ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

168日目 人のいない旧宿場町・二本松と矢吹の商店街

2017-04-20 22:46:50 | 南東北
平成28(2016)年10月11日(火)


バスで再び二本松駅に戻ってきましたが、せっかくなので、かつては旧奥州街道の宿場町でもあった駅チカ市街地をブラブラしてみます。
↓戊辰戦争で灰燼に帰してしまいましたが、町割りはその当時と変わりません。


↓日本三大提灯祭りの一つらしい「二本松提灯祭り」とはこんな感じなのね。

3日間開催されますが、何故だか初日にクライマックスを迎えるのだとか。

旧奥州街道のメイン通り商店街→
平日だからなのか分からないけどかなり苦戦気味。

中でもこの仕舞屋が非常に気になりました→
これまでそれなりの数の廃墟も観察してきた私にとってピンときたものがありまして、早速このウラへの侵入を試みます。
するとどうでしょう。

まさに大当たり!
 
そこは過疎の山村によく見られる打ち捨てられたボロ家のパラダイス。
趣味悪いですけど、こういうものを見ていると妙に興奮してくる私は神経がおかしいのでしょうか?

別の仕舞屋ですけど、戸が開いていたので思わず撮ってしまった写真→
文具屋さんですかね、奥に掲げられている右から読みの「ライトインキ」の額がいい味出していて、それを盗んでいきたい衝動にかられる。

太鼓屋さん→
このご時世、太鼓でメシを食っていけるのか気になります。

↓そこで副業?なのかもしれませんが、これらが糊口の足しになるように全く見えません。

好き放題言ってばかりでスミマセン。是非何とか「和」の伝統を守り抜いて欲しいものです。

そんなこんなで商店街が意外にも楽しかった二本松を去り南に反転、その途中、寄り道したのが矢吹町(やぶきまち)。
降りた矢吹駅の自由通路→
矢吹町は日本三大開拓地の一つ。
日本三大開拓地とは、戦後の大規模国営開拓事業が大成功したとされる三か所の開拓地。
他には青森県十和田市、宮崎県川南町があります。

因みにこの垂れ幕のド真ん中に立って右腕を高らかに上げている御仁は、この町出身で「絶好調~~っ!」のフレーズで有名だった野球選手(横浜市を本拠地にする某球団の監督でもあった)。

駅の東口(左)と西口(右)→ 
丸い部分は飛び出ていて展望台?になっておりまして、1個だけだと巨大望遠鏡か戦艦の大砲程度にしか見えないのですが、2個並ぶとアラ不思議!、蚊やトンボ、或いは宇宙人になってしまいました(笑)。

東口から伸びる「四季のプロムナード」の路面には、鉄道に関するパネルがいくつか埋め込まれています。
私が仙台に住んでいる頃、東京への行き来によく乗った特急→
あの頃は上野までがっつり4時間余りかかりましたからね、そのお蔭で?忍耐力が備わりました(苦笑)。

始期は1982年だけどな~→
ウソはいかんな、ウソは。

新幹線開業前後でもよく見られた超オンボロ客車列車→
デッキなんかはドアもなく吹き抜け状態で、うっかりすると走行中線路に真っ逆さま。
こんな怖いの、よく乗っていたのぉ。
クッション性が全くなく、振動がモロ伝わってくる硬い木のバリバリ座席が懐かしい。

(631)福島県西白河郡矢吹町役場
源義家の奥州征伐時に、八幡社を造営し屋根を矢柄で葺いたため「矢葺」の地名が起こったという。
「日本三大開拓地」らしく農地が町の面積の半分以上を占めており、平成29年3月1日現在の人口は17,300人。

「あゆり祭」とは何ぞや?→
10月1日~11月30日までの長~い期間開催される矢吹町民による文化祭。
町の北部にあって住民に恩恵をもたらしてきた「大池」が昔、「あゆり沼」と呼ばれたことに因んだものらしい。
おまけにその「大池」には、我らが千葉市から譲り受けた約2000年前の古代ハスで知られるオオガハス(千葉市の花でもある)が生育しているのだと。
ひょんなことで縁を感じた矢吹町。
 
駅西側が町の中心商店街となっております→
矢吹も旧奥州街道の宿場で、この通りがまさにそれ。

贅沢すぎる立派すぎる町営団地→
すぐにここに移住したい!タダで住めるのなら。

町のマスコットキャラクター→

↓地方のおもちゃ屋にはよく飾られているんだよなあ、ヒーローものの人形。


東日本大震災で被害を受けた修復中の「大正ロマンの館」→
昨年11月30日(水)にめでたくオープン!したそうです。

↓宿場の名残りを留める建物を期待して来てみたワケですが、目ぼしいものはこんな程度しかなく残念。
 

↓郡山のホテルで見ていたテレビ番組でたまたま絶賛紹介されていたので、食べてみたくなった郡山駅弁(¥900)。

東京駅の駅弁屋「祭」でも売られているそうですが、あっという間に完売してしまうのだという。
「祭」にはよく行くにもかかわらず全く気が付きませんでしたが、そういう理由だったのね。
それだけの超人気駅弁、酒のつまみにもなかなかよかったわ。
千葉駅にも「祭」がやってきましたが、そこにも置いてくれないかな?

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

168日目 長丁場の宴を迎えた二本松

2017-04-18 23:59:01 | 南東北
平成28(2016)年10月11日(火)


本宮市の次に向かいしは、北隣りにある二本松市。

残念ながら毎年10月4~6日に開催される「二本松提灯祭り」は終わったばかり。
さぞ祭りの後の虚しさで満ち溢れているものだと思いきや、そんなことでおとなしくなる二本松市ではありません。
↓間、髪を入れず前日より「第62回菊の祭典 二本松の菊人形」が絶賛開催されたばかり。

これは11月23日までのロングラン。この2ヶ月間でどれくらいのお金が落とされるんだろ?

