凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

乾杯の流儀

2006年09月23日 | 酒についての話
 「君の瞳に乾杯」

 格好いい台詞だ。これはご存知のとおり映画「カサブランカ」でイングリッド・バークマンの瞳を見つめながらハンフリー・ボガードが言う。こんなキザな台詞もボギーになら似合う。あの映画はモノクロで、しかもアップの場面では紗が掛かったりもしたから、ただでさえ美人のイングリッド・バークマンの瞳はキラキラと輝く。こんな女性の瞳になら思わず乾杯をしたくなるのはボギーだけではないだろう。
 ただ、こんな台詞はキザすぎて実生活では使えない。

 乾杯というのは、こんなふうに女性を口説く場合にも使えるけれども、たいていは宴会の始まりの合図みたいなものである。「かんぱーい!」と誰かが発声してそれから呑み始める。この合図は本来愉しいもののはずである。このあとは呑めるのだ。乾杯の言葉を聞くとパブロフの犬のように条件反射で頭が酒一色…というのが理想である。
 しかしねぇ…。ちょっとかしこまった席などでは「乾杯の挨拶」などというものが入ったりする。あれっていったいなんだろう? グラスに酒がゆき渡ったのをとにかく確認し「みんなグラスを持ったか?」などと言うヤツもいて、そしておもむろに「えー本日はお日柄も宜しく…」と始まる。お日柄がよろしいのはもうよくわかっているよ。「ただいまご紹介にあずかりました~」結婚式とかじゃないんだよ。「今日の会議は誠に充実したものでしたが、中には積極的に案件を提出しない人もいて…」おいおい、訓示どころか説教始めちゃったよ。あーあこれは長くなるな。
 かくして、ビールのグラスを持つ手が疲れ、ビールは温まり泡が消え去り、ほとほとイヤになった頃にようやく「乾杯!」と言う。なんでこんな儀式をやらなくちゃいけないんだよ。注いだら呑めばいいじゃん。酒の席で訓示とは困りものだが、どうしても訓示がしたければ酒を注ぐ前にやってよ。

 どうしてこんな「乾杯」が横行するようになっちゃったのだろう。
 そもそも乾杯の起源というものは、ものの本によるとたいていは欧米由来ということになっている。江戸末期に黒船が来て諸外国と付き合いをせねばならなくなった事から始まったと。
 どこでも言われることは、日英和親条約締結時の井上信濃守清直のこと。英国全権大使エルギン伯爵が交渉終了後の晩餐において、英国はこうした時に杯を交わす習慣があると持ちかけ、それに対して外国通の井上が「乾杯」と発声したと言われる。これが日本での乾杯の始まり。
 そもそも中国でも「乾杯(発音はカンペー)」があり、それを知っていて井上は「カンパイ」と言ったのかもしれず、必ずしも欧米から渡った風習であるとは判断出来ないような気もするのだがなあ。
 それに、それまで日本に杯を交わす習慣が全くなかったわけではないだろう。すぐに思い浮かぶのは「水杯」である。ありゃ別れの杯だけど、戦勝祈願なんてのもあったはず。かわらけに酒を注いで立ったまま呑んでそれを割る、なんてのはあった。あれって一種の乾杯だな。
 ということは、おそらく世界的に行われていたことなのだろう。なんでも欧米に起源を求めればいいというものではないだろう。

 では、グラスを合わせるという習慣はどうか。これはやっぱり欧米かも知れない。というより宗教絡みか。
 酒には悪魔がいて、グラスをチンと合わせることによって悪魔をビックリさせて追い出す。しかる後に呑む、ということ。酒には悪魔が確かに存しているかもしれないけれども、まあ迷信の類か。グラスをチンといわせたくらいで酒の悪魔は逃げてはいかないって。
 それはともかく、日本ではこのグラスにチンを形だけ踏襲した。それはそれでかまわない。ただ、この習慣って結構面倒だったりするのだ。
 その宴席に10人いたとして、その10人全員にグラスを合わせないと気がすまない人が必ず一人くらいはいる。向かい側の人とも隣の隣の人ともグラスを合わせようとする。その人は全員とグラスを合わせないと失礼だと思ってやっているのかもしれないが、手を伸ばしてあの人ともこの人とも合わせないと…とやっている。席を立って遠い場所の人とまでグラスを合わせる。時間がかかってしょうがない。一度チンといわせれば悪魔は逃げていくのだから隣の人とだけでいいじゃないか。早く呑ませてくださいよ。
 ワイングラスでもこの乾杯をやろうとする人がいる。薄手の上等のワイングラスだと、「チン」というより「こおぉぉん」という音がして、なんだか割れちゃいそうな怖さがある。もう、グラスを目の高さに上げるくらいで済ませて欲しい。いちいちグラスをぶつけていると本当に割れてしまうぞ。

