2015年5月2日(土)
17時頃、牟岐町(むぎちょう)の牟岐駅に来ました。車をここに止めて軽く散策します。
牟岐駅→
すんごい田舎な駅ですが、これでも特別急行列車の終着始発駅だったりする。
南国ムード漂う駅前→
この駅前の通りをまっすぐ歩くと、牟岐川の牟岐中央橋。
上流側→
下流側→
この先河口側に見える大川橋へ。
橋からは島が見えます→
出羽島(てばじま)といい、ここには私の大好きな古い鄙びた集落があります(気がつかなかったけど、カメラのレンズが汚れているし・・・)。散策絵地図を見ていると是非行ってみたい! のですが・・・。
ありゃりゃ、島への最終便が行ってもーた・・・→
仮にこれに乗れたとしても、この日の島から牟岐に戻る便はもうないけど。
漁船がひしめく牟岐港→
牟岐町は沿岸・遠洋漁業の基地。
↓ここからちょっと東に行ったところの古牟岐(ふるむぎ)港では、ちょうどこんな催しが開かれていたりします。
牟岐笑海族団(むぎわらかいぞくだん)HPより
アワビもいいのですが、今年は何と、サソリ!が食べられるとな!!
サソリは精力増強にいいらしく、そろそろ旅疲れし始めた私にとって持ってこいなのですが、もう終わってるし・・・。
私はまだ食べたことはないのですが、胴体部分は苦いようです。
古牟岐港近くには、「モラスコむぎ」という貝の博物館があります。
(496)徳島県海部(かいふ)郡牟岐町役場→
「あわ(阿波)」の「むぎ(牟岐)」ですか・・・。「あわ(泡)」と「むぎ(麦)」、あわあわむぎむぎ・・・。
実はこんな事ばかりで頭の中はグールグルしております。しかも一杯やるのにうってつけの暑さ。想像するだけで涎が出てそう。
ただし・・・。車での旅の大いなる瑕疵でございます。
牟岐町は漁業の他にも農業も盛んなようですが、人口は右肩下がりで減り続け、今では約4,800人。
役場前の道路→
左の屋号、何と読むのだろう?
と思ったけど、特に頓智を効かせたものでもなかった、フツーに「丸京」でした。
↓小学校の前に建っている安政年間と戦後直後の地震による津波の碑
安政の時は、高さ10mの津波が3度押し寄せ、約40名が溺死したといい、戦後の時は50余名が亡くなったという。最高潮位を示す標識は戦後のもの。
これらの有難い先人の教えは、今世紀前半にも起こる確率が高いとされる南海トラフ巨大地震発生時に生かされるといいのですが。
どうしても災難が起こっても自分だけは大丈夫だと思ってしまうからなあ。
確か、今年の2月の初めにここらで大きな地震があったような・・・。
↓後は適当に街中を見て廻って駅に戻ります。
国道55号線をさらに南下。
この旧道に松坂隧道(まつさかずいどう)という国内最古のコンクリート製道路トンネルがあったのですが見忘れる。
泡麦で頭がいっぱいだったから(苦笑)。
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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
17時頃、牟岐町(むぎちょう)の牟岐駅に来ました。車をここに止めて軽く散策します。
牟岐駅→
すんごい田舎な駅ですが、これでも特別急行列車の終着始発駅だったりする。
南国ムード漂う駅前→
この駅前の通りをまっすぐ歩くと、牟岐川の牟岐中央橋。
上流側→
下流側→
この先河口側に見える大川橋へ。
橋からは島が見えます→
出羽島(てばじま)といい、ここには私の大好きな古い鄙びた集落があります(気がつかなかったけど、カメラのレンズが汚れているし・・・)。散策絵地図を見ていると是非行ってみたい! のですが・・・。
ありゃりゃ、島への最終便が行ってもーた・・・→
仮にこれに乗れたとしても、この日の島から牟岐に戻る便はもうないけど。
漁船がひしめく牟岐港→
牟岐町は沿岸・遠洋漁業の基地。
↓ここからちょっと東に行ったところの古牟岐(ふるむぎ)港では、ちょうどこんな催しが開かれていたりします。
牟岐笑海族団(むぎわらかいぞくだん)HPより
アワビもいいのですが、今年は何と、サソリ!が食べられるとな!!
サソリは精力増強にいいらしく、そろそろ旅疲れし始めた私にとって持ってこいなのですが、もう終わってるし・・・。
私はまだ食べたことはないのですが、胴体部分は苦いようです。
古牟岐港近くには、「モラスコむぎ」という貝の博物館があります。
(496)徳島県海部(かいふ)郡牟岐町役場→
「あわ(阿波)」の「むぎ(牟岐)」ですか・・・。「あわ(泡)」と「むぎ(麦)」、あわあわむぎむぎ・・・。
実はこんな事ばかりで頭の中はグールグルしております。しかも一杯やるのにうってつけの暑さ。想像するだけで涎が出てそう。
ただし・・・。車での旅の大いなる瑕疵でございます。
牟岐町は漁業の他にも農業も盛んなようですが、人口は右肩下がりで減り続け、今では約4,800人。
役場前の道路→
左の屋号、何と読むのだろう?
と思ったけど、特に頓智を効かせたものでもなかった、フツーに「丸京」でした。
↓小学校の前に建っている安政年間と戦後直後の地震による津波の碑
安政の時は、高さ10mの津波が3度押し寄せ、約40名が溺死したといい、戦後の時は50余名が亡くなったという。最高潮位を示す標識は戦後のもの。
これらの有難い先人の教えは、今世紀前半にも起こる確率が高いとされる南海トラフ巨大地震発生時に生かされるといいのですが。
どうしても災難が起こっても自分だけは大丈夫だと思ってしまうからなあ。
確か、今年の2月の初めにここらで大きな地震があったような・・・。
↓後は適当に街中を見て廻って駅に戻ります。
国道55号線をさらに南下。
この旧道に松坂隧道(まつさかずいどう)という国内最古のコンクリート製道路トンネルがあったのですが見忘れる。
泡麦で頭がいっぱいだったから(苦笑)。
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