ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

1日8時間、 愛し合うこともできねぇ。

2014年06月24日 | 気になる言葉
1日8時間、
食っとることはできねえし、
飲んどることもできねぇ。

1日8時間、
愛し合うこともできねぇ。

…8時間もできるのは、
仕事しかない。

(この世で一番の奇跡、オグ・マンディーノ)

おいしいものを食べたいけれど、
8時間も食べ続けるなんて、
やっぱり無理。

8時間、ベットで愛し合う
っていうのも無理だろうし、
多分、眠気が勝っちゃうでしょう。

快楽や遊びを
とっかえひっかえするなら、
8時間は可能かもしれませんが、
1つだけをずっというのは、
ちょっと不可能っぽい。

けれど、仕事だけは、
それが出来ちゃう。その背景に、
仕事自体へのやりがいがあるか、
お金が欲しいという欲望があるかに
違いはあるとしても、
同じことをずっとやっていられる。

食べること等も仕事に変われば、
8時間できるかもしれませんね。
仕事じゃなければ、きっとやらない。

だから、その仕事が、
人をみじめにもすれば、
幸福な気分にもさせる。

GWとかお盆休みに
仕事を休んでいる時でさえ、
心を支配してしまうことだってある。

何を、自分の仕事とするか。
これって、本当に大切なんですね。

きっと、お金が世の中からなくなっても、
生きるための仕事は残るはずですから。
仕事がある以上、お休みもあるはず…

もちろん、
家族に対する仕事も
ありますしね。

大切なのは、いろんな人を通して、 自分が生きていられるってことでしょう。

2014年06月23日 | 気になる言葉
きんぴら牛蒡に
ひじきの白和え、風呂吹き大根。
どれも昔っからある料理で、
あたしの好物ですよ。
そして、食べる度に思うんです。
これを考えたのは一体、
何処の誰だろう、ってね。

多分、最初から今の形が
あったわけではないと思います。
色々なひとの手が加わり、
工夫が重ねられて
今に伝わったのではないか、と。...
今、あたしらが口にする料理は、
多くの名もない料理人たちの手を経て
伝えられたものなんでしょうね。

(想い雲、高田郁)


この本を読んでて
ふとこんなことを思いました。

自分のルーツを
さかのぼれば、

無名の父母がすぐ上にいて、
もっともっとさかのぼれば、
もしかしたら誰かしら、昔々の有名人に
たどりつくかもしれない、
なんて思います。

そこにたどりつくまでには、
何人もの無名の人々が、
この自分に血をつなげているでしょう。

自分のルーツに、
有名なひとがいれば、
自信が湧いてきて、

そうでなければ、
自尊心すら持てない、
なんてことはないようにしたい。

大切なのは、いろんな人を通して、
自分が生きていられるってことでしょう。

若い頃は、あんまり、
そんなこと考えなかったなぁ~

少しのことで、くじけるな。 あきらめるな。 だいじょうぶ、 もう一度がんばりだそう、

2014年06月22日 | 気になる言葉
少しのことで、くじけるな。
あきらめるな。
だいじょうぶ、
もう一度がんばりだそう、
と私はうなずく。

他人とくらべないでいい。
わたしはわたし。
思ったとおりに最善を尽くそう。
できるかぎり、努力しよう。
そうして、自分から幸運をつかもう。

(もうひとつのグッドラック物語、アレックス・ロビラ)

なんだかくじけてしまうのは、
疲れているせいかもしれない。

ちょっと元気が戻るまで、
休んでみると、
考え方も、気分も、
らくーになって、
がんばり始められることがある。

がんばることに疲れたり、
ゴールが遠く感じたり、
他人と比べすぎて落ちこんだりしたら、
とにかく休もう。

ベストな力を出すためには、
頭のなかからベストにならないと、
無理なんだと思う。

プラス思考を
いくら思い込ませようとしても、
疲れていたら、それも出来ない。

くじける方向に
考え始めたら、
誰だって、
くじけてくる。

まわりの環境のせいばかりでもない。
自分の内面に、
解消されない思いが
溜まりすぎているせいもある。

ストレスのない世界、
プレッシャーのない社会もない。

けれど、それを
溜めすぎない工夫は、
いくらか自分でもできる。

疲れをとって、
ベストな力を
引き出せる自分になりたいものです。

あなたの今の生き方は、  どれくらい生きるつもりの  生き方なんですか?

2014年06月21日 | 気になる言葉
「明日死ぬとしたら、
 生き方が変わるんですか?」

「あなたの今の生き方は、
 どれくらい生きるつもりの
 生き方なんですか?」

(終末のフール、井坂幸太郎)


毎日を大切に生きていくことの
大切さを感じさせてくれる言葉です。

あとどれくらい生きるつもり?

なかなか手強い質問です。

平均的な寿命から考えて、
あと何年生きられるか、
ということじゃないと思う。

どれだけ長生きしたいか、
という話でもない。

この小説の中では、
8年後に小惑星が地球に落ちてきて、
地球が滅亡するという設定だけど、

自分の人生の長さを
自分で決められるとした場合、

もちろん自殺でもないし、
数百年とかの寿命を望むわけでもなく、
自分で決められるとして、

何をするために、
どれだけの時間を生きているか。

この問いに答えるのは、
なかなか難しいと思う。

生きているうちに考えて、
結論を出す以外に方法はない。

これだけのことをするために、
これだけの時間をください、
という申請方式の人生だったら、
どうなるんでしょうね。

いや、そんなことのためには、
そんなに多くの時間はあげられません。
なんて答えもありそう…

ある意味、企画書を出すような感じですね。

今の私は、何のために、
どれくらい生きるつもりで
生きているんだろう。

まだ分かってないです。

私自身は、自分のことを うまくさらけ出せないなぁ... って何度も考えさせられる。

2014年06月20日 | about me
心からの言葉だけど、
言葉にしてしまうと、
ぜんぜん足りない。

(黄色い目の魚、佐藤多佳子)

Facebook、Twitter、LINE、
mixi、ブログ、メルマガ、などなど。

言葉で発信されるものは、
いろいろあるけれど、

私自身は、自分のことを
うまくさらけ出せないなぁ...
って何度も考えさせられる。

身に起きた出来事とか、
面白おかしく、具体的に
書ける才能があったら、
いいなぁと思うこともあるけれど、

どうしても、
抽象的な表現に逃げてしまうのは、
やっぱり、ぜんぶ出すのが怖い、
という心理状態があるからだろう。

たしかに、ある種の、
見栄っ張りも入っているだろうし、

ぜんぶ知られてしまったら、
自分には何も残らない気もする。

あと、それに
「依存」することへの不安や、
それを出す場所が、
なんとなく信用できない、
っていうのもあるだろう。

リアルな社会がすべてではないし、
心の中の自分だけがすべてでもないし、
バーチャルな世界に見せてる自分も
すべてではない。

そう考えると、
ホントの自分って、
どこに表れるんでしょうね。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^