さて、疲れているのもあってチャリを借りようと、ここに声をかける→
当然借りられるものと余裕をかましていたのですが、思いもよらぬ言葉にクラクラする。
すみませ~~ん、全部出払っちゃいましてねえ・・・(汗)

菊へ向かいそうな人はそれなりにいたけど、この日は普通に平日。たいした数ではない。
だけど、10時半頃にノコノコやってくるのはあまりにも舐めすぎか。

本宮ではなく最初にここに来るべきでしたが、仕方ない、かくなる上は極めて原始的移動手段を使わざるを得ません。
その代わり行くつもりだった「智恵子記念館」はバッサリ切る事に・・・。

駅前の文化ホール→
ここで密かに楽しみにしていたものがあったのですが・・・。

よくあるパターン→
とことんツキに見放されております。

気を取り直して、まずは線路越えて駅の南側へ。えっちらおっちら坂道を上ると市役所。

(630)福島県二本松市役所
その名のとおり、「二本の松」に由来したと思われる地名ですが、日本辞典の中の「地名由来辞典」によると、『昔、山王寺山にあったとされる「鶴松」と「亀松」の二本の霊松に由来か』らしいです。
室町時代からの城下町と、意外にも歴史のある町で、戊辰戦争の際は町は焼けてしまう。
現在は約56,000人が住む市。

役所のある辺りはかなり縁起のいい地名→
でも市の財政力はぱっとせず、県内でも59市町村中第22位(平成23年度)。

さあ、これから坂を下りて市街地を通り抜けて菊会場である二本松城へ→
役場とお城の距離は直線にして1.2~1.3km程度なのだけど、途中、意地悪く山が立ちはだかっており、先行きが思いやられます。

とりあえず適当に歩いて行くと、やがて鮮やかな赤に映えるお寺さんに来る。
だけど、目の前は山が行く手を阻んでいて、あたかも通せんぼ。
横には山を上る階段があるのだけど、「そこからお城に行けるんかなあ」と困っていたら、実にナイスタイミングで寺主さんらしきが用事先から車で帰ってきたではないか!
しんどい思いをしていたのを神様、いやいや仏様は見ていてくれたようです、ツキを取り戻したか?

↓「階段を上って、ああ行って、こう行って・・・」と教えてもらったその階段を登る途中。


やれやれ、ようやくお城が見えてきました→

日本100名城の一つ、二本松城→
別名は霞々城(かすみがじょう)といい、応永21(1414)年に畠山満泰により築かれたお城。
戊辰戦争であえなく落城してしまう。

二本松少年隊群像→
「少年隊」だからと言って、ご当地アイドルグループではありませぬ。

戊辰戦争時、迫る新政府軍と相対すべく、出陣を志願した数え13~17歳までの少年達62名で構成され、うち14名が戦死してしまう。
一方で、同じ少年兵でも有名な会津の「白虎隊」に比べるとほとんど知られていないのが哀しい。
像は激戦地・大壇口での奮戦姿と、出陣服を仕立てる母の姿だそう。

お城の一部を間借りした会場でございますが・・・→
菊はちっとも咲いておりませぬ。

でもメインは祭り名にもあるように菊人形。
こんな感じでたくさんの人形が突っ立ております→
罰で立たされている感じのお偉い方。

↓八重さん人形よりも津田梅子さん人形の方が、大河ドラマ「八重の桜」で八重さんを演じた女優に似ている気がする。


真ん中のお人形さんはモノホンの人間かと見間違えるくらい→
私のお好みの顔立ちに仕立ててくれた本名はナゾの紫式部でございます。

首のない少年隊→
見れば見るほど不気味。

菊を羽織らせてくれなかった人形→
目をいきなりかっぴらいて怪光線を発するビックリ人形だったら面白いんだけどね。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

168日目 ほんとの空を見に来たというのに

2017-04-10 23:58:25 | 南東北
平成28(2016)年10月11日(火)


郡山から東北線を北に進むことからこの日はスタート!
早速、安達太良山と(右)と和尚山(左)が姿を現します→
むかーしむかし、智恵子さんという方がいしゃっらいまして、曰く、この山の上がほんとの空らしい。
そして、私が普段見ている千葉、というか広い意味での東京の空はほんとではないと真向全否定される。
ホンモノを見に来たというに、雲がかっていてお天道様は何て意地悪。

この日最初の訪問地は本宮(もとみや)市。
本宮駅→
かの野口英世博士が故郷・会津の三城潟(さんじょうがた)から約40kmを歩いて来て、東京へ向かう列車に乗った駅がここ。
博士が上京を目前にして生家の床柱に刻んだ文「志を得ざれば再び此地を踏まず」。
このホームでその思いを秘めながら列車を待っていたのかと思うとなかなか感慨深いものがあります。

駅前広場→

↓「福島のへそ」を自称している本宮市ですが、どちらかというと郡山の方が真ん中な気が・・・。


明治5(1872)年創業の大天狗酒造さんの煙突が目立ちます→

駅前通り→

まだ眠そうにもかかわらず、行儀よくお出迎え→

メイン通りを外れ、怪しい裏路地へ→

↓そこにはますます怪しげなその手のマニアが大喜びしそうな廃墟っぽい建物があったりする。

大正3(1914)年築の本宮映画劇場で、一見キレイだけど、よく見るとバリバリな外装。

↓廃墟と思いきやまだ現役らしく、テレビにも紹介されたなかなかいい味を醸し出している映画館ですな。
 

(629)福島県本宮市役所
平成19年に本宮町と白沢村が合併し誕生。人口は約3万人。
古くは会津街道の起点で、三春街道と相馬街道が交差する宿場町。

ところで、この旅に出る前の事前準備の段階から気になっていたのが、この学校名→
「本宮まゆみ」さんという偉い人が昔いて、その記念に建てられた学校だと思っておりました。

ここで由来が判明→
「まゆみ」という木なんて初めて聞いたわ。

安達太良川のほとりへ→

秋らしくススキが伸びて、散策には実にいい堤→

鉄路を越えると水色にあしらわれた公園→
名前もやっぱり「みずいろ公園」。
本宮市には多くの川が流れているので、「みずいろの町」でもあるという。
で完璧に安達太良山上空は見る事できなくなっています。

さらに川を歩くと、阿武隈川との合流部→

これから秋祭りが目白押しの本宮市でした→

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

167日目 二人の美女に会いに・・・

2017-04-06 23:54:52 | 南東北
平成28(2016)年10月10日(月祝)


磐越東線・小野新町駅には14時頃到着→

↓何でだか分からないけど、ホームには何人かのポリさんが眼光を鋭くしていらっしゃいます。

辺りはピリピリ緊張のある重苦しい雰囲気。
彼らを見て「まさかオレを捕まえに来たんじゃないよな?」と一瞬でもビビッてしまう私は小心すぎますか?

