フランチェスコの父親、「ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ(Pietro di Bernardone)」は毛織物商人であり、たびたびフランスに出かけていたといいます。フランチェスコが生まれたときも留守をしており、母「ピカ(Pica)」は、生まれた子に「ジョヴァンニ(Giovanni)」という名前をつけますが、仕事上フランス語が非常に堪能で、フランスびいきだった父親は、その名が気に入らず、「フランチェスコ(Francesco)」と呼びます。
帰郷したフランチェスコは、1206年、「サン・ダミアーノ教会(Chiesa di San Damiano)」の十字架から「早く行って私の壊れかけた家を建て直しなさい。」との声を聞き、教会の修復を始めます。しかし、声の意図したことは具体的な、教会という「建物」ではなく、制度としての、「堕落した教会の建て直し」でした。フランチェスコには、そこまでは理解できませんでした。理解したとしても、自分にはその力があるとは考えなかったでしょう。