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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

伊藤晃の「戦後天皇制」論

2011年06月27日 | 集会報告
東北の被災地を巡遊し慰問するアキヒト夫妻の人気が高い。膝をつき、肩を抱いて語りかけると被災者たちは心の底から感動している。
梅雨で夕方から弱い雨が降り続いた6月16日(木)夜、阿佐ヶ谷市民講座で伊藤晃さん(日本近代史研究者)の「近代日本史の中で見た戦後天皇制」という講演を聞いた。
天皇の被災者訪問は悪いことなのか。いま天皇制反対運動は民衆レベルでごくわずかだ。なぜなのか。そしてなぜいま、悪くは見えない天皇制に反対しないといけないのか。どうすれば民衆のあいだに天皇制反対という声が生まれるのだろうか。
こういう観点の講演だった。
わたくしは反天連3・1朝鮮独立集会で伊藤さんのお話を聞いたことがある。伊藤さんのお話は密度が高く、例示も豊富だ。このブログの長さの制約もあるので、残念ながら、敗戦から47年9月の沖縄メッセージのころの時期に、支配層、天皇、占領軍(マッカーサー)、民衆の各プレーヤーが、どう動いたかを分析した「戦後天皇制の出発」は思い切ってカットした。筆者なりにエッセンスを拾ったつもりだが、いずれ阿佐ヶ谷市民講座事務局から講演のパンフが発刊される予定なので、それをみていただければ全容がわかる。

