ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

172日目 京都府南部の長閑な2町村

2017-05-31 23:16:49 | 近畿(滋賀・京都)
平成28(2016)年12月31日(土)


関西線をさらに東へ東へ→
奈良駅から3つ目の加茂駅で気動車に乗り換えて、木津川の渓谷美を堪能し始めるや否や早速一つ目の笠置(かさぎ)駅で降りねばなりません。

この加茂駅から東、三重県の亀山駅までは田舎な区間でありながら概ね1時間に1本の運転があるので、この沿線にある2自治体はそれぞれ1時間滞在することにします。
本音を言えば、訪ねた所は出来れば1時間半程度はいたいのですが仕方ありません。

笠置駅→
桜と渓谷美で知られる駅みたいです。

↓駅前には、後醍醐天皇の倒幕を目的とした鎌倉時代末期の戦い・元弘の変(元寇にあらず)の笠置合戦を再現したものがあります。

笠置山に籠った後醍醐天皇側は僅か3,000余人、そこを取り囲む幕府軍は完璧にイジメであろう25倍、75,000人で包囲する。
これではいくら何でも天皇側は歯が立たないだろうと思いきや、山は巨石・怪石で覆われた「天然の要害」、再現にあるとおり弓で狙い撃ちするわ巨岩を投げつけるわで幕府軍は相当難儀したという。
最終的には天皇は捕えられ隠岐へ流されてしまったのですが。

↓駅から木津川までは、中々味わいのある街並み。
 

笠置大橋を渡って木津川の右岸側へ。
橋から見る川→
川辺にはこのクソ寒い時期でもかなり人が寄ってきているキャンプ場。
近くには「天然わかさぎ温泉笠置いこいの館」という天然温泉施設もあるので、冷え冷えになったら一時しのげるし。
尤も温泉は大晦日・元日は休みみたいですが。

(640)京都府相楽(そうらく)郡笠置町(ちょう)役場
日本で2番目に人口の少ない町だそうで、その数僅か1,400人程。
1位は以前登場した山梨県早川町
町HP内には町長さんのあいさつとして「3年前は出生児ゼロ、最近の国勢調査では府下最高の人口減少(中略)ワースト面がマスコミに取り上げられ(中略)駅前商店街もあと5、6年すればシャッター通りになってしまう(中略)2040年には人口は693人になると予想(後略)」と、涙目に(?)語っています。

この町は川遊びには良さげだし温泉もあるし、特産品はキジ肉・しいたけ・鴨肉・鮎などで、郷土料理はぼたん鍋・きじ鍋くらいしかなさそうなのが少々弱いけど、要は自然豊かな町。
ほんの休暇には持って来いなんでしょうけどね、現実的には長い事はいられないよね・・・。

町西部に隣接する木津川市に笠置町の飛び地があるのですが、気持ち悪い程グチャグチャした形をしています(地図を見てもらえれば分かります)。

役場背後の高台から→

ところで、笠置町にはその手のマニアには超有名な建物があるそうです。
↓てっきり川の左岸側にあるこの旅館がそれかな?と思ったのですが・・・。


↓実際、一見仕舞屋っぽいんだけど、一部明かりが灯っていたりと、よう分からん旅館。


浴室が開けっぴろげになっていたので、ちょっと侵入させてもらいました→
やっぱり仕舞屋だよな~。

それはそれで、実際には有名物件はこれではありませんでした。
↓駅を出てすぐ左手の山腹にある、ポツンとドでかいホテル跡。

昔の「笠置観光ホテル」で、特に夜なんかはかなりヤバイ場所だとか。
なお、笠置山もそれで有名なスポットみたいです。
怖いもの知らずとか命知らずの人向けでもある笠置町。

次、またまたお隣の大河原駅→
宮城県にも大河原駅がありますが、あちらは「おおわら」。
こちらは「おおわら」。

関西線と木津川に挟まれた国道163号線→
車が全く走っていません。
これまでどんなに人がいない市町村でも車だけは元気に動いていたものですが・・・(離島や山奥なんかは除く)。
そんなに落ちぶれた所なのかと思いつつ、駅から東に向けて歩きます。

(641)京都府相楽郡南山城村(むら)役場
一応「村」ではありますが、笠置「町」よりも多い人口の2,800人余り。
ま、数は村に相応しいけど。
特産は建物にあるとおり日本三大銘茶の一つである宇治茶。

車がないのはこういう理由からでした→

↓失礼ながら、ここを買いたいという業者は、どんな目算があるんだろう?


