まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

大和高田訂正

2011-07-11 00:40:03 | 風景
先日書いた大和高田駅の記事、恥ずかしながら勘違いしていたことがわかったので訂正。

駅前を南北に通る中央道路が旧高田川跡で近鉄駅前商店街がその自然堤防だろうと書いたが、
中央道路が川跡なのは今のJR線の南側までであり、川はそこから北西へ曲がっていたのだ。
自分でも本当の川跡を歩いて道ばたの石積みも写真に撮っていたのになぜか勘違い!?(恥)
では駅前はどうだったか・・・・・池だったのだ。

このことを指摘したのは兄である。土手道と駅裏のくぼ地のことをメールで話したら、探索に
行ったらしい。くぼ地に下りてみたらかなり深いようである。
そして現地で、駅前が池だったのではないかということと、商店街の突き当たり(現在はホーム裏)に
駅の入口があったのではないかということを直感したという。
果たして、大和高田市のホームページに載っていた昭和10年の地図を見ると、確かに駅前に池があった。
大正時代の地図にはないので人工的なため池だろう。近鉄の線路もまだない。
大和高田駅は1925(大正14) 年に開業している(当時は大軌:大阪電気軌道)。
例のくぼ地は、池の堤防と新高田川の堤防と近鉄と国鉄に挟まれた場所ということになるのだろうか。
商店街の道が池の堤防だとすると高すぎないか。


もう一つの仮説、商店街の突き当たりに駅の入口があったという話。件の地図を見ると
高田川を渡ってすぐの位置に駅のマークがある。開通当初は列車の編成は短かっただろうから
駅は今の西半分(高架となっている東半分のホームは後から延伸している)とすると、
近鉄駅前商店街は、文字通りほぼ駅の中央の位置に来る。
この写真にある道が商店街、右側に下ると池があると思われるがどうだろうか。
商店街は池の堤防道ではなく、中央道路がまだない時代に土手上にある駅へのアクセスのため
盛り土して整備されたメインストリートだったのではないか。
そして、高田川の堤防と、高田川を越えるための両鉄道の築堤と、この道に挟まれた地帯が
くぼ地として残った・・・

昭和24年に建て替えられたという駅舎は(私の高校時代おなじみであったはずだが記憶があいまい・・・)
池の埋め立て跡の現ロータリーに面している。写真左手に、商店街へ上る急坂があるのである。

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