凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

大塚博堂「旅でもしようか」

2006年02月07日 | 好きな歌・心に残る歌
 大塚博堂という風のように通り過ぎた人の歌を最初に聴いたのはテレビだったと思う。大塚博堂がテレビで歌うという感覚はなんだか不思議な感じがするけれども、僕の記憶では(この記憶はちょっと怪しい。信用しないで欲しい)、「全員集合」だったような気がする。ドリフの番組に黒いサングラスをした大塚博堂が本当に出ていたのかと言われたら首を傾げてしまうのだが、とりあえず記憶ではそうなのでそういうことにしておく。記憶違いであれば指摘していただければ有難い。僕は小学生だっただろうか。
 その時聴いたのは「哀しみ通せんぼ」だったのは間違いない。

  哀しみは雪のように粉々に舞い上がり 飛びちぎれ嗚呼…貴女が僕の青春だった

 結構衝撃的だった。切なさが子供にも伝わった。ギターをかかえて切々と歌う大塚博堂は強力にインプットされ、その後博堂さんの名前に反応するようになった。ただLPを買う年代ではなく、FMで聴いてはエアチェック、の時代だった。そうやって少しづつ遡り大塚博堂の曲をカセットに集めていった。

 大塚博堂のデビューは昭和51年、なんと32歳だったという。遅咲きもいいところだ。どういう事情でそうなったのかは知らないけれども、こんなに素敵な歌を歌う人が埋もれなくてよかった、と思う。デビュー曲は「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」。

  テレビの名画劇場で「ジョンとメリー」を見たよ
  ダスティンホフマンが主演の行きずりの恋のお話さ
  君と一緒に観に行った「卒業」を憶えているかい
  花嫁を奪って逃げるラストシーンが心に沁みたね

 いい曲だ。哀しみが心に伝わる。長谷川きよしとも、因幡晃ともまた違う哀しみ。愛することはどうしてこんなに身を削らなくてはいけないのだろう。胸の疼きを描写していくそのメロディーは、とにかく深い感情を喚起させる。そして圧倒的な歌唱力。

  君にもう二人も子供がいるなんて 僕の周りだけ時の流れが遅すぎる
  ダスティンホフマンになれなかったよ ダスティンホフマンになれなかったよ…

 大塚博堂で最もよく知られている曲は「めぐり逢い紡いで」だろうか。この曲は布施明がカバーしてヒットした。布施明ももちろん素晴らしいが、オリジナルを聴くと布施明に負けない歌唱力と表現力に驚くだろう。当時は中ヒットは飛ばすものの圧倒的にメジャーな存在とは言えなかった大塚博堂は、むろんこんなポジションで留まっているべき人ではなく、もっと確固たる位置を占めてしかるべき人だった。しかし…。

 昭和56年、大塚博堂は脳内出血により死去。享年37歳。わずか5年の音楽活動、8枚のアルバムと100曲程度の名曲を残し風のようにこの世を去った。「見送った季節のあとで」「ピアノコンチェルトは聞こえない」「もう子供でも鳥でもないんだから」等々、珠玉の名曲を聴く機会は失われた。
 僕は亡くなったとき高校一年生で、まだ一枚のLPも持っていなかった。本当に申し訳なかった。全然貢献出来なかったことを悔いた。その後社会人となってから復刻された音源を買い集めたが、もう遅い。

 意外なところで大塚博堂の曲を耳にしたときのことを思い出す。
 21歳の夏、僕は自転車に乗って北海道を旅していた。限りなく広がる北の大地はあまりにも美しく、楽しさだけが僕を支配していた。集う旅人たちとはすぐに旧知のような仲間となり、黄金色した日々を過ごしていた。
 北の果ての利尻、礼文島、そして稚内、浜頓別。道北の充実した日々は楽園だった。山に登り、無人島に渡り、湖沼を廻り、果実を摘み…。しかしいつまでもそうしてはいられない。旅人はみんな動かなくてはいけない。人は列車に乗り去っていく。ライダーたちはあっと言う間に通り過ぎる。僕はペダルを踏んでしか動けない。いつの間にか仲良くなった旅人達はみんな帰り、季節は9月になっていた。
 僕はオホーツク海を南下し、紋別の街で大雨に降られ停滞を余儀なくされていた。
 9月になれば北海道はもう肌寒い。人も少なくなった宿で鬱々としていた僕に、大塚博堂の曲が聴こえてきた。

