ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

164日目 原爆資料館を見て、川のほとりを歩いて

2017-02-26 14:07:43 | 山陽
平成28(2016)年9月17日(土)


原爆ドームとは川を挟んでの平和記念公園へ。

原爆の子の像→
石碑の上に立つは佐々木禎子さんの像。
手を合わせる人で絶えません。
折り鶴の話しは道徳だったか何だったか忘れたけど、小学生の時に授業で初めて知ったのですが、禎子さんの亡くなった年齢に近かったのもあり非常に衝撃を受けたのを覚えております。
それはそうと、以前は石碑の下に折り鶴が置かれていたような気がするんですが、私の記憶違いかな?

↓慰霊碑
 
こんな斜めった構図となっているのは・・・。

↓ここもお祈りする人が多くて、正面に這い入る余地がありませぬ。

奥にあるは原爆資料館(正式には広島平和記念資料館)で、これより入ります。
今回で3回目ですが、増築されてからは初めて。
入場料は200円。これでも充分安いのだけど、昨年(平成28年)4月にそれまでの50円から大幅値上げ。
凄まじいインフレ率ですが、元々赤字運営だったらしいし、赤字の削減分は原爆ドームの保存のために積み立てられるようなので、値上げしても全く問題なし。というかもっと取ってもいいような気がする。

これまでも何回かお話しした博物館実習、ここも見学コースに含まれていたのですが、展示品を見終えてボーッとしていていたせいか、気が付いたら周りに知った人は誰一人としておらず、慌てて探すもなかなか見つけられずに大学生にして迷子になったという恥ずかしい経験を持つ。
皆はとっくにバスの中で待機していて、乗り込んだ時の彼らの眼差しが実に痛かったな・・・。

↓ところで長崎の資料館も2度見学した事があり、そこは入るやズーンとした重い雰囲気になるのですが、ここはそれに比べるとそれほどではありません。

ですが、展示品というと・・・。
重い空気が体にのしかかったようになり、じゃんじゃん撮りまくるのが憚れてきます。
観覧者がいっぱいで、見るのもやっとだったというのもありますけど。
やっぱりこれは写真なんかより、実際に現地に行かれて自分の目で見るべきですね。

結局、館内で撮った写真は上とこれの2枚だけ→

外国、特に欧米の人がとても多く、とても熱心に見学していたのが印象的。
彼らに人気のある日本の観光地でもここは常に上位らしいです。

さて、そろそろ日没が近づいておりますので、残りは恒例行事をすることにします。
↓(619)広島県広島市役所・〔48〕広島県広島市中区役所

手前が市役所で、奥が区役所。
中国の政治・経済・文化の中心地。「札仙広福」に名を連ねるとおり、人口約120万人の支店経済都市。
明治維新までは浅野家42万石の城下町として発展し、今でこそ世界平和の象徴都市ですが、戦前は日清戦争時に大本営が置かれるなど軍事都市。
昭和55(1980)年に国内で10番目に政令指定都市となる。

↓国道2号線を東に向けて歩いていると、鮮やかな廃墟らしき建物が目に入る。

東千田公園にあるこれ、大学っぽい。

スマホを持っていないので後で調べてみたら、やはり「広島大学旧理学部1号館」であると。
昭和6(1931)年に竣工され、被爆したのですが倒壊は免れた模様。
何と素晴らしき廃墟ではないか!ぜひ入って中を見てみたいのですが生憎立ち入り禁止。
是非、管理者の広島市にはこれの有効活用を期待したい。

京橋川・平野橋下流方向→

〔49〕広島県広島市南区役所

↓昭和14(1939)年竣工の京橋川に架かる被爆橋梁・比治山橋。


橋のたもとにある道路票→

橋の東側は比治山→

よく目立っている多聞院という真言宗のお寺さん→
原爆投下の際、ここは臨時県庁的な役割を果たしたり、臨時救護所が置かれたりしたという。
知らなかったけど、倒壊を免れたここの鐘楼は、爆心地に最も近い被爆木造建造物なのだと。

再び広島駅へ行き、実家や知人への土産物を物色しているうちに真っ暗。
水面に照らされる光が美しい→

21時半あたりから突如として超ゲリラ豪雨に襲われる広島→
4回も避難勧告メールが届く。あの土砂崩れ災害があったが故、広島は特に大雨には神経質になっているのだろう。
ところで、この雨が翌日の行動に支障をきたすとは・・・。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

