凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

夜汽車を待つ時間

2014年02月28日 | 旅のアングル
 夜行列車が、現在(2014/2)壊滅状態となっている。
 これは、もうしょうがないとしか言いようが無い。新幹線網が発達し、飛行機便も充実し、夜行列車に乗る必然性がなくなった。ここ20年は、もう夜行列車は飛行機が怖い人たちと一部の愛好家のためのものになっていて、採算がとれない存在になっていた。最後まで頑張っていた「あけぼの」ももうすぐ消える。
 列車に乗ること自体を目的とした、いわゆる贅沢列車なら存続の可能性もあったが、北斗星も臨時扱いになり、カシオペア、トワイライトエクスプレスも廃止の報が入っている。あとは出雲と、はまなすくらいか。これもどうなるかはもうわからない。
 とにかく、18きっぷで乗れるムーンライトだけは、臨時でもなんとか存続してほしいと願うのだが、これも採算はおそらく取れまい。
 新しい可能性として九州で「ななつ星」という観光寝台列車が運行され始めたが、僕などはこういうのに何の興味も無い。結局トワイライトも北斗星も乗ったことが無い。そういうのは、求めていない。僕が近年乗っているのは、もうムーンライトだけである。
 僕個人としては、夜行列車の良さは廉価でしかも夜のうちに移動できることにある。寝台など無くても良い。かといってバスはしんどいし旅情に欠け、しかも繋がりが無い。まあそんなことは個人の繰言であってどうでもいいのだけれど。

 夜行列車には、昔はよく乗った。
 夜汽車に乗ること自体も楽しいのだが、その夜汽車を待つ時間、というのがまた楽しかったおぼえがある。
 若い頃は、ブルトレなど滅多なことでは乗らなかった。たいていは、座席である。よく乗った「ちくま」などは、そもそも寝台が繋がっていないものもあったのではなかったか(記憶)。
 その「ちくま」や「能登」「きたぐに」などは乗車頻度が高かったと思うが、寝台ではないものの指定座席券を持っていれば、列車には直前に乗り込めばいい。なので、待ち時間は自由に使える。その時間をどう使うか。
 もちろん駅前で一杯やる、というのが常道だろう。ことに夜汽車に乗る場合は、旅の始まりか或いはフィナーレであることも多い。当然、気分も高揚している。旅への期待、また楽しかった旅を振り返りながらのむ。これはこたえられない。
 だが、僕は酒場では長っ尻なので、発車まで一時間くらいしかないと腰が浮いてしまう。せわしない。頼んだ湯豆腐がなかなか出てこないとイラついてしまう。こういうのは、せっかくの愉悦の時間がもったいない。
 そんなとき、もうひとつの手段もある。買出しをして車内へ持ち込むのだ。
 もちろん、時間がないときは駅で雑誌と駅弁とビールとウイスキーのポケット瓶を購入してすぐに、ということもあったが、小一時間あればターミナルをうろつく。
 まず本屋へ行って、旅の友となる文庫本を求め(これも慎重に選ぶ)、そして地下の食料品売り場へ。まずこのシューマイでビール、次は焼き鳥でワンカップにするか。〆にはこの折り詰め寿司を…楽しい。実に楽しい。
 夜行バスだと、こうはいかない。バスはすぐに消灯してしまうし、何よりあの密閉空間で酒をのみ肴をつまみ出せば周りに迷惑なのはいかに厚顔の僕でも承知している。その点列車は、完全消灯しないし、何より広い。多少の飲み食いはみんなやっている。また軌道で揺れが安定しているのも好都合である。
 列車の良さだ。そうして、街の灯りがちらほらする車窓を見つつ酒をのむ。
 
