杉田二郎と言えば「戦争を知らない子供たち」であるが、残念ながらこの歌はもう耳にタコが出来た。もともとこの歌は「ジローズ(森下次郎さんとデュオなので"ジローズ")」の歌であり、昭和21年生まれの二郎さんが歌う歌として実に相応しいのだが、もう二郎さんも還暦であり「子供たち」ではない。ただ、戦後もう60年を過ぎたのかという感慨はある。
杉田二郎さんはてっきり「はしだのりひことシューベルツ」がデビューだとずっと思っていた。あの名曲「風」を残したシューベルツから独立してジローズを結成したのだと思っていたが、その前に「第一次」ジローズでデビューしていたとか。そのときは塩見大治郎、細野徹次郎さんとのトリオだったと言う。それで"ジローズ"なのですな。そしてシューベルツに参加、その後「第二次」ジローズ結成らしい。
余談だが、ばんばひろふみさんのラジオを聴いていて知ったのだが、森下次郎さんは本当の名前は「悦伸」さんらしいのだが、どうしても「第二次」ジローズにしたかった杉田二郎さんはむりやり森下さんに改名を迫ったとか。森下さんはその後AM神戸のプロデューサーとなりばんばんの番組にも関わっていたようで、裏話を聴く機会があった。強引な人である。
二郎さんは京都生まれのラジオ少年だった僕には実になじみが深い。高石ともやさんやフォーク・クルセイダーズを核とした京都の音楽シーンの中心に居た人であり、あの伝説の「自切俳人とヒューマンズー」のメンバーにもなっていた(自切俳人~ジキルハイドとは北山修さんのこと)。宵々山コンサートにも出演していたし、その独特の深い歌声は印象深い。
ソロになったのは昭和47年で、だから僕はジローズの時代はほぼ知らない。僕がラジオを聴きだした頃、ちょうど「男どうし」や「積木」がよくラジオで流れていた。なんと言うか、その柔かい、優しい包容力のある声は心地がいい。
小さな積み木を積み上げるように僕たち二人は生きてきた
紫陽花色の空の下でも身を切るような風が吹く (積木)
それからも「君住む街」「僕たちの箱舟」など、ラジオでは珠玉の名曲をよく聴くことが出来た。懐かしい。
その後二郎さんは「ANAK(息子)」をヒットさせ、フォーク一辺倒から世界を広げた。あの深い歌声は情感が実にこもりやすい。どんどん発展していく二郎さんに置いていかれるような気もしたが、それも悪くない。あの人はシャンソンでも似合いそうな気がする。懐が深いのだ。
貴方達の新しい恋のために乾杯 この私はあの日以来ずっと一人
一度だって男の手に抱かれてなどいないわ 可哀そうと思うのならお電話下さい
まだ貴方の写真だけは壁に貼ってあるのよ… (再会)
もうこうなるとムード歌謡で、中条きよしが歌っても相応しい曲のような気がする。酒場でカラオケに似合うな。「戦争を知らない子供たち」の人と同じとはとても思えないが、二郎さんは確実に世界を広げている。
と思ったら、最近二郎さんは細坪基佳さん(元ふきのとう)と「座・ジローズ」という新ユニットを結成して、全然フォークの世界から足を洗おうとはしていないことがわかった。素晴らしい。その一徹さがまた二郎さんの魅力だ。
かつて、「八ヶ岳」という歌を聴いたときは本当に心に残った。いい歌だなあと。
花飾りが似合うよ 若い母親だね 手を伸ばせば八ヶ岳 空が高いね
この曲は高石ともやさんの作詞で、ナターシャセブンでも歌っていた。そちらもいいのだが、先に聴いた二郎さんの歌声の方が印象深い。まだ少年だった僕は、この先大人になって結婚して子供が出来る、などということは想像もつかなかったけれども、歌われる若い夫婦には一種の憧れを持った。
初めて山梨県を訪れて八ヶ岳の雄大な山容を見たときは感動し、いつか結婚したらこの高原に、「八ヶ岳」の歌のように自分の家族を連れてこよう、と夢想した。
その後時を経て僕は所帯を持ち、二人して八ヶ岳の見える高原にやってくる機会を得た。
君は野菊を髪にさして笑ってる
手を振って応えれば君ははにかんで少女のよう
ちょうど晩秋の、「八ヶ岳はもうすぐ初雪なんだね」の頃。澄んだ空気は今も記憶に残る。
歩き始めた子供の手を引く君を後ろから見守れば あの山にも似て僕は父親
次にここへやってくる時は僕は父親になっているかもしれない。結婚しても自分が父親になるということなど全然想像もつかなかった僕だったけれども、少年の頃に思い描いたものに少しづつ近づいていくような高揚感をそのとき持った。