役場からそう遠くない所に、日本建築学会による「全国の建物2000棟」にも選ばれ、土木学会推奨の土木遺産に認定されている大河原発電所という大正8(1919)年に運転開始の水力発電所があるのですが、それを知ったのは帰った後の事です。しまった・・・。

駅の西側にも行ってみましょう→

恋路橋は沈下橋→
橋の向こう岸の小字は「北海道」。
だからと言って北の大地とは何の関係もなさそう。

向こう岸には「恋志谷(こいしだに)神社」という縁結びの神様があります。
名前が「恋を志す」とあるくらいですからねえ、名前はかなりいい。
実際、後醍醐天皇に纏わるお話しがあるそうです。
ところがこの神様のお守りは、春と秋の大祭(4月2日と9月2日)じゃないと買えないのだという。
なので、このレアお守りを手に入れられればめでたく恋愛成就するかも
人はいないけど、見る所は結構あるやん、南山城村!

↓14時頃発の気動車に乗り、亀山で乗り換えて一気に名古屋へ行く予定。

三重県に入って大勢が下車する伊賀上野駅でハッとする。
伊賀上野駅は伊賀市の玄関口。そしてまだ伊賀市はクリアしていません。
日没までまだ2時間程あるので、そこそこの町歩きができます。
ただ、この日は愛知県安城市での宿泊予約しているので今更変えられません。
何で伊賀市での年越しを考えなかったのだろう・・・。
一年の最後の最後で大ポカをやってしまった私めでございました。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

66日目 旧東海道がついてまわる(2)~草津線沿線

2014-01-13 23:47:41 | 近畿(滋賀・京都)
2013年10月13日(日)


7時42分大津駅発の電車に乗り、草津駅で草津線に乗り換えて1つ目の手原駅で降ります。

手原駅→
東経136度が通っている有名な都市はないかな?と思って調べてみましたが特になし。

駅前通り→
奥に見えるのは駅。

駅前通りを少し歩くと、早速旧東海道が横切ります。
どれどれ、少しそれを歩いてみましょう。

稲荷神社→
寛元3(1245)年に創建されたと伝えられてるこの神社、江戸時代には傘松の老木が有名となり、別名「笠(傘)松の宮」とも称するよう。今もその松はあるのか知りませんが、特に境内に入って確認はしていません。

このボーヤはどういう意味じゃ?→

手ハラベンチ→
お手をどうぞ、ではなく、お尻をどうぞ。
明治天皇はここにお掛けになったのかな?そんなに古いベンチではなさそうだったけど。

↓旧東海道をブラブラ




↓各家々にこんな感じの表札があります。
手原傘という傘はどういうのか知りませんが、きっと傘屋さんだったんでしょうな。


中央自動車道(名神高速)の栗東(りっとう)IC→
昭和38(1963)年、ここから尼崎まで日本で最初の高速国道が開通しました。

(328)滋賀県栗東市役所
栗東市は競馬好きなら誰しも知っているトレーニングセンターのある所。
ですが、市内のほんの僅か歩いただけですが、「馬の町」を感じさせるようなものは駅に横断幕があっただけで、見事なまでに他は全く目に付きませんでした。
私が気が付かなかっただけ?

2つ次の駅の甲西(こうせい)駅へ。

↓甲西駅北口と駅前




(329)滋賀県湖南市役所
一見、形が東京ドームっぽい役所。

琵琶湖南部を湖南地域といい、その地域名は以前から使われていたようですけどね。
湖南、こなん、コナン・・・。
どうもあのアニメが頭に浮かんでしまい、地元の人はどう思っているかは知らないですけど、県外の住民の私としては何とも言えないものを感じる(あくまで個人的な感想です)。
でも鳥取空港を「鳥取砂丘コナン空港」という愛称を使う考えが俄かに発生した事を考えると、そのアニメは見たことはないですけど、ひょっとして凄い番組なのだろうか・・・。

時間があったので、駅の反対側(南口)にも行ってみます。

南口駅前通り→
北口も少なくとも都会には感じませんでしたが、こちらは田園風景広がるもっと田舎。

でも旧東海道が通っており、特に他に行くところが無いのでそこへ。

↓その様子




←左は老舗っぽい酒蔵

古道というのは趣きがあっていいよな~。




↑それで、どこにそんな松があると言うのだ?

貴生川(きぶかわ)駅にて→
ポツンと放置されている信楽高原鐵道の車両。
昨年9月の台風18号の影響によってずっと運休しており、今年中に復旧させるつもりのようですが果たして如何に?

