前回からの続きです。
源氏物語については、最初に紫の上系統の17帖の原「源氏物語」があり、そこにアナザー・ストーリーが加えられ、そして第二部、第三部が書き加えられて成立したものではないか? と書いた。
では、その原ストーリー17帖とはどういう話か。前回も書いたが、これは光源氏の栄光の物語である。源氏は桐壺帝の皇子として生をうけ、母が更衣(身分が低い)であったことから臣籍降下となり源氏の姓を賜る。そして、天皇家を守る使命を帯びて生きていくのだ。ライバルは頭の中将。右大臣も左大臣も皇后も同じ一族である。何氏とは明記されていないがこれはどう見ても藤原氏である。そして、賜姓源氏である光源氏が、この頭の中将をはじめとする藤原氏一門にことごとく勝利を収めていく話なのである。
一度は失脚するが(藤原氏である弘徽殿の女御の妹「朧月夜」に手を出して藤原氏が激怒し須磨へ落ちる)、すぐに復活し、その後藤壺との密通で生まれた皇子は冷泉帝となって即位する。そして娘の明石姫が入内し、自分は太政大臣を経て摂関を超えた上皇とも言うべき準太上天皇にまで上り詰めるのだ。息子夕霧は宮廷の中枢に居る。藤原氏の血筋でない天皇の即位だけでも大変なことなのに、完全に源氏が宮廷を牛耳る結末を迎えるということは、これは大変なことなのである。また、光源氏以外のところでも、藤原氏の弘徽殿の女御を抑えて立后する藤壺もまた源氏、六条御息所の娘、秋好も立后するがこれも源氏である。まさに源氏王朝だ。
時代はまさに藤原摂関家全盛の道長の御時。このような物語が本当に流布していたのだろうか。
光源氏にはモデルではないかと言われる人物が居る。それは源高明である。
摂関家も全て磐石だったわけではない。危機もあった。その危機の代表が源高明の存在である。高明は醍醐天皇の第十皇子で、臣籍降下し左大臣にまで昇った。高明の女婿である為平親王が立太子するおそれがあり、そうなると外戚政治が高明に持っていかれるために、藤原氏は謀反のおそれありとして高明を配流にした。これが「安和の変」である。これで藤原氏最大のライバルである源氏が失脚し、摂関家はほぼ磐石になったと言われる。
高明は有職故実に深く通じ、風流人としても一流と言われ、その配流されたことからも光源氏のモデルとされる。時の天皇が冷泉帝であったことからもそう言われる。
もしもこの時高明が順調に宮廷で力を発揮していたら、光源氏の栄華と同じであっただろう。まるで源氏物語は高明の恨みを晴らすべく書かれた物語のようにも見える。高明の失脚配流から30~40年後に源氏物語は成立したと言われるからだ。
このような源氏礼賛、アンチ藤原氏の物語を道長の時代に発表できるものなのだろうか。僕はやはり難しいと考える。いくら道長が鷹揚な人物であったとしても、この話は無理であろう。そして、紫式部と言えば藤原氏の女性で、道長の娘の中宮彰子に仕える身である。ちょっと考えがたい。
ではあるが、こちらとしてはもう源氏物語は紫式部の作と刷り込まれているのである。どう考えをまとめていったらいいのか悩むところだ。
井沢元彦氏は、この謎について、源氏物語は「高明をはじめとする源氏の霊の鎮魂のため」に藤原氏によって書かれたという。余談だが僕は井沢氏が苦手で、あまり読まないので孫引きになっているので申し訳ないのだが。この人はその思想的背景はともかくとして(それが苦手なのだが)、歴史は怨霊と穢れと言霊でなんでも解決するのでこれも同様の推理なのだろう。怨霊鎮魂であるとすれば高明の霊は確かに満足するかもしれない。しかし、高明は3年で配流先から帰ってきており、怨霊になったと言うには少し難しい。菅原道真とは少し事情が違う。また源氏が全く滅びたわけでもない。滅亡した氏なら鎮魂が必要だ。しかし源氏がまだ居るのにこういう源氏礼賛の物語を書くと、それこそ逆に「言霊」の力で源氏の栄華が実現してしまうおそれもあるではないか。なので、藤原氏の鎮魂説にはどうも矛盾があり与することは出来ない。
かと言って、僕にも決め手はないのだ。誰が書いたのかについての推測はなかなか出来ない。ただ、高明の一族が執筆したと考えるほうがよっぽどすんなりと納得できる。全然裏付けはないのだけれど。高明自身が書いたと考えると実に様々なドラマは浮かぶのだが。琵琶の名手であり宮中行事・儀式の教科書とも言うべき「西宮記」を書いた文才誉れ高い高明であるとすれば。