164日目 ありきたりですが、広島城と原爆ドームへ

2017-02-20 23:54:08 | 山陽
平成28(2016)年9月17日(土)


広島市の中区に入ります。
名勝・縮景園は門から覗くだけ→
広島藩主浅野長晟(ながあきら)が家臣に命じて元和6(1620)年から別邸として造らせた庭園。
原爆で壊滅状態になるも復元される。

次、広島城→
名古屋城・岡山城と共に「日本三大平城」の一つで、別名は鯉城(りじょう)。
よく知られた事ですが、広島東洋カープのチーム名の由来となったお城。
毛利輝元が天正17(1589)年に築き始めて10年かかって完成。

多くの川に囲まれているので、あたかもそれが天然のお堀の役割を果たしていて、さぞ防御は完璧!
と思いきや、水攻めをされたら一たまりもない脆弱なお城なんだそうで・・・。
そんな弱っちぃお城だからか、櫓の数が多く実に88基。この数は日本一なんだそう。
そうか、だからカープはあんなに弱かったのか!(関係ないし) 

日清戦争当時、ここに大本営が置かれましたが、原爆で壊滅→

あちらこちらにこうした被爆樹木があります→
爆心地から910m。大本営は吹っ飛んだけど幾つかの樹木は耐えました。
人間で言えば大ヤケドを負った状態だよな・・・、その強さには驚嘆するほかありません。

さて、登城します!→

天守閣より→
真横西側の基町(もとまち)高層団地。基町の地名は「広島開基の地」が由来なんだそう。

それはそれとして、ここは戦後、戦禍から生き残った人や引揚者、疎開から帰って来た人、在日朝鮮人らが建てたバラックで密集していて「原爆スラム」と呼ばれる、まさにスラム街だったらしい。
そのスラムを整備すべく建てられたのがこの団地。
団地のその独特な構造ゆえ建築計画学の教科書には必ず載っているらしく、集落ではないのだけど、次回広島を訪れた際は必ずこの中を散策するつもり。

ここは後で→

ちょうどホテルのチェックインの時間を迎えたので、そこへ行ってちょっとばかりの休息して再び外出。
ようやくお荷物であった荷物から解放されましたわ・・・。

鯉城通りを通って、広島の繁華街・紙屋町へ→

広島県庁

紙屋町交差点下の地下街・紙屋町シャレオ→
最初、あれっ?こんな地下街、昔あったっけ?と思ったけど、たいして最近でもないのですが15年ほど前に開業したという。
ま、広島市中心部は長らく御無沙汰でしたからね・・・。

↓かつて広島市民球場のあった所では「広島オクトーバーフェスト2016」絶賛開催中。

ドイツのビールやグルメなどが楽しめる魅力的なイベントで、しばしボッチ酒池肉林を満喫しようかと脳裏をかすめました。
が、これから原爆ドームや平和記念公園、原爆資料館といった厳かな場所に行こうというのに真っ赤な顔をしていたらかなりの不謹慎。
やめておきます。

たった一度だけここで試合を見たことがあります。
三次の時にもお話しした博物館実習を終え野に放たれたのですが、すぐに千葉に帰るのも何だし・・・。
って事で横浜大洋ホエールズ戦(古い!)を観戦したのでした。
そして遠路遥々南宮崎からやってきた今は亡き寝台特急富士でのんびり帰ったのでした。

相生通りの紙屋町交差点方向→

↓原爆ドーム
 
負の世界遺産なんだよな・・・、いつ見ても重苦しい気分になるけども、平和の象徴でもある。
これを未来永劫守っていくのは我々日本人の責任なのだな、と改めて思います。

高校生が熱く核廃絶を訴える!→
偉いな。私が高校生の頃と言ったら遊んでばかりだったし。
その情熱に惹かれたか、多くの人達が耳を傾けておりました。

原爆ドームの東側、程近い所にある「広島本通商店街」の入口→
東西約600mで、アーケードは昭和29(1954)年から設置される。
江戸時代にはこれは山陽道の一部だったようです。
まだこの商店街を歩いた事はなく、今回も歩く予定ではないのですが、ここも次回だな、うん。

