ちょっといつもの「歴史if」とは毛色の違う話をしようと思う。「源氏物語」についてである。全然ifにならないかもしれないが。
日本が世界に誇る長編大河小説、源氏物語。
その成立は11世紀初頭と言われる。長編小説としては世界最古である。これは驚くべきことだ。「水滸伝」よりもダンテの「神曲」よりも古い。これは世界文学史上の奇跡であると言われる。まさにそうであろう。
源氏物語との出会いは、やはり古典の授業であった。「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に…」と暗唱したが、古文はとっつきにくく全体像を掴みにくい。受験時に、わかりにくいので家にあった「与謝野晶子訳源氏」を読もうとしたのだがこれも難しくブン投げてしまい、困った僕は大和和紀のコミックス「あさきゆめみし」を手にとった。これですっかり源氏物語にハマッてしまい、その後「田辺聖子訳源氏」を読んでようやく全貌をとらえるまでに至った。そういう経緯である。
源氏物語は本当に面白い。しかし、僕の能力のせいもあるのだが実にわかりにくい小説である。千年前ということもあるのだが、なんせ内容が複雑なのである。光源氏があちこちで恋愛をし過ぎるために小説内でパラレルワールドが幾重にも広がり、それが小説の重層的魅力になっているのだが、源氏があっちで恋をしこっちで悲しみそっちで慈しんだりするのでなんだか分裂症になったような気分になる。しかしそれが大河小説というもので、そのことに疑いをもったりすることはなかった。
そうこうするうちに大人になり、僕はあるとき藤本泉「源氏物語の謎」という本を手に取った。
そこには、実に興味深いことが書かれてあった。源氏物語が紫式部の作であるということに一分の疑いも持たなかった僕であったが、それから僕は源氏物語に別の視点を見つけることになる。果たしてこんなに長い小説を紫式部は一人で書いたのか? そして、藤原氏全盛の時代にこんな時の為政者を貶めるような小説が本当に膾炙したものなのだろうか? 疑問は深まる。
源氏物語はその内容構成によって通常は三部に分かれると言われる。第一部は「桐壺」から「藤裏葉」まで。源氏が生まれて様々な恋の遍歴を経て、最終的に隠し子である冷泉帝が即位し、娘は東宮となり自らは準太上天皇となって栄華を極めるストーリーである。第二部は、「若菜」から「幻」まで。光源氏の権勢にも翳りが見え、最愛の妻紫の上にも先立たれて自らも死を迎える。そして第三部は「匂宮」から「夢の浮橋」まで。「宇治十帖」を含む光源氏の子孫の話である。
その第一部の話であるが、この33巻の話は二系統に分かれる、という説がある(古来よりあった「並びの巻」という話についてはちょっと置く)。
武田宗俊氏が唱えた説では(孫引きなので申し訳ないが)、この33巻は「紫の上」系統と「玉鬘」系統とはっきりと分かれるらしい(この~系統という言い方は便宜上のものであるが)。つまり紫の上系統は「桐壺」「若紫」「紅葉賀」「花宴」「葵」「賢木」「花散里」「須磨」「明石」「澪標」「絵合」「松風」「薄雲」「朝顔」「少女」「梅枝」「藤裏葉」である。もし手元に源氏物語か、あるいは国語便覧でもあったら参照して欲しい。これ以外の「帚木」「空蝉」「夕顔」「末摘花」から「蓬生」「関屋」、そして「玉鬘」以下十帖は別系統である、という説である。
「紫の上」系の話は、これだけで完結している。母桐壺を亡くした源氏は母に生き写しの藤壺に恋し、想いをとうとう遂げるが最後まで罪の意識に苛まれる。そしてその藤壷にもまた似た少女紫の上を手元で育て上げ正妻にする。最初の妻葵の上は六条御息所の生霊に憑かれて死ぬ。しかしその遺子夕霧は立派に成長。都落ちした源氏との明石の上とのロマンス。その娘明石中宮は入内。藤壺との秘密の子は即位。幸せな話である。しかもさほど浮名を流すイメージはなく割合に誠実な人格が浮かび上がる。ストーリーはこれだけで成立している。
しかしながら、「帚木」以下のストーリーは源氏を急にプレイボーイにしてしまうのである。「桐壺」であれだけ藤壺との禁断の恋に悩んだ源氏が急に「雨夜の品定め」をやるので読者は驚いてしまう。ここが物語に重層的厚みを持たせてはいるのだが、まるで人格が変わる様にも取れる。そこが源氏物語の魅力であり、また戸惑うところでもあるのだ。この戸惑いは読後、非常に物語に深みを持たせる要因にはなるのだけれども。
もしも、源氏物語がこの「紫の上」系統17帖でいったん出来上がっていて、「玉鬘」系統16帖が後から挿入されたものだとしたら。
