺い知れる。 


海岸線に沿った通りを歩く。
玉浦川河口→
左のぽっこり突き出ているの山は「五剣山」(標高375m)。この山は危険箇所が多くあって入山禁止らしいですが・・・。登山ブログも結構あるし、登ろうと思えば登れるらしい。
奥の陸地は「小豆島」。「あずき島」じゃないですよ! でも昔は本当に「あずき島」と呼ばれていたらしいですけど。

(558)香川県さぬき市役所
平成14年に旧大川郡の5つの町が合併した市。
大川郡は元々、大内郡+寒川郡からなる郡名で、さぬき市はほぼ旧寒川郡に相当する地域らしいので、ならば大川市や寒川市でいいじゃないかと思うんですが、大川市は福岡県に既にあるので名乗れないのは仕方ないとしても、どうもお偉い方は(ここに限らず全国的に)古来由緒ある地名が大キライみたいです。
結果、安易に旧国名を使い、おまけに近年流行りの平仮名都市名にしてしまったばかりに「たぬき」に見えてしまってます。実に嘆かわしい・・・。

駅前通りの東側へ。

平賀源内記念館→
ここもお休みです。

↓四国八十八箇所霊場第86番札所・志度寺の門。


↓上の写真右側の自性院には源内さんのお墓があります。

東京都台東区にもお墓があります。左の石像は源内さんじゃないと思うけど(多分)。

志度寺境内→

海女の墓→
このお墓にまつわる悲しい伝説があるのですが、それは「さぬき市観光ガイド・海女の玉取り物語」にお任せするとして、墓前で供養・掃除していた婆さま(写真には微かに写っている)に手招きで呼ばれ、まんまと話し相手にさせられてしまう。
最初は10分くらいで逃げようと思ってましたが、なかなか許してくれず延々40分も話しの相手にされてしまったので、予定していた列車を一本ずらすハメに。
ところでこの婆さま、地元でもちょっとした有名人らしく、10年以上もずっと毎日手弁当で墓守りしていて、草ボーボーだったお墓の前を一人でキレイにしたのだと。畏れ入りました。

こちらは翌日(12月30日)に行った、さぬき市・長尾地区。
第87番札所・長尾寺→
正月に向けて(?)、準備万端手ぬかりなし。
因みに、四国には札所のない市町村はザラにあるのに、さぬき市には札所が3つもあったりする。
欲張りすぎだわ(笑)。

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142日目 苦戦する瀬戸大橋の袂の町

2016-01-18 20:46:41 | 北四国
2015年12月29日(火)


↓快速「マリンライナー15号」は瀬戸大橋を渡ります。

眺めは抜群で最高でございます。旅先では雨に祟られる事の多い私ですが、昔から四国への行き来は晴れが多く(しまなみ海道を通った時のような例外もたまにはある)、ここでありったけの天晴れ運を使ってしまっているんだろうか?

↓浅瀬であった「番の州(ばんのす)」を埋め立てて造成された工業群を見ながら四国に上陸。

埋め立て前の沿岸部一帯は塩田で、瀬戸大橋の四国の玄関口である坂出(さかいで)市は全国の3分の1を生産していた程の塩の町。ただ、昭和40年代には姿を消してしまったという。

今は亡き私の爺さまは「橋ができたら坂出は栄えるぞ」と、ダジャレかマジメにか分かりませんが言っていましたけど、臨海部を見る限りそれは当たっているように見える・・・。
でも、平成25年の工業製造品出荷額等を見ると、坂出市はそれまで県内で断トツの数字を叩きだしていたのが、前年比較で腰砕け的な約70%減(約6,800億円減)の3,100億円で県内3位に大失速。何があった?、坂出市。

↓近代的な装いに変貌した坂出駅(北口)。

私が小さい頃に愛媛へ帰省していた頃は、当時は特急「しおかぜ」はあまり本数がなかったので滅多に乗る機会はなく、宇高連絡船を降りた高松からはほとんどが急行列車であったのですがその最初の停車駅が坂出。
なのでその頃の駅や駅周辺の様子は何となく覚えています。いかにも四国的な野暮ったい感じのね。

坂出市公認のゆるキャラ→

まだ1ヶ月くらい先ですけど→
ただ、何をやるんだかよく分からんので、詳しくは市のサイトへ。

手始めにまずは駅の西側へ。
香風園(こうふうえん)→
坂出の実業家・鎌田勝太郎氏が作った庭園で入園無料。

鎌田共済会郷土博物館→
大正11(1922)年に図書館として建てられ、平成10年に国の登録有形文化財となる。
発明家・測量士など様々な肩書きを持ち、塩田を築いた久米通賢(くめみちたか)に関係する資料等を展示。
知らなかったけど久米通賢とは、かの有名な伊能忠敬に先んじて讃岐国の実測地図を作ったとってもお偉い方なんだそうです。

