推し活日記~ジャニヲタ36年目いつまで続けるんだか~

なんやかんやでスノ沼・宮舘の泉に華麗にダイブしましたw
ヲタ活・推し活日記、気ままに備忘録的に。

光GENJI 卒業コンサート(10&11/275)

2010-10-20 21:38:58 | ライブ参戦記録
光GENJI SUPER5 横浜アリーナ
「Bye-Bye for Tomorrow See You Again P.S I Love you」

1995年8月30日 スタンド東6列
1995年8月31日 立見 整理番号 50番台



1995年春~初夏??

光GENJI FCから、1通の封書が届いた。

会報ではないことは、その封書の厚みでわかった。
1枚の・・・たった1枚の青い文書。

「この夏、光GENJI 卒業」

そう大きく書いてあった気がする。

光GENJIのグッズはすべて実家にあるので(持ってこなかったらしい)
詳しい日付・内容まで覚えていませんが・・・。

これを見たときは、わかっていたけど、淋しくて一晩中泣いてた。
終わっちゃうんだって。淋しくて。

そして、それが送られてきたのは、夏のコンサートの申込を締め切ってから。

最後になるなんて・・わかっていたら、どこにでも行ったのに。

1回しか申込していなくて。
せめて・・・どうしても、横浜の最終公演だけは見たいと、まだ暗いうちから、
近所のぴ○に並んだ。一人で。高3の初夏だった。(この日はお休みでした・笑)

他に並んでる人もいたけど。
当時はそんなにすぐに打ち解けられるような性格ではなく。

薄暗い中、酔っ払いに絡まれたりした。
そしたら後ろのお姉さんが助けてくれて。
光Gの話でもりあがったっけ。

まわりにあんまりファンがいなかったから、地元にいたことが嬉しかったな。

そんなこんなで1ツアー2回以上参戦のスタートがコレです。

30日は親友のJと一緒でした。

スタンドでしたが、ちょうどよかった。
始まる前から、号泣だったもん。

なにがって、ファンの温かさが。。。

まずはあっくんのお誕生日ってことで、開場中に「Happy Birthday」を歌うファン。
そして、スタンド一番上の席、一周をかけての光Gへのメッセージ。
(誰かが作って、一文字ずつ、持ってもらったみたい)

あちこちに「ありがとう」の文字。

始まりは、メンバー一人ひとりのソロではじまる。
シングルをワンフレーズずつ、歌って。

5人揃ったところでセンターに集まってきて。

内海くんが
「この夏、僕たちは、光GENJIを卒業します。数々の想いを胸に・・・光GENJI Super5」

とコメントして、Bye-Byeを歌うんだけど。
始まった途端に終わっちゃう感じ?(笑)

メンバーの笑顔は、笑ってなかった。
「なんでだよ、もう終わりかよ」みたいな、戸惑った笑顔だった。

そりゃそうよ。あっくんなんか、22歳だよ?そこである意味失業だよ?
ずっとちやほやされてきて、持ち上げられてきて。
いきなりズドーーーーーンって落とされるようなもんだよ??

なにか引っかかるものをみんながみんな抱えたまま過ごした2時間半×2日(笑)。

終始泣きっぱなしだった2時間半×2日(笑)。


最初で最後の5人のステージは・・・光GENJIの色が足りなかった。
ローラースケートという・・・もはや時代遅れの乗り物。
すごかったんだぜ~~デビューしたときは!!
スケート履いてバック転とか、スケート履いて踊ったりとか。電気が走る衝撃だったんだから。


半分・半分のステージだった。ローラーと靴の。

ソロで印象的なのは・・・やっぱり淳くんかなぁ・・・。
「想い出がいっぱい」@H2O→古くてわかんないか?
最終公演では泣いちゃったんだよね。

かーくんも、あんな性格だけど。
最後は、メンバーへの感謝を綴った、光Gの曲の替え歌だった。

あれ?あっくんはなんだっけ?晃君は・・・思い出せない(笑)
今度ビデオ見ようっと。

MCもかみ合わなくてね。
ぐだぐだだったんだけど。みんな頑張ってるって感じでね。
晃君がお茶目な姿を見せてくれたのもこれが最初で最後でした。

そうそう、最後は内海君に歌をプレゼントしたんだ、かーくんが。

♪内海光司 あだ名はキノッピ 流れ流され 27年♪

に始まり、

♪あなたに言いたいことがある それは ほせーな!!♪

なんともまぁ・・・中身のない歌(爆)

27歳で、高齢だったんだから、あの頃、ジャニーズは(爆)


その後の世代がどれだけ頑張ったか、わかるなぁ。。。


このライブの締め括り(本編)は

「Graduation」

あの、イントロで、会場全体が号泣に包まれました。

一人ひとりが、ファンやスタッフへのメッセージを伝えた後。

彼らは・・・

ローラースケートを・・・

ステージの上に脱ぎ、並べて・・・

ステージを去りました。


これで、光GENJIが終わったんだ。

アンコールに、スケートを履くことはありませんでした。

最後は「また会おう」で終わったと思うけど。。。


ビデオに残ってるメッセージは、最後ということもあり・・・

号泣モノで。


あっくんなんか
「始まる前、このステージが終わったら、光GENJIが終わるんだって思ったら、
だったら、やりたくないなって思って」なんて声詰まらせて。


晃君は、多くを語らない人。だからこそ、彼の言葉は重かった。
「今日はほんとにありがとうございました・・・・8年間あっという間でした。ホントに…楽しかったです」
この楽しかったのひと言が全てでした。

かーくん
「今まで支えてくれたファンの皆さま、スタッフの皆さま、
内海君、山本君、晃、敦啓、そして今日ここにはいませんが、大沢君、佐藤寛之くんに
感謝します。
……言いたい気持ちはたくさんありますが・・・みなさま永い間、本当にどうもありがとうございました」
あれこれ多くを語るかーくんの、この簡潔なメッセージは何よりも心に響きました。

他2名は忘れちゃったんだけど(爆)

内海君はたしか最後に
「ここにいるみんな一人残らず、また再会できる日を楽しみにしています」
って言ってたかな?