これも原爆ドームからすぐ東にある「島外科内科」という病院の横→
東経132度27分27秒、北緯34度23分29秒、高さ約600mのここで原爆は炸裂。

一体何人もの人が見上げた事だろう?→

↓70数年前にここで悲劇があったなど信じられないくらい、穏やかで平和な時間が流れておりました。


 

164日目 赤く染まった広島駅周辺さんぽ

2017-02-16 23:52:15 | 山陽
平成28(2016)年9月17日(土)


↓三次(みよし)駅でもそうでしたが、乗車した快速気動車は途中駅からでも「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム」での試合観戦のための大勢の赤ヘルファンを拾って広島へ向かいます。


↓知らぬ間に工事をしていて妙に暗くなった広島駅ホーム。
 

↓一方で跨線橋や駅前駅ビルは、広島東洋カープが9月10日に優勝が決まってまだホヤホヤなので、お祝いムードいっぱい。
 
加えて「それ行けカープ」の大音量。栄光の旗を立てよ~
カープ党である私にとっても嬉しい限り。思わずニヤける(←傍から見れば変人だな)。
単に確率論だけで言えば6年に一回は優勝を体験できる計算なのであるけど、それが4倍もの年月がかかってしまったのだから、喜びもひとしおなのです。というか単にこれまで弱すぎたってだけの話しなんですけどね。

さてさて、ホテルのチェックインまでとりあえず駅周辺をウロつくつもりであるのですが、荷物を抱えながらはしんどいので、当たり前ですがコインロッカーを探します。

ところが探していくうちに全く知らなかったのだけれども、広島駅の2つの重大問題点が判明する(知っている人には驚きでも何でもないかもしれませんが)。
まず、コインロッカーはあるにはあるのですが、非常に数が少なく 、不幸にも野球試合があるためどれもこれも「使用中」。

一縷の望みをかけて新幹線駅舎に行こうと思い、今度は連絡通路を探すも全くその場所が分からず、しばらくあたふたするハメに。
交番があったので聞いてみようとするも、あまりの駅周辺の雑踏ぶりに出動を余儀なくされているのか、昼メシに行ったのか、お巡りさんいないし・・・。
ただ、新幹線側への行き方の張り紙があったので何とか行けましたが、普段からそういう「お尋ね」が多いのでしょう。

通路は駅の西はずれの地下に1本だけあり、それも古いし薄暗いし幅も狭い実にお粗末なもの。
何とかしようよ、JR西日本・・・。
と思ったら、今現在の駅の工事はそれの建設のためのものでした。

想像通り新幹線側のコインロッカーも完璧に塞がっており、荷物を抱えて歩くよりそれに執着する方がかえってしんどくなる。腹をくくりました。
因みに在来線・新幹線の駅舎共に南区なのですが、新幹線側は一歩出るとそこは東区。

↓赤いバス、さらに赤い幟がズラッと並んでいるので街の雰囲気も何となく赤い。
 

どうせならこれも赤く染めればいのに・・・→
赤字になるから縁起悪いか。

〔47〕広島県広島市東区役所
この東区には、戦国時代の坊さんである安国寺恵瓊(あんこくじえけい)ゆかりの不動院というお寺さん以外特段行きたい見たい所はないので、これで東区散策は終わりにします。
不動院は機会があれば、という事で・・・。

駅東側に架かる跨線橋を渡って南区へ→
野球場に向かう人たちの大行進。
丁度いい機会です、電車の中からしか球場を見たことがないので、私もこれに紛れて間近まで行ってみます。

↓青がシンボルカラーのこのコンビニも、さすがにここでは郷に入れば郷に従ってます。
 

私も違和感のない恰好で・・・(普通のTシャツです)→

↓核被爆都市広島らしく「国際平和デーin マツダ スタジアム」と銘打って開催されるこの日の中日ドラゴンズ戦。
 
元から入るつもりはないのですが、どのみち入れませぬ。
青い服の人は極めて若干ですがいることはいました(度胸あるよな)。

↓ですが、気合と根性と体力(と貧乏性)があれば、ここからフルでロハ見できます。


球場の雰囲気を大いに満喫した後は再び駅近くへ。

ついこの間まで政令指定都市の駅前にしてはショボすぎると思ってましたが、最近はデカいビルも建ち、それなりに?近代化してきているようです。
奥が広島駅→

↓とは言うものの、周辺には昭和的な場所もまだまだ多く残っていて、昭和レトロ好きにはとっては嬉しかろう。
 

 

