ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

テレビは短い時間で はっきりした結論を出すことを 非常に好むメディアです。

2014年05月31日 | 気になる言葉
テレビは短い時間で
はっきりした結論を出すことを
非常に好むメディアです。

「こういう可能性がある、
 そうではない可能性もある」
といった曖昧な話よりも、
「これは危険です!」
「これなら安全です」
といった断定的な言い切り型、
単純明快型を好みます。
善か悪か、白か黒か
といった二元論で
スッパリと切り分けて
しまうのです。

(テレビに破壊される脳、和田秀樹)




テレビ、ラジオ、
新聞、インターネット、
いろんなメディアをあげて、

1日にどれくらいの時間、
それぞれと付き合っているかを、
振り返ってみれば、
自分の志向が見えてくる。

わたしは、
1.インターネット
2.ラジオ
3.テレビ
4.新聞
5.その他、かな。

東日本大震災以降、
わたしのなかで、
ラジオの順位はアップしたように思う。

ただ、あの地震が起きた瞬間には、
偶然にも、ラジオを聴いていた。



あらゆるメディアを
嫌う必要はないだろう。

どんな付き合い方がいいか、
自分なりに探してみるのがいいと思う。



考えるな、というのは、 考えている暇があったら 動けという意味で・・・・

2014年05月30日 | 気になる言葉
考えるな、というのは、
考えている暇があったら
動けという意味で、

つまりは、
迷うなということなのだろう。

(ヴォイド・シェイパ、森博嗣)


人は、考えることなしに、
最適な行動は出来ないだろうけど、
考えすぎることで、
そこから遠ざかってしまうことも多い。

何ごとも
頭だけで分かろうとするのは、
人間の悪いクセで、

今のような情報化社会では、
特にありがちなことだと思う。

「知った」だけで、
「分かった」ような気がしてしまう。

けれど、本当に、
自分の身になる、身につく、
っていうのは、

やっぱり、行動できるように
なってからの話なのではないだろうか。

行動に結びつかない情報は、
コレクションでしかない。

ただ、
ああだこうだと考えてるだけで、
何の結論にも到達しないのなら、

それは、情報が足りない、
っていう場合もある。

行動を起こさなくても
探すだけで
集まってくる情報もあるけれど、

行動して初めて
見えてくる「情報」もある。

いずれにしろ、
ムダに考えすぎずに、
行動を始めてみようっていうことかな。



転んでもいいように 人間はできている。

2014年05月29日 | 気になる言葉
転んでもいいように
人間はできている。

だから君も立ち上がれる。
何度でも。

(どんぐり倶楽部サイト、糸山泰造)




私の顔には、
ちょっとしたキズが残っています。

2年ほど前、
深夜に自転車で帰宅中に
ちょっとした段差でつまずき、
顔面から路面にぶつかった時のもの。

うまく転べませんでした。
冬の寒さのせいか、
手が前に出るのが遅くなり、
痛々しいキズができたわけです。

それでも、キズは治ります。

もし、転ぶときに、
うまく手をつければ、
キズは軽くすんだことでしょう。

転び方にうまい下手はあっても、
人間は起き上がれます。

キズの治りが遅くても、
キズ跡が残っても、
立ち上がることができれば、
また歩くこともできます。

転ばないための心や体じゃない。

キズつくことも覚悟の、
転んでも起き上がるための
心や体なんです。

多様だ多様だと言いつつ、 老いと死において 人は皆同じ道を行く。

2014年05月28日 | 気になる言葉
多様だ多様だと言いつつ、
老いと死において
人は皆同じ道を行く。

(死にゆく者の礼儀、遙洋子)




いろんなものを選び、
自分の好きなことや考えを
価値観と堂々と呼ぶことができ、
自由に生きられる時代。

だから、
いろんな自由があるように
思えるけれど、

人がカラダ的に老いていき、
しっかりと死に向かっていく点では、
みんなが同じ。
そこに、自由な選択があるようには
見えない。

自由があるとすれば、
そのカラダ的な老いに
しばられない点で、
どんな生き方をしていくか、
ということでしょう。

それは、
人によっては、
老いを待たずとも、

持病を抱えたり、
ケガを負ったりして、
自由を狭められることもあるから、
似たような経験をする人もいます。

それでも、若いときには、
治った瞬間から、
それらの経験を忘れられる。

いくらか年を重ねると、
それらの経験と、
老いというものの実態が、
なんとなく体で分かってくる。

老いと死は、
みんなが進んでいく道。

それらを、
人生のどの時点から考えて、
どう生きていくか、
大切なことですよね。

老いも死もなければ、
人間の生き方なんていうものは、
「価値観」というものを振りかざして、
好き勝手なことばかりするように
なるでしょうから。



この乱れに乱れた世から 眼をほかにそらせてはいけない。

2014年05月26日 | 気になる言葉
この乱れに乱れた世から
眼をほかにそらせてはいけない。
どんなことがあっても、
人間が生きひしめきあっているこの現世から
足を外してはいけない。そうではないか、
この人という名で呼ばれている輩と共に生きるのでなくて、
他の何ものと共に生きようというのであるか。
所詮、鳥獣の群れに入ることはできないのだ。

(孔子、井上靖)





矛盾だらけの世の中から、
解放されたい、自由なところはないか、
と多くの人が思っているはずです。

多分、太古の時代に、
自給自足をしていた頃は、
ある意味、それも可能だったことでしょう。

少ない人間関係で、
依存する部分も少なく、
遠い他国の出来事が、
自分に何らかの影響をもつことなんて、
考える必要もない時代だったでしょうから…

しかし、今は違います。
実際に、対話するか、
コミュニケーションするかに関わらず、
これだけ便利になった社会では、
複雑に人間関係、社会利益関係が
からみあっています。

現実として、乱れた世、乱れた人間から
遠ざかって生活するのは、
かなり無理なことでしょう。

言葉通り、鳥獣にはなりえません。
不本意で、無人島にでも流れ着かない限り、
衣食住のすべてを、自らの手で、
自然環境から見つけ続けるなんてことは…

あきらめて…、
という表現が適切かは分かりませんが、
同じ人間として乱れた世に身を置き、
自分の甘えの結果という責任も
いくらか引き受けながら、
乱れた痛みを共有していかなければ、
世の中がよくなることはないんでしょうね。

ただ、時には、心をどこか別に向けることにより、
喜びも残されている世の中であることに
間違いはありません。
それを忘れないでいたいものです…




買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^