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66日目 旧東海道がついてまわる(1)~大津

2014-01-12 00:42:33 | 近畿(滋賀・京都)
2013年10月13日(日)


この日は滋賀県の県庁所在地・大津市からのスタート!

大津市は我がブログの市区町村訪問に今回カウントされません(市役所はやや遠方にあるため行けない)が、ただ「大津祭」開催期間中という非常におめでたい時期なので、お祭りそのものは見ませんが、特別にちょびっとだけ朝の大津駅周辺の様子をお届けします。

滋賀県庁
滋賀県の旧国名は近江(おうみ)。「江」とは、湖のこと。
つまり、京都から見て近い湖、すなわち日本最大の湖・琵琶湖を指します。
滋賀県のシンボル・琵琶湖は、国名そのものであった訳です。
では、近い「江」があるなら、遠い「江」もあるんじゃないか?
勿論ありまして、遠江(とおとうみ)は鰻の養殖で有名な浜名湖(静岡県)を指し、同じくその周辺一帯は国名にもなっています。
因みに「近江」は、さらに遠い昔は「淡海(おうみ)」と表記されました。
淡水湖(塩分を含まない湖)という意味ですが、遠江も同じように「遠淡海(とおつおうみ)」と呼ばれていました。
浜名湖は津波によって海と繋がってしまいましたが、昔はそうではなかったことの証しであります。

↓大津駅前通り。駅を背に真っ直ぐ行くと琵琶湖に突き当たります。
←大津駅の方向
←琵琶湖の方向

↓大津駅前通りをまっすぐ行った所の湖畔近くの「島の関西交差点」

横切っている線路は京阪石山坂本線、浜大津駅の方向。
その浜大津駅から出る京都方面行きの電車は、70メートル近くある長いものですが、何と一般道路(もちろん車も通る)のド真ん中を走っていき、京都市に入ってからは物凄い峠を越えて、やがて京都市街地では地下鉄になってしまうという大変面白い路線。

ある路地でやっていた、曳山の展示→

どれどれ、曳山を拡大してみよう→

大津駅前通りと旧東海道の交差点→

←京都の方向

←草津の方向(だったと思う)
大津には東海道の宿場が置かれましたが、ここらへんがその宿場かな?雰囲気的に。
2つ上の写真の道を進むと、明治時代に起こった、当時のほとんどの日本人が色を失ったロシア皇太子の襲撃事件の現場付近に行け、その碑が建っているようです。
この皇太子は後に皇帝に即位したものの、日本と戦争をやって負けてしまう。
よくよく日本とは相性の悪い御仁であったようです・・・。

大津駅→

↓ホームに行くとこういうものを見つけました。
 
北緯35度は、「千葉県千倉町(今は南房総市)で太平洋云々」とありますが、千倉ってどこや?って感じだよな~。
せめて「館山市を通って~」にした方がまだ良かったかも。
えっ?関西の人からしたら千倉でも館山でもどっちも知らんて?

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61日目 真夏の関西めぐり(3)~片町線沿線

2013-11-17 23:20:00 | 近畿(滋賀・京都)
2013年8月23日(金)


↓祝園(ほうその)駅からわずか10分、4つ先の駅、京田辺駅へ。

乗っては降り、乗っては降りと、ホント、落ち着く暇がないですよ(泣)

駅を降りるとこんな小坊主がお出迎え→
箒を持った小坊主、ん?どこかで見覚えがあるでしょう。
そう、テレビ番組で、とんちで有名な・・・


ここ京田辺市には一休さんのゆかりのお寺「酬恩庵(しゅうおんあん)」があります。
酬恩庵は一休禅師が晩年を過ごし、ここで亡くなったので、「一休寺」とも呼ばれています。このお寺さんは宗派は臨済宗で、鎌倉時代に建立されたとされています。

まずはその一休さんに会いに行きます。

↓駅前の道路をまっすぐ歩いて、突き当りを右に折れます。




ここを左に→

多くの電柱にこういうのが貼ってあります→
全部写すと大変なので、これしか撮影していません。

酬恩庵の駐車場→
がら~ん。
広い敷地で、左には喫茶店もあるのですが、観光客らしきは誰一人としておらず・・・。

↓お殿様、「屏風のトラ」を追い出して下さい。拙者が捕まえてご覧にいれます、というヤツ。


総門と参道→

一休さんの墓所→

鐘楼→

本堂→

↓虎丘庵



一休さんが住んでいた所。

↓一休さんの木像
 


枯山水が心を和ませてくれます。
一休さんが見ていたのと同じ風景を見ているとは感慨深いものですね~。
しばし縁側に座ってボーッっと。
慌てない、慌てない、一休み、一休み・・・
という訳にはいかず、少し休んでまたテクテク歩き。

