平成28(2016)年10月11日(火)
バスで再び二本松駅に戻ってきましたが、せっかくなので、かつては旧奥州街道の宿場町でもあった駅チカ市街地をブラブラしてみます。
↓戊辰戦争で灰燼に帰してしまいましたが、町割りはその当時と変わりません。
↓日本三大提灯祭りの一つらしい「二本松提灯祭り」とはこんな感じなのね。
3日間開催されますが、何故だか初日にクライマックスを迎えるのだとか。
旧奥州街道のメイン通り商店街→
平日だからなのか分からないけどかなり苦戦気味。
中でもこの仕舞屋が非常に気になりました→
これまでそれなりの数の廃墟も観察してきた私にとってピンときたものがありまして、早速このウラへの侵入を試みます。
するとどうでしょう。
↓まさに大当たり!
そこは過疎の山村によく見られる打ち捨てられたボロ家のパラダイス。
趣味悪いですけど、こういうものを見ていると妙に興奮してくる私は神経がおかしいのでしょうか?
別の仕舞屋ですけど、戸が開いていたので思わず撮ってしまった写真→
文具屋さんですかね、奥に掲げられている右から読みの「ライトインキ」の額がいい味出していて、それを盗んでいきたい衝動にかられる。
太鼓屋さん→
このご時世、太鼓でメシを食っていけるのか気になります。
↓そこで副業?なのかもしれませんが、これらが糊口の足しになるように全く見えません。
好き放題言ってばかりでスミマセン。是非何とか「和」の伝統を守り抜いて欲しいものです。
そんなこんなで商店街が意外にも楽しかった二本松を去り南に反転、その途中、寄り道したのが矢吹町(やぶきまち)。
降りた矢吹駅の自由通路→
矢吹町は日本三大開拓地の一つ。
日本三大開拓地とは、戦後の大規模国営開拓事業が大成功したとされる三か所の開拓地。
他には青森県十和田市、宮崎県川南町があります。
因みにこの垂れ幕のド真ん中に立って右腕を高らかに上げている御仁は、この町出身で「絶好調~~っ!」のフレーズで有名だった野球選手(横浜市を本拠地にする某球団の監督でもあった)。
駅の東口(左)と西口(右)→
丸い部分は飛び出ていて展望台?になっておりまして、1個だけだと巨大望遠鏡か戦艦の大砲程度にしか見えないのですが、2個並ぶとアラ不思議!、蚊やトンボ、或いは宇宙人になってしまいました(笑)。
東口から伸びる「四季のプロムナード」の路面には、鉄道に関するパネルがいくつか埋め込まれています。
私が仙台に住んでいる頃、東京への行き来によく乗った特急→
あの頃は上野までがっつり4時間余りかかりましたからね、そのお蔭で?忍耐力が備わりました(苦笑)。
始期は1982年だけどな~→
ウソはいかんな、ウソは。
新幹線開業前後でもよく見られた超オンボロ客車列車→
デッキなんかはドアもなく吹き抜け状態で、うっかりすると走行中線路に真っ逆さま。
こんな怖いの、よく乗っていたのぉ。
クッション性が全くなく、振動がモロ伝わってくる硬い木のバリバリ座席が懐かしい。
(631)福島県西白河郡矢吹町役場→
源義家の奥州征伐時に、八幡社を造営し屋根を矢柄で葺いたため「矢葺」の地名が起こったという。
「日本三大開拓地」らしく農地が町の面積の半分以上を占めており、平成29年3月1日現在の人口は17,300人。
「あゆり祭」とは何ぞや?→
10月1日~11月30日までの長~い期間開催される矢吹町民による文化祭。
町の北部にあって住民に恩恵をもたらしてきた「大池」が昔、「あゆり沼」と呼ばれたことに因んだものらしい。
おまけにその「大池」には、我らが千葉市から譲り受けた約2000年前の古代ハスで知られるオオガハス(千葉市の花でもある)が生育しているのだと。
ひょんなことで縁を感じた矢吹町。
駅西側が町の中心商店街となっております→
矢吹も旧奥州街道の宿場で、この通りがまさにそれ。
贅沢すぎる立派すぎる町営団地→
すぐにここに移住したい!タダで住めるのなら。
町のマスコットキャラクター→
↓地方のおもちゃ屋にはよく飾られているんだよなあ、ヒーローものの人形。
東日本大震災で被害を受けた修復中の「大正ロマンの館」→
昨年11月30日(水)にめでたくオープン!したそうです。
↓宿場の名残りを留める建物を期待して来てみたワケですが、目ぼしいものはこんな程度しかなく残念。
↓郡山のホテルで見ていたテレビ番組でたまたま絶賛紹介されていたので、食べてみたくなった郡山駅弁(¥900)。
東京駅の駅弁屋「祭」でも売られているそうですが、あっという間に完売してしまうのだという。
「祭」にはよく行くにもかかわらず全く気が付きませんでしたが、そういう理由だったのね。
それだけの超人気駅弁、酒のつまみにもなかなかよかったわ。
千葉駅にも「祭」がやってきましたが、そこにも置いてくれないかな?
