もう寒くて寒くて。
ニットの上にカーディガンを着るくらい寒いのです(もちろんウール素材)
もともとトイレが近いんだけど、
寒いものだから、さらに頻尿になってます。
こういう日は、暖かい煎茶と珈琲がありがたいです。
一昨日は15夜さんでしたね。
『モチをペッタンうさぎちゃん』の月を見上げては、
お団子をほおばり、
しみじみとした風情を、ただ一人で感じ取っていたのであります。
秋だねぇ。
さて。
お団子といえば、
向島で食べた『言問団子』です。
黄色いお団子は、外側がぎゅうひで中が味噌餡でございます。
すんごく暑い日だったけど、
熱い煎茶をすすりながらのお団子は格別でした。
そうです。向島にも行ったのです。
業平橋で東武伊勢崎線を下車し、
そこから言問通りに向かい、
見番通りをテクテク歩いて、言問団子でお団子を食べたのです。
見番通りには料亭が何件かあり、
向島って花街だなぁとイヤでも思うのです。
別にイヤじゃないんだけどね。
お団子を食べた後は、鳩の街に向かいます。
テクテクテク
右の写真は鳩の街商店街です。
細い路地に、商店街が並んでいるのですが、
残念なことにかなりの数のシャッターが閉まってます。
この辺りでキョロキョロしてたら、
通りかかった地元の方にお声をかけていただき。
この辺りのことをいろいろと教えて頂いたのです。
裏の路地に結構赤線時代の建物があることを聞き、
さっそく裏路地へまいります。
テクテクテク
ほんとはね、路地の裏にいっぱいあった赤線(カフェー)時代の建物の写真を、
何枚も撮ったんです。
実にいい建物(タイル張りであったり、曲線を描く建物であったり)が、
所狭しと並んでいて、
携帯のシャッターを押しまくってたんだけど、
レンズに指紋が付いちゃってて、見苦しい写真になっちゃってので割愛します。
ゴメンナサイ。
↑の写真は、商店街沿いの赤線の建物です。
扉の格子が美しいのであります。
格子に細工がしてあったりと、実にいい風情。
赤線が廃止になったのは、昭和33年の3月末だったかと思います。
かの吉行淳之介さんも嘆いてました。
街から灯りが消えた、と。
(あ、これはオイルショックで銀座のネオンが消えたときだっけ?)
吉行淳之介先生は、
主に今の新宿二丁目の赤線に足しげく通っていたそうでありますが、
小岩や鳩の街も愛していたそうです。
そういや吉原については小説なりエッセイなりで見かけないなぁ。
その後、吉行淳之介は、
赤線から転業したトルコ風呂に行ってみたのですが、
残念なことに、風情が全くないと思っていたそうです。
ややや、ちょっと下々の話になっちゃったので、
もうやめますね。
ちなみに鳩の街は、吉行淳之介『原色の街』の中で詳しく記載されております。
気を取り直して、月島に向かいます。
夜の月島は、吉原のソープランド街のようなもんじゃの客引きが結構おります。
目を合わせないように下を向きながら、目的のもんじゃ屋さんに向かいます。
夜6時半を過ぎると、どこのお店も満員なので、
5時から食べることにしたのです。
そこで向かったのが、
もんじゃの『来る実』というお店。
まずは甘エビのもんじゃを食べます。
店員さんに作っていただきました。
甘エビのもんじゃは、頭のミソを出し切らないとダメとのこと。
切り取った頭とシッポは、横でカリカリにセンベイになるまで焼いておくのです。
初もんじゃだったんだけど、すごくオイシイ。
甘エビの出汁が、もんじゃの出汁と合わさって重厚な味。
それがオコゲになって香ばしさがプラスされ、
もうヘラが止まりません。
必死に食べて食べて、ビール飲んでグイッ、食べて食べて。
この日は、中学からの友人も一緒だったので、
もう一枚、明太チーズモチもんじゃも注文しました。
今度は僕がチャレンジしてみたぞ!!
まったく円形になってません…
難しいよ!!
こればかりは何度も練習しないとダメですね。
良い子のみんな!!
将来彼女ができたら月島に行って、
もんじゃを上手く焼けたら、
きっとモテモテだぞッ!!
『まあなんてステキ!もうこのまま台場で夜景見て、鶯谷…』
なんてことがあるかもしれないぞ!!
頑張れ!!
ちなみにお兄さんは、男の友達と一緒にもんじゃを食べてたから、
夜景も見なかったし、台場にも行かなかったぞ!
決してもんじゃが上手く丸く焼けなかったからじゃないぞッ!!
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