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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

植民地主義の清算を求める日韓市民共同宣言日本大会

2010年08月28日 | 集会報告
今年の8月22日は韓国併合条約が公布されてちょうど100年の日に当たる。36度の暑さのなか豊島公会堂で「韓国強制併合100年日韓市民共同宣言日本大会 植民地主義の清算と平和な未来を」が開催された。会場は2階までいっぱいの盛況だった(主催 韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会 参加1000人)。
集会タイトルのとおり「植民地主義」に焦点を絞り、基調報告、体験者の証言、東アジア宣言紹介、沢知恵さんのコンサート、そして最後に日韓市民共同宣言の採択と、バラエティに富む集会だった。集会は3つのブロックから成る。
オープニングは東京学芸大学の学生たちがつくった「映像で観る『韓国強制併合』100年」で、引き続き日韓双方の実行委員会からあいさつがあった。伊藤成彦共同代表は「菅首相は、痛切な反省と心からのおわびというが、植民地支配の根本である併合条約強制の非を認めなければ空言に過ぎない」と述べ、李離和(イ・イファ)常任代表は「植民地主義の清算は韓国と日本の2つの社会をもう少し人間的な社会にする道であり、人権と民主主義を拡大し、伸長させることなのだ」と未来志向の提案を行った。

二つの基調講演のうち、宋連玉(ソン・ヨノク) さん(青山学院大学教員)は、8月10日の菅首相談話、不明高齢者問題、教科書無償化除外問題など最近のトピックスに言及しつつ、日本の市民は在日朝鮮人問題や「慰安婦」問題を、日本社会の民主主義の問題としてとらえる問題意識を育んでこなかった、他者の問題としてみてきたと問題を提起した。
庵逧(あんざこ)由香さん(立命館大学教員)は、「これまで、強制連行、『慰安婦』、サハリン残留などの問題を戦争責任として論じることが多かった。しかし国権をはく奪する植民地支配そのものが犯罪であり、非人道的行為であることを強調する必要がある。日本政府は植民地支配そのものは合法だと考えている。植民地支配責任を国家として認め、植民地支配責任を清算すべきである」と主張した。
次に、青年・学生実行委員会<なあがら>から「植民地主義は現在を生きる私たち自身の問題である」というテーマで、「知る権利を行使し、学ぶ努力を惜しまない」「あらゆる差別と抑圧に反対し、平等な社会を実現する」など、5つの提言からなる「青年・学生宣言」が発表された。

第2部は「被害当事者の証言」で、8人の方の「証言」があった。
1940年、数えで18歳のとき元山の町で朝鮮人と日本人憲兵の2人組に拉致され満洲・密山に連行された元・慰安婦の方、1943年に楊州で徴用され飯塚の麻生鉱業赤坂炭鉱で強制労働させられ2度脱走を試みた方、41年に強制徴用され日本の敗戦後サハリンに抑留されて68年ぶりに韓国に帰国した方、現在、休日を削って「教科書無償化除外」反対運動をする東京朝鮮中高級学校の生徒、など生々しい体験談が続いた。敗戦当時抑留されたコリアンの問題は知っていたが、サハリンに残留し2000年以降70-80代で韓国に帰国した人の想像外の苦労や、いまもサハリンに残留している人の貧困問題など、最近のことは知らなかった。また八丈島で飛行場建設のため強制労働を強いられた朝鮮人の話ははじめて聞いた。
わたくしは、崔善愛(チェ・ソンエ)さん(ピアニスト)の「在日としての自分の闘い」のスピーチの印象が強かったので紹介する。