「ゆっくりのんびり旅」では一度登場した事のある、ここ小野町(おのまち)ですが、以前この町出身の人とたまたま話す機会がありまして、その人が言うには「真夏の8月でも寒いからコタツを出している」ようなお寒い土地柄なのだと。
冗談だと思ったけど当人は至ってマジな目つき。どんだけ極寒地なんじゃ

じゃあ10月なら耐えられない位の寒さなんじゃないかと、密かに(小野だけに)恐れおののいていたのですが・・・。
実際全く暖かくはないのだけど、さして寒くもない。やっぱりあの人は話しを盛っていたのでしょうか?

駅前にはいきなり何やら由緒ありげな石碑→
9世紀前半の漢学者・遣唐副使であった小野篁(おののたかむら)のお屋敷跡の碑。
ですが、館は実際には奥の山裾にあったようなので、非常に紛らわしい人迷惑な碑であります。

彼は遣唐大使と良船を争うといった子供じみたケンカをした挙句、隠岐に流されてしまったことで名を残す。
さらには超有名なあの人のじい様(父親という説もあるよう)であるらしいけど、そのお話しは後で。
思いっきり察しは付くと思いますが、小野という地名は彼の由来らしい。

↓市街地へ。
 


古い時代から浜通りと中通りを結ぶ盤城街道の要衝で宿駅。
少ないながらも古い建物があり、それらしい雰囲気は一応醸し出しております。

(628)福島県田村郡小野町役場
戦前は馬産地。その後、葉タバコ生産・畜産が盛んになるも、近年小野町が力を入れているのは「ミネラル野菜」。
人口は1万人余り。

仙台屋さん→
大盛ラーメンを提供することで地元では有名なお店。

右支夏井川(うしなついがわ)のほとり→
きっと現地の人は咲くのは今か今かと待ち遠しいんだろうね。

しばらく川沿いを歩くと、この橋に来ます→

↓小野町が御自慢の麗しき女性二人の像がここにはありますが、誰だか分かりますか?
 
左は世界三大美女の一人とされているあのお方。
既にモロバレでしょうが、先に出てきた小野篁の孫?娘?で、当時の男のアイドル・小野小町。
さらに小野町で産声を上げたのだという伝説があるので、「小野小町生誕の地」に手を挙げております。
だた、「生誕の地」を名乗る地は他にもたくさんあるようなので、私は同じ「小野」という事でムリクリこじつけたのではないかと勝手に推測しております。
それに今じゃ小町=秋田のイメージが定着してしまっているので、「ここで生まれました」と言ってもどうもピンときません。
蛇足ですが、世界三大美女の一人として小野小町を加えているのは日本だけのようです。

さて、右のお方ですが、名前は香山リカさん。
あ、メディアによく出てくるあの女医さんではないですからね(笑)。似てないでしょ?

橋の目の前にあるこの建物は、香山リカさんに関係のあるお城→
リカちゃんキャッスルといい、女のコの永遠のアイドル・リカちゃん人形のテーマパーク的施設です。

↓この日宿泊は郡山。駅前ではコンサートが行われ、非常に騒がしくなって賑わっておりました。
 

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

167日目 避難指示が解除されたその後を訪ねる(2)

2017-04-01 00:49:30 | 南東北
平成28(2016)年10月10日(月祝)


昨日今日と、立て続けに四つの町村(富岡町・飯舘村の大部分と浪江町の一部、川俣町山木屋地区)に出されていた避難指示が解除されました。
あれからもう6年も経ってしまったのですね、でも以前の姿を取り戻すには相当大変だろうな。
先に解除されても、もぬけの殻のような状態が解消されない楢葉町を目の当たりにしてしまったので余計そう思います。

さて、福島第一原発から南20~30kmの所に位置し、震災から一年後の平成24年3月31日に避難指示が解除された広野町(ひろのまち)はどうなっているのでしょう?

町の玄関口である広野駅→

駅東側(海側)→
福島県広野町東日本大震災の記録Ⅰでは水浸しとなった駅東側の写真を見ることができます。

一面の荒野に似つかわしくない建物は「広野みらいオフィス」。
コンビニや各種事業所が入っていたりします。

後でも触れますが、広野町は震災前の約50~60%しか人が戻らないので、町活性化のカンフル剤として投入されたのが「広野駅東側開発整備事業」。
ゆくゆくはここに医療機関を移設したり、宿泊施設や集合住宅の誘致も企てているのだという。

ハコ造りだけはお手の物の行政ですが、これを造っても活性化する保証はない。だけど、ハコがないと活性化に繋がらないと言われればそうかもしれない。
でも安全面もさることながら、やっぱり地域の発展には働き口を増やせるかどうかなんだと思うんですけどねえ。
いずれにせよ、広野駅東側開発整備事業のイメージ図では立派な街並みが描かれていて、果たしてそうなっているか数年後またここを通るのが楽しみ。

跨線橋から北側→
楢葉町との境にある広野火力発電所の煙突がやたら目立ちます。

童謡「汽車」の碑→
「今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと~」で始まる童謡の碑で、その歌の舞台がここ、広野駅周辺であるという。なぜか?
続けて歌うと「思う間も無く トンネルの 闇を通って広野原」。
なるほど、最後に「広野」が出てくるわい。だかららしいんだけど、こじつけ感がある。
実際、歌の舞台には諸説あるらしいし。
「山 浜 鉄橋 トンネル 広い野原」なんて列車に乗っていれば日本中にたくさんありますからね。

寧ろ「汽車」で真っ先に頭に思い浮かぶのは、かつて広島東洋カープに山中潔というキャッチャーがいて、その選手の応援曲に使われていた事かな。
昔の選手応援歌(曲)なんて、歌謡曲を使ったり、アニメソングを使ったりと案外適当なのが多かったよなー。

駅舎→ 

線路に並行する商店街→
あまり人は歩いていません。目立つはやっぱりシャッター。

(627)福島県双葉郡広野町役場
右の平べったい低い建物が役場。その横には「ひろのてらす」と呼ばれる公設商業施設があります。
町のキャッチフレーズは「東北に春を告げる町」。それくらい温暖な地域なのだと。