山手幹線→
一休寺そばを通る道路で、役所の近くまで通じています。

(311)京都府京田辺市役所
人口約7万人、奈良や大阪などのベッドタウン的な都市。

↓一休寺に向かう途中にも同じようなものがありました(上から5番目の写真で、駐停車禁止の看板の上にチラリと見えます)が、これ何だろうと思いつつ、眺めるだけで通りすぎる。

いわゆる天井川。
この川がJRの線路を跨ぐ際は「みつまんぼ」と呼ばれる赤レンガの橋で、それはそれはなかなか見事なんだそう。
電車の中からはその橋に気付かなかったし、ここからそう遠くない所にあるにもかかわらず見そびれました、シマッタ!

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61日目 真夏の関西めぐり(2)~片町線沿線

2013-11-10 01:01:01 | 近畿(滋賀・京都)
2013年8月23日(金)


さらに南下し、木津駅へ→

西口→

ホームの上に改札口があります。
はて?こんな駅だったっけ??
ずいぶん昔に一度降りた事がある駅なのですが、その時は確か地下の通路を歩いて、そのまま駅の外へ出たような気がするんだけど・・・
記憶違いかな?
JR関西線・奈良線・片町線が一挙に集まる要衝駅ですが、この反対側は田舎の長閑な風景であるのは昔も今も変わっていない感じ。

駅前の通りを真っ直ぐ歩けば市役所があります。

(309)京都府木津川市役所
平成19(2007)年に木津町・加茂町・山城町が合併してできた市で、この木津地区には、かつて木材の集積港があったといいます。だから木津。

東にある加茂地区は、一時、都(恭仁京・くにきょう)だった時期もありました。
といってもわずか3年間しか首都ではなかったのですが。
「3年間しか」という事は、そうです、かの有名な遷都大好き聖武天皇の頃のお話しです。
聖武天皇、名前はカッコいいけど、遷都を繰り返したり、盧舎那仏(るしゃなぶつ、奈良の大仏の事です)建立を言い出したり、ホント人迷惑な天子様ですな~。

ちょいとばかり町を歩いてみましょう。

↓歴史を感じさせる街並みです。





が、伝統的建造物群保存地区とするまでのものの価値ではないらしい。

↓和泉式部の墓
 
なに寺といったかな?、とにかくお寺さんの中にあります。

このお寺さんの奥にあります→
紫式部に「和泉はけしからぬ方こそあれ」と非難されたにもかかわらず、案内板にもあるようにあちらこちらにお墓を造ってもらった伝説の多い歌人。
スキャンダルめいたことばかりしていたらしいとは言え、才色兼備の人はやっぱり得ですな~。
ところで、和泉式部といい、紫式部といい本名は何だったのでしょうかね?私が小さい頃から気になっている事であります。

天王神社→

↓木津惣墓五輪塔
 
高さ3.47メートル、正応5(1292)年に建立。
惣墓とは、共同墓地的意味らしいです。
かなり巨大で、けっこう存在感あり。

木津駅より、11時58分発塚口行きの電車に乗り、僅か7分乗っただけで祝園(ほうその)駅に下車。

駅前通り、奥に見えるのが駅→

何で祝園という変わった地名がついているのか、以前から興味があったのですが、この際調べてみました。

地名の由来は「日本書紀」に遡ります。
第10代・崇神(すじん)天皇が謀反を起こした者を打ち負かし、死体であふれたかえった地を「羽振苑(はふりその)」と命名したことによるらしい。
「はふり」はきっと「屠(ほふ)る」からなのでしょう。
それがだ、「羽振」とか「祝」とかといった縁起のいい字が当てられているという事は、崇神天皇はよほど謀反者が憎かったんだね。

(310)京都府相楽(そうらく)郡精華(せいか)町(ちょう)役場

ここは特に見るところはないので、裏通りをブラブラして、はい次へ行こう。




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61日目 真夏の関西めぐり(1)~奈良線沿線

2013-10-28 23:42:50 | 近畿(滋賀・京都)
2013年8月23日(金)


後ろの客のいびきに悩まされながら、どうにかこうにか終点の大垣に。
それからは乗り継ぎ乗り継ぎでひたすら西へ。
前回分で今回の旅の目的地について全く触れませんでしたが、タイトルにあるとおり関西の町の訪問です。

