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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

新しいナショナリズムと横浜市の教科書採択

2011年11月12日 | 集会報告
11月にしてはなぜかばかに暑かった11月5日(土)午後、鶴見大学会館で九条科学者の会かながわの第16回学習会が開催された。
九条科学者の会かながわはちょうど6年前の2005年11月に発足した。これまでに15回学習会を開催し、講師は憲法学者、経済学者、歴史学者、社会学者、物理学者など多岐にわたる。この日の講師は加藤千香子さん(横浜国立大学教育人間科学部教授)、テーマは横浜市の教科書採択問題だった。
今年の教科書採択で育鵬社の歴史教科書は全国で4万8000部(シェア3.7%)採択されたが、横浜市はそのうち2万7000部を占めた。加藤さんの講演は約90分だったが、自由社・育鵬社歴史教科書の特徴に始まり、横浜での採択の経緯、学校教育全般の最近の問題、ポスト戦後・グローバル化時代の新しいナショナリズム運動、今後の展望など、濃密なものだった。わたくしには、08年まで横浜で多く使われた帝国書院と育鵬社の比較をした部分が本質をついており、とりわけ興味深かった。記事がいつもよりずいぶん長くなったので、採択当日の委員会のやりとりこのサイトのp14-20に掲載)や97年までの歴史の部分は省略している。

現代日本におけるナショナリズムと「教科書問題」
         加藤千香子さん(横浜国立大学教育人間科学部教授 日本近代史)

はじめに
2011年の教科書採択で育鵬社版の全国シェアは約4%に上る。横浜市、藤沢市、東京都大田区、広島県呉市などで採択された。過去と比較すると、はじめて「つくる会」教科書が登場した2001年には大きな反対運動が起こり社会問題化し、採択率は0.04%だった。その後05年には東京都杉並区で採択され、つくる会と教科書改善の会の分裂を経て09年の横浜市の8区での採択で1%を超えた。これがターニングポイントとなった。
この10年を振り返ると、急激な採択率上昇だけでなく、教科書問題の社会の取り上げ方が格段に変わったことが大きな違いである。いまではマスメディアに取り上げられることもほとんどなく、「既定の事実」のように受け止められている。0年代にいったい何が進行したのか、きちんと受け止める必要がある。

1 自由社・育鵬社版歴史教科書の特徴
自由社・育鵬社ともに、「新教育基本法と新学習指導要領の精神にもっとも適った教科書」であることを謳い文句にしている。「祖先から継承された歴史」であること、すなわち古代から連続している単一民族神話に基づくことを強調し、外国と日本を明確に分け、外国は日本の軍事的脅威として描いている。以下、自由社・育鵬社と帝国書院を対比しながら説明する。
歴史を学ぶ目的について、育鵬社は「日本という国は、古代に形づくられ、今日まで一貫して継続している(略)その理由は何なのかを考え」ることだとする。一方、帝国書院は「日本の歴史は、世界とのかかわりのなかでつくられてきた」とし、「社会はどのように発展し、政治、経済、文化はいかに変化したのだろう」「考える・なぞを解く」のが歴史の勉強だとする。帝国書院ほか一般の教科書は、最近の歴史学の研究成果である「東アジア文化圏」など交流を反映しているのに対し、自由社・育鵬社はあえて独自性、固有性を強調し、アジアと日本はこんなに違うという内容の違いにもなっている。また帝国は「変化・発展のなぞを考えよう」としているが、自由社・育鵬社は変わっていない、一貫して継続しているとする。そこで、日本内部での固定性、安定性が基本で、矛盾や支配・被支配関係が書かれない。身分制や社会運動の記述が極端に少なく、他の教科書と異なりアイヌ、朝鮮人などマイノリティはいっさい記述されず、日本人しか出てこない。一方、一体性の根拠は天皇を中心にした国のまとまりとされ、「現代の日本と世界」の章にも「昭和天皇」のコラムがあり、一貫して天皇が中心となっている。
女性は、他の教科書より多用されるが、扱いが問題で、たとえば与謝野晶子が11人の子の母であることなど日本女性としての生き方が強調される。日本文化の彩りの扱いである。
一方、外部との関係では、外国は軍事的脅威であることが強調される。そして日本は被害者で、日本の安全保障が繰り返し記述される。たとえば日清戦争について、育鵬社は、ロシアなど欧米列強に「自国の安全がおびやかされるという危機感」から「まずは朝鮮を勢力下に置く清に対抗するため、軍事力の強化」をしたという論理立てをする。一方、帝国書院は、まず帝国主義を説明し、「日本も欧米諸国のやり方をまねて朝鮮半島に勢力をのばそう」としたと、帝国主義のなかに日本を位置づけて日清戦争を記述している。はっきり違いがある。
また日本は欧米と対等になったが、アジアは世界に対応できなかったので、アジアを近代化するのが日本の使命だったという文脈で書かれている。
そのほか大きな特徴として、戦後歴史学や教育で定着してきた言葉や認識の組み替えを図ろうとしている。たとえば「帝国主義」は出てこないし、「市民革命」は欧米のもので混乱や恐怖政治を生み、明治維新は武士が公のために犠牲を払ったもので市民革命とは違うと位置付ける。「社会主義・共産主義」は、資本主義の弊害を解決するために現れたというのが従来の位置づけだったが、育鵬社・自由社は、「全体主義」と言い換え一党独裁でおびただしい犠牲者を生んだと説明する。
日本国憲法について、育鵬社は「GHQの意向に反対の声を上げることができず、ほとんど無修正で採択」されたと「押し付け」であることを強調し、平和主義について「わが国が独立国家として国際社会に責任ある地位を占めるようになるにつれ、多くの議論を呼ぶことに」なったと書く。帝国書院は「総司令部の『おしつけ』といわれることもありますが、三つの点で、新しい時代に対する当時の国民の期待がもりこまれて」いたと、位置づけがまったく異なる。自由社・育鵬社は改憲を視野に入れていることがよくわかる。
自由社・育鵬社の教科書の特徴は、日本人の民族の一体性と国際的な地位の再確認にウェイトを置き、従来の歴史認識を否定し組み換えることである。たんなる復古ではなく、ポスト戦後のグローバル化のなかのナショナリズムの教科書とみるべきである。

