凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

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初詣のことなど

2014年01月13日 | 旅のアングル
 僕は、信心深くない人間である。呆れるほどに。
 日本各地の神社仏閣には、かなり出入りしているほうだと思う。観光的に有名なところ、歴史的に意義あるところから、そうでないささやかなところまで。さらに、いま自分が住む市域の神社には、全て足を運んでいる。
 ところが、訪れた目的である史跡や古い石造物などを見たり確認するだけで、柏手も打たずに出てきてしまうことすらある。もちろん社叢や神木、磐座などには畏敬の念も感じるのだが、ビルの谷間の神社などでは「ほほうこれが谷崎潤一郎が奉納した鳥居か」などと観光して何枚か写真を撮り、満足してそのままうっかり出てしまう。「あっお参りしてないや」しかし引き返したりはしない。
 全くひどいものだが、そんな僕でも初詣くらいは行ったりする。そして今年一年無事であれと祈願する。

 初詣の参拝者数ランキングというものがあって、正月を過ぎるとベスト5くらいはニュースになる。どうやって数えているのかとも思うが、おそらくは主催者側発表というやつだろう。
 毎年トップは明治神宮で、そのあとだいたい成田山新勝寺、川崎大師平間寺、伏見稲荷と続く。他に上位に並ぶのは熱田神宮、住吉大社、氷川神社、太宰府天満宮、鶴岡八幡宮といったところ。当然人口密集地が参拝者も多くなる。名高い伊勢神宮や出雲大社はランキングしない。
 初詣といえば神社だという認識を僕個人は持っているが、寺へゆく人も多い。前述の成田さんや川崎大師、また浅草寺などの寺院は全国でもトップクラスの参拝者数を誇り、他に西新井大師總持寺や佐野厄除大師惣宗寺なども人出は相当に多いらしい。ことに関東に寺院が目立つのは、神仏習合の歴史がそれだけ色濃かったからだろうか。
 関東以外では善光寺、また豊川稲荷妙厳寺などが人を集めているのだろう。今住むうちの近所では清荒神や中山寺、門戸厄神なども多そうだ。

 初詣の最古の記憶を辿ってみると、京都出身の僕はやはり伏見稲荷だった。
 祖父と父が毎年、元旦は伏見稲荷に参拝していた。家の神棚が稲荷社であり、新年に御神符をいただくためであったらしい。まだ小学校にあがるかあがらないかくらいの子供だった僕は、それに「連れて行け」とせがんだ。父は幼児を連れて行くのは面倒だったらしいが、祖父は喜んだとか。
 出発は、夜明け前である。京都の冬は寒い。母は、僕をかなり着膨れさせた。そのときの写真が残っているが、自分がまるで小さい達磨のように見える。
 まだバスの運行時間前で、少し離れた市電の停留所まで歩く。2kmもないのだが、相当に歩かされた気がした。もうこの最初の段階で、僕は愚図ったらしい。後々まで父にそのことを言われる。市電に乗って三条京阪駅へ。そこから京阪電車で伏見稲荷へ。ようやく空も白んでくる時刻。
 現在でも参拝者数が全国ランクインするくらいの伏見稲荷の人出だが、それは昭和40年代でも同じ。あれほどの人の波を見たのは、そのときが初めてだったような気がする。
 本殿にお参りして神札を受け取り、奥の院までゆく。その道は、あの鳥居が連なる稲荷道。当然年賀の参拝客でごったがえし渋滞も生じていたが、初めて見るなんとも神秘的な鳥居のトンネルは強く印象に残った。
 奥の院の茶店で、甘酒をのませてもらう。甘酒をのむのも、そのときが初めてだったような気もする。
 以来、元旦に伏見稲荷へ参るならわしとなった。最初の頃は甘酒が楽しみだったためもあるが、そのうちに自分の中で正月の行事として完全に定着していった。早朝から初詣にゆき、帰ればそれなりに晴れ着に着替えて屠蘇を祝い、雑煮を食べる。僕にとってはその一連の出来事が「ザ・正月」だった。
 祖父が亡くなり、その行事は途絶えた。
 父親もそれほど信心深いほうではなく、伏見稲荷への初詣は祖父の付き添いという面が強かったのだろう。また僕も思春期にさしかかり、祖父や父と初詣にゆくなどということが恥ずかしくなっていた頃と重なっていた。
 その後、神棚の御札はどうしていたのだろうか。よく知らない。今は父母も京都から引っ越して久しく、神棚ももう無い。

 以後しばらく、元旦に初詣には行かなくなった。子供の頃と違って大晦日はたいてい紅白歌合戦を最後まで見て、除夜の鐘を聴いてから寝る。早朝には起きない。京都であり、近くに神社はいくらでもあるのだが、面倒だったのだろう。前述したように信心深くなく、それは家族全員同じだった。せいぜい出かけたついでにどこかに寄る程度。「ちょっとここで参っとこか」「そやな」
 たいていは、元日ではない。
 それすらも無い年もあった。正月休みも明け、登校した帰りに友人らと神社に立ち寄る。中高の通学路には、やすらい祭りで有名な今宮神社があった。そこで手を合わせる。「考えたらこれ初詣やわ」「え、お前初詣まだやったんか」「正月に神社くらい参れや」そうやって揶揄され、いつものように門前の茶屋であぶり餅を食べて駄弁って帰った。
 そういえば一度だけ、高校のとき友人達と上賀茂神社へ行ったことがある。京都の一の宮であり現在は世界遺産としても知られる高名な神社なのだが、僕にとっては近くの神社であり、誘われたから行っただけで、そのグループの中に好きな女の子が居たからということ以外には理由はない。
 元日に初詣に再びゆくようになるのは、正月に旅をするようになってからである。
 
