平成28(2016)年9月17日(土)
原爆ドームとは川を挟んでの平和記念公園へ。
原爆の子の像→
石碑の上に立つは佐々木禎子さんの像。
手を合わせる人で絶えません。
折り鶴の話しは道徳だったか何だったか忘れたけど、小学生の時に授業で初めて知ったのですが、禎子さんの亡くなった年齢に近かったのもあり非常に衝撃を受けたのを覚えております。
それはそうと、以前は石碑の下に折り鶴が置かれていたような気がするんですが、私の記憶違いかな?
↓慰霊碑
こんな斜めった構図となっているのは・・・。
↓ここもお祈りする人が多くて、正面に這い入る余地がありませぬ。
奥にあるは原爆資料館(正式には広島平和記念資料館)で、これより入ります。
今回で3回目ですが、増築されてからは初めて。
入場料は200円。これでも充分安いのだけど、昨年(平成28年)4月にそれまでの50円から大幅値上げ。
凄まじいインフレ率ですが、元々赤字運営だったらしいし、赤字の削減分は原爆ドームの保存のために積み立てられるようなので、値上げしても全く問題なし。というかもっと取ってもいいような気がする。
これまでも何回かお話しした博物館実習、ここも見学コースに含まれていたのですが、展示品を見終えてボーッとしていていたせいか、気が付いたら周りに知った人は誰一人としておらず、慌てて探すもなかなか見つけられずに大学生にして迷子になったという恥ずかしい経験を持つ。
皆はとっくにバスの中で待機していて、乗り込んだ時の彼らの眼差しが実に痛かったな・・・。
↓ところで長崎の資料館も2度見学した事があり、そこは入るやズーンとした重い雰囲気になるのですが、ここはそれに比べるとそれほどではありません。
ですが、展示品というと・・・。
重い空気が体にのしかかったようになり、じゃんじゃん撮りまくるのが憚れてきます。
観覧者がいっぱいで、見るのもやっとだったというのもありますけど。
やっぱりこれは写真なんかより、実際に現地に行かれて自分の目で見るべきですね。
結局、館内で撮った写真は上とこれの2枚だけ→
外国、特に欧米の人がとても多く、とても熱心に見学していたのが印象的。
彼らに人気のある日本の観光地でもここは常に上位らしいです。
さて、そろそろ日没が近づいておりますので、残りは恒例行事をすることにします。
↓(619)広島県広島市役所・〔48〕広島県広島市中区役所
手前が市役所で、奥が区役所。
中国の政治・経済・文化の中心地。「札仙広福」に名を連ねるとおり、人口約120万人の支店経済都市。
明治維新までは浅野家42万石の城下町として発展し、今でこそ世界平和の象徴都市ですが、戦前は日清戦争時に大本営が置かれるなど軍事都市。
昭和55(1980)年に国内で10番目に政令指定都市となる。
↓国道2号線を東に向けて歩いていると、鮮やかな廃墟らしき建物が目に入る。
東千田公園にあるこれ、大学っぽい。
スマホを持っていないので後で調べてみたら、やはり「広島大学旧理学部1号館」であると。
昭和6(1931)年に竣工され、被爆したのですが倒壊は免れた模様。
何と素晴らしき廃墟ではないか!ぜひ入って中を見てみたいのですが生憎立ち入り禁止。
是非、管理者の広島市にはこれの有効活用を期待したい。
京橋川・平野橋下流方向→
〔49〕広島県広島市南区役所→
↓昭和14(1939)年竣工の京橋川に架かる被爆橋梁・比治山橋。
橋のたもとにある道路票→
橋の東側は比治山→
よく目立っている多聞院という真言宗のお寺さん→
原爆投下の際、ここは臨時県庁的な役割を果たしたり、臨時救護所が置かれたりしたという。
知らなかったけど、倒壊を免れたここの鐘楼は、爆心地に最も近い被爆木造建造物なのだと。
再び広島駅へ行き、実家や知人への土産物を物色しているうちに真っ暗。
水面に照らされる光が美しい→
21時半あたりから突如として超ゲリラ豪雨に襲われる広島→
4回も避難勧告メールが届く。あの土砂崩れ災害があったが故、広島は特に大雨には神経質になっているのだろう。
ところで、この雨が翌日の行動に支障をきたすとは・・・。
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
原爆ドームとは川を挟んでの平和記念公園へ。
原爆の子の像→
石碑の上に立つは佐々木禎子さんの像。
手を合わせる人で絶えません。
折り鶴の話しは道徳だったか何だったか忘れたけど、小学生の時に授業で初めて知ったのですが、禎子さんの亡くなった年齢に近かったのもあり非常に衝撃を受けたのを覚えております。
それはそうと、以前は石碑の下に折り鶴が置かれていたような気がするんですが、私の記憶違いかな?