↓さすがにこれを見た時は何をハッタリこいてんだ・・・と思ったけど、本当に作っているらしい(失礼しました)。

ま、要は暖かいんだね。

さて、原発事故直後、緊急時避難準備区域に指定され、その年の9月30日にそれが解除されて比較的恵まれているように見える?広野町ですが、
ふくしま復興ステーションによると、「平成23年3月11日現在の住民登録人口5,490人」、
町役場のHPでは「平成29年2月末日現在 総人口5005人、平成29年2月24日現在 町内居住者数2949人」と、やっぱり苦しい状況。
因みに一時お医者さんがいないと大騒ぎになった「高野病院」はこの町です。

町おこしに童謡を起用しています→
「汽車」だけが理由ではないのですが、そのワケは後ほど。

役所横の「ひろのてらす」ではサッカーイベントの最中→
地元資本のスーパーを誘致できなかったんでしょうかねえ、またぞろあのスーパーが進出していて残念。

遠くに海を見る→
堤が見えますが、その上は県道。
実は堤の奥には従来の防潮堤(高さ6m)があるのですが、津波はその遥か上(9m)だったという。
そこで、念には念を入れて多重防衛としてもう一本、高さ10mの新しいこの堤を築き、内陸側はなだらかな下り斜面としています。
いわゆる某政権時で「スーパー無駄遣い」とされたスーパー堤防のようなものですな。
約6万本の苗木が植えられているようです。

この左側は築地ヶ丘公園。
その中にこれがあります→
誰もが知っている童謡「とんぼのめがね」は広野町発祥。

↓でも噴水の音だけが響き渡るだけの、誰もいない寂しすぎる公園でした。


↓広野駅を去り、まだどうにもしっくりこない「いわき駅」に来て磐越東線のディゼルカーに乗り換えます。

かつて呼ばれていた平(たいら)のイメージが未だに強いのは、私が古い人間だからか?(まあ、実際そうだし苦笑)。
3年後には「仙台方面」の表示が磐越東線から常磐線に変わると思うけど、それまでにもう一回この浜通りに来よう!

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

167日目 避難指示が解除されたその後を訪ねる(1)

2017-03-25 22:06:37 | 南東北
平成28(2016)年10月10日(月祝)


日立駅からJR常磐線に乗りましてひたすら北へ向かいます。
でも、路線は続いているのに電車はここまでしか行かないという駅があります。
当時も今もそうですが、福島第一原発の事故の煽りで分断されてしまっているのが理由ですが・・・。

それが竜田(たつた)駅→
下車客は10数人程度。
何となく竜田揚げを思い出す駅ですが、その由来がここ・・・という噂は全く聞いた事ありません。

原発事故以来よく耳にしているかと思いますが、この駅は楢葉町(ならはまち)にあります。
平成27年9月5日に避難指示が解除され、1年経った町の様子が気になったので来てみたのでした。

駅舎→
止まっているバスは、帰還困難区域に突入して原ノ町駅(南相馬市)まで行く代行バス。
数人乗っていたかな?いずれも鉄ちゃんのような感じの人だったような。
私はというと写真撮影で駅前をウロウロしてましたので、「乗りますかあ~~~~!」と大きな声。
何せ次のバスは10時間後なので親切心もあるだろうけど、乗るのかどうなのかハッキリしてくれ、が正解かも。

↓Jヴィレッジというサッカートレーニング施設があるのでこの看板。

希望に満ち溢れた看板がある一方で、その横には除染のゴミ袋らしきが山積みされていて実に対照的。
モニタリングポストの値は1時間あたり0.159マイクロシーベルト。
これが高いのかどうかは分からん。
が、どことは言わんけど、世界中にはここより高い数値の都市がゴロゴロあるやんよっぽど外国の方が危険

↓駅前の住宅街と商店街。
 
ひっそり。これ以外言葉が思い当たらないです、正直。
家はあっても人のいない世界、そして生活感のない世界。
人はいなくても車だけは走っているというのはよくあることですが、ここではそれすらもない。
飯舘村(いいたてむら)でもそれを経験しましたが、やはりどこか異様です。

風を通しているのかと思いきや・・・→
窓・玄関の枠が根こそぎ剥ぎ取られているし。
敢えてそうしているのか、避難中のどさくさ紛れにやられてしまったのか分からん。

建物は新しそうなんだけど→
草ボーボーで入るにも難儀、というか最早入りたくないような状態。

真昼間から雨戸だらけの戸建て団地→
人の息吹を全く感じない団地は非常に不気味です。

ふくしま復興ステーションという原発事故周辺の自治体の復興状況が分かるサイトがあるのですが、それによると地震当日の楢葉町の住民登録人口は8,011人。
そして平成29年1月4日時点での帰還者数767人。
私が行った頃の帰還者は約6%だったらしいから、それよりは持ち直しているとは言え、非常に寂しく厳しい数字です。
実際、工事関係者にはそれなりにすれ違ったのですが、現地の人らしきとなると一組の老夫婦のたった2人だけでしたし。

高台から町を見下ろす→
ここらでようやく車の音が聞こえてくる。他には工事の音。

(626)福島県双葉郡楢葉町役場
昭和31(1956)年に木戸村と竜田村が合併して成立。
福島第一原発から南10kmに位置し、事故で全住民が避難した自治体のうち最初に避難を解除した町。

先日見た震災関連特集のテレビ番組では、存続が危うい事態に直面している自治体として楢葉町が取り上げられていました。
登場した町長さんが頭を痛めていたのは、今後の人口減の中での財源確保に関して。
当たり前なのですが、インフラなんかを始めとして、町自体の機能維持が困難になるわけだから。

そこで、帰還促進を促す切り札がコレ→
住宅・商業施設・診療所、その他便利な施設全てを一か所に集約したコンパクトタウンの建設に踏み切る。

災害公営住宅では既に入居が始まっているようで、来年春には商業施設などがオープンする予定。
だったのですが、番組では思うようにテナントが集まらないらしい様子が映し出されていました。
となると人もやって来なくなる可能性もあり得ます。

中にはコンパクトタウンから遠い住所、或いはそこに戻る予定の人もいるでしょう、その人達には不便を強いる事になりますし、この構想、かなり前途多難に感じるのは私だけしょうか?