↓三次もそうでしたが、広島も街中に大きな川が流れていて、非常に羨ましい限り。
 
我が家は海に近いので毎日のように海は見ているのですが、やっぱり川の方が落ち着くよなあ。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

164日目 早朝から三次市内チャリ巡り

2017-02-13 23:55:18 | 山陽
平成28(2016)年9月17日(土)


前回三次(みよし)市を訪れたのは、それはそれは今は遠い昔の20世紀、私が大学生の頃。
学芸員資格を取るべく参加した博物館実習は中国の博物館見学だったのですが、その行き先の一つに「みよし風土記の丘」という屋外博物館が組み込まれていたのでした。

今となってはその時のことは全く思い出せないです。
展示品の高床式建物の下にアリジゴク(ウスバカゲロウの幼虫)の巣がたくさんあったので、その巣を掘り出して砂を払いのけて「これがアリジゴク。後ろにしか歩けないんだよね、コレ。ほらほら・・・」と一人喜んでいた傍で、ある女のコが興味津々じっと見ていてくれたのだけ覚えております。
勉強しに行って何やっていたんだかね・・・。

そんな三次市に××年振りに帰って参りました。

さてこの日の予定ですが、昼から広島市内でブラブラするつもりなので、三次散策は早々に片づけねばなりません。辛いけど前日に続いて超早起きして5時半頃から行動開始となります。
ラッキーにもホテルに貸しチャリがあったのでそれを借りて。

唸りを上げて頭上を通過する前日乗った三江線一番列車→
この高架線は廃止後どうするのかね?

三次は川の町。
江の川に馬洗川や西城川などが合流していて、そのためか、秋から早春にかけての快晴の早朝に深い霧で覆われ、それを山から見ると実に幻想的な光景なんだとか。
「霧の海」と呼ばれ、霧が出始める時期になると「霧の海開き」というイベントもあるのですが、この年(平成28年)のそれは9月25日。
霧を見るにはちと来るのが早すぎたようです・・・。

ここは江の川と馬洗川の合流地点→

列車が通り過ぎたばかりの三江線の鉄橋→
さっきの高架線と共に歩く人・チャリ用の道路に転用かな?

三次のシンボル・巴橋→
鮮やかな赤に塗装された橋なのでよく目立つのですが、何故かカラスが橋にたくさん集まってカーカー大騒ぎしているので、そういう意味でもよく目立つ。
行ってみる。

彼らは何だか白いものを目当てに来ているようで・・・→
遠くからは何だか分からず、?だったけど、近づいて正体がようやく分かる。
蛾の死骸。せっせと啄んでキレイに掃除しておくれ。

この巴橋は三次と十日市の町を結ぶ橋。
実は三次駅を中心とした三次市の核心をなしている地区は「十日市」と呼ばれる地域で、「本来」の三次はこの巴橋を渡った場所をいうらしい。
まずはその「真正」の三次へ。

↓三江線・尾関山駅のムダに長いホームと駅舎内の張り紙。
 
もう二度と三江線に接することはないでしょう(多分)。永遠にさようならです。

↓「みよし本通り商店街」として売り出している古い町並み。
 



 
三次の売りの一つだと思うんですが、市公式観光サイトでは思ったほどゴリ押ししていないのはちと気になる。
それに「備後の小京都」と呼ばれていて、確かに京風の町並みな箇所はあるんだけど、「京都」を名乗るにはパンチの効きが今一つ。

 
「卯建(うだつ)の似合う町」を謳っているけど、思ったほど卯建はないし・・・。

ところで、この商店街に面してこんなお寺さんがあります→
石の門柱の文字に注目してほしい。
「浄土真宗本願寺派」の下の文字、これにピンと来た方、アンタは素晴らしい!
この選手のご実家でございます(知らんという人やファンでない人は気にしないで結構)→
知る人ぞ知る、珍しいお寺さんの出のプロ野球選手。
我が家の宗派も浄土真宗だし、梵英心、より親しみが湧いたわ!
それはともかく、三次は何故だかプロ野球選手を多く輩出する町でもあります。

巴橋を渡って再び十日市側へ。
馬洗川に架かる水道橋という橋の下流方向→
西城川との合流部。向こうに見える橋は巴橋。

水道橋の上流方向→
ボート場のような場所は、三次名物である鵜飼の乗船場。

(618)広島県三次市役所
そもそも不思議な漢字の当て字。「次」が「よし」だもん、かなりムリがある。
山陽山陰を結ぶ交通の要衝地で、約54,000人が暮らす町。
自然も豊かであることから、近年は農林業実体験ができたり農家民泊したりといった「みよし田舎ツーリズム」にも力を入れているようです。