近くには大正8年築の旧県立坂出商業学校校舎というレトロ建物があるのですがうっかり見損ねる。大失敗。

↓高台からではなく、平地から見るビュースポット

奥に見える山は標高約422mの飯野山(いいのやま)で別名・讃岐富士。
香川県には「讃岐七富士」なる富士があってその一つ。

↓これまた駅西側にある「仕舞屋旅館」と「元町栄筋商店街」



昔、車窓から見えた旅館とそこそこ賑わっていた(と記憶している)商店街の今の姿。
これらで坂出市街地の今がニオっている感じなのだけど・・・。

引き続き全蓋式アーケードが連なる駅周辺の商店街を歩いてみる。
↓本通り商店街・本町商店街



下の写真右の古めかしい建物は「讃岐醤油画資料館」。ここの館長さんがナント、醤油で描いたという作品を展示。
色のある液体なら何でも絵にできるんじゃないか?、とは私のようなド素人の発想ですが、実は醤油は調味料として言うに及ばず、画材としても優れているんだとか。

↓本町商店街のアーケードが途切れた所の左手。

車道も含めて全蓋式のアーケードで覆っている珍しいタイプ。

サンロード港町商店街→
年末なので昔ならお正月に備えての買い物で賑わっていたであろう。
どこもかしこもシャッター、そして歩いている人はじいさま・ばあさまばかり。年末という特殊時期なので普段の姿は分からないけど、恐らく大苦戦必至。ウチの爺さま予想、大外れ!

↓サンロード港町商店街を抜けてさらに北へ行くと坂出港。

「四国の空は低いわね~」とは、帰省するたびに母が口にしていた言葉。確かにそんな気がするなあ。

↓港近くの道路を歩いていたら、基地のような遊園地のような奇抜なお店を見つける。

食事処・米屋・民芸店の「讃岐民芸社」。ちょびっとしか写っていませんが、右に食事処があって、お昼には引きも切らずお客さんが来る超人気店らしいです。ただ、この時は営業していたか全く覚えておらんけど・・・。

↓坂出人工土地



埋め立てて人工的に作った土地、という意味ではなく・・・。
建築家・大高正人氏が昭和43(1968)年から18年かけて完成させた鉄筋コンクリートによる「土地の有効利用」を目指した人工地盤。
下には商店街や駐車場、上は団地や公園などとなっていて、建築を学んでいる人が多く見学に来るという。

(557)香川県坂出市役所
瀬戸大橋ができてから30年近く経ちましたが、開通した時から約1万人以上も人口が減って今では約53,000人となってしまい、近隣の宇多津町・丸亀市と比較しても取り残された感あり。
恐らくほとんどの人が予想したであろう、開通後の坂出の大発展。なので、爺さま一人が恥をかいたワケでもないと思いますが、不振の原因は大橋関連整備事業を優先にお金を注ぎ込んだため、駅周辺の再開発が後回しになってしまったかららしい。橋の袂にあって、恩恵を一番に受けられそうな町が独り負けとは何とも皮肉。

因みに左側には郵便局なのですが、車はそこに左折しようとしているのではありません。
コレ、路上駐車中。いくら車の量が少ないからっていい加減すぎ。でもそこは四国人っぽいおおらかな気質丸出し。

そう、大橋のなかったあの頃ね→

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35日目 大晦日の愛媛 その6~八幡浜

2013-02-16 20:29:02 | 北四国
2012年12月31日(月)


再度やってきた八幡浜、ここも前年に訪れている所です。
駅前の通りを海の方に向かって歩きます。

↓駅前の通り(国道197号線)




↓途中から裏通りに入ります→


八幡神社 (はちまんじんじゃ)→

↓そのままアーケード街に繋がります。




二宮忠八(にのみやちゅうはち)翁とは、人類初の動力飛行機を飛ばしたとても偉いお方です。
八幡浜は最近でこそ陰りがあるらしいものの、「伊予の大阪」と呼ばれるほど商業の発達した町で、このアーケード街にそれを見て取れます。
さすがに今日はお正月に備えてか、ほとんどのお店は閉めており、歩行者もまばら。ま、仕方ないですな・・・
昨年来たときは、「土曜夜市」が開かれていたので、それはもう夜遅くまで大賑わいでした。