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
バスで再び二本松駅に戻ってきましたが、せっかくなので、かつては旧奥州街道の宿場町でもあった駅チカ市街地をブラブラしてみます。
↓戊辰戦争で灰燼に帰してしまいましたが、町割りはその当時と変わりません。
↓日本三大提灯祭りの一つらしい「二本松提灯祭り」とはこんな感じなのね。
3日間開催されますが、何故だか初日にクライマックスを迎えるのだとか。
旧奥州街道のメイン通り商店街→
平日だからなのか分からないけどかなり苦戦気味。
中でもこの仕舞屋が非常に気になりました→
これまでそれなりの数の廃墟も観察してきた私にとってピンときたものがありまして、早速このウラへの侵入を試みます。
するとどうでしょう。
↓まさに大当たり!
そこは過疎の山村によく見られる打ち捨てられたボロ家のパラダイス。
趣味悪いですけど、こういうものを見ていると妙に興奮してくる私は神経がおかしいのでしょうか?
別の仕舞屋ですけど、戸が開いていたので思わず撮ってしまった写真→
文具屋さんですかね、奥に掲げられている右から読みの「ライトインキ」の額がいい味出していて、それを盗んでいきたい衝動にかられる。
太鼓屋さん→
このご時世、太鼓でメシを食っていけるのか気になります。
↓そこで副業?なのかもしれませんが、これらが糊口の足しになるように全く見えません。
好き放題言ってばかりでスミマセン。是非何とか「和」の伝統を守り抜いて欲しいものです。
そんなこんなで商店街が意外にも楽しかった二本松を去り南に反転、その途中、寄り道したのが矢吹町(やぶきまち)。
降りた矢吹駅の自由通路→
矢吹町は日本三大開拓地の一つ。
日本三大開拓地とは、戦後の大規模国営開拓事業が大成功したとされる三か所の開拓地。
他には青森県十和田市、宮崎県川南町があります。
因みにこの垂れ幕のド真ん中に立って右腕を高らかに上げている御仁は、この町出身で「絶好調~~っ!」のフレーズで有名だった野球選手(横浜市を本拠地にする某球団の監督でもあった)。
駅の東口(左)と西口(右)→
丸い部分は飛び出ていて展望台?になっておりまして、1個だけだと巨大望遠鏡か戦艦の大砲程度にしか見えないのですが、2個並ぶとアラ不思議!、蚊やトンボ、或いは宇宙人になってしまいました(笑)。
東口から伸びる「四季のプロムナード」の路面には、鉄道に関するパネルがいくつか埋め込まれています。
私が仙台に住んでいる頃、東京への行き来によく乗った特急→
あの頃は上野までがっつり4時間余りかかりましたからね、そのお蔭で?忍耐力が備わりました(苦笑)。
始期は1982年だけどな~→
ウソはいかんな、ウソは。
新幹線開業前後でもよく見られた超オンボロ客車列車→
デッキなんかはドアもなく吹き抜け状態で、うっかりすると走行中線路に真っ逆さま。
こんな怖いの、よく乗っていたのぉ。
クッション性が全くなく、振動がモロ伝わってくる硬い木のバリバリ座席が懐かしい。
(631)福島県西白河郡矢吹町役場→
源義家の奥州征伐時に、八幡社を造営し屋根を矢柄で葺いたため「矢葺」の地名が起こったという。
「日本三大開拓地」らしく農地が町の面積の半分以上を占めており、平成29年3月1日現在の人口は17,300人。
「あゆり祭」とは何ぞや?→
10月1日~11月30日までの長~い期間開催される矢吹町民による文化祭。
町の北部にあって住民に恩恵をもたらしてきた「大池」が昔、「あゆり沼」と呼ばれたことに因んだものらしい。
おまけにその「大池」には、我らが千葉市から譲り受けた約2000年前の古代ハスで知られるオオガハス(千葉市の花でもある)が生育しているのだと。
ひょんなことで縁を感じた矢吹町。
駅西側が町の中心商店街となっております→
矢吹も旧奥州街道の宿場で、この通りがまさにそれ。
すぐにここに移住したい!タダで住めるのなら。
町のマスコットキャラクター→
↓地方のおもちゃ屋にはよく飾られているんだよなあ、ヒーローものの人形。
東日本大震災で被害を受けた修復中の「大正ロマンの館」→
昨年11月30日(水)にめでたくオープン!したそうです。
↓宿場の名残りを留める建物を期待して来てみたワケですが、目ぼしいものはこんな程度しかなく残念。
↓郡山のホテルで見ていたテレビ番組でたまたま絶賛紹介されていたので、食べてみたくなった郡山駅弁(¥900)。
東京駅の駅弁屋「祭」でも売られているそうですが、あっという間に完売してしまうのだという。
「祭」にはよく行くにもかかわらず全く気が付きませんでしたが、そういう理由だったのね。
それだけの超人気駅弁、酒のつまみにもなかなかよかったわ。
千葉駅にも「祭」がやってきましたが、そこにも置いてくれないかな?
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→