役所近くの商店街→

苦労して市南部の高台に登る→ 
ここに登ったワケは、開いていないのは分かっていたんだけど、広島県内唯一のこの窯元があって、なんでだか妙に気になったから。
粘土を原料にした人形である三次人形の作業風景を見学できるんだとか。
でも何らの収穫もなく、徒労に終わったのだった・・・。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(4)

2017-02-10 23:59:06 | 山陰
平成28(2016)年9月16日(金)


この旅で唯一、日本海に面した町の訪問である江津(ごうつ)市。
三次(みよし)から実に約9時間かけてやっとこさ着きました。

江津本町(ごうつほんまち)駅→
秘境駅に認定されている駅ですが、この写真を見せたら、確かにさもありなんでしょう。
が、しかしです。

駅前の管が覆う短いトンネル?を抜けると・・・→

そこは集落であった→
単に山が邪魔をして見えないだけだったりする。
山がなかったら秘境駅に認定されてないと思います、きっと。

ところでこの集落は駅名と同じ「江津本町」。そして町並み・集落好きは見るべしな所。
何を以て見るべしなのかは、島根県西部・石見観光振興協議会の公式観光サイト「なつかしの国石見」に丸投げします。
「江戸時代、大森銀山に次ぐ北前船の寄港地として、また、天領米の積出港として賑わっていた江津本町。
石州瓦の主な生産地として赤い屋根が続く家並みと、天領の面影が残るこの地域を「夢」と「瓦」の2字に思いを託し
「天領江津本町甍(いらか)街道」として盛り上げようと地元の方々が取り組みを開始。2003年度には、夢街道ルネサンス推進会議により「モデル地区」に認定されました。」

↓江津本町甍街道、こんな町並み。
 

江津駅西側の市役所付近へ移動。
(617)島根県江津市役所
人口24,000人あまりは、山陰では最弱の市。
鉄道が開通すると商業活動地は隣の浜田市に取って代わられるも、砂丘が広がっていたのと江の川の水のお蔭で工場誘致に成功する。
「東京からの移動時間距離が全国で一番遠い都市(平成18年当時)」らしいけど、三江線沿線の町の方がよっぽど遠いと思うんだよね・・・。

ローマ字表記は「ごつ」のようです→

「人麻呂くん・よさみ姫」が市のPRキャラクター→
万葉歌人・柿本人麻呂は、江津で後の妻となる依羅娘子(よさみのおとめ)と出会い、多くの愛の歌を残す。
ただ、彼らに関する観光スポットへは遠くて行けません。

市のシンボル・島の星山(別名は高角山、標高470m)★→
昔、ここに隕石が落下したらしいことからこの名で呼ばれるようになったとか。
夏は夜になると、光輝くという。

しかし電線が邪魔すぎ。
昨夏以降、ワイドショーでお目にかからない日はない某知事さんの「日本人は電線病にかかっている」とは、蓋し名言!

↓国道9号線沿いのロードサイト店が集まっているここらが、市内でも一番人と車の行き交いが多そうです。


↓シャッターが目立つこちら駅前通り(ここも国道9号線)が古い頃の繁華街だったのだろうけど。


より海に近い江の川のほとりまで来てみます。
国道9号線(手前)とJR山陰線が並行しています→

河口→

ところで、この町に来てからずっと気になっていたのが、町中に漂う変な臭い
どうやらコレが犯人のよう→
製紙工場
私が本籍地としている愛媛県某市にもやはり超有名な製紙工場があって、同じように酷い悪臭を放っていますからね・・・。
「次亜塩素酸ナトリウム」という物質が原因らしいけど、とにかくあの臭いはたまりませんです(泣)。