 さらに、奮発して寝台を確保していたら。
 カーテンを下ろせば、自分だけの空間がそこにあるのだ。さらに、食べ物を広げる場所もあり誰にも文句は言われない。意気揚々とデパ地下にゆく。
 まだ「日本海」の発車には一時間ある。余裕だ。さー何を食べようか。この専門店の揚げたての天ぷらは実にうまそうだ。これ食べたいな。さすれば、酒か。ちょっとくらい奮発してしまえ、居酒屋でのむより安いぞ、と銘酒を思わず買ってしまう。この山廃純米の四合瓶を買うから、その試飲用のプラコップちょうだい。
 さらに…この穴子の押し寿司もなんとも魅力的。しかし海鮮丼も食べたい。どうしよう。おっと明日の朝食も仕入れておかなくては。最後に冷えたビールを買って…楽しい。実に楽しい。
 この悦楽感は、飛行機やバスなどでは味わえない。強いて言えば、長距離フェリーに乗る前には近い感覚になる。

 しかしもっと若い頃は、ブルトレに乗るなんてことは無かった。もちろん相応の料金がかかるからであるが、寝台はおろか座席指定券ですら全然縁がなかった。夜汽車に乗る機会は、たいていは周遊券や18きっぷを手にしているときだからだ。
 例えばワイド周遊券のルールとして、当該区域に行くまでは急行が使え、区域内では特急も乗れる。ただし、自由席に限る。寝台に乗るならもちろん、座席指定も別料金で、さらに自由席なら無料のはずの急行(特急)料金も上乗せされてしまう。もちろん余分な予算は無く、夜行列車に身を投じるのは宿に泊まるのを節約するためという要素もあったくらいだから、そんなところに余分なお金は使わないし使えない。
 つまり乗れるのは夜行快速自由席と、周遊区間内での夜行急行自由席のみである。すなわち大垣発鈍行夜行(ガキドン)、上諏訪夜行などと、「日南」「かいもん」「八甲田」「津軽」「利尻」「大雪」「まりも」など。フリー切符で追加料金無しで乗れるのは、自由席車両を繋いでいるこういう列車だ。
 当然のことながら、自由席は取りあい必至。並ばなければならない。
 若い頃は、夏は自転車で旅をしていたので、列車の旅の多くは冬だった。北海道などでは、ホームはそれは寒い。しかし、並ばないと席はない。昔はこうして周遊券で旅していた若者が本当に多かったのだ。
 稚内や網走から乗り込む場合はまだ席に余裕があったが、札幌発の場合はやはり混む。それは、札幌で泊まると高いから。地方だとYHや民宿などの安い宿泊施設が結構あったが、札幌は大都会なのでなかなか廉価な宿が少ない。そしてやっぱり札幌だと夜の街で遊びたい。だがそういう安い宿は門限があったり飲酒して宿に入ることを禁じている場合があったために宿泊が難しい。だから、夜行に乗る。移動目的ではなく、ねぐらを求めて夜行列車を選んでいるのだ。

 まあしかし、これが辛いだけかといえばそうでもない。
 並んでいると、必ず知った顔の一人や二人はいる。旅も長いと、袖摺りあう旅人も多くなる。そりゃそうかも。道内広しといえ、同じ周遊券で行ったり来たりしてるんだもの、どこかでまた出逢う。どころか、一年や二年前に出逢ったヤツが前に並んでる。毎年来てるんだな(ワシもだけど)。久しぶりだな。まだ汽車が来るまで時間あるよ。そうか、ウイスキーなら持ってるぜ。じゃ少しだけやるか。
 そうしてザックを降ろしてその上に腰掛け、とりあえずの乾杯。あれからどうしてた? 何だ夏は沖縄に行ってたのか? オマエそりゃ逆じゃないのか(笑)。
 話は尽きない。気温は氷点下だと思うけれども、なんとなしに温かくなる。そんなことを、何度もしたような気がする。女性でもいれば、氷点下の宴はいっそう華やかになる。そのまま列車に乗り込み隣り合わせの席に座って、カップルになったヤツらを僕は知っている(残念ながら僕ではない)。
 北海道に限らない。郡山の駅で八甲田を待ちながら、振り返ると知った顔。なんだ何でこんなところにいるんだよ(笑)。
 2月の上野駅というのは、さながら同窓会と化す。そんな話は、前にも書いたことがあった。