 初めて旅先で正月を迎えたのは、仙台だった。
 その年、12月半ばから周遊券を使って東北を旅していた。乗り放題切符を所持しているので夜行列車等で夜を明かしたりすることも多かったのだが、大晦日にそれではあまりにも寂しいため、仙台の宿に電話を入れた。「正月は空いてますか?」「うんやってるよおいで」
 以前に何度も泊まって気心の知れた宿だったので、僕はそのとき居た岩出山(伊達政宗が仙台に移るまでに拠ったところ)で地酒を一升買い、イルミネーションきらめく仙台へやってきた。
 大晦日の夜。日本中あちこちから(いや海外からのバックパッカーもいたので世界中からか)集まった旅人たちが、自己紹介をしつつ宴会。「どっから来たの?」「いつまで休み?」「○○には行った?」宿に集う旅人の会話は最初は定番化しているが、旅行好きという共通点があるのですぐにうちとける。僕が持ってきた一升瓶も瞬く間にカラになった。
 宴席もひと段落して宿の人が用意してくれた年越しそばをすすっていると、「出かけようぜ」と何人かが立ち上がった。「どこいくんや?」「お参りだよ」年もあと一時間くらいで明けようとしていた。
 宿は「北山五山」と称される寺町に近い。除夜の鐘があちこちから鳴りはじめている。そんな寺をいくつか歩く。東北の師走の夜は冷たく、粉雪も舞っているが、あちこちの寺には屋台も出ていて、温かいものを食べたり酒ものんだり、何より気分も高揚しているのでさほど寒さを感じない。鐘をつかせてもらったりしているうちに、時計が0時を指した。
 「A Happy New Year!」
 一緒に来ていたオーストラリアの旅人とハイタッチ。そのままみんなで青葉神社へ向かう。
 普段なら真夜中の時間。だが、人通りは多い。正月なのだな。僕は忘れかけていた「ザ・正月」の気分を思い出していた。柏手をうち、晴れやかな思いでこの年の安寧を祈願した。

 以来、正月にはだいたい旅の空の下で初詣にゆく。例えば函館なら函館八幡宮へ。博多なら櫛田神社へ。松山なら伊佐爾波神社へ。例外は幾度か沖縄で正月を過ごした年で、たいてい元旦は離島に居たので神社がなく(ウタキによそ者が行くのはさすがにちょっと気が引ける)、本島に戻って波上宮へ行ったり、或いは地元へ戻ってから、ということになったが(尾山神社が多い)。しかし離島ではだいたい初日の出を見ていたので、気分的には同じだった。暗いうちから動くハレの行事としては。

 結婚して後は、妻の実家で元旦を迎えるようになった。雪深い北東北の田舎の村。
 何度も書いているが、津軽の正月は大晦日の昼から始まる。ご馳走を並べ酒を酌み交わし年越しの行事とする。もう日が暮れるころには僕はベロベロになっていて、ストーブの横でぶっ倒れて寝ている。
 夜も更けた頃、紅白歌合戦を見終わった義母に「起きねば」と揺すられて起きる。年が明けるまであと十数分だ。初めてのときはちょっと驚いた。
 長靴を履いて、外に出る。たいていは身が切れるほど寒い。酔いも一瞬でどこかへ飛ぶ。歩いてちょうど0時頃に、神社に着く。小さな村の鎮守さまだ。
 さすが雪国であり、拝殿が完全に密閉されていて、あかりが煌々と灯され中ではストーブが焚かれている。神主さんがいる大きな神社ではなく、氏子総代が参拝者を迎えるために毎年交代で詰めているらしい。
 そこへ、村中から人が集まってくる。拝殿はちょっとした集会所だ。僕も、靴を脱いで上がりこむ。周りで話されている会話は津軽弁なので僕にはさっぱり分からない。そして、お参りをする。お参りも、一人づつローソクを灯したりお供え物をしたり、非常に興味深い。神仏習合が今でも息づいている気配がする。境内には地蔵や、馬頭観音板碑、南無阿弥陀仏の名号碑、また各種の講の碑(二十三夜塔など)などがあり、そういうのにもひとつづつお参りし酒をかけたりする。初めてのときは何とも不可思議であり、僕はあとから民俗学の本などをずいぶんと読んだ。

 そんな初詣をするようになってから、ずいぶん経った。そうしているうちに、少しづつ言葉も理解できるようになってくる。「○○さんちの婿さんか。今年は去年よりいいセーター着てるな」うわぁそんなことまで見られて話題になっていたのか。田舎というところは、怖い。
 なお、これが初詣なのだが、昼に第二弾でもうひとつ神社へゆく。村の鎮守さまではお守りや御札が売っていないから大きなところへゆくのだ。かつては参る神社も決まっていたのだが、僕が来てからはわがままを言ってあちこちいろんなところへ行くようにしてもらっている。今年は岩木山神社だ、今年は猿賀神社だ、今年は善知鳥神社だ、などと。そうやって、少しだけ旅行気分を味わっている。
 
 
ジャンル:
文化
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