役場の前には、平成26年7月31日にオープンした「ここなら商店街」という仮設商店街があります。
食堂もあり、それは工事関係者には重宝されているようです。
私も是非ここで食事を取りたかったのですが、時間の都合で断念。
ここでお金を落とせず申し訳ない。

竜田駅北にある踏切→

赤錆びて、草に埋もれてしまった線路は実に哀しいものです→
が、今年10月頃までに富岡駅までの約7kmは運転再開されるようです。

駅東側の工事→
町民や廃炉関連事業向けに、駅前広場として駐車・乗降スペースを造ったり、ホテルを建設したり(来年夏にオープン予定)しています。

建設中のコンパクトタウン→
笑(えみ)ふるタウンならは」と名付けられたようです。
文字通り、「笑」のあふれる楢葉に戻ることを願ってやまないのですが・・・。

工事はどれもこれもかなり大掛かりな感じ。
復興財源を元手にやっているのか知りませんが、完成後の維持管理の財源は大丈夫なんでしょうか?

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

55日目 宮城・福島、蛇走行(5)~川俣

2013-09-01 00:37:49 | 南東北
2013年7月14日(日)


今回のドライブ旅行のトリを飾るのは、飯舘村と福島市に挟まれた川俣町。

↓中心街に入っていきます。
←もちろん、停まってまっせ。


右の方がちょん切れていますが、「ようこそイルミネーションのまち」とあります。
そうか、この町はそんなに盛大にイルミネーションで輝くのか。
ならば、暗くなるまで待ってみよう。

(293)福島県伊達郡川俣町(まち)役場

放射線量はこのとおりです→
この町の南東部も「居住制限区域」となっています。
きっと飯舘村で見たのと同じ光景が広がっているんでしょう。

この空き地は、以前町役場があった所みたいです→

明るいうちに、あちらこちら町を散策してみます。

↓まずは住宅街へ。
←旧役場前の通り

←川っぺりに建つ細長い建物のカラオケ居酒屋。





再び商店街に。ぼちぼち暗くなってきました。

↓至る所で蔵や老舗っぽいお店を目にします。




↓上の蔵の横で店舗を新築中


↓飲み屋の入っている建物

客の入りはまだ先の時間のよう。

やっと暗くなりました。






ん~、これがたいした事ないんだな・・・
「イルミネーションのまち」を謳うなら、もっと大勢の人が見に行こうと思うくらいの派手さでやらないと。中途半端すぎますね。

ガッカリして川俣町を去ります。

国道349号線をひたすら南下して、小野小町生誕の地といわれる福島県小野町まで行き、小野ICから磐越自動車道に入り、行きとは逆のルートを辿って稲毛に帰ってまいりました。

小野IC→

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
 にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

55日目 復興を祈る~飯舘

2013-08-31 01:15:22 | 南東北
2013年7月14日(日)


普段の投稿はわりとさっさと書き上げる事ができるのですが、今回は最初から何をどう書いていいのか分からず、しばらく途方に暮れていました。

それは、未来の見えづらい場所だったからなのかも知れません・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「道の駅そうま」からは海と別れ、山間部の方に走ります。

↓県道268号線を走っている時に見つけた古民家



単なる民家と思いきや、何と郵便局でもあったとはブッたまげました!

↓飯舘(いいたて)村に入るといきなり現れる真野ダムと湖



「はやま湖」とも呼ばれ、釣りの名所らしいです。
さぞ、秋は紅葉で綺麗でしょう。

↓山を越えて下りてくると、荒れ果てた田畑と人気のない集落が姿を見せます。





村に入って人の姿を見たのは、草刈りしていたこのお方とその奥さんらしき人、宅配便の運転手さん3人だけ。

(292)福島県相馬郡飯舘村(むら)役場
この村は、東北地方太平洋沖地震での揺れによる被害は大したものではないようでしたが、原発事故によってとんでもない影響を受けてしまったことは皆さんご存知だと思います。

役場内での17時35分時点での放射線量→
1時間あたり0.59マイクロシーベルト。
えっ?こんなに低いの?というのが最初の感想。
役場周辺を入念に除染したからか?と穿った見方をしてしまいます。

未だに閉鎖が解除されない役場横にあるポスト→

役場は「伊丹沢地区」という場所にあり、「居住制限地域」に当たるので、一時帰宅だけができ、住むこと(宿泊)はできません。
でも、このお盆は家に泊まる事が認められたようです。

静まり返った役場近辺を歩いてみます。




自動車はごくたまに走る、パトロールのような事をしている人らしきがほんの数人歩いていただけというのに、役場前の「いいたて活性化センターいちばん館」の駐車場にはたくさんの車が止まっています。
これはどういう事なのであろう?

草ボーボーのグラウンド→

↓庭も道路も草が伸び放題


←珍しく単車が走り去る




これまで、多くの田舎に行きまして、人を見ない会わないというのは結構あったのですが、それでも人の生活の息吹は感じられました。
でもここは全くそれが感じられない!
廃墟ではなく、新しい立派な家が何軒も立ち並んでいるだけ、ある種、不気味な空間です。
この時間、家の掃除に来ていたらしきが一軒あったのみでした。

↓留守の家にいた犬。もしかしたら、避難所には連れていけないのかも知れない。

私を見てからずっと吠えていたのですが、私を威嚇しているというより、何だか悲痛な叫びに感じて、いたたまれなくなりました(涙)。

↓県道12号線の様子



お店は閉店したままの状態になっています。

果たして以前のような姿をいつになったら取り戻せるのか、津波被災地以上に難しい問題である事を、短い時間しかいなかったのに偉そうですが、実際に来てみて改めて痛感させられました。
そして、私、というより、我々は、飯舘村の為に一体何をすればいいのだろう?