その後、妻の「若い母親」の姿をみることは叶わなかったし、僕は「あの山に似た父親」に憧憬を持っただけで終わった。結局子供に恵まれなかった僕たちはこの歌を聴くと少し切ない思いがすることも確かだ。ただ、この歌は青春の憧れであったことは間違いないし、歳を経てもまだ少女のように髪に花をさして笑える妻を見ていると、こんな人生も悪くないとも思える。幸せのかたちはひとつではないのだ。
あの日から二人で歩いて来たんだね
二郎さんの歌を聴きながら、二人で八ヶ岳を見て夢を語った時間。そんな瞬間もまた「たからもの」であることは間違いない。だから僕は今も莞爾として「八ヶ岳」を聴く。
杉田二郎さんはてっきり「はしだのりひことシューベルツ」がデビューだとずっと思っていた。あの名曲「風」を残したシューベルツから独立してジローズを結成したのだと思っていたが、その前に「第一次」ジローズでデビューしていたとか。そのときは塩見大治郎、細野徹次郎さんとのトリオだったと言う。それで"ジローズ"なのですな。そしてシューベルツに参加、その後「第二次」ジローズ結成らしい。
余談だが、ばんばひろふみさんのラジオを聴いていて知ったのだが、森下次郎さんは本当の名前は「悦伸」さんらしいのだが、どうしても「第二次」ジローズにしたかった杉田二郎さんはむりやり森下さんに改名を迫ったとか。森下さんはその後AM神戸のプロデューサーとなりばんばんの番組にも関わっていたようで、裏話を聴く機会があった。強引な人である。
二郎さんは京都生まれのラジオ少年だった僕には実になじみが深い。高石ともやさんやフォーク・クルセイダーズを核とした京都の音楽シーンの中心に居た人であり、あの伝説の「自切俳人とヒューマンズー」のメンバーにもなっていた(自切俳人~ジキルハイドとは北山修さんのこと)。宵々山コンサートにも出演していたし、その独特の深い歌声は印象深い。
ソロになったのは昭和47年で、だから僕はジローズの時代はほぼ知らない。僕がラジオを聴きだした頃、ちょうど「男どうし」や「積木」がよくラジオで流れていた。なんと言うか、その柔かい、優しい包容力のある声は心地がいい。
小さな積み木を積み上げるように僕たち二人は生きてきた
紫陽花色の空の下でも身を切るような風が吹く (積木)
それからも「君住む街」「僕たちの箱舟」など、ラジオでは珠玉の名曲をよく聴くことが出来た。懐かしい。
その後二郎さんは「ANAK(息子)」をヒットさせ、フォーク一辺倒から世界を広げた。あの深い歌声は情感が実にこもりやすい。どんどん発展していく二郎さんに置いていかれるような気もしたが、それも悪くない。あの人はシャンソンでも似合いそうな気がする。懐が深いのだ。
貴方達の新しい恋のために乾杯 この私はあの日以来ずっと一人
一度だって男の手に抱かれてなどいないわ 可哀そうと思うのならお電話下さい
まだ貴方の写真だけは壁に貼ってあるのよ… (再会)
もうこうなるとムード歌謡で、中条きよしが歌っても相応しい曲のような気がする。酒場でカラオケに似合うな。「戦争を知らない子供たち」の人と同じとはとても思えないが、二郎さんは確実に世界を広げている。
と思ったら、最近二郎さんは細坪基佳さん(元ふきのとう)と「座・ジローズ」という新ユニットを結成して、全然フォークの世界から足を洗おうとはしていないことがわかった。素晴らしい。その一徹さがまた二郎さんの魅力だ。
かつて、「八ヶ岳」という歌を聴いたときは本当に心に残った。いい歌だなあと。
花飾りが似合うよ 若い母親だね 手を伸ばせば八ヶ岳 空が高いね
この曲は高石ともやさんの作詞で、ナターシャセブンでも歌っていた。そちらもいいのだが、先に聴いた二郎さんの歌声の方が印象深い。まだ少年だった僕は、この先大人になって結婚して子供が出来る、などということは想像もつかなかったけれども、歌われる若い夫婦には一種の憧れを持った。
初めて山梨県を訪れて八ヶ岳の雄大な山容を見たときは感動し、いつか結婚したらこの高原に、「八ヶ岳」の歌のように自分の家族を連れてこよう、と夢想した。
その後時を経て僕は所帯を持ち、二人して八ヶ岳の見える高原にやってくる機会を得た。
君は野菊を髪にさして笑ってる
手を振って応えれば君ははにかんで少女のよう
ちょうど晩秋の、「八ヶ岳はもうすぐ初雪なんだね」の頃。澄んだ空気は今も記憶に残る。
歩き始めた子供の手を引く君を後ろから見守れば あの山にも似て僕は父親
次にここへやってくる時は僕は父親になっているかもしれない。結婚しても自分が父親になるということなど全然想像もつかなかった僕だったけれども、少年の頃に思い描いたものに少しづつ近づいていくような高揚感をそのとき持った。