(187)愛媛県八幡浜市役所

↓八幡浜は山が接近していて平野部が少なく、山を何とか有効活用しようという苦心の跡が見えます。


漁港から見る夕暮れ→
この時、17時ちょいすぎ。
日没は17時10分頃なので、平成24年の「終の日の入り」を見るのにバッチリのタイミングなのですが、水平線に沈む夕日が見えず、非常に残念。

それにしても、漁港で見る夕暮れもなかなか絵になりますな・・・
沖に向かう一隻の漁船が侘しさを引き立てます。

八幡浜のご当地グルメと言えば、「八幡浜ちゃんぽん」となるわけですが、この日はちゃんぽん屋さんはおろか、普通のご飯屋さんですらほぼ店じまいの有様。
大晦日ゆえ、あまり期待はしていなかったけど、一軒も開いていないのを目の当たりにすると、さすがにガッカリする。
よって、開いていたお店で適当に済ませる。
ま、去年食べているからいいけどさ・・・

さて、今晩はホテルには泊まりません。
では、どうやって夜を過ごすのか?

とりあえず、市内に一軒だけあるインターネットカフェに、閉店の24時までしばらくボーッと過ごす事にします。

インターネットカフェ→

閉店になり外に出ると、除夜の鐘が鳴り響いていました。

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35日目 大晦日の愛媛 その5~卯之町

2013-02-09 13:33:00 | 北四国
2012年12月31日(月)


伊予大洲駅14時46分発の普通列車宇和島行きに乗ります。
この列車、時刻表を見ると八幡浜(やわたはま)止まりになっていますが、
列車番号を変えて、引き続き宇和島まで行きます。まぁ、どうでもいいことですが・・・

八幡浜駅→

駅前→

↓ここですぐに後からやってくる特別急行「宇和海17号」に乗り換えます。

先頭に「ばいきんまん」が描かれたこの車両、「ばいきんまん号」と言うらしい。
「ばいきんまん」をよく知らない人から、名前が汚らしいからやめてくれという苦情はないのだろうか・・・

やっぱり特急列車は気持ちいいよなぁと思ったのも束の間、一区間約15分で降ります。

卯之町(うのまち)駅→

駅前の観光案内用の看板→

卯之町、大洲・八幡浜や宇和島に挟まれ、存在感の薄い印象の町ですが、どっこい、駅近くには重要伝統的建造物群保存地区があります。
早速、行ってみましょう。
と、その前に役所です。

(186)愛媛県西予(せいよ)市役所
平成16年に5つの町が合併し成立しました。

実は卯之町には前年(2011年)夏にも来ていまして、その時はまだ建設中でした。
成り行きでここに来てしまいましたが、まさか2年続けて来るとは夢にも思っていませんでした・・・
その間に立派なハコが建ったもんです。

↓役所前の国道56号線



↓「重要伝統的建造物群保存地区」の町並み







主だったものを取り上げてみます。

↓開明学校


四国最古の学校です。

それにしても入れません。去年も日が暮れようとしていた時間に来たので入れませんでした・・・

校舎の右側にある申義堂→

↓松屋旅館


←門から覗いてみよう。
綺羅、星のごとく居並ぶビッグネーム。
そもそも、これらのお偉方は何用でこの地に来たのでしょうかねぇ。
お宿のホームページを見ると漬物も売りにしているよう。
かなり良さげなお宿です。

↓高野長英の隠れ家


詳しくは案内板を読んで下さいまし。


去年来た時もそうでしたが、今回も時間・時期が悪かったとは言え、あまりに観光客がいなさすぎる。
折角、重要伝統的建造物群保存地区といういい観光資源がありながら、同じように古い町並みの大洲や内子に客を奪われている感が否めない。
観光客誘致については行政はどうしてもあまり熱心でないように見え、実に勿体無いことである。

短い時間しかいなかったくせに、文句だけはいっちょまえの私は不満を抱きながら3度目があるか分からない卯之町を後にします。

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35日目 大晦日の愛媛 その4~大洲

2013-02-04 09:38:00 | 北四国
2012年12月31日(月)


大洲(おおず)市に来ました。
「伊予の小京都」と呼ばれるだけあって、情緒あふれた城下町です。

↓伊予大洲駅とその駅前



市の中心部は離れているので歩きます。

↓駅近くから続く商店街



↓肱川(ひじかわ)橋の向こうに市街地が広がっています。


肱川橋からの眺め→
下流の方向へ大洲城を見る。
左の屋形船は「鵜飼い」の時期になると、これに乗って鵜飼いを見ながら郷土料理が堪能できます。何と贅沢で優雅な事か!