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
 にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

55日目 復興を祈る~宮城・福島県沿岸部

2013-08-28 23:50:29 | 南東北
2013年7月14日(日)


七ヶ浜町からは、ひたすら沿岸部を南下します。
ということは、ずっと被災地を見ながらの運転になります。

これまでも被災地の写真を載せてきましたし、今回もほとんどがそれです。
正直、亡くなった方のご遺族や被災した方の事を思うとどうなのかなとも思いましたが、震災から2年あまり経って、世間的(私も含めてですが)に震災や被災地への関心が徐々に薄れてきている気がしまして、これではいけないのでは?と思い、載せるに至った次第です。

多賀城市内→
この辺の津波の浸水高を示す看板があります。
ワンボックスカーくらいの高さです。

↓仙台市宮城野区七北田(ななきた)川右岸の河口付近






↓多くの犠牲者が出た仙台市若林区荒浜地区



一面更地となったかつての住宅地に、一軒だけ家が残っていました。


私も「再生を心から願う」ばかりです。

荒浜小学校→
よく見ると1階部分は壊れたように見えます。

↓仙台市と名取市の境を流れる名取川の「閖上(ゆりあげ)大橋」の左岸側

震災当日の夕方にNHKで、川を遡上し建物や田畑を呑み込んでいく津波の様子が映し出されていましたが、まさにここです。
対岸には大被害を受けた名取市閖上地区があります。

河口方向、えぐられた堤防は修復中→

上の写真の反対側(上流方向)→

閖上から先を走って少し驚いたのは、津波浸水域にもかかわらず、新築住宅がちらほら建っていたことですかね。

亘理(わたり)町に入ると、パラパラ雨が降ってきました。
この付近から相馬あたりまで、これまたマスコミに取り上げられる事が比較的少ないので、七ヶ浜町と同様、もっとスポットを当てて下さい。

浜吉田地区(宮城県亘理町)→

そのうちゲリラ豪雨に見舞われます→
雨脚が弱まったと思ったら、すぐに激しい雨になるの繰り返しで、視界が悪く、加えて「復興支援地図」がないので、どこらへんを走っているのかさっぱり分からず、全くのお手上げ状態になります・・・

↓道路の状態もあちらこちら悪い中、被災した家屋や家の基礎部分を横目に走ります。






↓津波で壊滅した中浜墓地跡に、震災犠牲者を慰霊するために徳本寺というお寺さんが建立した「千年塔」(宮城県山元町)

後ろの建物は中浜小学校

宮城・福島の県境付近で内陸部に進むように迂回させられる→
どうやら沿岸部は車が通れないようです。

国道6号線にある「道の駅そうま」(福島県相馬市)で休憩です→

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

55日目 復興を祈る~七ヶ浜

2013-08-26 23:36:59 | 南東北
2013年7月14日(日)


それまで小さく東西をクネクネしながら南下していたのを、いきなり東にずずっと大きく進路を変えます。
しかも、多賀城(たがじょう)市・塩竈(しおがま)市をブチ抜いて、沿岸部の七ヶ浜町に行きます。

(291)宮城県宮城郡七ヶ浜町(まち)役場
消防の訓練中?休日にもかかわらずお疲れ様です。
人口2万人ほどの町で、東北地方で一番面積の小さい市町村だそうです。

さて、この辺りから「復興支援地図」を忘れたことの不便さがジワジワと効いてくる
↓仕方ないので、役場近くにあった案内図を写して、それを頼りにしますわ。


東宮浜港→
釣り人がたくさん来ていて、長閑な時間が流れています。

「多聞山(たもんざん)展望広場公園」という所の駐車場に来ました→
この多聞山にある毘沙門堂から見る眺望は「松島四大観」の一つに数えられています。
松島はもはや詳しくは説明しませんが、「日本三景」の一つです。

毘沙門堂→

↓そこからの松島の眺め
 
左写真の手前右の小さい島は「地蔵島」、その奥は「馬放(まはなし)島 」
さらに右後方の島は「浦戸桂島」とその周辺の島々。

さすがは「松島四大観」の一つだけある!いい眺めでございます。

↓カモメかウミネコか、たくさんの鳥を引き連れた遊覧船が目の前を通り過ぎます。



天気もいいし、海も穏やかで、さぞかし気持ちのいい島巡りでしょうな。

↓一転、多聞山の下とその周辺は津波で被災した場所です。






海岸に沿って走ります。

吉田浜→

↓吉田浜の集落







こちらも大きな被害で言葉がありません。

菖蒲田浜辺りだったかな?→

七ヶ浜農協跡地だったような?→

被害の程度からか、知名度の問題なのか、被災時や被災後、復興の状況などについて石巻や気仙沼などに比べると、マスコミにあまり取り上げられなかったここ七ヶ浜町です。
でも、津波によって大きな被害を受けたのは同じなので、もっとここにもスポットを当ててもらって、今後の復興を後押ししてもらいたいものです。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
 にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

55日目 宮城・福島、蛇走行(4)~黒川郡・泉区

2013-08-25 23:52:33 | 南東北
2013年7月14日(日)


道の駅おおさと→

一晩過ごしたここから約1キロ離れた役場に、目覚ましを兼ねて歩いて行きます。

「道の駅」の前の道路→
しっかし、雨が降って厄介だな~

(289)宮城県黒川郡大郷町(ちょう)役場

これから車の運転が始まります。
まずは道の駅からそう遠くない所に「支倉常長メモリアルパーク」というのがあり、ちょっと興味があるのでそこへ車を走らせます。

支倉常長像→
支倉常長とは伊達政宗の家来で、政宗の命を受け、フランシスコ会の宣教師と共に太平洋経由でヨーロッパへ行き、ローマ法皇に謁見し通商を求めましたが失敗し、すごすごと帰国。
さらに不幸な事に、帰国時には幕府が鎖国政策に舵を切り、キリシタン禁教令を出していましたので、持ち帰った品々は息子の代で伊達藩に没収され、彼の功績は闇に葬り去られてしまいます。

この奥を行ったところにお墓があります→
が、行きません。
えっ、ナゼ?

