重症筋無力症に負けてたまるか!

写真の無断転載禁止です カメラ抱えてスタコラサッサ
築地・浅草・京都・エゾリス 
興味を持ったものを写真とともに

庭の苔が増えてきました

2019-06-26 22:41:30 | 趣味嗜好

 

昨年まであまり気にもしなかったのだけど

庭の樹木の下に苔が増え始め

じゃあ育ててみるかと

少しづつ落ちた枝葉のゴミを掃除し

朝晩の水やりを続けています

 

遠目に庭の苔を見る分には綺麗ですが

近づくと枯れた枝葉、散った松の葉が苔の上にどっさり

 

京都の寺院のような整った苔庭には間違ってもならないけど

ちょっとづつ苔が増えていく様は嬉しいものです

 


革堂(行願寺)と菅原院天満宮神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り)

2019-06-21 00:10:16 | 京都

 

 

京都御所周辺にある行願寺(革堂)と菅原院天満宮の御朱印を頂きました

 

御霊神社(上御霊神社)と下御霊神社の御朱印を頂いた後

 

上御霊神社と下御霊神社の御朱印を頂いてきました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

京都の上御霊神社(御霊神社)と下御霊神社の御朱印を頂きました右ページ「御霊社」と書かれているのが御霊神社(上御霊神社)左ページが下御霊神社の...

上御霊神社と下御霊神社の御朱印を頂いてきました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

 

 

下御霊神社のすぐそばにある行願寺(革堂)へ向かいました

 

 

行願寺(革堂)の本堂です

 

行願寺は天台宗の寺で西国三十三所観音霊場の十九番の札所であり

寛弘元年(1004年)に行円上人によって上京区一条小川に創建されたとされています

 

行円上人は子どもを宿した母鹿を射止めてしまい

そのことを悔いたため

常日頃からその皮をまとって鹿を憐れみ

人々より皮聖と呼ばれたことから

行願寺も革堂と呼ばれるようになったとこと

現在の地に移ったのは宝永5年(1708年)の大火の後で

本堂は文化12年(1815年)に建てられたものです

 

 

西国三十三所の札所のため

御朱印を頂いている方を見かけました

 

線香をあげさせていただいたのですが

強風で火がなかなか点かなく

数分途方にくれました

 

 

こちらが行願寺(革堂)の門

下御霊神社から歩いてすぐです

 

 

続いて菅原院天満宮を目指します

卍のマークがある所が行願寺(革堂)で

行願寺から菅原院天満宮までは歩いて15分ほど

 

途中に京都御所の南側を走る丸太町通りを歩き

丸太町交番のある交差点を右折し

烏丸通りを進みます

 

 

ここが丸太町通りと烏丸通りの交差点です

管原院天満宮は地下鉄丸太町駅が最寄りの駅となります

 

右上の樹木がある方向が京都御所です

 

 

管原院天満宮の本殿

本殿は蛤御門の変(1864年)で焼失後、明治初めに再建されたとのこと

 

行願寺(革堂)から歩いて15分

管原院天満宮神社へ着きました

 

この地には

平安時代には菅原道真公の邸宅・管原院があったと言われています

道真公の死後

邸宅跡地には菩提を弔う歓喜光寺が建立されたが、移転し

残された祠に道真公と父・是善卿(これよし)、祖父・清公卿(きよただ)の三代を祭神とし

創建されたのが今日の管原院天満宮とされています

 

 

管原院天満宮の境内ある牛の像

菅原道真公が丑年生まれであったり

牛に助けてもらったことや牛に懐かれたことなどから

臥牛が境内に置かれています

 

 

こちからが管原院天満宮の鳥居前

 

管原院天満宮神社の授与品のお守りといえば

 

 

緑の背景に人の良さそうな顔をした菅原道真公のイラスト入りの出世守

御朱印にもこの顔がスタンプされています

 


野良猫が木陰で休憩していました

2019-06-09 20:57:32 | 趣味嗜好

 

 

お昼前に野良猫が庭を歩いていたので

カメラ抱えて外へ出て猫についていくと

裏庭の木陰で休憩していました

どうやらオスのようです

(オスには付いているものが付いていた)

 

そーっと近づいてみたのだけど逃げてしまった

人馴れしていないのね

 

さてさて

札幌東急百貨店では11日までの間

京都の一澤信三郎帆布の催事が行われています

昨年はガイアの夜明けの影響で催事が中止となりましたが

今年はたくさんの素敵な商品と共に一澤信三郎帆布が来てくれました

京都のお店で接客していただいた店員さんも催事に来ていて

嬉しいものです

多くの商品の中から青麻のショルダーをお買い上げ

麻帆布は柔らかくていいですよ