オーラスはステージにメンバーが落書きしてね。
その間、ファンはカラオケ大会で(笑)

最後は涙と笑顔に溢れた、卒業でした。

1995年9月3日- 光GENJI卒業。


そのあとの話。

最終公演が終わり、名古屋から東京に戻った5人。
そこで待っていたのは、ファン数千人。

改札口から、メンバーが乗る車の出口まで、ファン同士が整理して、
花道を作って、拍手で彼らを送ったという。
マナーを乱すものはいなかったと。

その話を聞いて、また泣いた。

キレイな思い出は、キレイに終わらせたい。というファンの願い。

彗星のごとく現れたアイドル。
わずか数年で、落ちこぼれ的に扱われた。
たった8年の短い期間だったけど。

小学4年の夏から高校3年の秋まで。。。ずっと大好きだった。

初めて、アイドルに夢中になったこと。
テレビでその姿を見たときの衝撃と感動。
その翌日の学校の温度の違い。みんな光GENJIが好きだった。

忘れない。たった3曲で「もういいよ、光Gは」と言われた熱しやすく冷めやすい
日本人の特質(笑)

それでも、私は好きだった。
私の中の、永遠のアイドルは7人の光GENJI。
青春というには、終わりが早すぎたけど(爆)

今はジャニーズもだーーーいぶ変わって。
いい方にも悪いほうにも。

間違いなく、今の方がいいことは確かだけど。
そこには、光GENJIの卒業(解散)が大きく影響してることは、間違いない。

その卒業を見てきた後輩達は後にこう言った。

「先輩が卒業する姿を見て、それを見て悲しむファンを見てすごく辛かった。
だから、そういう日が来ることがないように精一杯頑張る」と。


それが、今までのTOKIOやSMAPやKinkiやV6のカタチ。
光Gの卒業を目の当たりにした後輩は、この4グループくらい。
ご法度(?)だった、カッコ悪い路線にも進んで入ったTOKIO。
そう。
光GのようなアイドルにはなれなかったTOKIO(笑)⇒まずバンドってことがムリじゃね?
そうやって人間味のあるアイドルになっていった。
昔より身近な存在に感じられるようになった。温度があった。
そこから、いろんなグループが出てきて。

あの頃は、歌番組に1ヶ月以上出続けられたけど。。。
今となっては、同じ事務所で取り合いですもんね(笑)
会場にしても番組にしても。

SMAPは別物と考えても、Jフレは、光Gの背中を見て育ってきたグループ。
V6なんか入れ替わりデビューだから、生まれ変わりとも言われたよね。

どこかで受け継がれているんだな、と、ずっとジャニヲタやってて思います。

ここから、元光Gのメンバーを拠点に・・・どんどんハマっていきます(笑)

ジャニヲタ暴走の始まりです!!

TOKIOとの出逢い(9/275)

2010-10-06 23:23:52 | ライブ参戦記録
TOKIO "Bad Boys Bound'95
1995年8月22日 渋谷公会堂 1階22列 ど真ん中


これほど印象が強い初ライブは後にも先にもTOKIOだけだと思う。

だからこそ、16年のファン暦を誇れるのかもしれない。

このチケットはね~今だから言える事。

学校をズル休みして取りに行きました(爆)
学生の皆さま、絶対にこんなことしちゃいけません。
ズル休みしてライブ行ったり、チケット取る為に並んだりなんていけません。
こんな大人になりますよ。後悔しますよ

でも親には言って行った。
もうウソは重ねたくなかったからね。
ダメともいいとも言わなかったけど。多分なんの期待もなかったんだろうね。

バイトもしていたし、そのお金で行くならいいって感じでした。
あとは、ちゃんと卒業して、就職してくれたらそれでよかったみたいです。

元々大学に行くための資金はないと聞かされていたから、就職しか考えてなかったけど。
こういうライブって、自分のお金で行くものだと思ってた。
最近はお母さんがハマって一緒にってパターンが多いけど。
私はもし母親になることがあっても、子供は自分でお金を稼げるようになるまでは我慢させる。

その方がありがたみがわかるって自分で体験してるからね。
なにより、仕事をすることが楽しかったから、これは貴重な経験だと思う。
「母さんも自分でお仕事するようになってからライブ行ったんだよ」って。
小さい子だったら、それなりのお手伝いしないと、チケット取らないとかするね(笑)

友達で親の出したお金でライブ行ってる子もいたけど。
それは違うって子供ながらに思ってたから。

ま、バイトしてようがなんだろうが、ライブの為に、学校を休むなんてとんでもないこと。

親に学費返せ!!って言われても反論できないよね(爆)
あ~卒業できてよかったよ(笑)
→受験勉強もロクにせずに入れたレベル低い高校(公立)だけど、
一応トップクラスで卒業できました。


って、なんのハナシ?(笑)

そうよ、TOKIOさんのお話ですよ!!

ハマったのは、1994年デビューしてすぐ。
私は好きじゃなかったけど、同級生がハマって、話しているうちに好きになって。
当時の親友Jも同時期に好きになってて、この2人に引きずりこまれた感じです(笑)
感謝してるよ、二人とももうファンやってないけどね(爆)

で。
1stアルバムが出たときにはもうどっぷりだった。
修学旅行の部屋で友達と聞いて聞き惚れてた(笑)

「次のライブ、絶対行こうね!!」って。
気合い入りすぎてズル休み(爆)最悪だーーーーー。

地元のぴ○に並んで。
5番目くらいだったのに余裕で取れて。しかも22列なんてとってもいい席。

それからはずーーっとTOKIO漬けで。
曲聴いたり、衣装(爆)考えたり。
ライブはお昼からなのにムダに早く出て、ジャニショ行って写真買って。
このときのジャニショの光景は忘れないよ。

ほぼTOKIOファンで。

…7割が長瀬智也(爆)

短パンもしくは、超ミニスカートに…ロングのベスト風のワンピース?