その後、妻の「若い母親」の姿をみることは叶わなかったし、僕は「あの山に似た父親」に憧憬を持っただけで終わった。結局子供に恵まれなかった僕たちはこの歌を聴くと少し切ない思いがすることも確かだ。ただ、この歌は青春の憧れであったことは間違いないし、歳を経てもまだ少女のように髪に花をさして笑える妻を見ていると、こんな人生も悪くないとも思える。幸せのかたちはひとつではないのだ。
あの日から二人で歩いて来たんだね
二郎さんの歌を聴きながら、二人で八ヶ岳を見て夢を語った時間。そんな瞬間もまた「たからもの」であることは間違いない。だから僕は今も莞爾として「八ヶ岳」を聴く。
懐かしい曲とともに綴る奥様との想い出話は、
私にとってはたまらないですね。(笑)
私は、夫がいて子供がいて・・・という、普通の家庭を築くことが夢でした。
でも、残念ながら、そのどちらもつかむことはできずじまいです。
少なくとも、名前まで考えていた子供は無理ですね。(苦笑) かなえられない夢もあるものです。
もしかしたら、違ったカタチの幸せもあるのではないかと模索中です。
仕事だけの人生なんてつまらないですしね。
いつもいつも思いますが、凛太郎さんて、
本当に愛妻家でらっしゃるのですね。
そんな奥様とお友達になりたいです。
レコードの方は、アレンジが今一つだったので(笑)、やっぱり弾き語りの方が良いなという印象でした。
この歌詞のような理想の家族を夢見て◯◯年、現実は・・・ですが、本当に涙が出るほど懐かしい曲の思い出をありがとうございました。
僕は歴史やプロレスの話は叙事的に書きたいと思っていますが、懐かしい歌の話は、思い切り叙情的に書くことにしています。なので、パターンとしては前半部分をその曲ないしは歌手の全体的な僕の記憶をまとめて、後半ではまつわる思い出話を書いています。まあそればかりではありませんが。
思い出話にうちの女房がよく出てくるのは誠に恥ずかしい話ではあるのですが、それだけ経験が乏しいのではないかなとも思います(特に恋愛に関しては)。僕の「1984年 夏 19才」はちょうど北海道に向けて自転車のペダルを踏んでいました。語るべき思い出がもっとあれば大いに喋るのですが、それがないので偏ったことになっています。
Mamiさんから見れば、「いいかげんにしろ」であり以前にも怒られた事がありましたが(笑)、僕は子供がいないこともあって、「家族愛」みたいなものが全て配偶者に集中してしまうのかもしれません。だから「黄昏迄」や「ひまわり畑」みたいなことになってしまう。「愛妻家」なのかもしれませんが、それは僕にとっての「幸せのかたち」を模索した結果なのだろうなと思っています。
かつて見ていた「幸せのかたち」と現実とは僕だってやっぱり違います。ただ、これがベストであろうなと信じています。
Mamiさんも、かつて夢見ていたこととは違う今を生きてらっしゃるのかもしれません。ただ、だからと言って、今からでも遅くはない、とか頑張って、とか言って「幸せのかたち」を僕が押し付けるのは僭越でもあるし不遜なことだともちろん思っています。
Mamiさんには自分で自分の幸せを模索する権利がありますし人がとやかく言うことではありません。「Happyになりましょ!」というのは本当に象徴的な言葉だといつも思います。そしてその幸せを模索する過程もまた幸せなことである、と僕は勝手に思っています。だからMamiさんにも「莞爾」としていて欲しいです。なーに人生長いですよ♪
P.S.僕も子供の名前を考えていました。叶わぬ夢ではありましたが、そんな夢を見ていたこともまた幸せであったのかなと思います。
この名曲を知らないようでは僕はフォークソングのコラムを書く資格がないと思っています(笑)。「埋もれた名曲」なんかも時々書いていきたいですが、こういうスタンダードも書きたい。基準は「僕にとっての思い出の濃さ」です(笑)。
レコードのアレンジは、僕も少し(?)だと思っています。この曲は2種類のアレンジがレコーディングされていますが、さほど迫ってきません。むしろ高石ともやさんの歌うアレンジの方が好き。やはりこの曲の真価はライブの弾き語りでしょうね。ヒロリンさんはやはりわかってらっしゃる(拍手)。
こちらこそ、素敵なコメントをありがとうございました。またヒロリンさんにとっての「懐かしい歌」が書ければ嬉しいです。
すみません!! 2006-11-27 00:24:28