  少しだけ心が擦り切れてきたから 独りで夜明けにこの街飛び出す
  僕だけの時間を無駄遣いしながら 時計を忘れた旅でもしようか

 「旅でもしようか」という大塚博堂の曲。哀しい歌ばかり歌っていた大塚博堂の珍しく心浮き立つ曲だ。オーナーがファンなのだろう。エンドレスで流れていた。談話室で僕がつい口ずさんでいると、話しかけてきた旅人がいた。

 「これ何ていう曲なの? とてもいい曲」
 「これは大塚博堂の曲や。風のように通り過ぎた博堂さんの名曲なんや」
 「へえ、大塚博堂って知らないよ」

 僕は滔々と大塚博堂について語りだした。いつの間にか周りに旅人の輪が出来ていた。
 今まで出逢った旅の仲間達は帰っていったけれども、また新しい出逢いは待っている。寂しさなどひと時のことだ。出逢いと別れは旅にはつきものじゃないか。
 大塚博堂に僕はその時新しい出逢いをプレゼントしてもらった。

  時刻表などいらない 気まぐれだよこの旅は
  明日は 明日は 何処の空の下

 翌日、大雨はウソのように上がり、晴れわたる空が広がった。オホーツクの風に後押しされて僕はまたペダルを踏み出した。まだまだ旅は僕を捨てていない。この先にはまた新しい出逢いが待っているはずだ。

  明日は 明日は 何処の空の下

 歌いながら僕は走り続けた。大塚博堂の歌にその時またひとつ思い出が加わった。
 博堂さん、貴方の曲は全然色褪せていなかったよ。本当にありがとう。今ももちろん輝いているよ。

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10 コメント

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博堂ですか? (双子座の男O)
2006-02-08 07:50:24
初めまして、博堂で検索してたどり着いた双子座の男Oです。よろしくお願いします。

私も大好きですよ。

実は、博堂でデビューする4年前に大塚たけしの名前でデビューしてます。ジョルジュ・ムスタキの影響を受け、オリジナルでやるようになり再度デビューしました。

その前は博多で、高橋真梨子と並ぶジャズ歌手だったそうです。

私は、博堂の曲には、外れ曲が一曲もないと思いますし、イメージよりもかなり広いジャンルの曲があり、数少ない本物のMusicianだと思います。

今聞いても古くささがないし、前向きで甘えた曲がないのが好きですね。
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ありがとうございます。 (凛太郎)
2006-02-08 23:52:16
好きだと書いたわりにはあまり知識がなくてすみません。ご教授感謝いたします。m(_ _;)m

やはり下積みを経験されているのですね。なるほど、ジャズ歌手だったわけですか。あの歌唱力なら、そりゃ高橋真梨子と並び称されるはずです。



>博堂の曲には、外れ曲が一曲もない



おっしゃるとおりだと思います。聴いていて、「この曲は飛ばしちゃえ」というのが無い。作曲者としても一流でしたね。本当に残念なことでした。
返信する
もっと聞きたい (アラレ)
2006-02-09 01:29:16
私も、ダスティンホフマンになれなかったよ…は

大好きです。



めぐり逢い紡いで…も好きです。



残念ながら、他の曲は聴いていません。

彼が亡くなったことは覚えていました。



村下孝蔵さんが亡くなった時に

ふと、大塚博堂さんのことを思い浮かべました。



もっと聞きたいと思う

アーティストの一人でした。



誰かの心に残せる歌を歌えたことは

素晴らしいことです。

時を越えて歌い継がれるって、ミュージシャン冥利に尽きるでしょう。



私も誰かの心に言葉を残せるのだろうか…

などと、夢のようなことをふと、思いました。

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多分、『哀しみ通せんぼ』は (双子座の男O)
2006-02-09 04:52:34
『哀しみ通せんぼ』ですが、おそらく『夜のヒットスタジオ』ではないかと思います。