入口の写真→
またまたコイツのお出ましですよ・・・
昔の著名人のお墓と言われているものは得てして何箇所もある場合が多く、この支倉常長も例外ではないようです。

次はこちら。

(290)宮城県黒川郡富谷町(まち)役場
今年、町制50年を迎えたこのおめでたい町は仙台市のベットタウンとして人口が急増、3年後に市制移行を目指しています。

↓その勢いをまざまざと見せ付けるバカデカい役場庁舎前の芝生広場(右側にもずっと広がっています)

今まで見た役所・役場の中では、敷地面積の広さは断トツでしょう、きっと。

リモコン飛行機で興じていても、気兼ねなくできますなぁ→

中央の山は「笹倉山(507メートル)」→
見にくくなっていますが、左の霞がかった山は仙台市民なら誰でも知っている「泉ヶ岳(1172メートル)」。

富谷町を出て、いよいよ仙台市に入ります。

〔20〕宮城県仙台市泉区役所

役場前の通り→
昔、我が家が仙台に住んでいた頃、泉区(当時は泉市といっていた)に家を買おうという話しが進んでいまして、いよいよ契約寸前といったときに父の東京転勤が決まり、その話しはオシャカになったばかりか、急な引越しで大わらわになったといった事がありました。ホント、あの時はバタバタしていたな~。

イミフな日本語→
本当に役人の言葉は分かりづらいのぉ。
車は自由に出入りができ、しかも、ロハで駐車できましたので(参院選投票の為の措置?)、逆に考えたとして、「駐車場を無料開放している」という事を言いたいのでしょうか?
でも、そうだとしても「ご了承願います」とはこれいかに?

区役所の近くにある仙台市営地下鉄の「泉中央駅」へ。

駅につながるペデストリアンデッキ→

↓偶然にも「泉中央まつり(いず・ちゅう祭)」の開催日で、行った時はまだ準備の真っ最中。
 その祭りとは、ストリートパフォーマンスなんだそうですが、でも興味ないです、悪いけど・・・








泉中央駅→
私が仙台にいた頃はまだ地下鉄建設計画が発表されたばかりで、「未来予想図」的な絵を見て、未来の仙台を想像するしかなかった訳ですが、こうして実物を見ているとまさに隔世の感があります。

何と!駅前に「白い鳩」が!→
これは幸運がやって来る前兆か!、な?

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
 にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

54日目 宮城・福島、蛇走行(3)~黒川郡

2013-08-19 23:54:36 | 南東北
2013年7月13日(土)


前回に引続いて、サクッと流します。

(287)宮城県黒川郡大衡(おおひら)村(むら)役場

以下は役場の周囲です。

もうすぐ大台!→

↓こういうのを作っているから政治家・役人は叩かれてしまうのだと、よく分かる道路


←左の白い建物が役場です。

上の写真の右手にある「昭和万葉の森」入口→
ここのHPによると、「万葉集で詠まれている植物を通じて、歴史・文化・自然・科学等の学びの森として、また森林浴による健康の増進」が目的だそうです。

(288)宮城県黒川郡大和(たいわ)町(ちょう)役場

天皇寺(てんのうじ)→

住宅街から右に上だけチラリと見える某ホテルチェーン店→
実はこの日、オープンしたてほやほや。
ラジオでせっせと宣伝していましたし、今現在もしてますな~。
オープン記念価格として大幅割引でもしていれば泊まろうかなと、出発前に調べてみたところ、がっちり通常価格
ハァ~、初日くらい大出血サービスしたらどうなんだ!

↓商店街





人通りがとほんどないので、暗くなると余計に寂しく見える。

珍しいタイプの信号機→
歩行者は赤か青か見上げなければわからないけど、そもそも交通法規を守っている歩行者がいるのか疑わしいところ。

役所の近くへ戻ってきました。

で、会場は一体どこなんだべ??→

日がとうとう落ちたので、風呂に行きます。

とみや大清水ゆっぽ→
次の日訪問予定の富谷町にあるスーパー銭湯。
大和町のコンビニの兄ちゃんに教えてもらいました。

ノンアルコールではねぇ、どうも気分が盛り上がらない・・・→

この日の宿泊地は大郷(おおさと)町にある「道の駅おおさと」→

~おまけ~
道の駅での過ごし方
1 暗い中ラジオを聞きながら、しんみりとビールを飲む(ホント、クライよなぁ・・・)
2 歯磨き洗顔などして、寝る用意をする
3 NHK・ラジオ深夜便テーマソング「THE CHANCE YOU TAKE」を聴いて癒され、後ろのシートに横になって眠りにつく

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
 にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

54日目 宮城・福島、蛇走行(2)~栗原・加美

2013-08-18 00:55:41 | 南東北
2013年7月13日(土)


伊豆沼と目と鼻の先にある、栗原市の「内沼」→
伊豆沼・内沼ともにラムサール条約湿地登録されています。


仲間とシベリアへ行きはぐれた?いやいや、日本の方が居心地がいい?
などと、意地悪く勝手に想像するけれども、実は電線に引っかかるなどして脚や翼を傷めて、飛び立てられない白鳥がいるという。もし、写真の白鳥がそうなら皆で大事に見守っていかなければならない。

(284)宮城県栗原市役所

細倉マインパークという鉱山跡のテーマパークがあり、時間があれば行こうかなと思っていましたが、時刻は既に15時半。是が非でも行きたい場所でもないですし、後々の行程も考えて、そこへ行くのはやめました。

市役所のある築館(つきだて)地区の中心部を軽く散策します。

歩道橋から国道4号線を北方向に見る→

商店街→
休日なのでお店も休業しているのかどうか分かりませんが、それを差し引いても、活気は全く感じられません。
地方の小売の商店街はこんなのばかりで、見ていて実に忍びない。

↓昔はきっと名士の家だったに違いない
 
立派な門構えで広い庭なのですが、植物は伸び放題でさながらお化け屋敷と成り果てています。
きっと虫が大発生して、ご近所さんは迷惑この上ないだろう。

↓何らかの雰囲気を感じさせる道路



しかも沿道には薬師堂もあるし神社もある。
自宅に帰ってからよくよく調べてみると、この道は旧奥州街道で、この築館は宿場であったという。
なるほど、だから何かを感じ取った訳だ。
相変わらず、下調べが全くなっていませんです・・・

↓その道をさらに進むと、こんなものがあり、「何、これ?」と近寄ってみる。
 
よくよく見ると、武徳○(←?、何て書いてあったか忘れた)の石碑の後ろにバラックがあり、草木に呑みこまれようとしている。

さて、栗原市以降の自治体は、特にこれといった名所もないので、役場とその周辺を散歩して次へ移動するをしばらく繰り返します。

(285)宮城県加美(かみ)郡加美町(まち)役場

↓商店街





人影もほとんど見当たらず、それ以上に圧倒的に車の往来の方が大賑やかな商店街で、ある衣料品店から、何故か高校野球の「栄冠は君に輝く」がこれでもかと繰り返し繰り返し大音量で鳴り響いている。どう見ても時期早すぎだろう(投稿している今現在はピッタリだけど)。このような音楽で、果たして客寄せパンダとなり得るだろうか?

