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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

コロナ禍の都知事選2020

2020年07月20日 | 日記
7月5日(日)都知事選2020が終わった。結果は現職・小池百合子が得票率59.7%(366万票)の横綱相撲で圧勝、次点が野党共闘の宇都宮健児13.8%(84万票)、3位がれいわ・山本太郎10.7%(65万票)、4位が維新・小野泰輔10%(61万票)だった。供託金没収点は61万3267票なので小野候補は少し下回った。
やや意外なのは、5位と思われていたN国・立花孝志が0.7%(4.3万票)で6位、かわりにあの在特会・桜井誠が2.9%(17.8万票)の5位だったことだ。立花はホリエモン新党から出て3人に票が分散した結果かとも思われたが、他の2人を足しても0.17%なので、あまり変わらない。排外主義の桜井恐るべし、ともいえる。東京新聞7月8日朝刊22面特報面・古谷経衡氏コメントによれば「東京には極右票が20万票くらいあり」、今回は日本のこころを大切にする党がなく、桜井支持に「一本化したのだろう」とのことだった。大阪で維新に一本化しているのと同じようなものなのか。 

いつもと違うのはコロナ禍での選挙ということだった。
現職・小池は公務優先と称し、街宣活動をまったく行わなかった。対立候補も、宇都宮候補は一番華やかなフィナーレを行わず、土曜昼の錦糸町南口で終了。また多くの候補は直前まで街宣場所を発表しなかった。その分SNSやウェブの活動が活発だったのかもしれないが、わたくし自身が積極的には活用していないので、よくわからない。
投票所でも待ち行列に1mと2mの間隔で床にテープが貼られ、投票スタッフも吊るしたビニルシートで来場者と隔て、手袋着用、記名する鉛筆も使い回しでなく、1人1本個別使用にしていた。

今回の都知事選で、わたくしは山本太郎支援に回った。
6月18日告示、7月5日投票というスケジュールは早くから決まっていたので、野党共闘で勝つということなら、できれば2月ごろ候補者決定、遅くとも連休前に決定と願っていたが、新型コロナ流行もありそうはならなかった。今回は、対立候補なしで小池再選かとあきらめかけていた5月25日に宇都宮氏が立候補を表明、6月5日には立民、共産、社民、新社、緑などの政党支援が公式発表された。四谷三丁目の事務所も12日にオープンしたとのことだったので、翌日午後確認団体チラシを取りに行き、近所にポスティングを始めた。
ところが告示3日前の15日(月)、山本太郎氏の立候補宣言をニュースで聞いた。れいわから誰か出るにしても、まさか本人が出るとは思わなかった。
今回の都知事選は、「コロナのタヌキ・小池」が3月ごろからテレビの記者会見や街頭の大型スクリーンの都庁広報に出ずっぱりになり、事実上の事前運動を大展開していたので、小池の再選は動かない。それなら、こちらは不信任票を1票でも増やしたほうがよい。そのためには宇都宮候補を支援するより、残り少ない限られた期間で不信任を増やすには山本候補のほうが有効だと考え、急遽山本候補を支援することにした。
宇都宮弁護士が代理人を務める供託金裁判には、はじめの数回を除き、傍聴や報告集会にたいてい参加していた。しかし都知事選に関しては、1度目(2012年)は、選挙後(2013年年末)に選挙資金の不明朗な使途が問題になり、2度目(2014年)は、立候補宣言の年末フライングが問題になった。また反原発の人びとからも批判が起こった。そんなこともあり、都知事選ではあまり積極的に支援したくない、という気持ちもあった。
告示3日前ではあったが、まず肖像写真入りで市中に貼っているポスターの貼替えが急務と聞き、まず6月16日(火)に赤坂の事務所に文字のみの新ポスター受取りに行った。
6月18日にボランティア用の選挙事務所を市ヶ谷駅前に開設するというので、午後行ってみた。ふつうのオフィスビルではなくTKPの貸会議室だった。たしか元はシャープの東京本社だったと思う。だからトイレも清潔で広く、ボランティアにとっても快適だった。カンパによる資金が潤沢な「れいわ」には、空き事務所の期間限定賃借より使い勝手がよかったのだと思う。
昨夏の参議院選と同じように、告示の2-3日後に公選ポスターを貼るのかと思ったら、今回は別動隊が貼るのでボランティアの作業はないとのこと。それで選挙チラシの証紙貼りを手伝った。
翌日からは電話入れ、29日からは告示前にできなかった確認団体ビラのポスティングを始めた。ふつうの選挙とひとつ違ったのは、公選ポスターの貼替作業だった。26日(金)午後元のポスターより少し迫力と動きのある新ポスターを上貼りする作業をした。こんな作業は初めてだったが、数日遅れで宇都宮候補もやっていたので、たまにあるのかもしれない。新ポスター貼りは3選挙区20枚、電話入れは7日で合計320本(ただし平日日中なので、つながるのは2割程度)、近所へのポスティングが合計1400枚程度行ったので、まずまずの充実感、満足感はあった。
コロナ禍という点では、電話入れは、フェイスシートを顔に着け、携帯電話は1人ずつ消毒済みのものを使い、終われば各自フェイスシートに消毒スプレーをかけ、携帯はウエットティッシュでふき取り充電した点が、これまでとは違った。
街宣にも行きたかったが、当日午前に発表される場所はわたくしからは遠いところが多く、最終の7月4日(土)夕方、新宿駅南口で証紙付きチラシの配布を手伝った。4年前の鳥越都知事選のフィナーレも南口で、そのときは甲州街道の南側だったが、今回は改札口外が整備されたからか北側で行った。こちらのほうがステージも広々とれるし人出も多く、より条件がよかった。