しかし、この物語が世に出るまでには紆余曲折があったはずである。紫の上系統17帖だけではとても世に問える話ではあるまい。だからこそ、玉鬘系統16帖の挿入があり、第二部、第三部の付足しがあったのではないだろうか。
玉鬘系統の話は、源氏の失敗談が多い。末摘花の話はその最たるものだが、夕顔、空蝉、みんな源氏の思うようにはいかない。玉鬘も源氏が言い寄っても最後までなびかない。その玉鬘は頭の中将の娘(藤原氏)なのだ。こうして、完璧な光源氏の様子は崩れていく(そこが文学的には優れているのだが)。
二部になると、女三宮の源氏とのエピソードはまさに不幸としか言いようがない。決して源氏に身を寄せない女三宮は、頭の中将の息子柏木と通じてしまい秘密の子「薫」を生む。これは源氏の系統が藤原氏に乗っ取られたとも言えるのだ。
そして第三部ではその「薫中将」が主役である。源氏の血を引く匂宮も居るが、薫の占める部分が大きい。極端な言い方だが、源氏物語はとうとう藤原氏を主人公とするのである。
こうして核となる反藤原氏小説「紫の上物語」をだんだんベールで覆い隠して、ようやく世に流布したのではないか、とも思えてくるのである。しかしながら、まだ道長が喜んで読む中身には到達していないとも思えるのだが。
だんだん迷宮に入ってきた。もう一回くらい書いてもいいかな。次回に続く。
源氏物語については、最初に紫の上系統の17帖の原「源氏物語」があり、そこにアナザー・ストーリーが加えられ、そして第二部、第三部が書き加えられて成立したものではないか? と書いた。
では、その原ストーリー17帖とはどういう話か。前回も書いたが、これは光源氏の栄光の物語である。源氏は桐壺帝の皇子として生をうけ、母が更衣(身分が低い)であったことから臣籍降下となり源氏の姓を賜る。そして、天皇家を守る使命を帯びて生きていくのだ。ライバルは頭の中将。右大臣も左大臣も皇后も同じ一族である。何氏とは明記されていないがこれはどう見ても藤原氏である。そして、賜姓源氏である光源氏が、この頭の中将をはじめとする藤原氏一門にことごとく勝利を収めていく話なのである。
一度は失脚するが(藤原氏である弘徽殿の女御の妹「朧月夜」に手を出して藤原氏が激怒し須磨へ落ちる)、すぐに復活し、その後藤壺との密通で生まれた皇子は冷泉帝となって即位する。そして娘の明石姫が入内し、自分は太政大臣を経て摂関を超えた上皇とも言うべき準太上天皇にまで上り詰めるのだ。息子夕霧は宮廷の中枢に居る。藤原氏の血筋でない天皇の即位だけでも大変なことなのに、完全に源氏が宮廷を牛耳る結末を迎えるということは、これは大変なことなのである。また、光源氏以外のところでも、藤原氏の弘徽殿の女御を抑えて立后する藤壺もまた源氏、六条御息所の娘、秋好も立后するがこれも源氏である。まさに源氏王朝だ。
時代はまさに藤原摂関家全盛の道長の御時。このような物語が本当に流布していたのだろうか。
光源氏にはモデルではないかと言われる人物が居る。それは源高明である。
摂関家も全て磐石だったわけではない。危機もあった。その危機の代表が源高明の存在である。高明は醍醐天皇の第十皇子で、臣籍降下し左大臣にまで昇った。高明の女婿である為平親王が立太子するおそれがあり、そうなると外戚政治が高明に持っていかれるために、藤原氏は謀反のおそれありとして高明を配流にした。これが「安和の変」である。これで藤原氏最大のライバルである源氏が失脚し、摂関家はほぼ磐石になったと言われる。
高明は有職故実に深く通じ、風流人としても一流と言われ、その配流されたことからも光源氏のモデルとされる。時の天皇が冷泉帝であったことからもそう言われる。
もしもこの時高明が順調に宮廷で力を発揮していたら、光源氏の栄華と同じであっただろう。まるで源氏物語は高明の恨みを晴らすべく書かれた物語のようにも見える。高明の失脚配流から30~40年後に源氏物語は成立したと言われるからだ。
このような源氏礼賛、アンチ藤原氏の物語を道長の時代に発表できるものなのだろうか。僕はやはり難しいと考える。いくら道長が鷹揚な人物であったとしても、この話は無理であろう。そして、紫式部と言えば藤原氏の女性で、道長の娘の中宮彰子に仕える身である。ちょっと考えがたい。