 夜汽車を待つのは、楽しい。
 それは、一人であっても仲間がいても。夏であっても冬であっても。また、懐ろが暖かくても寒くても。
 何度も書いたことがあるような気がするが、僕は北海道の旅では、北の果ての浜頓別という小さな町を最後にすることが多かった。それにはいろいろな理由もあり、まず楽しいことが多かったというのが一番にあるのは間違いないが、ギリギリまで遊んでいられる場所だということも要因としてあった。
 周遊券の期限が切れる日。僕はまだ浜頓別に居て、雪で遊んでいる。クロカンやったりかまくらつくったり。そして、宿でみんなで夕食を食べて、さあ消灯時間だというころに「じゃさよなら」と言って宿を出る。周遊券の期限が切れるまであと2時間くらいしかない。しかし、これで帰れるのだ。
 周遊券は、期限が切れるその日のうちに改札を通りさえすれば、あとは駅構内を出なければ乗り継ぎを続けることが可能。したがって、浜頓別の駅を22時半くらいの列車に乗って天北線で宗谷本線の音威子府駅に出る。そこで、稚内発の夜行列車「利尻」に乗り継いで翌朝札幌。札幌から特急自由席で函館、函館から青函連絡船に乗れば青森発上野行の夜行急行「八甲田」に間に合う。翌朝東京、そこから昼の普通、快速を乗り継いで夕刻京都へ。駅構内から出ずに、帰り着くことが出来るのだ。
 その年もそうやって帰るつもりだった。だが、天候が少しややこしくなってきた。かなり吹雪いている。情報によれば、天北線はここより北方面へはもう列車は行けず、浜頓別~音威子府間で折り返し運行になっているという。そして今なんとか動いている浜頓別~音威子府間も、次の列車が出たらもうその後は運休になる可能性が高いとか。
 運休になったら、万事休すである。翌日にはこの周遊券はもう使えない。新しく切符を買う金など無く、帰れなくなる。僕はいたしかたなく、遊びを途中で切り上げて15時過ぎのまだ動いている天北線にとにかく乗った。
 音威子府駅には、17時前に着いた。
 ここからまだ旭川方面へ向かう列車はあるのだが、周遊券の期限は今日までである。中途半端に札幌へ向かっても、札幌から函館へ向かう夜行便が無い(当時は「ミッドナイト」も「はまなす」も無かった)。札幌駅の構内では夜を明かさせてはくれまい。しかし駅構内から出たら、切符は無効となってしまう。
 一案として、このあとすぐに音威子府に来る旭川行の急行「礼文」に乗り、旭川で特急「ライラック」で札幌、そこから釧路行夜行下り「まりも」に乗り、途中駅で降りて上りの札幌行き「まりも」に乗り換え(いわゆる「新得返し」)、早朝にまた札幌に戻るという手もある。しかし、乗り継ぎ時間が2分くらいしかないところもあり、雪で少し遅れたら作戦は水泡に帰す。あまりにも危険だ。
 幸いにして宗谷本線はさすがに本線だけあって除雪もしっかりしていて、間違いなくこの後も運行するらしい。僕はハラをくくり、音威子府で札幌行の夜行「利尻」を待つことにした。
 今からだと、約7時間待ちになる。これが、僕が夜行列車を待った最長時間である。

 この「オトイネップ」というかわいい名前の駅には、なんとなしに縁がある。
 夏に、この駅で泊まったことがある。しかも二回。小樽札幌方面から自転車で最北稚内を目指せば、旭川で一泊、そしてこのあたりで一泊すればちょうどいい距離になるため。
 一度は、駅前にテントを張っていたライダーに誘われてその中で寝たが、もう一度は構内だった。夜行が通るために夜通し駅舎を開けているので、駅員の方が親切にも「中で寝ていいよ」と言ってくれたのだ。待合が畳敷きになっていて、そこに寝袋を敷いて寝た。好意で言ってくださったことだが、本当はいけないのだろう。あれから30年経ったので、もう時効だと思い書いている。
 そのときの駅員さんに会いたかったが、もういらっしゃらなかった。