はい。ワタクシもその一人。一緒に行ったほかの3人も同じ(爆)

ギラギラしてたなー(爆)

ライブはね、「こんな楽しいライブは初めて!!」というのが一番の感想。
たてノリのライブが初だったので、完全にライブの虜でした。

「また絶対行きたい」と強く思ったのも、このライブがはじめて。

内容で覚えてることは、バンドスタイルに感動して。
1曲を長めに演奏することに驚いて。
トークの面白さにハマって。

とにかく、とにかく、楽しかった!!
全身、汗だくになったのなんか初めてだった。

これからしばらくは、音に聴き入ったもんな~。
バンドにはそれほど興味がなかったから、ギターがどの音とかわかんなくて。
このライブに行って、5人が集まってあのCDの音になってるんだって実感して。

夜な夜な、ヘッドフォンつけてこれはギターの音!これはベース!!
この曲は、ギターがメインとか、コーラスとハモりに執着してみたり(爆)

気付けば大好きだった。
誰が好きっていうのはまったくなくて。

TOKIOが大好きだった。
あの5人が奏でる音、あの5人が作ったステージが大好きだった。

今思うと、TOKIOには終わりは見えなかった。初めから。

ライブある限り、参戦したい、って心から思ったから。

ある意味、衝撃的な出逢い。
きっと、運命だったんだと思う出会い。

1995年8月22日-

あの日から、TOKIOと共に時を刻んで生きている。
運命共同体と思っている。


このライブに行って、その場で、か、後日かは忘れたけど、
FCに入ったのです
1995年12月入会。当時は会費は半年払いでした(爆)
ちなみにKinkiもTOKIOもチケット代4000円でした。

いろいろ優しかったね。懐かしいです。

ビデオ見たくなっちゃった~恥ずかしいけど~

これが、私のTOKIOの原点です
今も昔も、変わらず大好きな、TOKIOです

ジャニヲタデビュー!!(爆)

2010-10-05 20:44:16 | ライブ参戦記録
Kinki Kids Kick-off Summer '95
1995年8月16日 横浜アリーナ アリーナ席Aブロック18列


光GENJI関連以外のジャニーズはKinkiが初でした。

…本当に、ビックリするくらいに…どうして申込したのか、誰と行ったのか、
どんな内容だったのか、さっぱり記憶がないんですが

2枚取ってるので2人で行った事は間違いなくて。
それが高校の友達だったのか、当時の親友Jだったのかまったく記憶がない(笑)

えーっと、どしよ(爆)

なにも書けない(爆)

デビュー前だったんだよね。何歌ったんだろうね?きっと先輩の曲歌ってたから、
光Gの曲も歌ったんだろうな。
切り抜きも処分しちゃったし、手がかりがなーい!!

ごめんね、Kinkiさん。

Kinkiに行こうと思ったきっかけでも・・・。

…なんでだっけ?(爆)
年末の武道館のことを聞いて行きたくなったんだっけか。だとしたらJと一緒だな。

ちなみに私は、剛くんファンでした☆
あと、カミングアウトしたことで、この回から、夜の部に行くことができるようになりました!

ステージのことでも書きましょうか。

ステージは光Gの頃~しばらくは360度のステージだったんですよね。
光Gがローラースケートだったから外周を使えたということもあり。
それがしばらく、後輩に受け継がれてて。

元祖が360度なので、私はそのステージが一番好き。
どこでも見やすいし!
センター席なんて最高だったもんな~アリーナクラスだからとくにね 

コレといって思い出がなくてごめんなさい。
たぶんね、この次に行ったTOKIOが、印象が強すぎたんだと思います

ということで、記憶がないKinkiコンデビューでした 

1995春・あっくんソロ(7/275)

2010-10-02 23:22:50 | ライブ参戦記録
佐藤敦啓 1995年4月9日
中野サンプラザ 1階7列



よ~~~~~~~~~~~~~~く覚えてる。

そう。

このコンサートの時に、母親にカミングアウトしました。

それまでの6公演はすべてナイショでした。

きっかけは…同じ日にいつも親と一緒に行く用事があったんだけど。
どうしてもコンサート行きたくて・・・というか、これがチャンスだって思って。


そうそう、この1年くらい前から、アルバイトしてました。
もちろん、ライブ資金稼ぎの為。

でも親との用事も約束どおりこなしていました。

バイトのことかいてたら、とても長くなったので別エントリで(爆)

ライブの日は「バイト」とウソをついて行ってました。

だけど、その用事のときはバイトは通用しません。

それで辞めさせられるのは嫌だったから。
用事も本当は行きたくないことだったし、それなら、ちゃんと自分の気持ちを
親に伝えようって。

このライブを機に、自分がどんな想いかを話しました。

まーそれはそれは複雑なことで(笑)
よくあの時に家を出なかったなと今振り返って思います。

学生のうちは、親の保護下。
その間だけは、その用事をやりなさい。と。
嫌だったけど、我慢した。就職するまでだからと。

母親&兄との関係に溝が出来たのはこの時。
父はその用事とは関係ない人だったので。

それからは、私を腫れ物を扱うように接し。
私も母親にかける言葉を選んだ。
家が嫌いになった。
就職してすぐに、家を出ることも考えたけど。
なんせ就職先は、実家から5分。
親は成人するまでは、家にいるようにと。