2 横浜市での自由社・育鵬社採択の経緯
なぜ横浜市でこういう教科書が採択されてしまったのか、その経緯を押えるべきである。横浜市では2000年代に入り採択方法に変更があった。まず01年に学校票がなくなりそのかわりに各区校長会から意見を提出することになった。しかしそれも05年に廃止され、学校が直接意見をいう場がなくなった。また05年までは、審議会の答申から事務局が案をつくるプロセスがあったが、09年にはそれもなくなり教育委員が答申をもとにすべて判断することになった。
また08年11月に「教科書採択にあたっては、教育委員会の権限と責任において採択してほしい」「教育基本法および学習指導要領改正の趣旨に照らして最もふさわしい教科書を採択してほしい」という請願を、教育委員会は「当然のこと」として採択した。ご丁寧にもおなじ趣旨の請願を半年後の09年5月にも採択し、これが立脚点となった。これ以降、市民団体の「学校現場の意見を反映する採択」という請願は不採択になり、一方「教育基本法に基づく採択」という請願が採択される結果になり、自由社採択への布石が敷かれた。こうして09年8月、異例の無記名投票で18区中8区で自由社教科書が採択された。
次に11年の採択には32件以上の請願が提出されたが、請願は教育長の専決事項に変更され、採択されることはなかった。そして8月4日、4対2で育鵬社が採択された。採択した4人はすべて中田宏・前市長が任命した教育委員である。

3 学校教育をめぐる変化――教育関係法規・学習指導要領遵守の前景化
採択に限らず、同時に横浜の学校教育全般に深刻な変化が起きていることを見る必要がある。新教育基本法を中心とする教育関係法規と学習指導要領を厳密に遵守するやり方が前景化している。そのもとでどんなことがあったのか。まず10年1月に「新学習指導要領に変ったのだから採択方針も変えるべきだ」という請願にもとづき、4月にこれまであった「内容」の「正確性」、「誤りや不正確なところはないか」が削除された。それに代わり「教育基本法、学校教育法及び学習指導要領をふまえること」が明記された。
また自由社採択に対し、横浜市教職員組合が10年3月に全組合員に配布した「歴史教育資料集」が大きな問題となった。市教委は、学校教育法に基づき教科書を必ず使用しなければならないという通知を各校長宛てに発出し、組合には警告文を送った。しかもそれで終わらず、市議会や国会でも問題となり、産経新聞は批判キャンペーンを繰り広げた。
学校教育法34条2項には「図書その他の教材の自由な使用」があるのに、あえて2項は無視し1項の教科書を使用する義務だけを取り上げた。法律等の前景化がめだつ。また、教育への政治の介入は当然のこととされ、現場の管理統制をするべきだという認識が進んでいった。教育の政治からの中立原則は掘り崩されている。国会やメディアでこういう状況が当然とされていることを深刻にとらえる必要がある。