コロナということで、まず手を消毒したうえでビニール手袋を着け、証紙をはったチラシを通行人に「山本本人があそこでスピーチしていますよ」などと声を掛けながら配布した。もちろん普通のビラ配りに比べるとずっと受取りがよい。ただ、昨年夏の参議院選ほどの熱気はなかった。あのときは暑く新宿西口の出口なのでもっと人が多く、ウチワを向こうからもらいに来る人が多かった。

新宿南口での最後の訴えで、山本候補は「10-39歳の死因第1位は自殺だ。いまは何があっても『自分が悪い、自己責任』という地獄のような世界。山本のつくりたい社会は、生きていたくなる社会だ。まずは東京から始めたい。
今年は新型コロナで緊急事態、ターミナル駅近くでホームレスになりたての人に何人も出会い、会話した。「こうなったのも自分が悪い」という。「あなたはがんばりすぎている。悪いのは政治だ」。2月から6月の損失分を保障し手を差し伸べるセーフティネットをつくり、底上げを図りたい」 
なおゲストは2人の参議院議員、木村英子さんと船後靖彦さんが車いすで出演し参議院での活躍・活動をスピーチした。進行は雨宮処凛さんだった。
壇上になぜか青黄赤の三色旗が翻っていたので、れいわの旗をつくったのかと思った。しかし見れば見るほど創価学会の三色旗(青は平和、黄は栄光、赤は勝利のシンボル)そのものだったので、集会後に聞いてみた。学会内の反公明党グループとのことだった。
拍手喝采で、掛け声も飛ぶ屋外集会だった。しかし惜しむらくは、選挙最終日だったことだ。もっと早い時期からこういう街宣ができていれば少しは山が動いていたかもしれない。
敗戦後の会見での山本候補の第一声は「いやぁ強かった百合子山、高かったぁ百合子山」だった。実感だったと思う。有権者、とりわけいわゆる「無党派層」に直接の声掛けをもう少しできていれば、もう少し得票できたことと思う。