↓慰霊碑
こんな斜めった構図となっているのは・・・。
↓ここもお祈りする人が多くて、正面に這い入る余地がありませぬ。
奥にあるは原爆資料館(正式には広島平和記念資料館)で、これより入ります。
今回で3回目ですが、増築されてからは初めて。
入場料は200円。これでも充分安いのだけど、昨年(平成28年)4月にそれまでの50円から大幅値上げ。
凄まじいインフレ率ですが、元々赤字運営だったらしいし、赤字の削減分は原爆ドームの保存のために積み立てられるようなので、値上げしても全く問題なし。というかもっと取ってもいいような気がする。
これまでも何回かお話しした博物館実習、ここも見学コースに含まれていたのですが、展示品を見終えてボーッとしていていたせいか、気が付いたら周りに知った人は誰一人としておらず、慌てて探すもなかなか見つけられずに大学生にして迷子になったという恥ずかしい経験を持つ。
皆はとっくにバスの中で待機していて、乗り込んだ時の彼らの眼差しが実に痛かったな・・・。
↓ところで長崎の資料館も2度見学した事があり、そこは入るやズーンとした重い雰囲気になるのですが、ここはそれに比べるとそれほどではありません。
ですが、展示品というと・・・。
重い空気が体にのしかかったようになり、じゃんじゃん撮りまくるのが憚れてきます。
観覧者がいっぱいで、見るのもやっとだったというのもありますけど。
やっぱりこれは写真なんかより、実際に現地に行かれて自分の目で見るべきですね。
結局、館内で撮った写真は上とこれの2枚だけ→
外国、特に欧米の人がとても多く、とても熱心に見学していたのが印象的。
彼らに人気のある日本の観光地でもここは常に上位らしいです。
さて、そろそろ日没が近づいておりますので、残りは恒例行事をすることにします。
↓(619)広島県広島市役所・〔48〕広島県広島市中区役所
手前が市役所で、奥が区役所。
中国の政治・経済・文化の中心地。「札仙広福」に名を連ねるとおり、人口約120万人の支店経済都市。
明治維新までは浅野家42万石の城下町として発展し、今でこそ世界平和の象徴都市ですが、戦前は日清戦争時に大本営が置かれるなど軍事都市。
昭和55(1980)年に国内で10番目に政令指定都市となる。
↓国道2号線を東に向けて歩いていると、鮮やかな廃墟らしき建物が目に入る。
東千田公園にあるこれ、大学っぽい。
スマホを持っていないので後で調べてみたら、やはり「広島大学旧理学部1号館」であると。
昭和6(1931)年に竣工され、被爆したのですが倒壊は免れた模様。
何と素晴らしき廃墟ではないか!ぜひ入って中を見てみたいのですが生憎立ち入り禁止。
是非、管理者の広島市にはこれの有効活用を期待したい。
京橋川・平野橋下流方向→
〔49〕広島県広島市南区役所→
↓昭和14(1939)年竣工の京橋川に架かる被爆橋梁・比治山橋。
橋のたもとにある道路票→
橋の東側は比治山→
よく目立っている多聞院という真言宗のお寺さん→
原爆投下の際、ここは臨時県庁的な役割を果たしたり、臨時救護所が置かれたりしたという。
知らなかったけど、倒壊を免れたここの鐘楼は、爆心地に最も近い被爆木造建造物なのだと。
再び広島駅へ行き、実家や知人への土産物を物色しているうちに真っ暗。
水面に照らされる光が美しい→
21時半あたりから突如として超ゲリラ豪雨に襲われる広島→
4回も避難勧告メールが届く。あの土砂崩れ災害があったが故、広島は特に大雨には神経質になっているのだろう。
ところで、この雨が翌日の行動に支障をきたすとは・・・。
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→