『八時だよ!全員集合』、出ていても不思議無いですけどね、何せプロダクションがあそこですから。

博堂が桃井かおり演じるなつみの元恋人役で出ていた『ちょっとマイウェイ』もDVD化されるみたいですね。

早く亡くなったMusicianで、私が思い浮かぶのは、博堂なら『明日のジョーは帰らない』『ハーバーライト』『僕は何処へ』『たとえば風にむかって』、石川ひとみに提供した『ショッキング・ブルー』、それに限らず多数の作・編曲している大村雅朗ですね。
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>アラレさん (凛太郎)
2006-02-09 22:57:57
思い出ブログを書いていると、プロレス技でもそうですがどうしても亡くなってしまった人にふれざるを得ない場合が出てきます。

このブログでも、かつて記事に木田高介、坂庭省吾、天野滋、高田渡、日高富明さんらについて書きましたが、挽歌というのは本当に書きたくないものです。

いずれ村下孝蔵さんのことも書きたいとは思いますが…。



「私も誰かの心に言葉を残せるのだろうか」その言葉が既に僕の心に刻まれてしまいました。

山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」、その中の「江分利は残りの人生の中で何ができるだろうか。身体はおとろえはじめた。才能の限界はもう見えた(中略)念願の短編小説をひとつ世に残すという事業を行えるだろうか。こころもとない。ハナハダ、こころもとない」この一節がオーバーラップしました。泣けてきそうです。

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>双子座の男Oさん (凛太郎)
2006-02-09 23:00:37
「夜ヒット」そうだったかもしれません。あそこなら出ていてもおかしくはない。しかし、僕の脳裏に浮かぶのは舞台でフルバンドを背にして歌う博堂さんなのです。そうなると、「全員集合」か「紅白歌のベストテン」か。ちゃんと紹介されずにいきなり出てきて歌った印象があり、どうも全員集合っぽいのです。

ナベプロというご指摘に、もしかしたらやはり全員集合だったのかも、とも思えます。しかしながら博堂さんが「少年少女合唱隊」に参加したのかと考えると…やっぱり違うような気も(汗)。

ドラマにも出られていたのですか。それは知りませんでした。さぞかし渋かったでしょうね。



大村雅朗さんについてはあまり詳しくないのですが、この方も亡くなるのが早かったですね。ひとつ前に取り上げたばんばひろふみさんの編曲もされていましたよね。惜しかった。

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気がつけば… (アラレ)
2006-02-10 00:16:07
自分の生きてきた年月を考えてみれば

リアルタイムで見てきた人が逝去する年齢に

なってるのですよね。



NSPのファンの人にお目にかかる機会があったのですが

痛々しいほどでした。

アリスが3人とも元気でいてくれることに

本当に感謝したものです。



レクイエムとして、自分の中に残った思い出を書き記すのもまた、供養のような気もします。

誰にも残らない人生ではなかったと…空に伝わる気がしませんか?
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>アラレさん (凛太郎)
2006-02-10 21:45:27
>自分の生きてきた年月を考えてみれば

それは確かにそうなのですが、懐かしい音楽を聴くときは自分もそのときの時間に戻っているので、なかなか現実として受け止められませんね。ミュージシャンにかかわらず訃報を聞くと「まだ若いはずなのに」と思って年齢を見たらそうでもなかった、などと言うことはしばしです。

僕のブログ程度なら供養にもなりませんが、現実社会では絶対に目に触れないであろう文章も「空」からならもしかしたら見てくださるかもしれない、なんてことを夢想します。
返信する
今更ながら (ケンタ)
2012-11-12 01:18:52
歌詞を検索していたらココに
来ました

自分はコの曲との出会いは18ぐらいか
今でもたまに口ずさみます

今は昔 雨の中液まで娘を迎に行く車の中
ふと口ずさみ 娘は来年は就職

又よらせてもらいます 
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>ケンタさん (凛太郎)
2012-11-13 06:21:18
ああこれ書いたのもう7年くらい前なのか、と今更ながら時の流れに茫然とした思いがします。
いい曲ですね。博堂さんも亡くなって30年を過ぎました。
確かに、僕もふと口ずさんでいることがあります。
お嬢さんの前途洋々たる未来を祈念致します。幸多からんことを。
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