やはりコロナの影響は大きい。この日も、山本候補の演説のはじめの10分ほどは、聴衆の「密」を調整し、均等にするための「整理」時間に当てられた。

ポストコロナの今後は、社会だけでなく選挙の「かたち」も変わる可能性が高い。
今後は、電話入れはますます下火になると思う。選管がコロナ感染予防のため期日前投票を推進したこともあるが、それにしても投票者620万9813人のうち期日前投票者は175万4013人と前回より5万人弱増え、じつに3割(28%)を占める。
かつては投票日1、2日前の電話入れはそれなりに手ごたえがあったが、投票に行く人の3人に1人(今後はたとえば2人に1人)が電話をした時点では投票済みとか投票者を決定済みということにもなる。そもそも電話帳に名前を掲載する人は、詐欺電話防止などでどんどん減っているし、それに親密な人との大事な電話は携帯でする習慣になっている。固定電話に知らない人からかかってくる電話は、それこそセールスの電話など「迷惑電話」が多いことはみな知っている。
チラシ配布も同様で、すでに街頭ではたとえティッシュ付きでも受け取らないことが世の中「標準」になっている。自宅郵便受けへのポスティングも、近くにチラシ入れのごみ箱が設置してあれば、何も見ないで直接投げ入れる人が4割はいる。新聞折込のチラシも同様だし選挙公報ですら、そもそも新聞宅配で購入しない人が増えているので、なかなか難しい。
代替手段としては、やはりウェブの動画や文字ということになるのだろうが、わたしにはよくわからない。ただ小池が独り勝ちしたのは、先にも書いたように3月から大幅に「事前キャンペーン」を展開したからだし、大規模な社会実験とみることもできる。安倍・自民はこれくらい大規模に事前PRをすれば、憲法9条国民投票に圧勝できることを確信できたと思う。

貼替え前のポスター(一番上の公選ポスターの写真と比較すると違いがわかる)
野党のことを考えると、わたくしにとってはこの選挙は「政党」選挙だった。山本候補が立候補インタビューで述べたように、他党から「統一候補に」という呼びかけは2度あった。一度目は「れいわ新選組公認」という条件を付け、二度目は「確認団体の名を東京れいわ」にと主張し、これでは野党共同統一候補にならないため、成立しなかった。所属議員2人といえども政党要件をもつ党なので、そういうことになるのだろう。
宇都宮候補のほうは、国民民主を除く野党統一候補とはいえ、実際に選挙運動を担った実働部隊は緑の党と日本共産党だった。いっぽう山本候補のほうは、れいわイコール市民の党ではない、ともいわれるが、選挙の実働は市民の党が行っていたようにみえた。
かつて、別の弱小政党の選挙支援をしていたときに共同代表の人に、なぜ個別の政策課題では共闘できるのに、選挙の世界ではできないのか聞いたことがある。政党にとって選挙は存在意義をかけた戦いの場なので、共闘はムリといわれたことがあった。その当時と状況が変わったが、それを実感させる選挙だった。

4年前の都知事選のとき小池は「緑のタヌキ」と呼ばれ、今回は「コロナのタヌキ」だった。2020東京オリパラ延期決定した3月24日の翌日「外出自粛要請」会見を行い、東京アラートを解除した6月11日の翌日、正式に立候補宣言という「自分ファースト」選挙だった。選挙期間中も毎日の感染者数は高止まりしていたが、当選確定の4日目の9日から感染者200人台に激増したのは意味深だ。翌日からでは、いかにもわざとらしいので、今回は3日調整したのかもしれない。
それにしても「コロナのタヌキ」が新型コロナ対策で失敗したのは明らかだ。小池の判断ミスか、いわゆる専門家チームなり福祉保健局のスタッフのせいかはわからないが、東京の感染爆発と生活崩壊の最終責任は都知事にある。
「自分ファースト」な知事なので、遅くとも1年以内に行われる総選挙で、よくいわれるように自民党(二階派)に復党し国政に戻ることも大いに考えられる。
小さいエピソードだが、小池も山本太郎も兵庫県出身だ。小池は芦屋、山本は宝塚、そしてコロナ問題で、安倍首相と同じくらいテレビに頻繁に登場した西村康稔経済再生担当大臣は明石、兵庫県勢恐るべしだ。

☆恒例になった最終日の一人打ち上げ、新宿駅西口思い出横丁に向った。前回の都知事選後は「つるかめ」に行ったので、今回は線路に近い通りの養老乃瀧に向った。ところがなぜかこの日は閉店していた。仕方なく3軒ほど隣の岐阜屋に入った。この店もかつて何度か来たことがある。ただしアルコール目当てではなく、チャーハン、ラーメンなど純粋に食事目的だった。20時半ごろの店は3席に1人くらいの入りで、(客にとっては)コロナ対策でちょうどいいくらいの間隔だった。このあたりは外国人観光客が多く、値上がりしていると聞いたことがある。時節柄もちろん外国人観光客はゼロだ。チャーハン、焼きそばなどメインの料理はだいたい630円なので、たしかに少し高くなっているように思った。出がけに店の方に「店名は、創業者が岐阜にゆかりのある方だからですか」と聞くと、「そうです」という返事で、納得した。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
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