4 自由社・育鵬社採択の時代的背景――新しいナショナリズム運動とその体制化
これまで横浜市を中心に述べたが、もうすこし全国的に、また時間軸を長くこの問題を俯瞰してみたい。そのなかで横浜は、0年代のナショナリズムの動きのなかでどういう位置を占めるか、時代背景をみる。
現代の教科書問題は、教科書検定で「侵略」を「進出」に書き換えたことが82年に報道され、アジア諸国から批判が起きたことに始まる。85年には近隣諸国条項が制定され、日本の加害の問題が浮かび上がり、90年の河野談話を経て95年には村山内閣のもと戦後50年決議が可決された。この事態に危機感を抱き97年1月「新しい歴史教科書をつくる会」、5月には日本会議が次々に発足した。日本会議の設立宣言で「冷戦構造の崩壊によってマルキシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は(略)新たなる混沌の時代に突入している。にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない」と指摘していることに留意すべきである。そのうえ草の根的な国民運動として急激に発展した。つくる会神奈川県支部は、県レベルで全国初の支部である。
さらに0年代になるとたんなるポピュリズム運動の段階にとどまらず、体制に関与し政治的影響力を行使するようになった。愛媛や東京の中高一貫校で相次いで「つくる会」教科書が採択され、文科省は「静謐な採択環境」という通達を出して応援した。
そのきっかけは「9.11」ではないかと考える。「国・国民の安全」「安全・安心の社会」が政治的課題となり、有事関連立法が次々に成立した。日本の安全を守るということはアジアの国を「脅威」ととらえることであり、北朝鮮に対しては拉致問題、韓国は竹島・独島、中国は尖閣諸島の領土問題が脅威としてあわせて出てきた。
さらに、新しいナショナリズムと新自由主義路線にたつ首長が台頭し政治的ヘゲモニーを握った。石原慎太郎都知事、山田宏杉並区長、中田宏横浜市長、橋下徹大阪府知事、河村たかし名古屋市長らが当選および再選・三選した。
そして教育改革の主導権をとり、教育基本法が「改正」された。01年に文科省が諮問し03年に答申が出て安倍首相の下、06年に改正された。
「改正」教育基本法の特徴として、愛国心の強調がよくいわれる。しかしもうひとつ重要なのは、教育行政について「国民全体に対し直接に責任を負う」という文言が削除され、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」と教育行政法律主義が明文化され、「国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下」と教育と政治の一体化が条文化されたことが大きい。ここが利用されている。新教育基本法を体現するかたちで、育鵬社教科書の母体の日本教育再生機構が06年に発足した。

おわりに――ポスト戦後・グローバル化時代のなかで
このように新しいナショナリズムはポスト戦後・グローバル時代に新たな処方箋を提示し、主導権を握った。戦後の基本であった教育基本法や制度が改訂され、近々憲法改定も明確なかたちをとるだろう。教育の分野では、教育と政治が一体化し、学校に強い管理統制が課されている。たとえば東京では日の丸君が代の強制で教員が大量に処分され、大阪では教育基本条例案が審議されている。育鵬社の教科書採択はこの動きと一体化して行われた。教科書だけの問題ではない。「時代の問題」であることを確認すべきである。たしかに対抗運動には根強いものがあるが、社会一般に浸透せず若者の関心が薄い。また市教委の権限が強く、請願を出しても新教育基本法や新学習指導要領のもと、「取るに足りない意見」として処理されており深刻な事態である。
グローバル化という新しい時代の主導権を握られ、すでに体制化されている。この事実を見据えると、オルタナティブなヴィジョンを考えることが必要である。いままで常識として考えてきたことを再考することも含め、徹底的に考える必要が出てきているのが現在ではないかと感じる。

☆あまりにも悲観的な講演だった。しかしこの10年を振り返ると納得できる点が多い。わたくしが天皇制に関心をもったのは99年8月の国旗国歌法成立だった。以降、国立二小・五小の問題を契機にどんどん事態は悪化した。わたくしが長期的にウォッチしたり関与したものでは、今年6月の最高裁の連続敗訴をはじめ、裁判は大江・岩波裁判を除きほぼ全敗、選挙も07年の川田・参議院選挙と今年の保坂・世田谷区長選を除き全敗だった。どうしてそういうことになったのか、この日のマクロな分析で少し理解できたような気がする。
しかし13日(日)告示、27日(日)投票の大阪市長選では、大阪を「第二の東京」にし教員の大量処分や免職を生み出さないために、できるだけのことをやりたい。

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2 コメント

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はじめまして (牛山馬男)
2011-11-17 12:09:13
ブログをはじめて拝見させていただきました。大変、勉強になります。

平田オリザは、東京ノートくらいまでしか知りません。今はどうなのでしょうか?

吉祥寺シアターは、いいスタッフが揃った劇場だと思います。
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牛山馬男さま (多面体)
2011-11-20 11:13:09
>平田オリザは、東京ノートくらいまでしか知りません。今はどうなのでしょうか?

青年団でわたくしがもっとも好きな演目は『上野動物園再々々襲撃』と『冒険王』です。
このブログで紹介したものは「眠れない夜なんてない」(2008年07月08日)、 「サンタクロース会議」(2008年12月26日)があります。ご参考まで
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