ただの考察好き

ただ考えるの好きです

男が一番見たくない話

2023-08-26 23:25:49 | 日記
人が好む作品を書く。それが漫画だろうが小説だろうが、その要素が必要だ。それが例え、読み手が対象でなくても構わない。
自分が読みたい作品を書く。それでも良いのだ。

誰かが見たい、読みたい作品を書くこと。書きたい作品を書く事は、趣味で行うには重要な事だが、それがセミプロやプロを目指した瞬間に一切通用しなくなる。

まずは書き手が書きたい作品を書いて練度をあげ、次第に書いている自分か、あるいは読者が読みたいだろうと感じる作品を構成して書く。
大体はこういうプロセスになるのだろう。

では逆に。読みたくない作品とは何かを知らねばならない。
すなわち、人に強い不快感を与える作品という事だ。人の不快感を煽る作品、その形のひとつに。

「托卵」というシチュエーションがある。
「寝取られ」は一部の人が支持している作品の傾向らしいが、単純に「托卵」に性的興奮を感じられる人は相当に少ない。

それも。劇中で最も裏切りとは縁遠いと思われた、聖母の如く、淑女と思われた女性の子が実は。
夫の子ではなく。

自分の裏切り行為による、別の男の子供というシチュエーションだ。

しかし案外、これが現実では少なくないらしい。
浮気は別に男の専売特許ではない。当然、女性もする。特にマリッジブルーになっていた時期は危ないそうだ。
ただの気分転換、浮気とも呼べないような遊びの一夜。些細な裏切りのはずだったが。

それが妊娠という思わぬ結果になり。
それを早く察知した女子が慌てて自分の男と性交渉をして。アリバイを作る。

生涯、騙し通せるはずだった。
知らぬ存ぜぬで通せる予定だった。

完璧な騙し絵で築かれた、偽りの平和と家庭。

しかし、完璧に思われた嘘が。案外と些細な事で崩れるのも現実で。
自分とは振舞いや容姿の違い過ぎると感じた、夫や我が子が遺伝情報を調べて。

隠し通せるはずだった。妻の嘘を暴いてしまう。

一番、男が読みたくないシチュエーションで。
しかし案外、ありがちな現実の話でもある。

まだ本気の浮気だとか。本心からの裏切りであれば、まだ夫は救われただろうし。
裏切った女性のほうも、夫を棄てて間男との生活を考えるという選択の自由は持てたのだろうが。

そこまで好きでもなければ。
別に強い性的興奮があったわけでもなく。
ただの気晴らし。気紛れ。
その結果として。その代償として酷すぎる「望まぬ妊娠」という結果。

今まで裏切りとは縁遠いと自分でも信じていた、それほど完璧にこなしていた人生が。
たった一夜の事で修復不能の重大な亀裂が入る瞬間。
その恐怖。
その時、彼女の脳裏には。
味方がひとりもいない、今後の世界が思い浮かんだだろう。たったひとりの味方も見つけられない。
そしてお腹の子供を、消してしまう選択肢も既に選べない。

たった一夜。
ただ一度の間違いで。
神様、これはあんまりじゃないかと、心の中で叫んだだろう。

そして彼女の恐るべき執念で。
嘘に塗れた半生が開始される。

それは酷い話で。
辛い話だろうが。
その嘘の為に。
付き合わされた男たちは。

一体。
誰が救ってくれるというのだろうか?

誰も救いなどしない。
我慢しろって。それだけだ。

自分にとって真実だった愛の20余年が。
妻にとっては、ただの嘘の上塗りでしかなかった。その事実を知った時の失望感。

そこで私は。
自分以外の誰かから。さもわかった風に。
「人は間違いを犯すものだ」などと諭された時に。

もうそいつを生涯、信じる事を止めるだろう。許す、許さないは裏切られた人間だけが決められる特権であり。
それは絶対に侵害などしてはならない。

生涯憎むも。
許してしまうのも。どちらを選んでも構わない。そのくらいの自由は、裏切られた人間に遺してあげないと。

裏切りを許す権利。
その台詞は、裏切られた本人のみに与えられる特権で。

無関係の外野が本来、知った風に軽々しく口にして良い台詞ではない。

そして残念な報告もひとつある。
こうした「間違いの一夜」を起こしやすい人間に、好まれやすい人格はあるようで。

それは性別に関係なく存在する。なので。そういった「些細な裏切りをしやすい人間」に縁のある

そういった悲しい人間も居るのだ。

だからせめて。
自分で福音を鳴らそう。

誰も鳴らしてくれなどしないのだから。
全て嘘でしかないのなら。

世界を焼き尽くす
業火の福音を鳴らそう。というような。

作品を描いても。
たぶん。誰も二度目は読みたくないと思う。一回は通すけど。

しんどいし。
救いがないもんね。

明けない夜はないだとか。そんな軽いサブレのような戯言。何の気休めにもならん。

明けない夜はないだと?
太陽を持たない惑星ひとつで、簡単に否定できる戯言じゃないか。明けない夜を持つ世界は現実に、この広大な宇宙には存在している。

世界は闇の部分のほうがずっと多い。
光すらない世界のほうがずっと多い。

しかし世界は上手くできていて。
光のない世界には、それを嘆く生命もまた。根付く事はない。

光ある世界にしか、生命は根付かないが。
だからといって。
生命が「世界には光しかない」と論ずるのは無知の極みと言うものだ。

自分たちは光がないと生きていけないというだけの話に過ぎないのに。
光より多い闇の部分を間違いに定義するのは傲慢な無知でしかない。

世界とは基本。

闇でしかない。

だから。生きてるだけで幸福だと。
そう考えるのが一番賢い。

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