…だから、東京近郊でのライブがあると、無駄にオールしたり(笑)
帰らなかったり(笑)…門限が12時だったから、帰れなかったが正解(爆)

でもね、カミングアウトしてから、すごく楽しくなったんだ。
隠さなくていいことが嬉しくて。
ま、母親は「いってらっしゃい」とも「楽しんで」とも言わなかったけど。
それでもよかった。親の道を行くことが親孝行だとは思わない。
私には私の意志がある。

それが正しかったのかはわからないけど。
あのまま親に逆らわずに生きていたら、いつか爆発してもっと酷い人間になったと思う。

と、カミングアウト後の話になってしまいましたが。
その話もバイトのことと一緒に書くとして。

このライブの思い出を・・・・・・・・・・・・・・



……


タイトルが「God Mornning」

覚えてない(爆)7列目という至近距離にいたのに。覚えてない。

ヒトツだけ印象に残ってることは。
Jr.に向かって

「だって、おまえら、ダンス下手なんだもん」

と言い放ったこと。
(バックダンサーがJr.じゃなかったの。でJr.の誰かがMCかなんかでお手伝いしにきて
言った言葉だと思う)

ひどいよね(笑)
…あなたもそれほど上手くは・・・

それでも、このライブはタテノリで汗だくで楽しかった気がします。

で、帰宅したらこの日は、母親がやけに優しくて。

この1回でやめると思ってたんだろうね(笑)

カミングアウトしたとき、手紙のやりとりをしたんだけど。
ウソをついてきたことを謝って。
それに対して
「17年もあなたの母親やっててそんなウソも見破れなかったなんて母親失格ですね」
「あなたを信じていただけショックです」

コレは痛かった。

ウソはいけないって思った。
それと同時に、もし自分に子供が出来たら。。。
子供にウソをつかせないといけない状況を作らないようにしようと思った。

嬉しかったんだ。小さい頃からその用事に一緒に行くと母さんが喜んでくれたから。
ずっと嫌って言えなかったんだ。
子供なりに、親を悲しませたくないって思って我慢してきた結果が大きなウソと
大きな溝を作ってしまった。


でね、本当の反抗期がはじまったのはこのあと(笑)。
なんでかわかんないけど、母親に書いた手紙を母親が家族以外の人に見せて、
その見た人から注意を受けたこと。

あれは「裏切り」でしかないと思った。
だけど、自分がやったこと。ウソの代償と思って・・・「母さんだから書いたのに」
それだけしか言わなかった。母さんだけが読むと思って受け止めてくれると思って、
言いたいこと、思ってること書いたのに・・・受け止めてもらえなかった。

なんで親以外にそんなこと言われなきゃなんないのさ!!って。

それが反抗期の始まりであり、親と心からの本音を話せなくなった始まりです。

そして、これからがジャニヲタとしての本格的なデビューとなります(爆)

ホント、この時に、彼氏がいたら、間違いなく彼んちに転がり込んだだろうなぁ(笑)

なんだかライブの思い出じゃなくて、カミングアウトの思い出しか残っていない、
あっくんのソロコンでした(爆)

あっくんソロコン♪(6/275)

2010-10-01 00:20:53 | ライブ参戦記録
佐藤敦啓 地球人の瞬き
1994年12月30日 日本武道館 南2階J列


???

なぜ、半券がくっついたチケットが残っているんでしょう?(笑)

そうです、チケットトラブルが発生したのです!!
しかも、年末年始に武道館で行われたコンサート全公演、全員(笑)←多分。

焦りました。
なぜなら…私名義のチケット。
ですが、親にはまだナイショ(友達に頼まれてFC入ってることになってた)

チケットが来ないことにヒヤヒヤ

すると…いいとも!の放送内で、SMAPメンバーからのお知らせ。

「年末年始に武道館で行われるコンサート。チケットは現地でお渡ししますので
ご来場ください」

今ではぜっつっつtったいに(訳;絶対)ありえない話。

つーか、全員取れてたのか??
あの頃、当落システムなんかなかったような??
あれ?ハガキが来たんだっけ?
は・・・ハガキが来るならチケット来るか(爆)

とにかく大混乱でした。
今だったら、何万人が一気に会場に押し寄せるってことか
きっと中止になるだろうね。

武道館の敷地内に並んで、身分証明書と会員証提示して、写真下の紙切れをもらいました(笑)

時間はかかるけど、今もこういう形取ったら不正はなくなるよねぇ・・・。
だけど…1万人規模で入場に2時間・・・7万人規模・・・ムリかぁ。

ライブも1時間だか2時間押しで始まって。
焦ったよなぁ・・・親は全然怪しまないでくれて、すごい罪悪感。

内容は、あっくんらしい、ちょっとオカシイ(笑)ライブでした。
当時、流行ってた某外人アーティスト(2人組の問題児)を歌ったり。
やりたいこと自由にやってたなーって。
ソロの道を作っていかないとって思ってたんだろうね~。

このライブは内容よりもチケットトラブルが印象的でした(笑)

後日、チケットが届き。
そのまた後日、「申し訳ございませんでした」と非売品のテレホンカードが
送られてきました~(笑)

あれは一体なんだったんだろうね。
発送ミスか…なんだろ?
郵便事情も色々便利になりましたよね。


現在に戻りまして。納得いかないことをヒトツ。

あの~返金来ちゃいました@東京D
復活当選なんて、そんなラッキーはないってか。
でさ、なんで手数料こっちが負担なのさ?

500円の手数料でなんとかせい!!
じゃなかったら…毎年落選者には何か、送って来い!!

不公平だと思いませんか?
毎年取れてる人は、その返金手数料はソンしないわけでしょ?
毎年落選者はただでさえ、傷心なのに、
さらに少額とはいえ、お金まで取られるんでしょ?