寂しい表通りにさらに輪をかけてうらぶれた裏通り→

(286)宮城県加美郡色麻(しかま)町(ちょう)役場

近くの神社→

何だこれ?→


風車を示す標識は初めて見ました(笑)
尤も、見て欲しいほどのものに値するかどうかの判断は皆さんにお任せしますが。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
 にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

54日目 宮城・福島、蛇走行(1)~登米

2013-08-15 23:25:58 | 南東北
2013年7月13日(土)


国道45号線を海岸線に沿って南下、気仙沼市本吉地区より国道346号線を進み、登米(とめ)市にやって参りました。

登米市は、平成17年4月に登米(とよま)町、迫町(はさま)町など9つの町が合併してできた市。
ところで、登米の呼び方には「とめ」と「とよま」の2通りあります。
これって、一体、どういう事??

元々は「とよま」であったのが、明治になり登米県が置かれた際に、これではよその人は読めないであろうという事で、県名を「とめ」にしてしまったという。
やがて、登米県は様々な県名を経て最終的には宮城県に統合されたのですが、登米郡を設置した時にそれは「とめ」として残りました。
以上は、後でも出てきます「水沢県庁記念館」という所で説明の受け売りですが・・・
つまり、合併前の登米町は「宮城県登米(とめ)郡登米(とよま)町」といったややこしいものだったんですね・・・

さて、この登米(とよま)地区は、別名「みやぎの明治村」と呼ばれるように、明治時代の雰囲気を味わえる町並があります。
時間に限りがあり、何でもかんでも見たい訳ではないので、興味を持った建物を見学するに留めます。

観光の拠点となる「とよま観光物産センター遠山之里」→
ここからスタートします。

↓教育資料館(国指定重要文化財)





明治21(1888)年に建てられた旧登米高等尋常小学校の校舎で、「みやぎの明治村」の一番の観光の目玉。
中で昔の教材などが展示され、教育の歴史を学べます。


一部、修繕中。ここの事務員さんによると、一昨年の大地震の揺れで、校舎はガタガタになり見るも無残な状態に成り果ててしまったといいます。実はハシゴの後ろで工事をしている真っ最中。

水沢県庁記念館(市重要文化財)→
明治5年築、でも県庁として使われたのは明治8年まででした。

↓武家屋敷通り

「明治村」を名乗りながら、ちゃっかり江戸時代のものもあったりする(笑)


手でちょこっと押せば今にも倒壊しそうな・・・

↓警察資料館(県重要文化財)



明治22年に建てられた旧登米警察署庁舎です。


中に入れるので、ちょこっと入って、捕まった気分を味わってみる。ん~、やっぱりあまり居心地は良くない。もちろん本物には入りたくないね、絶対。

↓蔵づくり商店街




登米(とよま)大橋(川は「北上川」)→

「とよま観光物産センター遠山之里」に戻り、食堂に入ります。

↓油麩(あぶらふ)丼(\650)

登米のご当地グルメです。
親子丼の肉が麩に変わったもののような感じ、ただし食べ応えが今一つ。
豚肉がちょっぴり入っていましたが、もう少しあった方がいいような気が。

さて、市役所は迫地区にあります。なので、進路は西へ。

(283)宮城県登米(とめ)市役所

↓白鳥の越冬地で有名な「伊豆沼」



ほとりの草むらにいたもの。拡大すれば何か分かります。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
 にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村

54日目 復興を祈る~気仙沼・内湾地区

2013-08-14 22:58:46 | 南東北
2013年7月13日(土)


最後に「内湾・海の道遊歩エリア 港まち恋人スクエア」と呼ばれる一角を歩いてみます。

「ホテル望洋」近くの「五十鈴神社」がある丘→
左にチラリと見えるのは「浮見海道」という海上の遊歩道ですが、現在は通れません。

↓上の丘を西に少し歩いた所から見える気仙沼「内湾」
 

気仙沼湾の港ふれあい公園→
フェリーが見えますが、それに乗れば大島へ渡れます。

↓その真向かいにある、現在修復中の国登録文化財・老舗蔵元「男山本店」

1・2階部分は流され、3階以上が残っただけの全壊だったらしいです。
震災前のこのあたりは、昭和の薫りがするレトロな雰囲気を醸し出した街並みだったといいます。それが一瞬にして失われ、つくづく残念でなりません。

ひしゃげてしまったままの「港町ブルース歌碑」→

↓桟橋が傾いて一部が海中に浸かったまま・・・






↓復興屋台村気仙沼横丁
 
気仙沼は日本屈指の漁港で、カツオやサンマなどが多く水揚げされ、そして何と言ってもサメで、フカヒレは名物として定着しています。
さて、ここで海鮮ものを食べようと思ったのですが、まだ開店準備中・・・残念至極、無念なり。
今年いっぱいで閉鎖される予定みたいなので、ここで食べたかったな・・・
でも、開店までここで時間を食う訳にはいかない。

屋台村の横にある「冷蔵庫創業の地」の碑→

↓一番街商店街




↓南町紫市場
 

↓内湾商店街





下の修繕中の建物は、国登録文化財の「武山米店」

「お魚いちば」に入ります→
この中にある「港町レストラン鮮」で食事をすることにします。
さて、海鮮もの・・・ん?「気仙沼ちゃんぽん」?
聞いた事ないけどな・・・
新たなご当地グルメかな?

結局、注文してしまった(\850)→
入っている魚介類の種類は多く、汁も海鮮風味のなかなかの一品。

内湾は結構観光客も来ていて、それなりの賑わいはありましたが、街の復興としてはまだまだの感。
ましてや南気仙沼・鹿折地区はガレキが片付いただけにしか見えず、これからどうするのであろう?
でも気仙沼は絶対復興する筈だと確信しつつ、ここを後にします。

至るところで見る看板→

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村