江津駅→

↓駅前に賑わいを取り戻さんとしたのか?、昨年8月に開業したばかりの「パレットごうつ」。

大型の多目的施設。ただ、周囲はまだ足許がよろしくなく、若干見切り発車的な感じのオープン。

↓駅前にあった布袋様が指をさしていたので穴を覗いてみる。


?→
果たして何人が期待して覗いたことだろう。そして何人が騙されたことだろう。

帰りは16時41分発浜原行き→
江津を出た時、乗客私以外僅か8名。
ほとんど生徒だったけど、この時間は学校帰りでいっぱいのハズ、普通なら。
途中から乗って来たのは1人だけだし、終点浜原手前の粕淵(かすぶち)駅で誰もいなくなる。
そして浜原で乗り換えた列車が終点三次に着くまでに乗った客数、私以外たったの2人だけ。
お寒いを通り越して、痛すぎて凍えそうで最早目も当てられない惨状以外の何物でもない。
乗ってみて私なりの結論:三江線の廃止やむなし。JR西日本はよくこれまで我慢したよ!

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(3)

2017-02-04 23:53:23 | 山陰
平成28(2016)年9月16日(金)


4時間の暇つぶしは正直キツかったです。
↓やれやれようやく来たよ、と乗り込んだ列車の客数は私の他17名。

普段と比較して乗っている方?なんだかどうなんだか知りませんが、いずれにせよ2両も連結しているのはムダすぎ。

↓川本町(かわもとまち)の石見川本駅に12時9分到着。

表向きは乗った列車の終着駅。ですが約1時間半後に同じ方向に向かって運行を再開します。
なので、この列車は実質的には江津(ごうつ)行きで1時間半の停車。
でも客は皆が皆その間締め出しを食らいます。

↓駅舎
 
バリバリのJRパネルとヒョロヒョロ文字の駅名が哀愁を誘う。

駅を出て驚く。都会じゃん(笑)!→
粕渕も都会に感じましたが、それ以上。
ここら地域を管轄する行政機関が集まってきているらしく、町らしい町の姿でしたから。

ところで、私が乗って来た列車が駅に留まる間は、町にとってささやかな書き入れ時でもあるようです。
↓川本町観光協会の「PLUS M@X もっとかわもと」というサイトでは、こんな地図を掲載しています。

1時間半もの間露頭に迷う客?に精一杯のアピール、泣けてきます。

↓観光は勿論、お食事処情報も充実のそのサイトでは、「昭和レトロ」な駅周辺の弓市商店街でのお食事をせっせと勧めているのですが・・・。
 
粕渕のコンビニでおにぎりを買ってしまっていたのです。スマヌ、川本町。
ところで三江線が廃止となったら飲食店は一体・・・。
軒並み畳んで・・・なんて事ないのを祈ります。

(616)島根県邑智(おおち)郡川本町役場
町の面積は約100m2でその約7割を山林が占め、木炭・木材の集散地であった。特産は荏胡麻。
江戸時代には河港・市場町で栄える。
肝心の人口は約3,500人で、65歳以上の高齢化率は約45%。
45年後には人口が1,300人になるとの予想から、今後の町のあり方や将来人口の展望に関しての「川本町総合戦略」「川本町人口ビジョン」を策定しましたが、行く末は果たしてどうなるのだろう?

ところで、ここで記録に現れない?失策を犯してしまっていた事を自白しないといけませぬ。
町役場だと思って写した正面建物は、実は旧庁舎であったことが帰宅後判明!
写真右後ろに小さく写っている建物が昨年1月1日からの新庁舎でありました。

何故こうなったかというと、いつも旅に出る時にはスマホがないので地図を印刷して行くのですが(古典すぎ、苦笑)、不幸にもその地図は新しい場所への更新がされてなかったんですね(ヤ○ー、仕事しろよ!)。
疑いもなく、根っから信用しきっていたワケでして・・・。
でもこの旅の役所役場に行く(写す)理由は、単に市区町村制覇の証し以外の何ものでもないので、据わりは悪いんだけれども、結果的に撮影されていたので?、勝手ながら良しとします。

↓江の川の土手を歩いてみます。







それまで曇っていたのに、こういう時に限って急に日が照ってムチャクチャ暑くなったりする(ツキなし)。

右岸側の山には「仙岩寺」→
200段以上の石段を登った所にあるお寺さん。境内から見下ろす景色はさぞ素晴らしかろう。

同じく右岸側の「米くい岩」→

1時間半はあっという間に過ぎ、再び列車に乗って江津に向かいます。
↓沿線には因原駅・川戸駅周辺といったそれなりに開けた地区はあることはあります。
 
そのためか僅かながら乗ってくる人もいて、乗客は20人位にはなったけど、それでも寂しい乗車率には変わりなし・・・。

終点1つ手前の江津本町(ごうつほんまち)駅で下車→
広~~い河口のほとりにこじんまりと佇む駅。

牛山隆信氏の秘境駅ランキング第129位。
wikipediaによれば、10年前からこの駅の1日平均乗車員数、ナント0人!
三次への戻りはこの駅から乗る予定ではないので、残念ながらこの日の乗車員数1名にすること能わざるけど、こんな駅だから当然下車する人は私以外なし。

