グダグダと話し続けるのは蕎麦屋では「粋」でないのだがブログなので勘弁してもらう。前回の続き。
さて、昔はわざわざ東京にまで出かけていって「蕎麦屋で酒を呑む」をやらなくてはいけなかったのだが、最近はうどん王国関西にも旨い蕎麦を出す店が増え、それに伴い、呑める蕎麦屋もあちこちに出来てきた。もちろん伝統はないが、そういうことにこだわらなければさほど問題ではない。
ただ、最近の「こだわりの蕎麦屋」には肌に合わない店も多いのである。
以下は、僕が勝手に一人で思っていることであり、店の好みは人それぞれなのでブツブツ言うのを許して欲しいと思う。
僕は蕎麦屋で呑むときの気分は、「ちょっと独りで一杯やりたい」からである。そういう気分だから蕎麦屋に腰をかける。決して晩餐気分ではない。これは「粋」を身上とする江戸っ子の方々もわかってくれると思う。
しかるに、最近の「酒も呑める蕎麦屋」はちょっと違うのだ。
あくまで「悪い」と言っているのではない。もちろん好みの問題だと断わっておきます。
ひとつに、まず肴が充実し過ぎている。天ぷらを頼むと、コゴミやタラノメなどの山菜、果ては鯊や穴子などが綺麗に盛られて登場することがある。おいおい、蕎麦屋で天ぷらと言えば海老かかき揚げに決まっているじゃないか。あわててメニューを見ると(品書きとは言わない)、実に刺身が充実している。今日は鯒とアオリイカがお薦めだそうだ。うーん…。
そもそも、蕎麦屋の酒のアテというのは、蕎麦の種物の流用から始まったはず。だから、板わさ、玉子焼き(蕎麦汁で作る)、焼海苔、天ぷら、芋わさび、鰊の棒煮くらいがせいぜいのところ。蕎麦屋だから、蕎麦が主であって、酒のために肴をわざわざ作るなんてことはなかった。また客もそういうもので呑みたいから来るのであって、刺身が食べたければ居酒屋か割烹に行く。そういうところに限って「そばがきは出来ない」とか言う。不思議でしょうがない。これでは蕎麦も出す小料理屋だ。
酒も実に充実していたりする。「十四代と神亀はうちでは全部そろっています」などと言う。酒の種類が巻紙に書いてある。うーん…。まず酒を選ぶだけで時間がかかってしまう。
蕎麦屋の酒、といえば品書きには「酒」としか書いてないのが普通。「正一合」などと書いてあると嬉しいものだ。それでも酒の種類が聞きたくなって聞けば「ウチは灘の生一本でぃ! べらぼうめ」などと威勢良く言ってくれたりすると更に嬉しいのだがまあそれはさておき。
酒や肴が充実していて何が文句があるんだ、と言われそうで全く困るのだが、蕎麦屋にそれを望んではいないのである。つまり「トリ貝の炙りに雲丹豆腐、それに久保田の大吟醸」を所望するときには銘酒居酒屋へ行く。「酒」と頼んだら直ぐに出てくるのが蕎麦屋。もちろん不味い酒は論外だが、美味しい酒を吟味して、客には「燗か冷やか」を選ばせるに留まって欲しい。それでこそ蕎麦屋だ。
並木藪の酒は「菊正宗」の樽で、樽の香りがまことにかぐわしくて旨い。イメージとして灘の酒は合うな。悪名高い灘の酒だが、「菊正宗」「剣菱」「多聞」とか言われると雰囲気が出て結構嬉しい。(「大関」や「日本盛」「沢の鶴」はどうかと言われれば困るが)
そんなふうに蕎麦屋には「シンプルさ」を求めたいのだが、もう一つ言うとすれば、蕎麦屋には「独酌をしたいから行く」のである。
一人で杯を傾ける楽しさ。なにものにも煩わされず呑む楽しさ。それを求めて蕎麦屋へ行く。そして、蕎麦屋で何時間も呑み続けるなんてちょっと考えられない。短時間でさっと切り上げる。連れ立って宴会をやりに行くのではないし、またしたくはないのだ。
従って、酒肴を充実させ酒の種類を整えるということがかなり疑問なのだ。そういうことは居酒屋でやれば良い。また、愚痴を言いつつチビチビ同僚とさしつさされつ呑むのにも向かない。さっと呑んでさっと手繰ってさっと切り上げる。そうでないと蕎麦がのびるぞ。
だから、最近出来てきた「蕎麦ダイニング そ・Bar」(例えばですが)なんて名前のお洒落な空間なんてのは理解に苦しむ。ワインとカクテルを充実させました、だと? 間接照明にしてスタイリッシュな雰囲気作り。カウンター席がずらり。あげくの果てに「蕎麦は塩で食べて下さい」。好みだから勝手と言われればそれまでだが僕は絶対に行かない。おそらく池波先生も行かないだろう。
やはりこれは伝統なのだろうか。伝統がないとそういう方向に走るのだろうか。東京在住の人は実に羨ましい。まだまだ「粋」な蕎麦屋が健在なのだから。
さて、昔はわざわざ東京にまで出かけていって「蕎麦屋で酒を呑む」をやらなくてはいけなかったのだが、最近はうどん王国関西にも旨い蕎麦を出す店が増え、それに伴い、呑める蕎麦屋もあちこちに出来てきた。もちろん伝統はないが、そういうことにこだわらなければさほど問題ではない。
ただ、最近の「こだわりの蕎麦屋」には肌に合わない店も多いのである。
以下は、僕が勝手に一人で思っていることであり、店の好みは人それぞれなのでブツブツ言うのを許して欲しいと思う。