鴨川を渡ります→
いよいよ京都に来たなと感じさせてくれます。

京都駅に到着→
まぁ、いつ見ても圧倒される駅ビルですな。
以前のショボイ駅がかわいらしく感じるくらい・・・

次に乗る電車は京都から南へ進むJRの奈良線→
この奈良線は、「奈良」を名乗っていながら奈良県を通らない摩訶不思議な路線。
もっとも、電車は奈良駅まで走っているから違和感は全然ないけどね。

京都市を出るとお茶で有名な宇治市に入ります。
が、今回は訪問しません。
未だ行った事のない10円玉表面に描かれている平等院鳳凰堂が来年3月末まで改修するので観覧できず、ここは是非行きたい所なので、観覧できるようになったら併せて散策もしようと思います。

なので、宇治市は飛ばしてそのお隣、城陽市へ。

城陽駅西口→

(307)京都府城陽市役所

↓一服していた市役所の斜め前にあるコンビニの壁に張り付いていた虫

こおろぎ、なんだけれども、ここは京都。
芥川龍之介の「羅生門」という平安京が舞台の小説もあるし、キリギリスと呼ぶのが相応しいか。
今で言うキリギリスは確か「はたおり」だったよなぁ、などと遥か昔に習った高校の国語を思い出してみる。

さてさて、旅の安全祈願しに、ここ城陽市のパワースポットといわれている水度(みと)神社へ行ってみよう。
この本殿は国の重要文化財に指定されています。

駅の南、数百メートルの所にある「一の鳥居」→

さらに進むと「二の鳥居」→
この奥に本殿があります。

これが本殿・・・→
と思い込んでいましたが、実はこれは拝所で、本殿はその奥(千葉に帰ってきて初めてそれを知ることになる)。
最初見た時は、「変わった本殿だな」とは思いましたが・・・。
それより奥の本殿に何故気がつかなかったのだろう?

拝所の背後にわずかに見えるのが本殿→
真ん中の建物は拝殿。

ご神木である樹齢300年以上の「シイノキ」→

休憩所っぽい所に飾ってあった絵→
他にも神社に飾るに相応しい絵が飾ってありました。

↓水度神社から北に方角にある「正道官衙(しょうどうかんが)遺跡」にも行ってみます。

古代寺院があったらしいこの遺跡は、国の史跡に指定されており、どういう所なのか結構期待していたのですが、全くつまらん。あ~あ、無駄足だったか・・・

さらに南下し、玉水駅へ→

駅前のこの小道を西方向に歩くと役場はあります→

(308)京都府綴喜(つづき)郡井手町(ちょう)役場

役所の近くにあるこんな看板→
六玉川とは、コトバンクによると「古歌に詠まれた六つの玉川の総称」という。
さぞかし趣のある川なのだろうと橋から覗き込む。

でもその実態たるや、ご覧のとおり→

その先の木津川に架かる玉水橋→
対岸は後で訪れる予定の京田辺市です。

↓駅の東側にある蛙塚へも足を伸ばしてみます。
 
蛙の鳴き声で旅の疲れを癒すなんて、昔の人の考えは風流だな!
でも、この日は一匹すら鳴いておらず、疲労回復することあたわず。

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27日目 関西には魅惑がいっぱい その1 

2012-10-28 15:01:23 | 近畿(滋賀・京都)
2012年10月8日(月)


南彦根7時33分発上り電車で今日は始まります。
が、すぐにお隣の彦根駅で降ります。

↓彦根駅では、ゆるキャラの火付け役「ひこにゃん」がお出迎え

佐和山城とは石田三成が城主となっていたことのあるお城です。

↓彦根駅と井伊直政(彦根藩初代藩主)の銅像


↓「ひこにゃん」の石像


(149)滋賀県彦根市役所

彦根市は、江戸時代は彦根藩の城下町として栄えました。
明治時代になり、滋賀県が成立した際、彦根は滋賀県の中心部に近い位置にあるにもかかわらず、かなり保守的な地域であったため、県庁所在地になるのを嫌ったらしいです。

↓滋賀縣護國神社(鳥居の上に小さくお城が見えます)


お城の近くには江戸時代の町屋風のお店が並ぶ「夢京橋キャッスルロード」や、大正時代の町並みを再現した「四番町スクエア」といった商業施設があります。

5月に彦根も立ち寄ったのですが、その「四番町スクエア」では『ひこひゃん、ひこひゃん、ひこにゃんにゃん♪』という「ひこにゃん」の主題歌がしつこいほど流れていて、すっかりそれが私の頭に染み付いて離れなくなりしばらく困ってしまったものでした・・・
当然その時にお城も見ましたので、今回は行きません。