 音威子府駅は、駅蕎麦が有名である。色の黒い、香りの強い蕎麦だ。しかし構内の立ち食い蕎麦屋さんは、閉店準備をしている。こっちは時間がたっぷりあるので、もう少しゆっくりとしたかったのだがしょうがない。とり急ぎ食べた。やはり美味い。しかし、それを食べてしまえばもうやることはない。まだ駅に着いてから10分くらいしか経っていない。
 まだ少し陽がある。風が強いけれども、僕は雪の中を歩き出した。駅から国道に出て、北へゆけば天塩川の河畔に着く。この天塩川の風景には、思い出があった(僕の旅北海道 2004/12/9)。
 あのときとは季節が違う。その冬の天塩川を見ておきたいと思った。
 河畔に着いた。僕は、思わず声を上げた。
 あの大きくうねり流れていた川が、白一色になっている。みなもが結氷し、その上に積雪しているのだ。なんと荘厳な光景であることか。僕はしばし動けなくなった。
 やはり、北海道はすごい。自然と自然がせめぎあって息をのむ姿を生み出している。
 
 陽も落ちた。そのまま佇んでいては遭難するので、駅に戻った。
 しかし駅に居てもやることもないので、町をぶらついてみる。しかし音威子府の駅前は、こう言っては失礼だが何も無い。今はどうかは知らないが、もう相当昔の話なのだ。Aコープが一軒だけあるが、そこももう閉店するという。当時はコンビニもないので、そこが閉まれば買い物も出来なくなる。僕は焦って、安いワインを一本と、魚肉ソーセージとチーズとパンを買った。これで、夜汽車を待とう。
 駅前食堂も閉まった。あとは、明かりがついているのはスナックが一軒。遠めに見ていると、店のママさんが雪かきをしている。入りたかったが、当時はまだ学生でそんな場所に出入りしたこともなく怖い。僕は駅の待合室に戻り、ワインを開けた。
 夜行列車が来るまでまだずいぶんとあるのだが、駅に客はいない。2度ほど列車が着いて、降りてきた人がいたが足早に帰宅してゆく。駅のストーブが僕だけのために焚かれているようで、誠に申し訳ない。そうしているうちに、だんだん陶然としてきた。
 ふらふらとまた駅前に出てみる。町の明かりは、数えるほどしか点いていない。まだ細かな雪が舞っているが、それほど寒さは感じない。酔っているのだろう。漆黒の空を見上げると、なんだか吸い込まれていきそうに思えた。
 ああ僕は旅に出ているんだな。もうそれも終わるんだな。妙に感傷的になってきた。
 ワインも空いて、少しうたたねをしてしまっただろうか。夜も更け、僕は改札を通った。札幌行の夜行急行「利尻」は定刻どおり23時57分に、音威子府駅に滑り込んできた。発車まで5分ある。その待ち時間の間に、周遊券の期限が切れた。
 
 それから5年くらい経った夏。世は平成にかわっていた。
 その夏も、僕は再び浜頓別に居た。夏なので自転車だが、もう学生ではなく無限に時間はない。月曜日の朝にはそのとき住んでいた金沢に居なくてはいけないのだが、土曜の夜にまだ僕はやっばりそこに居て、夕食を食べていた。
 このあと、あのときのように乗り継いで帰ろうと思っている。だが、もう浜頓別から音威子府に向かう天北線は、廃止されていた。僕は前よりもちょっと早く、午後8時半に宿を出た。バスターミナルまで走り、そこで自転車を解体して輪行袋に入れ、音威子府行きのバスに乗った。
 スケジュールは、このあと音威子府駅から札幌行き夜行急行「利尻」に乗って札幌に出るのは昔と同じ。だが、そこからは列車を乗り継ぎ青森までゆく。もう青函連絡船はない。そしてブルトレ「日本海」で金沢へ。早暁5時頃に到着する。家へ帰りシャワーを浴びて出社する。
 バスは、音威子府駅に着いた。
 駅舎が、建て替わっていた。とても綺麗で広い。もう僕が寝たり長く居座ったりした待合も、ない。
 ただ駅前は、以前とあまり変わらない風景であり、灯りの点いている店もあまりない。待ち時間をどう過ごそうかと思ったが、あの時に怖くて入れなかったスナックの灯りはついている。扉を開けてみた。
 店には、ママさんが一人。客はいない。こういうところは常連さんばかりだろうから、空いているのは有難い。「旅のものですがいいですか?」
 そこで、ママさんと馬鹿話をして過ごした。実は駅で2度ほど寝たことがあるんですよ。夜行を7時間待ちしたことも。あのときは、この店には怖くて入れませんでしたよ。何よ鬼が出てくるわけじゃなし、若いヒトには優しいのよ。食べちゃうこともあるわよ。それ逆に鬼っぽくないですか。あらそうかしら。
 勘定は、思ったより安かった。確かに怖くはないわな。僕はほろ酔い気分で、夜行急行「利尻」に乗り込んだ。