でも景色の良さ故、(金を払わない)入場者数は案外多いかも知れません。
事実、車でやって来たらしいアベックが、いい絵を求むべく撮りまくっておりましたし。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(2)

2017-02-03 23:56:09 | 山陰
平成28(2016)年9月16日(金)


↓浜原地区から三江線に沿ってブラブラ山を越えて、美郷町の中心集落・粕渕(かすぶち)へ。


駅前→
止まっている車の後ろの、三角屋根の小さい建物が駅。

小奇麗な感じの駅舎内→
実際には虫がやたら多く飛んでいるし、クモの巣だらけで、居心地はあまりよろしくない。

↓因みに駅名も「かすぶち」なんだけど、漢字表記は「粕淵」。


それまで北西に向かっていた江の川が、急に流れを南西に方向を変えるのですが、弧の外側の河岸段丘に形成されていている集落がここ粕渕。
その曲がる地点では多くの深い淵が連なっているので「数淵」と呼ばれて、それが粕淵となったのだという。

粕淵駅を出るとすぐに列車が渡る鉄橋→
脇に歩道があります。
廃線後は壊さず、きっと流行りのサイクリングロードにでもなるのだと勝手に推測。
そうなったとしても、ここへ通じる小道はヘビがたくさん這っていたので、気味悪がって人が多く来てくれるかどうか分からないけど。

ではでは、高台にある粕渕の町を巡ってみましょう。

メインストリート→
これまでずっと山と川しか見ていなかったので、妙に都会に感じるわ!(笑)。
人はいないんだけどね・・・。

ここをまっすぐ行くと突き当りとなりますが、そこに役場があります。

(615)島根県邑智(おおち)郡美郷町(みさとちょう)役場
本ブログで初登場、島根県の市町村。
これでまだ一か所の市町村もクリアしていない都道府県はただ一つを残すのみとなりました。
秋田県。いつ行ってやろうかな・・・。

平成16年に邑智町と大和村が合併してできた約5,000人が暮らす町。
多くの温泉があり、遠方から訪れる方々も数多く、江の川を活用したカヌーや火振り漁(ひぶりりょう)、鮎釣りなどの観光も人気があります、とは町のHP

↓「多くの温泉があり」のそのうちの一つが、役場の上にある「ゴールデンユートピアおおち」。

よく目立つ町の町のシンボル的建物。
他にプールがあるわ、テニスコートもあるわ、宿泊もお任せの多目的施設。

粕渕は江戸時代に、石見銀山で採れた銀を瀬戸内側の尾道に運ぶための「銀山街道」が設けられた町でもあります。
街道沿いの「小原本陣跡」→

↓街道をはずれたこの通りは、特に往時を感じられます。
 
幕末期は本陣であり、今は「亀遊亭」という旅館があり、奥には山陰の浄土真宗発祥という浄土寺が見えます。
それはともかく、我が家の宗派はまさに浄土真宗なので参拝すべきだったのですが、何故かその考えが私の脳ミソに全く湧いてこなかったのは大いなる不覚・・・。

昔役場として使われた建物→
赤瓦ばっかりの島根では特異な黒瓦の建物。

こちら円光寺→

境内にはたくさんのお地蔵さん→
町散策用のチラシには「チャーミングなお地蔵さんがたくさん」とある。
けど、こんなに多いとかえって不気味な気がする。

このお寺さんの前で、知り合いが来るのを待っているという可愛らしいお嬢様、ではなかった、婆ちゃんに声を掛けられる。
話しをしているうちにどうしてもこちらからは、三江線廃止の話しを振らざるを得ない。
婆ちゃん曰く、「病院に行くのに困るわぁ・・・」。
でもそれよりも、ある言葉を呟いた時にフッと浮かべた寂しげな表情がとても切なかったです。
若者がいなくなって、町の人がどんどん減っていってねぇ。空き家ばかりが増えて・・・

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→