【↓その時に写した彦根城と天守閣からの眺め、夢京橋キャッスルロード】





彦根からは大阪の方に向かう電車に乗り、以前からとても行きたかった近江八幡(おうみはちまん)市に行きます。

近江八幡駅北口→

↓駅前にある「近江商人発祥之地」の碑

近江八幡市、商業都市として発展した町です。
おととし、織田信長が建てたことで有名な安土城のある安土町と合併しました。

駅から伸びる「ブーメラン通り」を歩いて市役所へ。

(150)滋賀県近江八幡市役所

「ブーメラン通り」をさらに北西の方角、琵琶湖の方へ向かいますと、古い建物が並んでいる「八幡伝統的建造物群保存地区」があり、行ってみようと思います。少し距離がありますので、バスのお世話になります。

↓ここから乗ります(官庁街通りバス停)

↓ここで降りました(小幡町資料館前バス停)


しばらくこの界隈をブラブラします。

↓朝鮮人街道(京街道)


新町通り→

郷土資料館→

↓「八幡伝統的建造物群保存地区」案内板


↓八幡堀





よく時代劇のロケが行われるそうです。

↓白雲館(中は撮影禁止)

明治10(1878)年に建てられた旧八幡東学校で、1階は観光案内所、2階は画廊です。

日牟禮(ひむれ)神社入口→
白雲館の前にあります。

日牟禮神社本殿→

日牟禮神社の奥に八幡山へ登るロープウェイの駅があります。

↓ロープウェイの公園前駅(山麓駅)


山を見上げる→

↓駅売店で買ったマンゴーソフトクリーム(\300)


今度来る機会があれば、もっと時間をかけてゆっくり観光したいなと思いました。


バスで駅に戻り、近江八幡市の隣の野洲(やす)市へ。

(151)滋賀県野洲市役所


ここはさらっと流して、続いて守山市に行きます。

↓守山駅構内


↓守山銀座商店街



シャッター通りと化しています。或いは今日は休日だからお休みなのか?
この商店街から市役所へ向かう細い路地に入ります。その道、ん?なんか雰囲気を感じる・・・

↓この路地は中山道でした



守山は宿場であり、私はその事を知らなかったので、これは思わぬ収穫でした。


↓右が中山道・美濃路の分岐点



(152)滋賀県守山市役所


せわしないですが、次に草津駅へ。

草津駅前(東口)→

さっそく草津駅の近くに「草津宿本陣」への看板が登場します。あー、ここ草津も宿場だったな・・・
すっかり忘れていました。

草津市は人口約13万5千人、東海道と中山道はここで分岐していました。、
この8月に私が行った群馬県の草津温泉。関西の人ですらそれがこの草津市にあるものと勘違いしている人がたまにいるらしいとの話しを聞いたことがあります。

役所は駅から少々距離がありまして、早足で歩いていたところ、ふと目に留まったものがありました。

イリオモテアサガオ→

おや、珍しいなと思い、写真を撮っていたところ、すぐそばにこれの所有者だというじい様がいて(私は人が近くにいたことすら気が付きませんでした)、「待ってました」とばかり話しかけてくる。
やれ、このアサガオはわざわざ京都まで行って最後に残っていた1株を買ってきてそれがこんなに広がっただの、やれ、これから咲くんだだの、じい様のお話しはなかなか終わらず、果てには植物の生命力のしぶとさや逞しさ、近江商人の素晴らしさなど、20分間延々と説かれてやっと開放されました。
ただ、話し自体は面白く、時間があればもっと聞いていても良かったんですけど。
何せ時間的な余裕はさほどありませんので、内心苛立っていたのも事実ですが、まぁたまにはお年寄りの相手も仕方ないかな・・・
アサガオの葉っぱ1枚くれましたので、押し葉にでもしよう(植物の生命力にあやかりたい)。

↓追分道標



左のトンネルへは中山道、右は東海道の分岐点です。
トンネルの上は草津川。いわゆる天井川です。


↓草津宿の町並み



草津宿本陣→

(153)滋賀県草津市役所

戻りの道であのじい様がいると厄介だなと思っていましたが、いませんでした(ホッ)。


これでひとまず滋賀県を脱出し、京都府の長岡京駅に行きます。
が、以下は次回にまわします。


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