ではあるが、こちらとしてはもう源氏物語は紫式部の作と刷り込まれているのである。どう考えをまとめていったらいいのか悩むところだ。
井沢元彦氏は、この謎について、源氏物語は「高明をはじめとする源氏の霊の鎮魂のため」に藤原氏によって書かれたという。余談だが僕は井沢氏が苦手で、あまり読まないので孫引きになっているので申し訳ないのだが。この人はその思想的背景はともかくとして(それが苦手なのだが)、歴史は怨霊と穢れと言霊でなんでも解決するのでこれも同様の推理なのだろう。怨霊鎮魂であるとすれば高明の霊は確かに満足するかもしれない。しかし、高明は3年で配流先から帰ってきており、怨霊になったと言うには少し難しい。菅原道真とは少し事情が違う。また源氏が全く滅びたわけでもない。滅亡した氏なら鎮魂が必要だ。しかし源氏がまだ居るのにこういう源氏礼賛の物語を書くと、それこそ逆に「言霊」の力で源氏の栄華が実現してしまうおそれもあるではないか。なので、藤原氏の鎮魂説にはどうも矛盾があり与することは出来ない。
かと言って、僕にも決め手はないのだ。誰が書いたのかについての推測はなかなか出来ない。ただ、高明の一族が執筆したと考えるほうがよっぽどすんなりと納得できる。全然裏付けはないのだけれど。高明自身が書いたと考えると実に様々なドラマは浮かぶのだが。琵琶の名手であり宮中行事・儀式の教科書とも言うべき「西宮記」を書いた文才誉れ高い高明であるとすれば。
しかし、この物語が世に出るまでには紆余曲折があったはずである。紫の上系統17帖だけではとても世に問える話ではあるまい。だからこそ、玉鬘系統16帖の挿入があり、第二部、第三部の付足しがあったのではないだろうか。
玉鬘系統の話は、源氏の失敗談が多い。末摘花の話はその最たるものだが、夕顔、空蝉、みんな源氏の思うようにはいかない。玉鬘も源氏が言い寄っても最後までなびかない。その玉鬘は頭の中将の娘(藤原氏)なのだ。こうして、完璧な光源氏の様子は崩れていく(そこが文学的には優れているのだが)。
二部になると、女三宮の源氏とのエピソードはまさに不幸としか言いようがない。決して源氏に身を寄せない女三宮は、頭の中将の息子柏木と通じてしまい秘密の子「薫」を生む。これは源氏の系統が藤原氏に乗っ取られたとも言えるのだ。
そして第三部ではその「薫中将」が主役である。源氏の血を引く匂宮も居るが、薫の占める部分が大きい。極端な言い方だが、源氏物語はとうとう藤原氏を主人公とするのである。
こうして核となる反藤原氏小説「紫の上物語」をだんだんベールで覆い隠して、ようやく世に流布したのではないか、とも思えてくるのである。しかしながら、まだ道長が喜んで読む中身には到達していないとも思えるのだが。
だんだん迷宮に入ってきた。もう一回くらい書いてもいいかな。次回に続く。
楽しみに続きを待ちます。
玉鬘の凛とした態度、あこがれます。
空蝉の逃げ足の見事さ…
末摘花の深情け
源氏が好きな理由には登場してくる女性の個性豊かなことと、完璧な美男子といわれる源氏の
人間くさい出来事など…
私が感じていたこととは違う視点で語られる
源氏物語のお話、楽しみに待ってます。
文学もやはり当時の背景、政情、無言のうちのメッセージなど残してるのかな。
この視点での書き方はとっても面白いです♪
でも、その裏には
鋭い刃が隠されているってこと。
そのままの言葉で気持ちを語れない時
人は、誰かの姿を借りて本音を語る。
それってすごくわかる気がします。
楽しんで書いてみてくださいね!
ゆっくりでいいですから~。
玉鬘、空蝉、末摘花、みんな魅力的なのですよね。様々なタイプの女性像が造形されているところが源氏物語の魅力ですねー。むしろ近代小説のほうが女性を類型的に描くことが多いような気もしますね。
光源氏にしても、決してスーパースターには描かれていない。ちゃんと人間らしさも出ている。それがアナザーストーリーの力なのだと僕は思っていますが…。
「言葉に秘めた想い」。かつての日本人はひとつのセンテンスにも幾重にも意味を込めましたよね。掛詞なんかもそうですが、作品にさえ。追究すると面白いものに「万葉集」「いろは47文字」「小倉百人一首」がありますね。ちょっと違いますが「奥の細道」もそうかも。これも書くと長くなりそうですね(汗)。