 今は、「利尻」はもう無い。「日本海」も事実上廃止となっている。隔世の感がある。

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4 コメント

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旅するあなた (よぴち)
2014-03-02 00:25:49
凜太郎さん

好きだなぁ、凜太郎さんのこういう記事。
とても いい気分で読み終えて

しばらく経った今、頭の中に「旅するあなた」が流れてきたら
なんだか泣けてきた。

私は、学生時代、電車で旅をするだけのお金がなかった。格安周遊券での旅さえも。
車無しでは学校へもバイトにも行けない田舎で、軽油で走る車を手に入れてからは、車で、部活の合間の休みで行って帰れるところにだけ、行きました。

それでも、その車を手に入れるまでは、年に数回、「神戸」へ行くのに、周遊券で、「きたぐに」で行ったものでした。まずは梅田まで「きたぐに」で。それから在来線に乗り換えて「六甲道」。

体力は、その辺の軟な男性より よっぽど自信があったけれど、とりあえず見た目が女なばっかりに、深夜の駅では変な人に絡まれては、駅員さんに助けられていましたね。
それでも、「きたぐに」には、料金の魅力もさることながら、朝、洗面所で顔を洗う人々を見て、なんだか新鮮さを感じたし、車窓から見る、暗い山々や、車窓に映る社内と外の景色の重なりなどが、とても好きでした。

凜太郎さんとしては、ブログで、同じ記事を繰り返すのは好まないのかもしれないけれど、ぜひ、同じことでもいいから、何度でも、こんな話をして下さい。

既婚者の私には、おそらくもう、「ひとり旅」はかなわない。
ここで、「ひとり旅」旅情に浸る時間を分けてもらいたい、と思う私なのです。
>よぴちさん (凛太郎)
2014-03-02 18:14:07
「きたぐに」の大阪行きが福井に着くのって、真夜中というよりもう早暁と言ってもいい時間だったんじゃなかったですか。その時間帯ですと、やっぱりヘンな人も出てくるのかなあ(汗)。
僕も「きたぐに」には京都時代、金沢時代とよく乗りましたねー。京都の頃は、大阪発23時台で京都着が確か0:05とかで、周遊券的には一日トクするんです。しかし自由席なので入場券でホームに並んでも、だいたい始発の大阪でもう席がいっぱいでね。デッキに座り込んで寝た記憶もあるなー。
「きたぐに」完全廃止からもう一年かな。
僕もときどき、こうして「過去に降る白い白い雪」のことが無性に書きたくなりまして。出来るだけ同じ話はしないようにしてるのですが、多少カブる部分も出てきます。まあ長旅の一部分だけを切り取って書いてますのでね。この7時間待ちの前後の出来事も、もう既に書いていますな。切り売りしてるわけじゃないんですが、まだ書くことは残ってますので、ぼちぼちとお目汚しをしていこうかなと思います。
北海道ワイド周遊券 (旅一郎)
2016-01-08 22:08:32
一文一文が自分が過ごしていた旅の記憶と重なります。
僕より少し上の世代の方(ぼくは44年生まれ)かと思いますが、札幌駅で同じ様に並んでいたんでしょうね。
>旅一郎さん (凛太郎)
2016-01-10 16:22:22
ありがとうございます。本当にもうこんな風景は追憶の中でしか存在しなくなってしまいましたが、楽しかったですよねー。僕も書いていて大変に懐かしい。
確かに僕は年齢的に少し上ですが、あの頃の旅人であれば、同じような思いを共有できると思います。

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