●戦後天皇制への平和移行 
敗戦後、天皇制は戦後の体制に適合せざるをえなくなり、新しい天皇観を説く学者が出てきた。津田左右吉金森徳次郎和辻哲郎らである。敗戦までは天皇から国民を説明したがそれは正しい考え方ではない。国民から天皇を説明するのが正しい。かつて天皇制の根拠は「天壌無窮の神勅」という神話にあった。津田らは「国民は神話を事実だとみていた。その『信念』にこそ天皇制の根拠がある」と説いた。天皇が国をつくったのでも、人民が国をつくったのでもない。そこを利用した。つまり国のなかに、天皇と人民はつねに、両方存在し、相ともに助け合っていた。国というより母国(マザー・カントリー)といったほうがよいが、母国のなかに、天皇と国民は親愛と信頼という感情的つながりをがつくってきた、というのだ。
●戦後民主主義・戦後憲法体制のオモテとウラ
天皇が適合しなければならなかった戦後体制はどのようなものだったのか。新憲法は大日本帝国憲法73条(憲法改正)を使ってつくられ、戦前の「無責任」を引き継いだ。憲法創設の民衆運動はなかった。立派な憲法草案をつくった高野岩三郎ら憲法学者はいたが、民衆運動との関わりはない。民衆にとっては「与えられた憲法」だった。
しかしそれは逆に、憲法の諸条項はいろんな解釈が可能で、いろんな実現形態をとらせることができるということでもあった。そこで支配集団側と民衆運動側で、どういう実現形態をとらせることができるのか、事後にその闘争が始まった。わたくしはこれを「事後の憲法創設闘争」と呼ぶ。これが戦後政治史の大枠を準備した。
たとえば国民主権をどう運用するか、運用原理をめぐる抗争があった。天皇主権とは、統治集団が天皇主権をタテに人民に対し統治行為を行うということである。支配集団は、大日本帝国憲法から主権の運用原理を「密輸入」しようとした。たとえば自己再生産構造をともなう高級官吏の任用旧憲法10条天皇の官吏任免権)や、行政官庁が発出する法律以外の通達や法令解釈(旧憲法9条天皇の命令大権)によってである。
これに対しわれわれは、議会や行政の権限をめぐる批判、言論・行動による批判、たとえば住民投票、行政に関する監視、デモやビラによる直接的な意思表示行動をずっと行ってきた。これらの行動は、人民主権の方向に国民主権を解釈しようという考えに基づいている。天皇主権の方向に国民主権を動かそうという考えと人民主権の方向に動かそうという考え方の対抗が、戦後政治史の大きな枠組みとなっている
第二の例は基本的人権である。支配集団は、憲法の人権条項を抽象的な理念として理解した。その典型は朝日訴訟である。地裁は「これは理念ではなく、実行の問題だ」と判決せざるをえなかった。人権は、たんなる文章ではなく、自分で立って取る自分の権利として自分の手にある。わたしたちはその試みをずっと続けてきた。しかし一方で、国家が与えてくれた国民という資格に基づき、国家が与える権利という考え方も成り立つ。
第三の例は憲法9条をめぐる問題である。あの文言を普通に読めば、非武装を定めたという解釈になる。しかし列強の世界支配への協力による平和の確保という意味での国際協調という解釈もできる。日米同盟による平和の確保である。日本国民は、日米同盟推進の自民・民主に9割の実績を与えているのだから、国民はいま非武装以外の解釈をしていると考えざるをえない。
このように、憲法解釈にはオモテとウラの2種類がある。国民主権の「国民」に力点を置けば人民主権的なオモテとなり、「主権」に力点を置くと天皇主権に無限に近いウラになる。基本的人権のオモテは人間の普遍的・一般的権利で、ウラは国家が与える実現形態としての人権である。そして9条解釈のオモテは非武装で、ウラは日米軍事同盟と軍事大国化である。戦後民主主義を考えるとき、この内的対立を考える必要がある。戦後民主主義は戦前と対立するのではなく、戦後民主主義の「なか」にいろんな流れがありそれが対立しているのだ。オモテ(理念)を振りかざすだけではダメで、ウラの現実と闘わないといけない。
●戦後天皇制のオモテとウラ
さて天皇制は戦後体制に適応するとき、オモテに適応したのかウラに適応したのかどちらだろう。
1946年1月天皇は「人間宣言」(新日本建設に関する詔書)を出した。そのなかに「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」(天皇が国民を信頼し国民が天皇を敬愛する)という言葉がある。これは前述の「国思想」の「君民一体」であり、国は永遠ということを通じて「万世一系」も生き延びた。この思想の法的表現が憲法第1章第1条である。「天皇は、日本国の象徴であり国民統合の象徴」であるとは、日本国民はまとまった姿をとるとき、天皇に表現してもらう以外にないということだ。われわれは社会的にいろんな運動を通じてまとまっていくが、そういう考え方を否定している。そしてそれは「主権の存する日本国民の総意に基く」。しかもわれわれが自己を託すべき表現は、2条で万世一系の皇統と決まっている。
また天皇の政治的姿についてもオモテとウラがある。オモテは、統治権を持たず立憲的な国民主権原則への適合である。ウラは、たとえば国民の支えとは独立した根拠に基づき、即位の儀式により天皇になることである。また天皇が行うのは国事行為だけでそれ以外は私的行為のはずだったのに、国事行為以外の公的行為がどんどん拡大した。皇室外交も被災地訪問も公的行為のひとつだ。
この動きに対応し、政府は公的行為が合憲である根拠として、1)中立的であること、2)内閣の責任でなされていること、3)象徴としてふさわしい行為であること、の3つを上げる。憲法学者にとり、公的行為と憲法のすり合わせは戦後の一大テーマだった。
●「国民の天皇」
「戦争の影」をぬぐい切ることができなかったヒロヒト天皇と比較すると、アキヒト天皇は戦後の天皇としてずっと洗練されている。戦後形態の完成形といえる。被災地へ皇后と行き、膝をつき被災者の肩を抱いて語りかける。ヒロヒトにはできなかったし皇后を連れて行くこともなかった。被災者たちは心の底から感動する。アキヒトの50年の自己訓練の賜物で、みごとなパフォーマンスである。わたしは、国民一体を心の共同体という形で、民衆の内面に形成するための情の回路をみる。
民衆のあいだに社会的連帯のさまざまな形がつくられようとするとき、そして自立しようとする人びとの誇りやそれに対するわたしたちの共感が育とうとするとき、これに対抗し先回りして、天皇が心のモデルをつくる。「わたしは祈っている。願っている。こういう形であなたたち国民も同じように祈ってください。そうすれば国民一体をつくることができます」。このことは、現代の天皇主義の重要な中心点である。
●いま反天皇制とはどういうことか
わたしたちはいまなぜ天皇制に反対しなければならないのか。アキヒトの姿をみるとあまり悪くみえない。むしろいい天皇という見方が強い。
わたしたちはいろんな運動をやっている。どこかで社会的共同性にまとめていかないと政治的な力にならない。わたしたちが日常つくる運動、わたしたちの権利の主張、それらがつながりあってつくり出す社会的まとまり、連鎖こそ「公」でないといけない。こうした考え方を、国がつくろうとする「公」性と対置すべきである。
運動に立ち上がり自らの運命を自ら決しようとする人びとが、自分たちの運動を社会的共同性にまで自ら高めていくところに、民衆の自立性の展望がある。
ところが、「新しい天皇制」は高まっていこうとするその民衆の内面をとらえようとする。天皇は「その共同性は、おまえたちがわざわざ考えなくてもわたしが教えてあげるよ」という。これは人間的尊厳への深い侮辱であり、愚弄、嘲笑である。上にいるものの侮辱、愚弄、嘲笑を人びとはどうとらえ感じているのか。これを感じることを「民主主義的痛覚」と呼ぶ。いくらひどいものも、「ひどい」と感じない人にとってはひどくない。わたしたちに必要なのは「ひどい」と感じる感覚である。
民主主義的痛覚に立ちながら、運動を広げつなげていくところに、わたしたちなりの民主主義の形態をつくり出せるし、わたしたちなりの憲法の表現をつくることができるし、反天皇制運動をつくり出すことができる。
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