痕跡はいくつも残っているのだが、その最たるものは、玉鬘系統に出てくる個性的な女人達は、一切紫の上系統には登場してこないということである。夕顔、玉鬘、空蝉、そして軒端荻、末摘花etc.。この末摘花という面白い女性は巻6に登場するので、もう少し後にも頻繁に登場してもよさそうなものだが、紫の上系統の話には全く出てこない。実に不思議なことである。紫の上系統の話で先に完結していて、後にエピソードをいろいろ挿入した証拠ではないのか。
話のトーンもこの両系統では違う。紫の上系統が、光り輝く源氏の賞賛譚だとすれば、玉鬘系統はプレイボーイ源氏の色話であり、そして何故か源氏の失敗話も多い。源氏の人間味が溢れているのはむしろ玉鬘系統の話で、栄光の光源氏の人間性に厚みを持たせてはいるが、やはりアナザー・ストーリーなのである。
源氏物語は、結論を言うにはまだ早いがやはり紫の上系17帖でいったん物語として完結していて、その後玉鬘系統が書き足され、そして第二部、第三部と続編が書かれて完成したと考えるほうが自然である。
では、紫式部が書いたのは一部紫の上系統17帖だけなのだろうか? いや、この17帖も紫式部の手によるものなのだろうか。
この源氏物語は、複数作者の手によるものであったとしても作品の価値は全く下がらないと断言できる。しかし、その評価のされ方はずいぶん違ったものになっただろう。世界で訳されて日本を代表する作家とも言われる紫式部。当時ノーベル賞があれば文学賞間違いなしだ。しかしその作者が特定できないとなれば、これは様々に難しい問題を内包してしまうことにもなるだろう。
そして、この小説はもちろん恋愛小説なのだが、もうひとつ「風刺小説」の側面が大きいのだ。この側面の解明なくして正当な評価を源氏物語に与えることなど出来ないのではないか。
もう少し書いてみたい。次回に続く。
日本が世界に誇る長編大河小説、源氏物語。
その成立は11世紀初頭と言われる。長編小説としては世界最古である。これは驚くべきことだ。「水滸伝」よりもダンテの「神曲」よりも古い。これは世界文学史上の奇跡であると言われる。まさにそうであろう。
源氏物語との出会いは、やはり古典の授業であった。「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に…」と暗唱したが、古文はとっつきにくく全体像を掴みにくい。受験時に、わかりにくいので家にあった「与謝野晶子訳源氏」を読もうとしたのだがこれも難しくブン投げてしまい、困った僕は大和和紀のコミックス「あさきゆめみし」を手にとった。これですっかり源氏物語にハマッてしまい、その後「田辺聖子訳源氏」を読んでようやく全貌をとらえるまでに至った。そういう経緯である。
源氏物語は本当に面白い。しかし、僕の能力のせいもあるのだが実にわかりにくい小説である。千年前ということもあるのだが、なんせ内容が複雑なのである。光源氏があちこちで恋愛をし過ぎるために小説内でパラレルワールドが幾重にも広がり、それが小説の重層的魅力になっているのだが、源氏があっちで恋をしこっちで悲しみそっちで慈しんだりするのでなんだか分裂症になったような気分になる。しかしそれが大河小説というもので、そのことに疑いをもったりすることはなかった。
そうこうするうちに大人になり、僕はあるとき藤本泉「源氏物語の謎」という本を手に取った。
そこには、実に興味深いことが書かれてあった。源氏物語が紫式部の作であるということに一分の疑いも持たなかった僕であったが、それから僕は源氏物語に別の視点を見つけることになる。果たしてこんなに長い小説を紫式部は一人で書いたのか? そして、藤原氏全盛の時代にこんな時の為政者を貶めるような小説が本当に膾炙したものなのだろうか? 疑問は深まる。
源氏物語はその内容構成によって通常は三部に分かれると言われる。第一部は「桐壺」から「藤裏葉」まで。源氏が生まれて様々な恋の遍歴を経て、最終的に隠し子である冷泉帝が即位し、娘は東宮となり自らは準太上天皇となって栄華を極めるストーリーである。第二部は、「若菜」から「幻」まで。光源氏の権勢にも翳りが見え、最愛の妻紫の上にも先立たれて自らも死を迎える。そして第三部は「匂宮」から「夢の浮橋」まで。「宇治十帖」を含む光源氏の子孫の話である。
その第一部の話であるが、この33巻の話は二系統に分かれる、という説がある(古来よりあった「並びの巻」という話についてはちょっと置く)。
武田宗俊氏が唱えた説では(孫引きなので申し訳ないが)、この33巻は「紫の上」系統と「玉鬘」系統とはっきりと分かれるらしい(この~系統という言い方は便宜上のものであるが)。つまり紫の上系統は「桐壺」「若紫」「紅葉賀」「花宴」「葵」「賢木」「花散里」「須磨」「明石」「澪標」「絵合」「松風」「薄雲」「朝顔」「少女」「梅枝」「藤裏葉」である。もし手元に源氏物語か、あるいは国語便覧でもあったら参照して欲しい。これ以外の「帚木」「空蝉」「夕顔」「末摘花」から「蓬生」「関屋」、そして「玉鬘」以下十帖は別系統である、という説である。