しかもそれが、毎回。

何も送って来れないなら均等に、公平にチケットと落選が来るようにせい!!!
ご新規さんには怒られるけど。
年数経ってる人にはそれなりの特典があってもいいと思う。
つーかそれが普通じゃないの??

ジャニーズファンになって23年目。

年々やりかたが汚いと感じるようになった。
そーゆーところが、続けていく力をなくす。

23年で、いくら払ったでしょう?
「だったらやめたらいい」って笑うんでしょうね、どうせ。

そういう人間じゃなきゃ、やっていけないんでしょうね。

じゃなかったら、せめて、当選者だけが振込みするようにするでしょう。
普通のファンクラブってそうだよ。
ジャニーズだけ。先に払って、あとで金額削られて返金するのなんか。

FC入っててもチケット取れなかったら。
年会費4000円は高い。

他のアーティストのFCをもっと研究して、考えて欲しい。

ホントに、惚れた者が負け、なこのシステムが、、、汚いよ、ホント。

メンバーにはなんの罪もない。
メンバーが決めてることではない。

メンバーが決めてることなら、私は続けられない。
逆に言えば・・・メンバーがそう決めてるなら潔く辞められる。

そんなこと望んでないと信じられるから続けられる。


TOKIOがその扱い含めて愛せるのは。

「商品」だけで動かない組織だから。TOKIOは。

メンバーがやりたいと言えば出来る。
だから小さいライブハウスも出来た。←やんなくてもよかったけど。

いっぱい申し込みすれば、必ずいいことがある。
遠征すればするほど、メンバーとの距離は縮まった。

それなりの理由があった。

規模が違うといえばそこまで。
やりたいように出来ないのが正直なところだろう。

取れないのも、その人数の問題だということもわかる。

だけど・・・

こっちの立場で、物を言える人が居て欲しい。

客は一体何?ファンは一体何?

…好きにならせたらこっちのもの??
あとはお金が入ってくるもの??


言っとくけど。
私が好きになったのは、嵐の5人ですから。
スタッフも含めて嵐なんて言うのはわかってる。

だから、葛藤してる。
嵐の5人は好き。ファンも好き。

だけど、嵐を商品として扱い、ファンを客として扱う
そういう組織がそういう色が見える最近はどうにも好きってまっすぐいえない。

終わりたくないんだ。
だったら、TVという媒体だけで楽しんでるほうがよほど平和。
なんだかわかんなくなっちゃって。

嵐ファンとしても迷宮入りしてます。

なんか、爆発しちゃった。

言われたんだ。他のGが好きな人に。

チケットが取れない話をしたら。

「可哀想」って。

悲しくなったんだ。
嬉しくならなかった。
今は我慢・今は我慢、を繰り返してる。

どうしたら取れるかなんて頭働かせたくなくて。
ずっとやってきたやりかたでやっていきたい。
だって、それが、一番まっすぐなやり方だと信じてるから。

1人1公演。
それはみんながいけるようにしているあの事務所なりの手段。

それをまっすぐに受け止めてる。
一人が1公演だけの参戦にしたら、全員行けると思うんだけど。アマイか。。。

こうして、参戦歴を振り返ってたら

「わたしの23年、なんだったんだろう」って。ちょっとバカに思えてしまった。

そしたら、続ける意味が見えなくなった。

悲しくなった。好きだから。
TOKIOも嵐も好きだから。

バカだよね、こんなことで葛藤してるの。
もっとほかの事に目を向けようって思ってることは事実。

スピードダウンする時。

すんません。なんかチケットトラブルの話からこんな愚痴だらけになって(笑)

こんなことも織り込みつつ(笑)
23年のアホでバカで楽しかった歴史を振り返ります。

多分、もっと早く光Gコンに行ってたら、その次には繋がらなかった。
5年くらいで散ったと思う。
コンサートが楽しいとわかったころに、解散したから、じゃ他のG行って見ようってなって
今に至っています(笑)

それがよかったのか、悪かったのか。

275公演全部振り返ったときに、その答えが見えるかと。
ある意味自分探しの旅(爆)


お見苦しいエントリー失礼しました。

最後の7人の光GENJI(5/275)

2010-09-29 21:53:05 | ライブ参戦記録
光GENJI 「FOREVER YOURS」
1994年8月11日 横浜アリーナ スタンド席東ブロック4列 100番台


二人の脱退を知ったのは、Mステ内での正式発表から1週間後のことだった。

ビデオデッキはあったものの、録画するのに失敗して、Jは知ってたけど、
連絡くれなくて・・・(見ててショックで連絡が来ないと思ってたらしい)

翌週のMステで、大沢くんとヒロくんの脱退を知った。

「うそぉ~~~~~~~~~~~~

大沢君は予感してたけど、まさかヒロ君まで・・・

それでも光Gは存続するという。

「7人で光GENJIじゃないの??」

認められなかった。嫌だったとにかく。

そして、二人の姿を見る最後のこのコンサート。
オーラスではなかったから、彼らは淡々とステージをこなした。

でも。
私はわんわん泣いた。

ビデオ持ってるけど2回しか見ていない。

だってそれはもう、光GENJIのコンサートではないから。
初め~MCは7人で普通の光Gだった。脱退なんかウソじゃないかと思ったくらい。

MCのあとから…だと思うんだけど(よく覚えてない)
脱退する二人のステージが始まった。
そう、二人のソロのステージ。

二人がこれからやりたいこと、今までの7年間の感謝の気持ちをたくさん詰めこんだ
約30分。

ファンは温かかった。
「頑張って」じゃなくて「頑張ろうね」とエールを贈った。
他人事じゃなかった。みんなでこれからを頑張ろうって。
あなたは一人じゃないから一緒に頑張ろうね。そういう温かいファンが集まっていた。