以前このサイトに杉田二郎さんの「積木」について掲載されているのを見つけました。大変申し訳ないのですが、もしよろしければ「積木」の歌詞を載せてもらえないでしょうか?無理なようでしたら構いません。どのサイトを開いてみても「積木」の歌詞は載っていなく、今すごく気になっています。
無理なようでしたら構いません。本日の日記とは関係の無い内容でしたが、ご無礼を承知の上、お願いいたします。
管理人様貴重なスペースありがとうございました。不適切なようでしたらお手数ですが削除お願いします。
さて、レスです。
まずお願いですが、こういうのは当該記事のコメント欄に書いてください。ブログですので原則そうしていただけると有難いです。ブログ内検索窓もありますので(汗)。
それでファンさんのリクエストですが…。基本的には歌詞を全文掲載することは出来ません。おわかりかと思いますが歌詞には著作権があります。僕は二行ほど「積木」の歌詞を載せていますが、これは「引用の範囲内」という解釈においてです。それは著作権法も認めています。しかし全部は掲載出来ない。
全曲掲載となりますと、今はJASRAC(日本音楽著作権協会)の許諾が必要となります。僕もここが怒ってくると怖い。実際歌詞を載せて問題になったサイトが削除を求められたりしているケースもあるようです。
したがって全世界の人が見ようと思えば見られるウェブ上には歌詞の全文掲載は出来ません。
ただ、個人的に教えることなら出来ます。メールなら可。なので、このブログのトップページにある「INDEX」の記事、そこにプロフィールへのリンクがありますので、それを開きますと、最下部に僕のメールのアドレスがあります。そこへメール下さい。
また、僕のほうからのお願いとして、どうして「積木」の歌詞が知りたいのか、という理由を是非教えてください。なんでなんだろ? (笑) プライベートなことまで踏み込まなくて結構ですから。
最初に入手したのはナターシャセブン版のもの。
これもなかなかいいのですが、やっぱり二郎さんでっきたいなとおもって、次に入手したのが、二郎さんのベストアルバム。これは後年になって録音したもののよう。最初にラジオで聞いたものが聴きたいとおもってたのですが、昔のレコードを買ったらそれをCDにしてくれるっていう店をネット上でみつけて、シングルレコードを買って来ました。ところが、これも昔聞いたバージョンではない。
ぼくがラジオで聞いた、ピアノのイントロで始まるバージョンはなんだったんだろう。。
僕も「八ヶ岳」との出会いはラジオです。シングルは買っていないのですね。エアチェックでした。そのとき2バージョン録音したのですが、(片方はスタジオライブだったと思います)いずれもピアノではありませんでした。ライブはギター一本でした。
後に、ナターシャの107ソングブックを買いまして、初めて「八ヶ岳」のレコードとしての音源を手に入れたのです。それはお持ちになっているのと同じかと。アレンジとしてはこれが僕は好きです。
後のベストアルバムは僕も入手しました。アレンジは好みですが、ナターシャ版がいいと前レスにも書いたとおりです。
ピアノのイントロの八ヶ岳。お役に立てなくて誠に申し訳ありませんでした。
でも、なんだかかすかに聴いたことがあるような気がするのですよね。口三味線でしか表現できませんが「チャン、チャン、チャン、チャン…」とピアノの和音で始まるような(全然音楽用語がわかんないので無茶苦茶な書き方でごめんなさい^^;)。あれは確かになんだろう。勘違いかもしれないのですけど。
もしそれなら,私も聞いたことがあります,昔,姉の持っていたフォーク大全集といった10何枚か組のレコードで,東芝EMIから出ていたものに収録されていました。
ベストアルバムに入っていた別バージョンというのは,レコード会社が違うやつ(ファンハウス)でしょうね。
今度,二郎さんの40周年記念ベストが東芝EMIから出るそうなので,そこに八ヶ岳も収録されているというのをHPで見ました。
視聴できるといいんですが。
シンセサイザーの音だったか…なにぶん古い記憶ですので。と言って、僕がわかる話ではないのです。Мечиславさんがこのコメントをご覧頂いていれば良いのですが。
ご親切なご教示、ありがとうございました。
シンセサイザーやエレピ、ハモンドオルガンではなかったと思います。
えーっと、僕が聴いたのは、昭和五十六年十月十一日の「つるべ新野のぬかるみの世界」(ラジオ大阪)というラジオ番組でかかっていたものです。
# Мечиславはラテン文字で書けばmieczyslawです。