 ということで、だんだん「乾杯」という行為がうっとおしくなってくる。酒を呑みだす合図としてだけとらえてくれないものか。儀式化すると面倒だよ。でも、頑なに「グラスは全員と合わせるもの」ということを信じてやっている人がいるので無下に否定もできない。悪魔の話なんてしたら酒席でヤボだからなあ。
 さらに「乾杯」という言葉を言葉どおりとらえて、「乾杯したのなら飲み干さなくちゃ」という御仁も必ずいる。これも困りものである。
 「ささぐーっといけ。」確かに乾杯の意味はそうだよ。杯を乾かす(一滴残らず飲み干す)ってこと。しかしこれも、昔、酒の中に毒が混ざってないかどうかの確認のために主催者が飲み干し、しかる後に客側が飲む、ということに由来するもので、今じゃ毒殺なんて考えられないし、酒は店が用意するもので、主催者がディキャンタに移し変えてそれを振舞うなんてことはめったにあるわけじゃなし。
 それに、主催者が飲み干せばいいことで他の人は別にイッキ呑みしなくてもいいはず。
 また中国などの乾杯は、確かにイッキ呑みして杯の底を見せる、という風習もあるけれども、たいていは蒸留酒だから小さなグラスだし、その風習を日本の宴席始めの乾杯に持ち込まなくてもいいのではないだろうか。
 日本にも「杯を干す」という習慣はある。「お流れ頂戴」というやつなどはそうだろう。ひとつの杯を共有することによって連帯感を生む。なので杯の酒を飲み干し、盃洗で洗って相手に渡し、そしてご返杯。この「献杯・返杯」という習慣は確かにあるが、これは「乾杯」とはまた別のことだろう。そこいらへんを混同している。高知の天狗杯(天狗の面の形をした杯で、底が天狗の鼻になっていて安定しないので飲み干さないと置けない)や、宮古島のおとーり(ひとつのグラスで宴席に参加したひとが順番に呑むやりかた。飲み干さないと次の人にグラスを渡せない)などの習慣と、宴席の最初に行う「乾杯」とは違うのだ。

 僕は、個人的には「乾杯!」という言葉は好きだ。さあこれから酒を呑もう、みんなで「お疲れさん」という意味を込めて酒を酌み交わそうという合図として。
 なので「乾杯」は酒への感謝の意味を込めたい。酒を醸してくれた杜氏さんに、そして酒の神である松尾様はじめ八百万の神に、またバッカスに。こんなに素敵な飲み物を僕たちに与えてくれて有難う、という気持ちで。
 だから、僕は一人でも乾杯する。酒で満ちたグラスを軽くさしあげる。今日の辛かったことは忘れよう。そしてこの目の前の酒に委ねさせてもらおう。クドクド話は不要だ。呑もうじゃないか。
 僕にとっての乾杯はこんな感じである。なので、まだ「乾杯」を口説きに使ったことはない。ボギーなみのカッコよさが欲しいなあ。

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4 コメント

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乾杯 (組長~!)
2006-09-27 08:04:22
一番最近の『乾杯』は、先日の奥琵琶湖へのお泊りツーの時。



職場の歓送迎会とかの乾杯と違って、一走り終えた時の乾杯は楽しいもんです!(^^)



3人だったので、全員と。確かに遠くの人との乾杯はめんどくさいなぁ~!



それよか、早く飲みたい!(^_^;)
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>組長~!さん (凛太郎)
2006-09-28 22:59:46
最近乾杯が本当に面倒くさいのですね(笑)。人が多いとどうもねぇ。それに、最近は時々乾杯の発声をやらされたりするのですが、「今日もお疲れさん。乾杯!」とだけ言うとなんだか拍子抜けのような顔をする人もいる。やっぱりなんか一言言わなくちゃいけないのでしょうか。早く飲んだ方がいいと思うのですけれども…。



ツーリングのあとの乾杯は爽快でしょうね。やっぱりそういうときの乾杯は最高です♪

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ぜひぜひっ! (アラレ)
2006-10-05 00:29:21
私の瞳に乾杯してくださいっ!



でも実際には

きっと笑っちゃって言えないでしょうね~!

イングリットバーグマンのような

美人にしか似合わない言葉…(笑)



まいど~!で乾杯

これが一番かもね
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>アラレさん (凛太郎)
2006-10-05 23:07:57
アラレさんの瞳に是非とも乾杯したいところですが、当方もボギーではないので(汗)。僕がそんなことを言えばおそらくアラレさんが爆笑されるのではないでしょうか(涙)。



まいど~というのは実に便利な言葉ですね。どんな時にでも使える(笑)。

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