そのファンの人たちを見てようやく受け止められた。
ヒロくんと大沢君は、自分の好きな道に進むんだと。
やっと自由になれるんだと。


ヒロくんは一人AB型で。
血液型の問題ではないけど。
みんなが割り切れることを割り切れずに、
いつも我慢していたと、最後のパンフだったかなぁ?で語った。
自分だけが置いていかれてるって、いつも焦っていたと。
どこから見てもマイペースだったヒロくん。
彼は静かに闘っていたんだ。


大沢君は、ずっと抜け出したかったんだろう。
「オレはちがう、こんなことがやりたいわけじゃない」って。
明らかに彼は浮いていた。アイドルとは思えない感覚を持っていた。
いつも怖い人と思われるオーラを纏っていた。
それは葛藤だったんだろう。

一度は光Gとして頑張ろうって、春に思った、とこの時のパンフだったかなあ?で
語っていた。
そこへヒロ君の想いを聞いて、決断したという。

大沢君は、オーラス(ビデオ収録)で最後に号泣した。
「自分で決めたことだから絶対泣かないって決めてたのに、悔しい」と言いながら。
こみ上げてくるものをこらえきれずに、ファンの目の前でいきなりプツっと泣き出した。
そーゆーところ、好きだった。オーラ纏ってるけど、本当は心優しい人。
きっと、ファンの声援にこらえきれなくなったんだと思う。

未練はなかったハズ。それでもあれだけ号泣したってことは、
ファンの心を想ってくれたんだと。そう、私は信じた。

「絶対、頑張ります。だから少しだけ時間ください」

そう言って、ステージを去った。
(正確には、最後に盛り上がる曲歌ってから、去った、だけど)


二人のステージが終わると、5人のステージが始まった。
「オレたちが守ります」と。
終わりは見えていたよ。だけど、終わるまでファンを続けようってこの時に決めたんだ。
7人じゃなきゃ光GENJIじゃない。って認めたくないなんて思ってたら。

Super5

ってついちゃって・・・・ダサっ!!!!!!!!(コラ。)


それでも好きなものは好き。
でもやっぱり物足りなかったなぁ。
そこには、一致団結には程遠いほどの、5人それぞれの溝。
二人の役割の大きさを凄く凄く感じたスペース。

最後は7人で締めて。
最後は明るく終わった・・・と思う(笑)

それでもまだ終わったなんて信じられなかったなぁ。
5人でTVに出たときに初めて「いなくなったんだ」って気付いたような。

7人での最後のMステ出演の時に、ミラクルが起こった。

この頃はまだコンサート会場でのプレゼント受付をしてたの。
大きな箱に、入れてよかったの。

私は、春コンの大沢君のことが忘れられずに、手紙を書きました。
内容はよく覚えてないけど。春コンでのことと、ありがとうと楽しかったと
光Gのファンでよかったって、書いたような・・・
それと、その頃の私にしてはちょっと高価?だった、K18のピアスを片方。
片方は自分で持っていた。

で、最後のMステ出演の日。

そのピアスをしてくれていた。
形が特徴的だったから間違いないと思う。同じものをあげた人がいなければ。
そして、時折見せる笑顔が、あの春に見た笑顔と似ていた。
カメラに向かって、目で何かを話しかけるように・・そして笑顔だった。
嬉しかった・・・。


二人がいなくなって、バランス崩れたことは言うまでもない。
いっそ一気に解散しちゃえば良かったのに、って思ったけど。

ここからの1年は残された5人にはとても大事な必要な時間だったことは確か。

それはまた追って・・・。

ってホントに誰もついてきてないだろうなぁ(爆)
あ~懐かしい。こう…青春のニオイがするよ(爆)

でも…復活は、あんまり希望してません。
やるというなら、行きますが(爆)→いくんじゃん。
HEY!×3の企画とかで一瞬くらいでいいかな

ま、一名、悲しいことになってるからムリだろうね。
言いたいことはたくさんあるけど、またそれは今度。。。

ヨーソロー(4/275)

2010-09-27 21:01:46 | ライブ参戦記録
出航!!つーことで(笑)

光GENJI 「ヨーソロー!出航!」
1994年5月4日 横浜アリーナ センター席3ブロック 40番台



光GENJIコン3回目です。
初のセンター席です。

ピュアだった私は(爆)センター席の位置すらわからないまま会場入り。
そうなんです、この時代、すぐに席を調べられるシステムも普及してなかった・・・と思う。

入場して座席表見たら、階段上がらなくてよくて
「え???」って案内板の示すままに進んでいったら・・・
ステージサイドの3列目

「ふぁ~~~~~;;;」と気のない叫びを上げた記憶があります(笑)

こどもの日にひっかけて、でっかい鯉のぼりがステージに現れて。
その鯉のぼりの口からローラースケートの光G登場!!というスタート。

で…

まあ、内容は記憶がほとんどないけど
近くで見た、ローラースケートの光Gに激しく感動したんだよなぁ・・・
目線まっすぐの高さに、光Gのローラースケートの足。端っこまで来て煽られた時は、
本気で失神するかと思ったさ(笑)

でね、MCで大沢君が一人なんだか喋る気もなくマイクも下にさげて、
一人少しはなれたところで退屈そう(?)にしてたの。
それがすんごい気になって、気になって・・・

私と当時の相方(同級生のJ)が、「みっきー」(あだ名)ってコソっとトークの邪魔に
ならないくらいの声で小さく小さく大沢君に手を小さく振ってたら、
目が合って・・・「ふふっ」って笑顔くれて
そこから少しトークの輪の中に入ってくれて。