↑上流側、富士山に似ていることから付けられた士山。
しかし呼び名は「とみすやま」だったりする。
やはり「ふじさん」を名乗るのは畏れ多かったか・・・

↓商店街をくぐり抜け、



大洲城へ行きます→
今の天守閣は平成16年に復元されました。

↓城から見る下流側の風景

こっちは上流側→

(185)愛媛県大洲市役所

↓大洲まちの駅「あさもや」、市内観光の拠点。

「あさもや」とは大洲で秋口からよく起こる朝霧のことで、これが河口まで流れていくのですが、それを「肱川あらし」と言います。

↓ここで、ちょっとつまみ食い。「じゃこカツ」と「大洲いもたきコロッケ」を注文する。

「じゃこ天」はおいしいけど、ムチャクチャ好きというわけではない。
だけど、愛媛に来たからには名産の「じゃこ天」を食べないといけないよなあ。でも、あえて「カツ」を・・・
「じゃこ天」とは、小魚をすりつぶして油で揚げたもの。
「いもたき」とは大洲の名物料理で、これを基に作られたコロッケがそれ。
コロッケは今ひとつ・・・だが、「カツ」の方は素晴らしくおいしい!

↓おはなはん通り


NHK朝の連続ドラマのロケ地

おはなはん通りを出てすぐの所→
「東京ラブストーリー」でリカがカンチに別れのハガキを投函したポストがあります。
これを見て、あれっ?、こんなにすっきりした場所だったっけ?、たしか劇中では背後に民家の生垣があったよなぁと思ったけど、帰宅して大昔に録画してあったものを見返すとやはりそうでした。
このドラマは海辺のシーンは松山、学校は久万高原町、その他は大体この大洲で撮られたようです。

↓ポコペン横丁



昭和30年代の薫りがプンプン漂う横丁。

おおず赤煉瓦館→
煉瓦壁に瓦葺の和洋折衷の建物。かつては金融機関などに使用され、現在はギャラリーなどに使われています。

古い看板などが見られる昔の名残りをとどめた町並み



もっと町を散策していたいのですが、時間も押してきましたので駅に戻ります。
次も古き時代の町並みの残る町に行きます。

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35日目 大晦日の愛媛 その3~伊予灘・肱川を眺めながら

2013-02-02 08:51:00 | 北四国
2012年12月31日(日)


午前中は冴えない行程でしたが、今回は車窓のみの美しい風景をお届けします。

郡中港駅の目と鼻の先にJR予讃(よさん)線の伊予市駅があります。

↓伊予市駅と駅舎の中



駅員さんは休憩中ということもあり、ガラーンとしています。

↓これから右の宇和島行き気動車に乗ります

左にチラリと写っているのは松山行き特別急行「宇和海10号」

↓伊予市駅を出てのすぐの車窓(進行方向右手)


↓さらに少し走ると海が接近してきます。


←向こう側は山口県





下灘駅→
昔から「日本一海に近い駅」として有名な駅です。
晴れていれば青い海が眼前に広がり、特に海に沈む夕日は素晴らしいらしいです(まだ私は見たことがないですが)。
映画やドラマのロケ地にもよく使われます。

伊予長浜駅→

伊予長浜駅から海と別れ、山間部に入っていきます。

↓肱川(ひじかわ)



愛媛県一の大河。

雪が降り始めます(外は寒そうだ!)→

↓いきなり日が差す伊予大洲(いよおおず)駅に13時すぎに着きました。


ややこしい天気みたいですが、ここで降りて、市内巡りをしようと思います。

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35日目 大晦日の愛媛 その2~いよてつ沿線

2013-01-28 23:46:42 | 北四国
2012年12月31日(月)


午前中は伊予鉄道沿線の3市町を訪問します。

↓伊予鉄道・松山市駅とその駅前

駅ビルに高島屋が入っています。
松山市駅は、かつては「松山」駅と名乗っていましたが、今のJR予讃線が昭和の初めに松山まで開業した際にそちらに出来た駅に「松山」を取られ、しぶしぶ今の名前に変えざるを得なかった悲劇の駅。
予讃線は当時は鉄道省が運営していたので、所詮民間会社は国には勝てず、国の絶対的権力をまざまざと見せ付ける結果となりました。
それを糧にか、市の中心街に近い立地を生かして、四国の駅では最多の利用客数を誇っています。