「紫の上」系の話は、これだけで完結している。母桐壺を亡くした源氏は母に生き写しの藤壺に恋し、想いをとうとう遂げるが最後まで罪の意識に苛まれる。そしてその藤壷にもまた似た少女紫の上を手元で育て上げ正妻にする。最初の妻葵の上は六条御息所の生霊に憑かれて死ぬ。しかしその遺子夕霧は立派に成長。都落ちした源氏との明石の上とのロマンス。その娘明石中宮は入内。藤壺との秘密の子は即位。幸せな話である。しかもさほど浮名を流すイメージはなく割合に誠実な人格が浮かび上がる。ストーリーはこれだけで成立している。
しかしながら、「帚木」以下のストーリーは源氏を急にプレイボーイにしてしまうのである。「桐壺」であれだけ藤壺との禁断の恋に悩んだ源氏が急に「雨夜の品定め」をやるので読者は驚いてしまう。ここが物語に重層的厚みを持たせてはいるのだが、まるで人格が変わる様にも取れる。そこが源氏物語の魅力であり、また戸惑うところでもあるのだ。この戸惑いは読後、非常に物語に深みを持たせる要因にはなるのだけれども。
もしも、源氏物語がこの「紫の上」系統17帖でいったん出来上がっていて、「玉鬘」系統16帖が後から挿入されたものだとしたら。
痕跡はいくつも残っているのだが、その最たるものは、玉鬘系統に出てくる個性的な女人達は、一切紫の上系統には登場してこないということである。夕顔、玉鬘、空蝉、そして軒端荻、末摘花etc.。この末摘花という面白い女性は巻6に登場するので、もう少し後にも頻繁に登場してもよさそうなものだが、紫の上系統の話には全く出てこない。実に不思議なことである。紫の上系統の話で先に完結していて、後にエピソードをいろいろ挿入した証拠ではないのか。
話のトーンもこの両系統では違う。紫の上系統が、光り輝く源氏の賞賛譚だとすれば、玉鬘系統はプレイボーイ源氏の色話であり、そして何故か源氏の失敗話も多い。源氏の人間味が溢れているのはむしろ玉鬘系統の話で、栄光の光源氏の人間性に厚みを持たせてはいるが、やはりアナザー・ストーリーなのである。
源氏物語は、結論を言うにはまだ早いがやはり紫の上系17帖でいったん物語として完結していて、その後玉鬘系統が書き足され、そして第二部、第三部と続編が書かれて完成したと考えるほうが自然である。
では、紫式部が書いたのは一部紫の上系統17帖だけなのだろうか? いや、この17帖も紫式部の手によるものなのだろうか。
この源氏物語は、複数作者の手によるものであったとしても作品の価値は全く下がらないと断言できる。しかし、その評価のされ方はずいぶん違ったものになっただろう。世界で訳されて日本を代表する作家とも言われる紫式部。当時ノーベル賞があれば文学賞間違いなしだ。しかしその作者が特定できないとなれば、これは様々に難しい問題を内包してしまうことにもなるだろう。
そして、この小説はもちろん恋愛小説なのだが、もうひとつ「風刺小説」の側面が大きいのだ。この側面の解明なくして正当な評価を源氏物語に与えることなど出来ないのではないか。
もう少し書いてみたい。次回に続く。
単純に源氏物語は同じ人が書いたとは思えないですよね。
手法も違うし、表現したい内容も違うような‥。
また次回を楽しみにしています。
(でも源氏物語まで守備範囲だったとは、、、ビックリです!)
うれしいです。
「あさきゆめみし」のファンはきっと多いでしょうね。
謎が多いものほど、人は興味を抱き続ける。
謎もまた、時を越える物語の魅力なんでしょう。
高校時代、古典の授業中にクラスで源氏物語を演じるとしたら、どの役がいいか投票したことがあります。
自薦推薦両方の役を書き出したんです。
圧倒的人気は紫の上と若紫でしたね。
私は明石の君と六条の御息所。
人気なかったです。
自分の上に起きた出来事を思い返すときに
「因果応報」という言葉が出てくるのもまた
源氏物語の影響なのかもしれません。
次回が楽しみです(^o^)丿
この記事はちょっと源氏ファンには申し訳ないような内容なので書こうか書くまいか以前より迷っていました。別に貶めているつもりは毛頭なく文学的価値は不変だと思っています。何度読んでも感動しますしね。
六条の御息所という人は、今振り返ってもずいぶん大人の女性で、気品があり激しさと可愛らしさの両面を持つ女人だと思いますけれどもね。アラレさんが六条の御息所に擬せられたのもそのへんではなかったのでしょうか。素敵な女性の証明でもあります。源氏が惚れた女人ですからね。
しかしながら、よく考えたらこちらも、もう御息所を「大人の女性」と言うような年齢ではなくなっていました。もう僕など生霊になるほどの激しさは全然ないや(笑)。