Jと「通じたね」って喜んだのを思い出します。

アンコールで、また大沢くんがちょっと引いてみてる感じがあったんだけど、
めちゃくちゃはしゃぐ私達を見つけてくれて、彼なりのファンサをくれたの
近づきすぎず、だけど何かを目で話しかけるように。
その目と笑顔から感じ取ったことは「楽しんでくれてありがとう」そんな、優しい目でした

彼の中では色々葛藤があった時期。
端っこでメンバーを見つめながら何を考えていたのか・・・。
だけど、このコンサートをやって、

「もう一度、光Gとして頑張ってみようって思った」って後で言っていた。

関係ないかもしれないけど、楽しんでいるファンを見て、そう思ってくれたなら、
嬉しかったなーって。結局はバラバラになったけど・・・
いろんなこと言われる中、私はあの時の大沢君の笑顔が本当の彼の姿だと信じてる。


闇の時期があって、たくさん嫌なことあって苦しいことあって。
で、今の大沢君の幸せな笑顔を見た時に。

「そうそう、その笑顔が一番似合う」って思った。
(再婚したとき)


話は逸れすぎましたが(笑)
このコンサートは、大沢君に心を持っていかれたコンサートでした。
ホント、あの場所に来たときは、うぬぼれではなく、私とJに向けてのファンサだった。
しかも何度も。そこに来れば、安心みたいな感じで…いつも見ないような笑顔で。
そんだけ私達がバカ面で満面の笑みで楽しんでたんだと思う(笑)


そして、この頃から、青春の(笑)終わりが近いことを感じ取っていました。
このツアーの最後に解散するんじゃないか、と心配したほど。

ツアータイトルも「出航!」って連呼してるし(爆)

「とうとう別の道にそれぞれが出航か」って。。。→どんだけネガティブ?


ここからは…光Gには楽しい思い出はあんまりない。
でも、それもいい思い出だから書き綴るけど~(笑)

楽しいコンサートなのにどこか淋しさが残る、そんな…
「嫌な予感」が的中するなんて。。。

この頃からだったみたいです。嫌な予感だけが的中するのは。

ちょっと気が重いけど(笑)ここからの1年ちょっと頑張って書きまーす(笑)
そこを越えれば、私のジャニヲタ歴が始まる(爆)

あーなんだかカラオケ行きたくなっちゃった。
光Gを熱唱したい(爆)
誰もついてこれないから、一人で行くしかない!(爆)

不思議だよね、何年も聞いてないのに、全部覚えてるって。
そりゃ…最近の曲覚えられないワケだわ。
容量オーバーなんだよね、きっと(笑)⇒違うと思います。

一番好きだった光GENJIコン♪(2/275)

2010-09-24 23:27:08 | ライブ参戦記録
それほど記憶も思い出もない→ヒドイ。
初期の話はどんどん進めていきましょう(笑)
そのうちレポ並みに思い出語りだすライブが山ほど出てきますから(笑)

光GENJI"BRAVO! Nippon"
1993年12月25日 代々木第一体育館
北スタンド1階Gブロック16列


はっ

SAY'Sより前です、このコンサート(笑)

2回目のコンサートはコレでした。
チケットが前後していたようです

で、私が行った光Gコンではコレがベストでした。
多分、メンバーにとってもベストなのでは?と思う。

7人の色がきれいに、ぶつかることもなくバランスよく出てて、
構成も見てて違和感もなく、本当にあっという間で、
終わった後は幸せな気持ちに満ちていた。

クリスマスってことで、クリスマス色・冬色たっぷりで

ビデオで何度も見たなぁ。
最近はDVDになって、時々見てます。
これくらいじゃないかなぁ?光Gコン、何度も見たの(ヲイ)

このコンサートのあと、メンバーが「満足」した感があって。
それが卒業への第一歩だったのかもしれない。

「満足」してしまったらそこまでだもの。
完璧が出来たら、そこから先は生まれないよね、何も。

私が見た中では、メンバー7人がみんな仲良くやっていたと思うし、
この頃の光Gはすごく好きだった。
ずーっとこの時が続いたらいいって思った。

内容は、7色の★がステージに映し出されるところから始まり。。。
こう…幕開け前のドキドキがMAXに達して、特効バン!!で登場っていう
「ぎゃーーーーー!!!!」の典型的パターン。

「BRAVO!Nippon」も好きだったし。
ローラースケートを最大に生かして、パフォーマンスを魅せてくれたなぁって。
あっくんのソロはロックで、男闘呼組のナンバーで。
晃君の「十六夜物語」って曲が彼の甘い声と長身のダンスに合ってて。
かぁくん(懐かしい&照)のソロも強調しすぎることなく、彼の持ち味のダンス満載で。
大沢君は渋かったなぁ・・・…以下略(爆)


2・5・7っていう曲がありまして。
今のRAPと比べたら、恥ずかしい感はあるけど。
これはこれで好きでしたね~。
かぁくんが作ったんだけど。
彼はずっとずっと光Gでいたかったんだな~って思うような詞でね。

そうそう、TOKIOくんもバックにいたんだよね、このライブ。
懐かしいなぁ。。。

このコンをきっかけに、光G熱が過熱していったんですね~。
今でも、時々見たくなる、とっても好きなコンサートです

このシリーズを書くときに、ツアーパンフも写真撮ろうと思って青ざめた。

「あ実家に置きっぱなし」

処分されてる確率2割3割5割り増し~~

2箱くらいあって。
引越しのときの車に乗らないからとりあえず置いていく!!って言ったけど。
ちゃんと残してくれてるかなあ。。。
自分が行ったコンサートのパンフくらいは連れて来ようっと

SAY'Sコン♪(3/275)

2010-09-23 23:08:01 | ライブ参戦記録
SAY'S 1994年3月31日
東京厚生年金会館 1階5列



SAY'Sって何?????????