僕は蕎麦屋で呑むときの気分は、「ちょっと独りで一杯やりたい」からである。そういう気分だから蕎麦屋に腰をかける。決して晩餐気分ではない。これは「粋」を身上とする江戸っ子の方々もわかってくれると思う。
しかるに、最近の「酒も呑める蕎麦屋」はちょっと違うのだ。
あくまで「悪い」と言っているのではない。もちろん好みの問題だと断わっておきます。
ひとつに、まず肴が充実し過ぎている。天ぷらを頼むと、コゴミやタラノメなどの山菜、果ては鯊や穴子などが綺麗に盛られて登場することがある。おいおい、蕎麦屋で天ぷらと言えば海老かかき揚げに決まっているじゃないか。あわててメニューを見ると(品書きとは言わない)、実に刺身が充実している。今日は鯒とアオリイカがお薦めだそうだ。うーん…。
そもそも、蕎麦屋の酒のアテというのは、蕎麦の種物の流用から始まったはず。だから、板わさ、玉子焼き(蕎麦汁で作る)、焼海苔、天ぷら、芋わさび、鰊の棒煮くらいがせいぜいのところ。蕎麦屋だから、蕎麦が主であって、酒のために肴をわざわざ作るなんてことはなかった。また客もそういうもので呑みたいから来るのであって、刺身が食べたければ居酒屋か割烹に行く。そういうところに限って「そばがきは出来ない」とか言う。不思議でしょうがない。これでは蕎麦も出す小料理屋だ。
酒も実に充実していたりする。「十四代と神亀はうちでは全部そろっています」などと言う。酒の種類が巻紙に書いてある。うーん…。まず酒を選ぶだけで時間がかかってしまう。
蕎麦屋の酒、といえば品書きには「酒」としか書いてないのが普通。「正一合」などと書いてあると嬉しいものだ。それでも酒の種類が聞きたくなって聞けば「ウチは灘の生一本でぃ! べらぼうめ」などと威勢良く言ってくれたりすると更に嬉しいのだがまあそれはさておき。
酒や肴が充実していて何が文句があるんだ、と言われそうで全く困るのだが、蕎麦屋にそれを望んではいないのである。つまり「トリ貝の炙りに雲丹豆腐、それに久保田の大吟醸」を所望するときには銘酒居酒屋へ行く。「酒」と頼んだら直ぐに出てくるのが蕎麦屋。もちろん不味い酒は論外だが、美味しい酒を吟味して、客には「燗か冷やか」を選ばせるに留まって欲しい。それでこそ蕎麦屋だ。
並木藪の酒は「菊正宗」の樽で、樽の香りがまことにかぐわしくて旨い。イメージとして灘の酒は合うな。悪名高い灘の酒だが、「菊正宗」「剣菱」「多聞」とか言われると雰囲気が出て結構嬉しい。(「大関」や「日本盛」「沢の鶴」はどうかと言われれば困るが)
そんなふうに蕎麦屋には「シンプルさ」を求めたいのだが、もう一つ言うとすれば、蕎麦屋には「独酌をしたいから行く」のである。
一人で杯を傾ける楽しさ。なにものにも煩わされず呑む楽しさ。それを求めて蕎麦屋へ行く。そして、蕎麦屋で何時間も呑み続けるなんてちょっと考えられない。短時間でさっと切り上げる。連れ立って宴会をやりに行くのではないし、またしたくはないのだ。
従って、酒肴を充実させ酒の種類を整えるということがかなり疑問なのだ。そういうことは居酒屋でやれば良い。また、愚痴を言いつつチビチビ同僚とさしつさされつ呑むのにも向かない。さっと呑んでさっと手繰ってさっと切り上げる。そうでないと蕎麦がのびるぞ。
だから、最近出来てきた「蕎麦ダイニング そ・Bar」(例えばですが)なんて名前のお洒落な空間なんてのは理解に苦しむ。ワインとカクテルを充実させました、だと? 間接照明にしてスタイリッシュな雰囲気作り。カウンター席がずらり。あげくの果てに「蕎麦は塩で食べて下さい」。好みだから勝手と言われればそれまでだが僕は絶対に行かない。おそらく池波先生も行かないだろう。
やはりこれは伝統なのだろうか。伝統がないとそういう方向に走るのだろうか。東京在住の人は実に羨ましい。まだまだ「粋」な蕎麦屋が健在なのだから。
最近は昔すっかり飲めなかった日本酒が好きになってきました。でもやっぱり燗は苦手かな。
私は友人とよく決まったお蕎麦屋さんで飲みます。時間がそんなにないときって便利なんですよね。サイドメニューもお豆腐や天婦羅、漬物もあるし!!ちなみにそばはいつもとろろでーす
燗酒は、立ち上るアルコール臭が苦手だという人が多いですね。だから「熱燗」はダメなんだ。酒からの湯気でむせ返る。やはり「人肌」が最高です。
「燗酒」の温度については以前もボヤいたことがありましたがもう一度語ってみたい(誰も望んでないって? ^^;)。
いつも楽しみに拝見しています。
お蕎麦屋さんでお酒を飲む、なんて気付きませんでした。今度行ったら周りを見てみます。
私は麦焼酎をお湯割でカボスを入れて飲むのが好きです。肴は辛明太子。または卵焼き。
最近は機会がありませんが…
麦焼酎のお湯割、カボスの香りとはいいですねー。しかも肴は辛子明太子に卵焼きとは渋い。ちょっと止まらなくなる組み合わせだなぁ、僕だと(笑)。
博多の屋台で明太子入り卵焼きで何杯も焼酎を呑んじゃったのを思い出します。
これからもどうぞ宜しくお願いします♪