わたしは1959年生まれなので、併合100年のちょうど真ん中で生まれた。自分は植民地にされたという実感をどうしても持てなかったので、在日として生まれたことの意味がわかるのに数十年かかった。
わたしが指紋押捺拒否をしたのは1981年、21歳のときだった。わたしの回りの日本人はそんなにひどくはない。しかし在日1世の恨みをなんとかしたいというのが拒否の動機だった。いま思うと甘い考えだった。裁判をしたが有罪となり82年から渡航の自由を奪われた。再入国を許されないという意味だ。それにもかかわらず86年に日本を離れると協定永住権をはく奪された。この国では国籍がないばかりでなく、たかが指紋押捺を拒否したくらいで永住権まで奪われる。裁判のほうは89年の昭和天皇死去で免訴になった。自分は天皇制から逃れられないことを思い知った。こういう目に会い、なるほどたしかに朝鮮半島は植民地支配を受けていたということを実感した。そして戦後もなお続く指紋押捺制度が象徴するように、在日に解放はまだ訪れていない。植民地支配は今なお続いている
差別発言も数々体験した。85年5月大阪府警外事課の課長が「日本の法律はなめられている。いやなら本国へ帰るか、日本で育ったのなら帰化すればよい」とテレビで言い放った。わたしたににとって法律は自分を守るものではなく、わたしたちを排除するものだ。拉致問題、朝鮮学校問題などさまざまな問題に接するとき、そのなかにこそ植民地支配100年の歴史が埋め込まれていることを、みなさんが実感する契機の日としていただきたい。だからこそ問題に目をつぶらず、ひとつひとつ向き合い何とかしていきたいものだ。

第2部の最後に「東アジア歴史・人権・平和宣言」が紹介された。2001年9月に、奴隷制と植民地支配の被害と不法性を明らかにしたダーバン宣言が発表された。来年は10周年の年に当たるので、これの東アジア版を準備しつつある。
第3部は沢知恵さん(歌手)のミニ・コンサートで幕が開いた。沢さんは牧師の娘として2歳から6歳までソウルで育った。母方の親戚の縁で、民主化運動をしていた人が大勢出入りする家庭だった。沢さんは「アメイジング・グレイス」「こころ」「私はだれでしょう」「朝露」など6曲を披露した。
そして、この日のメインイベント「日韓市民共同宣言・行動提言」が発表された。朗読したのは4人の青年で、環境音楽のようなバックミュージックが効果を上げた。
前文で「『合法』であったか否かを論ずる以前に、植民地支配それ自体を人類に対する犯罪であると断じ、その被害がなお継続している現実を直視し、克服していくことを提起」し、東アジアの平和な未来を築くため、日本政府に対し、被害事実の究明、謝罪と賠償など20項目に及ぶ要求を求め、議会意見書採択や法律制定など日韓市民の行動を提起するものである。

集会のフィナーレはチャンゴやチンなどの打楽器による農楽のプンムルだった。会場後方の扉から楽隊が入場し観客席を練り歩き舞台へ上る。会場は力強いリズムの渦に巻き込まれ、舞台では韓国からのゲストや日本実行委員会の4人の共同代表、そして司会の方まで舞踊に参加し、激しい乱舞の場となった。

☆この集会で特筆すべきことが3つある。まず音楽の使い方が見事だった。オープニングの映像のバックミュージック、沢さんのコンサート、フィナーレのプンムルなど要所要所で音楽が使われ効果を上げた。集会でのコンサートは、ややもすると集会の余興になりがちだが、6曲も歌があり、曲の合間の沢さんと韓国のかかわりの語りが集会のテーマとぴったりで、きちんとミニコンサートの体裁をなしていた。また宣言のバックに音楽を流すアイディアは秀逸だった。今後このスタイルが流行しそうだ。ただし凡庸な音楽では逆効果で、選曲がよくなければこの集会ほどの効果は得られないだろう。
2番目に企画構成がすぐれていた。3部とも証言(または講演)、宣言、音楽を組み合わせたバラエティに富む優れた構成だったので、5時間弱の長い集会だったのにまったくあきることがなかった。時間管理を含む進行管理も優れており、ややもすると、長い証言と、逐次通訳のため時間が伸びるのが当たり前なのに、2回の休憩も含め6時前にきちんと会が終了した。並々ならぬ総合プロデュース力である
最後に若い人が表舞台に登場したことである。オープニングの大学生、「青年・学生宣言」の発表、証言の高校生、共同宣言を朗読した4人の若者の登場のことである。植民地主義を克服し平和な未来を目指すうえで若い世代の自発的参加は心強い。

2010年8月29日 一部修正
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