って人が殆どでしょう(爆)

説明しよう!!

S…佐藤敦啓
A…赤坂 晃
Y…山本淳一
S…佐藤寛之

の4人組です(笑)⇒まんまかよ。

内部で色々ありました、光Gさん。

この4人は自由にやってるんだって思ってた。
実際、このライブを見たときは、
自由でいいな~やりたいことやってるなって思った。

ヒロくんの気持ちなんか見えてなかったなぁ。。。

ってその話はまたそのうち出てくるのでこのくらいで。

2回目のコンサートが
(↑訂正;3回目です)がいきなりヒト桁列です
ドキドキっていうか、なんだろうね?初めての感覚だったなぁ。

率直な感想は「生きてるんだ!!!」(爆)
アイドルが、普通の人間と一緒で生きてるってことを実感したコンサート。

4人の色がはっきり出てて、とっても楽しそうだったことが記憶にあります。
アカペラで歌った「Graduation」に感動したことを覚えています。

そして、近かった
目が合うのが怖いくらいでした。
幸せ~とか感じてる余裕はなかったけど、楽しいコンサートでした

このときにね、ソロコンも別でやってて。
この4人なんだけど。
学生でバイトもしてなかったしお金がなかったから、SAY'Sだけにしたんだけど。

この頃からかなぁ、光Gのバランスが崩れたのは。
方向性の違いというか。
ソロをやったことによって、グループの窮屈さがわかったのかな~って。

SAY'Sが出たときに大騒ぎしたヒトがいたしねぇ。。。
キミが入ったら、GENJIだから!!ってツッコんでたけど(笑)

懐かしいね~。
…って言いながらあんまり覚えてないっていう(笑)

やっぱり、レポって大事だね

初めてのコンサート♪(1/275)

2010-09-21 23:41:59 | ライブ参戦記録
光GENJI 1993年8月30日①横浜アリーナ
スタンド南ブロック 10列


これが、人生で初めて、手にしたコンサートチケット

1993年8月30日・・・潤君の…10歳の誕生日(笑)

…高校1年の夏でした。

こう書くとすんごい歳が離れてるよね(滝汗)


中学時代に、光GENJI友達がいて。
別の高校に入ったので、連絡取ってなかったんだけど。

その友達が晃君のファンで、晃君のお誕生日に「祝って!」って手紙くれて
→手紙です。この時代は(笑)

それからまた、ジャニ話で盛り上がるようになったんです。

で、8月のコンサート、行きたいね、って話になって。

チケットがあったら行ってみる?って軽いノリで、近所のコンビニ行って(笑)

したら、取れて(爆)

「こんなに簡単に取れるんだね」って…あの頃は、こんなに苦労するなんて

想いもしなかった(爆)


光Gは2年くらいでしたもんね、全盛期は(毒舌失礼)
一時、リリースをしない期間が半年くらいあって。
そこでガクンと注目度が下がったことを思い出します。


それはさておき。
初めてのジャニーズのコンサート。
イメージは怖いものだと思っていた。
ファンとかおっかけとか。
一度、旅行から帰ったときに、新横浜駅で光Gコン終わりのファンを見たことがあって。

それがね、ハッピだのツナギだの。。。まーアイドルの特攻隊みたいな(笑)

その集団を見ていたので怖かったんだよなぁ。

だけど、会場内はそんなこともなく(当然です)
グッズ買って。
この頃はまだ、うちわには顔写真がなくて。
表がメンバーカラーに名前が書いてあって、ウラはロゴというシンプルなもの。

金額も安かったと思う。
私は、あっくんのファンでしたので、黄色の「敦啓」をゲット。


見るもの全てが新鮮だったなぁ。

一番上の席だったんだけどね。
だから「遠いなぁ・・・」って思ってた。
だけど、初めて好きになったアイドル、光GENJIに会いに来れたことが嬉しかったなぁ。

内容なんて殆ど覚えてないけど。
当時は、S組(笑)と光Gのファンが対立してたりして。
派閥みたいのがあって(爆)

MCで中居君と慎吾君が来て。
「帰れ」コールしてる人がいて。
だけどそれを後ろからうちわで殴る人がいて(笑)

初心者ながら「S組の話はしてはいけない場所なんだ」って思ってた。

あとはねー。。。
花火やってたね、横浜アリーナで(笑)

初コンだったけど、まとまりのなさは、見て感じた。
あとどれくらいだろう?って思ったのも事実でした。

そして、これが最後だろう、って思ったライブ参戦。

まさかまさか、275公演もジャニーズにお金をつぎ込むとは思いもし無かったよ。

というのは、両親にナイショだったの。
いろいろあってね→話すと長いから、ばっさり割愛。
コンサートに行ってるって、カミングアウトしたのは…1995年の春。

1年半以上、黙って行ってました。
お年玉とか貯めてね

いつバレるか、そして怒られるのかドキドキしてたんだけど。
でも怒られるってことは、親が望んでることではないっていうことは認識してて。

もうやめようって何度も思いながら…結局、中毒。


ま、後悔はしてないけど。
この1公演がなかったら、きっと人生違ってたんだろうなーって。

だから、ターニングポイントだったのかもね。

きっと今のウン倍も貯金があったと思うよ。
だけど、何を楽しみに生きたんだろう??
生きる意味を見つけられたんだろうか??

もしもあの頃に時間が戻ったら。
もっと上手に、同じ道を歩きたいと思います(笑)
別の道より、楽しいことは確かだから。
だけど暴走しすぎたから(爆)

ちなみに、この時代、チケット代は4500円でした。
ああ…リーズナブル!!(爆)
時代と共に物価が上がってることがよくわかりますね

ということで、初コン記録でした~

…誰もついてきてねーって話?(爆)