横河原行き電車→

私が乗ろうとしているのは、山の方に向かう路線ですが、この逆方向(海へ行く方向・高浜線といいます)を行くと、ドラマ「東京ラブストーリー」でリカがカンチへの別れのハンカチを柵に結い付けた梅津寺駅があります。
この高浜線においても伊予鉄道は駅名剥奪に続いて更なる悲劇に見舞われます。
予讃線は終戦間近に、それまで寸断していた部分を一気に開通させ宇和島まで延伸したのですが、敷くレールがないということで、当時複線だった高浜線のレールの片方を剥ぎ取って、そちらに充ててしまったといいます。

約30分乗って、見奈良駅で降ります。

(182)愛媛県東温(とうおん)市役所
平成の大合併でできた市です。

↓市役所前の通り
  

見奈良から2つ行くとこの路線の終点である横河原駅なので、折角ですので行ってみます。

↓横河原駅→
 
かなり古くてローカルチックな駅です。

再び松山市駅に戻り、郡中線に乗り換えて、松前(まさき)駅に行きます。

松前駅→
こちらも負けず劣らず古い駅

↓駅舎の中と構内
 

↓(183)愛媛県伊予郡松前町役場


↓役場前の通り
 

松前から7分電車に乗ると終点の郡中港(ぐんちゅうこう)に着きます。

↓郡中港駅




駅前の商業施設→

(184)愛媛県伊予市役所

市役所そばの交差点(左に市役所)→
郡中港駅方向→

まぁ、いつもに増してパッとしない午前になりましたね・・・

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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35日目 大晦日の愛媛 その1~松山

2013-01-26 01:05:08 | 北四国
2012年12月31日(月)


いよいよ2012年も本日で終わりです。
振り返りますと相変わらずあちらこちらをフラフラしていた一年でした。
というか、他に思い出せるものがない!
多分2013年もそうなるんだろうな、きっと。
ただ、大晦日を故郷で過ごすので、終わり良ければ全て良し!という事にする。


今日の目覚し薬も昨日と同じく早朝散歩です。

朝の一番町通り→

大街道→
この先でつながっている銀天街とともに四国随一の繁華街(だと私は思っている)。

大街道交差点→
奥に続いている通りはロープウェイ街。

三越のライオン像→
朝のせいか、寝起きで、あくびをしているように見える。

松山中学校跡の碑→
松山は夏目漱石の「坊ちゃん」で売り出していますが、当の漱石本人は松山がかなり嫌いであったらしいというのは、なんとも皮肉なもんです。

(181)愛媛県松山市役所
人口約52万人、四国最大の数です。

↓市役所前、お堀のそばにある八股榎(やつまたえのき)大明神


↓お堀



愛媛県庁

県庁の背後に山がありまして、城山(標高131メートル)といい(正しくは勝山という)、その名の通り、山頂には松山城があります。
普通はロープウェイを使って登るのですが、この時間は営業していないので尾道の時と同じく、自分の足で登ることにします。

↓県庁わきの道とその奥にある案内板


さて、腹は減っているけど気合を入れて行くとするか・・・(と、乗り気は今一つ)。

↓この壁の向こうには「二之丸史跡庭園」があります


きっつい坂→
尾道の坂より遥かにきついぞ、こりゃ(来るの、やめれば良かったか・・・)。

↓俳句記載所と正岡子規が詠んだ俳句の石碑

俳句の町・松山の至るところにあるポスト。
「松山や 萩より高き 天守閣」とありますが、松山の人は「春や昔 十五万石の 城下かな」という句が一番好きそうな感じです。

もうちょっとだ!→

↓やれやれ、ようやく山頂に来ました→

日本三大平山城の一つ、天守閣は江戸時代の頃からのものです。
ポツンと突っ立っている人形はお城のマスコットキャラクター「よしあきくん」。
初代藩主、加藤嘉明に因んで名付けられました。

お城には中学卒業の頃に来て以来、ゥン年ぶりです。
例によって営業時間にないので、天守閣に行けません。

ここも福山城と同じく、その時に天守閣まで登ったと思っているんですが、相変わらず全然記憶がないです・・・
その時の日記も写真もないので、真実は全くの不明です。
従兄弟と来たんだけど、従兄弟もきっと覚えていないだろうなぁ。

↓本丸広場から見た眺め




↓帰りはロープウェイに沿って降ります


東雲(しののめ)神社入口→

早朝登山は終了!→

秋山兄弟生誕地→
今や全国的な知名度となったので、説明は省略!

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