ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

あって当たり前

2018年07月31日 | 気になる世間

「あれば便利」は、
いつの間にか
「あって当たり前」になる。

(寂しい生活、稲垣 えみ子)






私が使っているパソコン、カメラ、ビデオ・・・

店に行けば、もっと高性能な新品が必要だ、
と言われそうなものばかり。(´-ω-`)

たしかに、新しいものはいいでしょう。

でも、古いものを使いこなせている自分の方が、
新しいものを使いこなせないまま
支払いに追われている自分より幸せな気がします。(^.^)

ちょっと気になるあの品、この品

願わくば、認知症を防ぎ、すんなり死にたい。(^.^)

2018年07月30日 | 健康

些細なことの中に
大きな問題が隠れている

(どうすれば愛は長続きするか、バーバラ・アンジェリス)



先日、なりたい年寄りの項目リストを作ったら、
ささいなことが並ぶ、面白いものが完成しました。

その中のひとつ。

願わくば、認知症を防ぎ、すんなり死にたい。(^.^)

周囲の「なりたくない年寄り」を観察して、
それが出来たわけで、今から気をつけなくっちゃ。( ´ ▽ ` )ノ

読書のしずく



人をうらやんだり嫉妬したりせず・・・・

2018年07月29日 | 気になる言葉

人をうらやんだり嫉妬したりせず、
こいつはこいつ、自分は自分と
無理せず思えるようになったのは、
いくらか成長した証かもしれない。

(忘れ物が届きます、大崎梢)






人が焦るとき、
っていうのは、
誰かと自分を比べた時、
っていうのが多いように思います。

もっと頑張らなきゃ、
もっと良くならなきゃ、
もっと稼がなきゃ、
もっといい人見つけなきゃ、
もっといい物買わなくちゃ...

こういう感情になるのは、
その誰かの何かを見た時か、
あるいは誰かの話を聞いた時でしょう。

だったら、
見なきゃいい、
聞かなきゃいいってことにもなります。

しかし、耳をふさいで、
目をつむり続けることも出来ない。

結局、いろんな雑音に埋もれ、
その時々感じる焦りや、うらやみに
振り回され、気を散らされながら、
いつまでも、本当の自分を
つかめなかったりする。

残るのは、なんだか分からない
「疲れ」ばかり...なんてことも。(´-ω-`)

自分は自分なんだ、
と認められる時間も
人生にあったほうがいい。

あんまり吹き飛ばされないように。( ´ ▽ ` )ノ


読書のしずく





ごみ屋敷を容認する言葉ではないですよ。

2018年07月28日 | 気になる言葉

人は汚いもきれいも一緒に
生きてこそ、人の全体なのじゃないか
と思うのだけど、

あるいは生きざるを
得ないんじゃないか
と思うけど、

でも私が本当に
肝っ玉がすわっていたら、
えー、板の間のゴミ、
それが何ぼのことだ、

死にゃせん、
このゴミの集積こそが、
人間が生きている
何よりの証しだと言いたい。

いつか言えるような人に
私はなりたい。

(ヨーコさんの"言葉" それが何ぼのことだ、佐野 洋子)




ごみ屋敷を容認する言葉ではないですよ。(^.^)

清潔感があって、ゴミを捨てて捨てて、
捨てて、捨てつくしても、生きている限り、
ゴミは出る。どこかで共存するバランスを
見つけないと、キリがないもんです。




ちょっと気になるあの品、この品



人は誰しも、自分のことをわかってほしい生き物。

2018年07月27日 | 気になる世間

人は誰しも、
自分のことを
わかってほしい生き物。

(ハーバード流宴会術、児玉教仁)






人前で話すような場面で、
うん、うん、
とうなずいてもらいながら、
話すのは、とても心地いい。

けれど、
うなずかれないどころか、
うつむかれたり、
コソコソ話されたりすると、
話し続けることが
なんとなく苦しくなってくる。(´-ω-`)

わかってもらえてる、
という安心感は、
自分の自信を強めてくれる。

だから、
わかってもらえていない、
と思える人々を前に、

わたしたちは
自分の力を出すことに
抵抗が出てきたり、
躊躇したり、
怖れたり、
逃げたりしたくなる。

出来れば、
自分が何かをする時には、
「わかってもらえる」ような環境を
お膳立てしてから、
(あるいはお膳立てしてもらってから)

がんばりたいと願うでしょう。

けれど、いつも、
そうなるとは限らない。

そこで、
お膳立て(もしくは根まわし)に
力を注ぐことにもがんばるか、

お膳立てなしで
ぐいぐいがんばるか、

の選択になる。

どちらがいいかな。(^.^)


読書のしずく

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^