笠置山山上付近に在る笠置寺は地元山城住まいと云うこともあり、また石仏探索には欠かせないルートでも有り何度と無く伺うがいつも境内に立つと
方向感覚がおかしくなってしまって東西南北が解らなく成ってしまう。
それと云うのも麓の町からぐるぐるつづら折れに山を駆け上るからに他ならないのだろうが???
そんな境内東隅にある納骨堂脇から山肌を下る崩れかけた様な山道が有り、谷をひとつ越えた先に、これも殆忘れ去られた様な古墓が有って東山墓と呼ばれている。
東山墓に通じる参道?いや墓道は頭上に大石が累々とならびたつ昼尚暗い杉林で花粉症の人には地獄のコースかも??
歩き始めて5~6分もすると左手に現れる大岩には地蔵菩薩磨崖石仏。
深く彫り込んだ舟形光背の中に蓮座上に立つ定形の地蔵菩薩立像、像高約50cmばかりか???
此の墓道を通る人など殆いないのだろうアルミの1円玉や稲穂の5円玉が固まっている。
まとわりつく苔はなんとも成らないのかなあ・・・・
暫く下ると谷川を跨ぐ仮設のアルミ板で造った橋の手前の大岩にも地蔵さん。
すっかり地衣類が岩を占領してしまって肩身が狭そう・・・・
頂部は円形に近い舟形光背、定形の地蔵菩薩立像、身の丈は手前の地蔵さんより一回り小さく、風化が進んで顔容も定かではない。
ちょうど谷底辺りの水場付近には六体地蔵と六字名号、宝篋印塔・・・・
その横の水場の岩にはやっぱり地蔵菩薩磨崖・・・
水場と云うこともあってか、こちらは全身苔むしてこの有様・・・・、前者よりまた一回り小さく30cmぐらいかな??
この先一気に登りと成って墓地へと・・・しかし道は荒れている。
所々現れる大きな岩には楔を打ち込み岩を割ったのであろう鑿跡が・・・
墓地に近づくにつれ、あちこちに小石仏が散在している。
墓地から離れてぽつんと単独墓も・・・
中尾根に出ると前が開けて此処が東山墓地・・・・、当たり前だが全く物音ひとつない静寂の世界。
此の墓地はまだちゃんと墓地として機能しているのだろうか???
お目当ての箱型石龕仏は左手墓地参道の奥まった先、何年か前まではヒックリかえって倒れていたそうですが????
大きさと云いその造り、笠石も見事です。
総高約2m足らず、僕の背より10cm程高かった・・・、因みに僕は176cmぐらい。
正面から見ると、こう、実に堂々として繊細
大きく箱状に彫り下げられた龕中に蓮台上に厚肉彫りで刻みだしている。
遥か極楽を見つめている様な眼差し、右手には大きな錫杖、左手は胸元で宝珠を持ち、像高約1m足らず。
銘は無さそうですが、鎌倉後期の造立だと考えられていて箱型石龕仏中の傑作だとされています。
その傍らには三体の箱型石仏・・・・供花もなくすっかり枯れ果てた竹筒の花立てが虚しい。
向かって左と中央は阿弥陀さん、後の一体は阿弥陀地蔵の双体仏。
左端の阿弥陀箱型笠石仏・・・・枠縁の隅取りをした、なかなかの優品で室町期のものか??
こちら中央の阿弥陀さん童顔で微笑む顔が愛しい・・・、笠石は??欠損、やっぱり室町期・・・。
その並びの奥には解脱上人貞慶の廟塔だと言われる五輪塔・・・・、此の墓地が解脱上人墓と呼ばれる所以でもあります。
南都再興の中心人物であった解脱上人は健保元年(1213)の入寂。
それを裏付ける様な五輪塔は高さ165cm、 六角形の切石基壇を持つ
向かい側の墓石が並ぶ奥にも同じような五輪塔
手前には見事な宝篋印塔板碑。
此処は確かに笠置の歴史を秘めて寂莫の中に時間だけが経過している。
撮影2011.3.15